まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ - -22ページ目

八木山小への申し入れ

仙台市立八木山小学校に直接連絡を入れてみた。電話を受けて下さったのは、教頭先生。
学校のホームページに出ている「Pちゃん」の文言について問題だと思っていること、文科省→市P協のラインを通じてすでに当方の考えも入っているはずだが、どうなっていますでしょうか? と問いかけさせていただいた。

話はすでに入っていたようだが、あまり深刻な問題としては認識されていないような印象を受けた。
当方の主張をかいつまんでお話しさせていただき、拙ブログもできれば目を通しておいて下さいとお願いしておいた。

「10月4週に役員会があるので、そこで検討することにしたい。」とのこと。
「すぐにというわけには(いかないかもしれない)…」ともおっしゃるので、「少なくとも新入生の保護者が目にする前には是正してください。違法な疑いも濃厚ですので…。」と申し上げた。
文科省の担当者も、「指導はできない」とは言いながらも、あるべき姿からの逸脱ははっきりと認めていることもお伝えしておいた。

11月の連休明けに役員会での話し合いの結果を聞かせてもらえることになったので、またご報告いたします。

追記
八木山小関係者の皆様へ
Pちゃんの以下の発言も、民法643条に触れる可能性がありますので、市の顧問弁護士さんなどとも相談され、ご検討いただけませんでしょうか。
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Q:PTAの委員って、必ず引き受けなくてはいけないの?

A:基本的には、子どもが6年間学校に通う間に1度は(1年間)委員を引き受けましょうということになっているよ。もちろん進んで何年も引き受けて下さる方は、大歓迎だって。

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※民法643条
委任は、当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することによって、その効力を生ずる。

文科省との対話(5)とりあえずのご報告篇

明日の仕事の準備で立て込んでおりまして、取り急ぎのかいつまんでのご報告です。

本日ひょんなことから衝撃的な事実が判明しました。
優良PTAの申請書類に「任意・自動」とやっている(そして「参考例」として「自動」のほうを提示している)のは、横浜市にとどまらず、神奈川県全体でありました(笑)。
これは、日本全域か!と思いきや、それは思いすごしで、つまり、文科省として「任意・自動」などという調査用紙を配布しているのではありませんでした。
そうなると、神奈川県教委はなぜそんなことを独自にやっているのか? また、神奈川県以外でも同じようなことをやっているところはないのか?等のことが問題になって来ます。
神奈川県教育委員会は、全くの単独で、そんな法をも恐れぬことをやらかしているのでしょうか?
(明日、神奈川県教委の担当者にそのあたりの点につきうかがう予定です。)


さて、そのあたりの新事実も踏まえて、本日、担当者氏およびその上司の係長氏とかなり根を詰めての話し合いになりました。
うれしいお知らせとしては、例の昭和42年の社会教育審議会の「会の趣旨に賛同する親と教師が自主的にできるだけ多く参加することが望ましい。」という文言は、けっして「原則、原因加入体制」を容認するものではない、ということを組織としても(係長レベルでも)お認めいただけたことです。
当然だ!という思いのある一方、ひと山越えてほっとしております。

一方、そのほかの当方の求めに関しては、「まるおさんのお気持ちも、ご主張もよく分かるが、文科省としてとして今すぐ動けることは何もない」というのが係長氏のスタンスでした。。
そのスタンスに対して、縷々反論し、何とかかんとか「初等中等教育局とや社会教育課の中でも考えさせてほしい。」というところまで「押し戻し」て、今日の話し合いは終わりました。

その具体的なやり取りについては、明日以降にできるだけ詳しくご報告するとして、本日、当方から<組織としての文科省>に対して求めたことの結論だけを記しておきます。

①PTA担当部局と初等中等教育局とが連携しての「PTA全員加入体制」是正に向けた全国的な働きかけ。
②神奈川県教育委員会に対しての厳重注意。(できれば、「優良PTA」の表彰取り消しを行ってほしいくらいです!)
③優良PTAの選出基準に次年度以降は、「適切な入会方法を取っていること」の一文を入れる。


の三点です。
文科省としての一応の返事は、今月一杯までにいただける約束もいたしました。

こちらとしては、当然の要求をしているつもりですが、先方にとっては、相当にきつい要求のようでした。
しかし、当方も、PTAの不法なあり方のために心身にダメージを受けている少なからぬ保護者の存在を訴え、引き下がりませんでした。

「対応ができない」という結論が出た時は、なぜ対応が不能なのかの法的根拠、ないしは国民、保護者の納得できる説明をすることを求めておきました。
それができないのなら、「不作為の責任」の問題も出てくると。

しかしそれにしても、①はともかく、②と③については「楽勝」かなと考えておりましたよ。
やっぱり、甘いですかね。
ちなみに、担当者氏とその上司である係長氏は、おふたりで「文部科学大臣表彰優良PTA」の選考を担当されています。

なおなお、係長氏もPTAには当方が問題にしているような問題があることはよく承知してくれていて、「時代の要請に応えた審議会を立ち上げるということも視野に入れている」というようなことは、言って下さっております。

追記
係長氏は、文科省としてアクションを起こす場合、法的な根拠が求められるということをおっしゃっていた。
それなら、PTAのあり方とは…さんもおっしゃるように、思想信条の自由の侵害の疑いがあること、詐欺の恐れもあることをあげれば十分ではないのだろうか?
この点については、月末を待たず、近日中にぜひお考えをうかがいたいと思う。

文科省との対話(4)報告篇③

<学校とPTAの癒着による非会員の疎外問題について>
次のようなことを問いかけた。
「学校主催の保護者会とPTA主催の学級PTAとの「境」のない(あるいは曖昧な)学校が多くみられる。この現状は、「自由入会」の精神に反するものであり、問題。
PTAに入らない保護者も、安心して学校や他の保護者と必要な連携を取ることができるような、制度設計がなされてしかるべきだ。
現状は、「保護者会」と「学級PTA」の概念上の区別もなされておらず、ぐちゃぐちゃな状況であり、早急な改善が必要だ。」

担当者氏も、年度や学期の変わり目に保護者と担任が一堂に会し、情報交換等をする「保護者会」と、社会教育のひとつの実践である「学級PTA」は、「確かに、役割として明らかに違うと思う」と述べた。「分離されてしかるべきだ。」とも。
おっ、いいぞ!と思っていると、
「ではどういう道筋でその分離を実現するのかは、簡単ではない。」とも。

私が「保護者と教師とのミニマムな連携は、PTAから切り離されるべきですよね。」とたたみかけると、「『既存の組織の有効活用』はあっていいのでは?」とも言う…。
それは、拙ブログの7/7のエントリ(<PTA問題の源>)でとりあげた「地方分権時代における教育委員会の在り方について」(中央教育審議会平成17年)を下敷きにしたものなのだろう。

それに対しては、そのスタンスは全員参加を前提にしてのものであり、納得しかねると述べておいた。
「既存」と簡単に言うが、毎年毎年人が入れ替わるのに、なんで「既存」などと言えるのか、不思議だ。
やはり、PTAが保護者と学校が連携する上でのミニマムな領域に食い込むことは、その法的位置づけ(一任意団体にすぎない)、さらには過去のPTAに対する文部省自身による位置づけ(通達等)から言って、あってはならないことだと思われるのである。
この問題については(特に)、議論が十分に煮詰まらなかったように思うので、再度問いかけてみたいと思っている。


<担当者氏からの訂正要求>
話し合いの最後に、担当者氏側からの反論や訂正要求はないかうかがった。
まず、
「保護者の意見を集約するものとしてPTAは必要だ。」
と自分が述べたことになっているが、そのようなことは言っていない。
「学校と保護者が連携する上で一定の役割を果たすことを文科省としては期待している。」と言ったのだ。
という訂正の要請があった。

それから、
*****
「盛んになってほしい」から、本当のことは国民に対して隠す。
こんな、国民を馬鹿にした行政が許されるのだろうか(嘆息&怒)?

*****
という当方のブログでの発言に対しては納得されていないらしく、
「賛同する人ができるだけ多く入るのが望ましいと思っている。
それだけであり、(だまして入れるつもりはない。)」

とのこと。

趣旨として、「だまして入れるつもりはない」ということなら、任意加入がきちんと守られているかどうかの「実態調査」をすることをなぜそんなに避けたがるのか? 国会の決議だってあるのに、おかしいではないですか!
と突っ込むと、なんかもごもごとおっしゃっていたが、いまひとつ頭に入らなかった。
どうやら、下手に動くと、推進派から「私たち(or彼ら)がこんなにがんばっているのに、なぜうしろから鉄砲を打つようなことをするのか!」とクレームがつくということらしい。


(おまけ)
前回の問い合わせへの返答
Q:「地域の教育力の低下」という言説を裏付けるデータ等はあるのか?
A:「総務省の調査が元になっている。」
二週間以上も前に問い合わせたものなのに、その具体的内容は担当者氏も把握されていなかった…。
今忙しい時期とはいえ、こんなことは質問されるまでもなく把握しておくべきことなのでは。
要するに、「~と言われています。」の世界で、誰がどのような根拠に基づきそう言っているのですか?と突っ込んでも、「さあ?」なのだろう(嘆息)。

Q:奈良市P連とは連絡がついたか?
A:「いまだ連絡つかず。」
次回の話し合いの時にも進展していなかったら、市教委への働きかけを要請するべきかもしれない。そもそも、この問題は、「卒業式における生徒差別の懸念」の問題なのだから。

文科省との対話(4)報告篇②

<「PTAの実態調査」について>
当方から次のようなことを述べた。
「第169回国会 文部科学委員会(2008.5)における、「社会教育法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議」として、「PTAについて、その活動や運営などの実態把握に努める」とある。
(注:FJNさん、ご教示ありがとうございます!)
前回話のあった「学力格差や道徳の授業やクラブ活動についての保護者の意識を探る」云々はあくまでも保護者の意識調査であり、「PTAの活動や運営などの実態把握」からは大きくずれていないか。
ぜひ、文科省として、国会の決議に従い、PTAの活動や運営の実態を把握するよう努めてほしい。

「PTAの活動や運営などの実態」の中には、入退会のあり方、役職の決められ方、会費の集め方、PTA活動に伴う保護者の悩みや不満も、当然含まれると思われる。
いったい、文科省としては、活動や運営の実態を把握するため、これまでにどのような努力を行い、またこれから行おうとしているのか?(たとえば、どのような調査項目を考えているか?)」

この当方からの問いかけに対して、いろいろとおっしゃっていたが、要するに、
「その決議については、承知はしているがまだ施策に反映されていない。」
とのこと。
個人レベルで話題にあがるのみで、組織レベルではなんにも具体的な話になっていないらしい(驚)。
(もう国会での決議がなされてから1年半にもなろうとしているというのに!
文科省幹部の方々、行政組織としてこんなんでおよろしいのでしょうか?)

ぜひ国会決議を踏まえて、一日も早く行動に移るよう要請しておいた。
「官僚にとって、国会の決議って軽いものなのね。」というのが、嫌味な言い方かもしれないが、率直な感想だ。


<「強制加入体制」改善に向けての全国的な働きかけの必要性の件>
先の話し合いで、「強制加入体制」の改善のための全国的な働きかけを要請した当方に対して、
*****
何を根拠にそういうことを言うのか?と言われる可能性がある。
仙台市の小学校の例のような、具体的な「事例」(証拠)が必要だ。
それがないと「見えない敵と戦っている」ようだ。
*****
というような返答があったわけだが、この担当者氏のコメントを受け、ブログ「柳下玲優 日記」の柳下さんから、いくつかの「具体的な事例」を寄せていただいた。多謝!
茨城、東京(複数)、沖縄等にも、仙台の小学校と同様に、「強制加入体制」で運営されていると思しき学校があるのだ。(その具体的な紹介は近く行う予定。)

さらに、柳下さんは衝撃的な文書を「発掘」してくれた。
それは、次の文書。
「平成 21 年度優良PTA表彰候補団体 推薦にかかる資料」(横浜市教育委員会)

この資料の中には、「団体の概要」を示すための調査用紙(別紙様式2)があるのだが、その中に「加入率」と「入会方式」を問う欄がある。そして、あろうことか、「入会方式」については、
任意
自動

の二択方式になっているのだ!
そしてさらにあろうことか、資料の中には、調査用紙の「実際の記載例」まで示されているのだが、そこでモデルとして示されているのは、
加入方式:自動
加入率 :100パーセント

の「横浜市立N小学校PTA」の例なのだ。

この資料から分かることは、横浜市のPTAでは、「自動加入」が加入方式として(市教育委員会によって)おおっぴらに認知されており、どころか、奨励されている節さえあるということだ。

この事実を文科省の担当者氏に知らせ、「こんなことが許されていいのか?」と問うたところ、
「任意以外の方法があるなどとはこちらとしては、想定していない。」
とのことだった。
つまり、文科省の見解として、「自動加入」なる加入方式は、“あり”ではなく“なし”ということである。
法令やPTA関連の文部省の通達に照らし極めて当然の結論とは言え、文科省の担当者氏のこのことばは大変に頼もしく聞こえましたですよ。
担当者氏には改善に向けての横浜市教委への事実確認をお願いし、了解してもらえた。

横浜市教委の件のほか、東京、沖縄、茨城等のPTAに認められる不適切な事例についても次回の話し合いの折に具体的に指摘するので、それらの学校に対しても改善に向けた事実確認を行ってくれるようお願いしておいた。
また、調べればこのようにいくつもの不適切な事例が出てくることからして、同様の不適切な事例が全国的に存在している可能性は大であり、ぜひとも、可及的速やかに全国的な実態調査に踏み切ってほしいともお願いしておいた。(しつこいようだが、国会の決議もあるのだから。)

(つづく。その③では担当者氏からの訂正要求や弁明についても紹介します。)

文科省との対話(4)報告篇①

一昨昨日(9/28(月))に文科省の担当者氏と話し合うことができた。

まず、<仙台市の加入強制をめぐる件>。
①八木山小と西多賀小PTAにおける「強制加入」の改善の件。
②その他の市内小中学校についても不適切な事例がないか点検する件。

担当者氏より次のような申し入れをしていただけたようである。
「八木山小と西多賀小のブログ等の文言について不適切だと言う申し入れ再度があった。
同様の不適切な発言が日Pの広報に載ったことがあり(注:元会長の発言)、文科省としても、今後はそのようなことのないよう申し入れをしたところだ。
仙台市のPTAにおかれても、保護者や市民の方にむけての文書の書きぶりには十分に慎重になっていただきたい。」

前回の当方との話し合いを踏まえ、かなり踏み込んで話を入れてくれたようだ。これは、感謝。
が、「う~む」な結果になっている。

窓口になっている仙台市P連事務局長は、
「確かに、一般の方が見れば、『強制加入』と受け取るだろう。その旨、当該小学校には伝える。
ただし、単Pには『指導』という形では伝えない。
あくまで『こういう話が来ています』という形で伝える。」
と答えたそうである。

ちなみに、現時点では(担当者氏が仙台市に申し入れをしてくれてから半月はたっていると思われるが)、八木山小も西多賀小も改善はまったくされていない。
八木山小などは、Pちゃんの暴言が、よりパワーアップしておりますですよ。とほほ。
(不適切な内容はそのままで、レイアウトが工夫されたり、「隠れメッセージ」が「表」に出てきている。は~)

②の、他にも不適切な事例がないか、全市的に点検してほしいという申し入れに対しては、「拒否」されたとのこと。
その言い分は、
「仙台の人は、強制であろうとなかろうと、みんな入るものだと思っているから。」(点検するつもりはない)
とのことだそうである。

西多賀小や八木山小と同様のケース、つまり強制加入の学校があっても、【仙台市では】、かまわないということなのだろうか(驚)。

いったい、この事務局長さんは、なにを根拠に「仙台市の人間はPTAにみんな入るものだと思っている」などと断言できるのだろうか??
現役の保護者、一人ひとりに確認でもしたのだろうか?
毎年毎年、小学校で6分1が、中学校で3分の1が入れ替わるというのに、いったいどうやって確認していると言うのだろう?
これは、学校に深く関連する社会教育団体の統括組織の幹部として、許されざる暴言と言って差し支えないように思うのだ。
今回のこの事務局長さんの言動は、思想信条の自由を保障する憲法の規定に抵触するのではないだろうか。

(今後の方針)
西多賀小と八木山小の動きをもう少し見てみて、改善が見られないときは、再度、担当者氏に相談してみようと思っている。市P連事務局への再度の働きかけを要請したい。
そして、もしも生涯学習政策局→市P連事務局の「ライン」が、単Pの「強制加入」の現状に対してなんら切り込めないのなら、前にも少し触れたように、校長・教委・初等中等教育局の「ライン」に対して、事態の改善に向け動いてくれるよう要請することになるだろう。
この問題は、前にも触れたように、会員間の問題というよりも、「一任意団体にすぎないものに(学校が関与する形で)保護者が不法に巻き込まれる」というものであり、学校の責任も重大だからである。また、彼らには、学校とは別団体であるPTAに学校施設の無償使用の許可をしている責任もある。
不法な団体に学校を使用させることなど許されないはずである。
※ここで問題になる「不法性」は、(学校当局にとって子どもの教育を進める上での大切なパートナーとも言うべき)保護者の人権(思想信条の自由)を踏みにじり、金銭の徴収も行っていることだ。


つぎに、<「原則、全員加入」というスタンスは、“あり”なのか?の件>。
やや長くなるが、次のような主張をした。
「会の趣旨に賛同する親と教師が自主的にできるだけ多く参加することが望ましい。」という「父母と先生の会のあり方について」(社会教育審議会昭和42年報告)中の文言は、「原則、全員加入」を決して容認するものではないと考えるが、如何。

そもそも、「望ましい」とされているのは「自主的にできるだけ多く参加する」ことであり、また「参加する」の主語は、「会の趣旨に賛同する親と教師」なのである。まともなリテラシーをもってすれば、この文言が「原則、全員加入」を容認する「根拠」になるという「読み」など成り立ちようがない。
(FJNさんやとまてさんのご指摘がとても参考になりました。)

また、昭和42年の「父母と先生の会のあり方について」に先行する、昭和29年の「小学校『父母と先生の会』(PTA)第二次参考規約」の「第六条 この会の会員となることのできる者は、次のとおりである。」という文言と、以下に引用するような、それに対する「備考」の文言からしても、「原則、全員加入」というスタンスは、成り立ちようがないと考えられる。」

*****
(「備考」中の文言。上掲文書末尾にあり。)
七、「この会の会員となる者は」とか「‥‥ならなければならない者は」としないで「…‥会員となることのできる者は」としてあるところに「自由入会」の精神が示されている。PTAが民立団体である限り、会員になることも、会員に止まることも自覚に基づく個人個人の自由であって、いささかも強制があってはならない。(規約第六条)
*****

以上のように説明したところ、「会の趣旨に賛同する親と教師が…」の文言が「原則、全員加入」方式の根拠にはならないという点について、

「素直に読めば、そのとおりだと担当としては思う。」
との答えが返ってきた(嬉)。

、「省としての考えは、即答できない。上司に確認させてほしい。」とのことである。
約一週間後の予定の次回の話し合いまでに、担当者氏の上司である(生涯学習政策局社会教育課)地域学習活動推進係のM係長に確認しておいてくれるとのこと。
予想外の展開がたびたび生じる今回の話し合いだが、この点に関しては、こちらががっかりさせられるような展開にはならないと思っている。
↑甘いですか?
(つづく)

続報2 市教委に聞いてみた(入会の意思確認の問題)

9/4のエントリ、市教委に聞いてみた(証書の入れ物の単価、加入率、入会の意思確認の問題)の続きです。

前回の話し合いで遅くとも9月の中旬には、入会時の意思確認がなされているかどうかについての調査結果を知らせてもらえる約束をしていたが、残念ながら、いまだに調査を行えていないとのこと。
(なんかもごもごとその理由を話されていたが、いまひとつ呑みこめなかった。)

ただ、明日にも、各学校に対して調査用紙を配布し、来週末には回収を終える予定だとのこと。
質問内容は、

①会の性質(任意加入の団体であること)を説明していますか。

②PTAへの加入に際して、同意をとっていますか。
関連質問:同意をとっている場合は、どのような形で同意をとっていますか。

③PTA会費を教材費や給食費等と抱き合わせで徴収していませんか。


というものになりそうだ。
①は、今日の時点でぜひ調査項目に入れるようお願いした。
②だけでは、本当の意味での「意思確認」となるのか覚束ないからだ。

ちなみに、前回報告したように、市内の小中学校全体では、99.7%の加入率である。


市教委教育部T庶務課長が

「市教委として調べてはみるが、各学校の校長先生のお考えもあるかもしれない…。」
てなことをおっしゃったので、

「校長の考えも何も、適切に意思の確認がなされていないケースが明らかになった場合は、法令と文部省(現、文科省)の通達等を根拠に是正を要請するつもりなのでよろしくお願いします。」
と述べておいた。

文科省との対話(3)報告篇②

【質問3】(実は、問題の事例に満ち満ちているのでは!?)
まず、②のほうから。
担当者氏の返答は、
「全国的に呼びかけるのは難しい。」
というものだった。

何を根拠にそういうことを言うのか?と言われる可能性がある。
仙台市の小学校の例のような、具体的な「事例」(証拠)が必要だ。
それがないと「見えない敵と戦っているようだ」。
とのこと。

不適切な例をいくつか示し、「保護者の選択の自由を尊重するよう注意してほしい。」と示すことはできるのではないか?と反論した。
それに対しては、「私ひとりではどうすることもできないし、上にあげることも難しいと思う。もっと上のレベルで問題になり、下に降りてくれば可能かもしれないが…」と語っていた。また、「判例があるとやりやすいのだが、そのようなものはない。」とも言っていたので、拙ブログでも取り上げた甲賀市自治会裁判判決が参考になるのではと言っておいた(ご存じないようだった)。

このあたりのことを話し合っていて担当者氏より出てきたのが、

文科省としては、
今ある社会教育団体としてのPTAに対して、
学校の活性化
地域の活性化
保護者の活性化
に役立ってほしいと思っている。

ということと、

社会教育審議会の昭和42年の報告「父母と先生の会のあり方について」中の、
「会の趣旨に賛同する親と教師が自主的にできるだけ多く参加することが望ましい。」

という文言。

どうやら、この報告の文言を根拠に文科省は現在のPTA政策を行っている、という言い分らしい。
文科省としては、「PTAが盛んになってほしい」と思っている。そして、そのスタンスにはちゃんと拠り所があるのだぞよ、と。
(今さらではあるが、「原則、全員加入論」の<根拠地>がはっきりしてきた気がする。)

社会教育審議会の報告の文言は、確かに「いろいろな読み」が可能かもしれない。日Pホームページで見られる『日本PTA50年の歩みと今後の展望』3章1節の1には、この文言を取り上げて、

***
また、「会の趣旨に賛同する親と教師が自主的にできるだけ多く参加することが望ましい。」とし、加入の自発性の原則を堅持しつつ、全員参加という網羅的な加入をも認めるような曖昧な言い方になっている。
***
と、「網羅的な加入をも認める」ものとしても「読める」との判断がそれとなく示されている。当方としては、どう読んだらそのような「読み」が成り立つのか、その人権と遵法感覚を疑わざるを得ない。(『日本PTA50年』でもそう「読める」と断言されているわけではないが。)
なお、『50年』の著者は、元文部官僚、現政策研究大学院大学学長特任補佐の今野雅裕氏。氏のPTAに対するスタンスは、カワバタさんのPTA連載の第20回でも知ることができる(氏は「原則、全員加入論者」です。川端氏の話しを聞き、少し考えが揺れておられた風ではあるが…)。第20回は、カワバタさんのPTAに対するスタンスを理解する上でもおススメです(特に終わりの方)。


どうやら、社会教育課内でも『空気』として、「原則、全員加入」が前提とされているのかもしれない。(「私ひとりではどうすることもできないし、上にあげることも難しいと思う。」という担当者氏の発言と結び付けての、あくまでも当方の憶測だが。)

PTAへの加入は親と教師の「努力義務」的なものと考えているのか? と問いかけると、「そうではない…」とは言うものの、はっきりとは否定はしない。
「PTAが盛んになっていってほしい。」というのが文科省のスタンスだと言う。
だから、(これは口には決してされなかったが)PTAの衰退につながりかねない「任意加入の徹底」の呼びかけを、文科省として全国的に展開することは難しい、ということのようだ。


「盛んになってほしい」から、本当のことは国民に対して隠す。
こんな、国民を馬鹿にした行政が許されるのだろうか(嘆息&怒)?
なんか、このあたりで岩盤に突き当たったというか、ひょんなところで、高崎市の教育委員氏と出会ってしまったというか・・。

う~ん、突き詰めていくと、文科省と某教育委員氏とは同じ穴の何とかだったということか(?)。
私は彼が教育委員になったのは何かの間違いかもと思っていたが、間違いでもなんでもなかったのかもしれない。
そう言えば、ツレが「文科省はPTAの親分なんだよ。」と言っていました^_^;。

(話を元に戻します)
もし今述べているような私の「邪推」がそれなりに当たっているなら、あくまでも法令に従い仕事を進めるべき行政として、これは大問題なのではないのだろうか?
社会教育審議会の報告の文言は、先に述べたように、決して「原則、全員加入」を容認するものではないし、そもそも、審議会の報告というのは、「報告に過ぎず、文科省の政策とは別次元のもの」(前回の話し合いでの担当者のことば)ではなかったのか!

注釈:「はてなキーワード」にも、「審議会は答申を官庁に提出するが、答申には原則として拘束力はない。答申を政策に反映させるかどうかは官庁の判断による。」とある。

ひょっとして、文科省の「政策」になっているのだろうか。もしそうなら、「どう政策化されているのか」きちんと示してもらおう。
そして、そういう政策があるのならば、その政策の妥当性をしっかりと吟味させてもらおう。
(PTA「原則、全員加入」政策に根拠法があると言うなら、ぜひぜひ答えてほしい!!)


このほかに議論になったのは、「保護者の意見を集約するものとしてのPTAの必要性」だ。
なぜPTAが盛んでなくてはならないのかの理由のひとつとして、担当者氏は
「保護者の意見を集約するものとしてPTAは必要だ。」
ということをあげた。
私は、(一般論として)現状のPTAが保護者の意見を集約しているとも思えないし、PTAを使わずとも、担任主催の学級保護者会、校長主催の保護者会の活用やアンケート調査等により、十分可能だと述べた。

これは今思うのだが、「保護者の意見を集約するものとしてPTAは必要だ。」という考え方は、もうそれ自体のうちに「全員加入」を含意する、たいへん「危険」な考えだと思えてきた。
なぜなら、そもそもの話し、「意見の集約」という以上、その対象は【保護者全員】でなければならないはずだからである。
文科省は、「思想・信条の自由」という憲法の定めをどう考えているのだろうか?
文科省は、遵法と人権尊重の観点から、どうやら根本的なところでそのスタンスを改めるべきではないのか! と不遜なことを考え始めた私です^_^;。(いやいや、国民として何臆することはないはずですよね。)


①の「説明抜き+学校による給食費等との抱き合わせ会費徴収」の件。
②についての話し合いでエネルギーを使ってしまい、あまり突っ込んだ話はできなかったが、明確な事例があれば、「会の趣旨に賛同するものによる参加」とする審議会報告の文言ともずれる可能性があるので、「学校なり連合会なりに事実確認をする」と言ってくれた。
文科省からの「事実確認」にはかなりの効力が期待されると思っている
(この件に関しては(「も」ですかね)、PTAのあり方とは…さんからの情報提供、ご助言等をお待ちしております!)

注釈中の②の論点(「学校と保護者が連携する上でのミニマム(学級保護者会等)をPTAが押さえてしまっている。」)については、今回十分に問いかけられなかった。次回、ぜひ問いかけてみたい。ほ・ん・と・う・に、これをやられると、保護者は、「選択の余地なく、PTAに入らざるを得なくなる」のです。文科行政として、この不法状態が放置されていいとは思えない。
この当方の主張に反論があるなら、ぜひ聞きたいものだ。
ここで、「皆さんで話し合ってほしい」論が断じて成り立たないことは、あらかじめ言っておきたい。個人がPTAに参加するかしないかは、「みんな」の多数決で決められるものではないからである。


【質問4】(「原則、全員加入」なら、許される?) 
「『原則、全員加入』を認めているわけではない。しかし、あくまでも「原則」だと言われたら,それ以上は言いにくい。」
この話をされた時は、「なるほど」と思ってしまった私だが、よく考えれば、いったいだれが何の権限によってそんな「原則」を打ちたて、保護者に影響力を行使できるのか? 本当に疑問だ。
「住民自治」と言えば聞こえはいいが、【「中間集団」による個人の自由に対する侵害】に対してあまりに無頓着だと感じた。まあ、これは、担当者氏個人の問題と言うよりも、文科省の、ひいては日本の文化の問題なのだろうが。

「うちの小学校のPTAは『全員加入』ですが、あくまでも『原則』なんですよ。」
こんな言い逃れが通用し、国民の思想・信条の自由がやすやすと制限される社会。
日本の社会が、こんな社会ではたしていいのか?
こんな社会のまま次世代にバトンタッチしていいのか?
生涯学習政策局(かつての「社会教育局」)として、よ~く考えてほしいものだ。


以上、またまたまとまりのないご報告になってしまいましたが、仙台市の極端な事例が改善されることになったのは前進。しかし、「原則、全員加入」の実態の解消にまでは切り込めなかったのは無念です。(まあ、しぶとく、「しつこ~く」やっていきます^_^;)
皆様から、またお知恵を賜れれば幸いですm(__)m。
また、長時間の「対話」に応じてくださった担当者氏にも感謝いたします。
ご発言を曲げていたり、ご発言に対する当方の理解不足等がありましたら、次回の話し合いのときにでもご指摘くださいませ。

文科省との対話(3)報告篇①

一昨日夕刻、担当者氏と話すことができた。
午後の早い時間に電話をし、あらかじめ「質問準備篇」(前記事)に目を通しておいてくれるようお願いしておいた。

以下、「質問準備篇」(前記事)にそっての話し合いの報告です。
報告篇①では、[前回の質問への返答①②③]と【質問1,2,5,6】についてご報告し、報告篇②では、【質問3,4,】の報告をします。


[前回の質問への返答]
①奈良県P連とは連絡は取れたが、市P連の担当者とは連絡が取れない。
引き続き連絡をするよう努める。
県のほうには当方の言い分を伝えておいた、とのこと。

②日P事務局長に問い合わせたが、日P本体および県レベルにおいて「入会の適切化」について話し合われた形跡はない。
ただし、市P連レベルではそのようなことが話題になっているところもあると聞いたことがある、とのこと。
う~ん、あの時のH係長の発言はなんだったのだろうか?
(H元係長が現在どこに出向しているのか担当者氏は把握していないとのこと。)

③日Pの歴代事務局長は文科省出身ではない。文科省出身は今の事務局長をいれて二人で、現事務局長も「決して天下りではない。」とのこと(現事務局長氏より強調しておいてほしいと頼まれたそうだ)。
事務局長のポストがしばらく空席になり、事務に支障をきたしていたことから就任を要請されたそうな。なお、出向ではなく、退職後の就任。
下種の勘ぐり、失礼いたしました<(_ _)>。


【質問1】(質問の趣旨:文科省は保護者の置かれた悲惨な状況に目を向けているのか?)
保護者の置かれた悲惨な状況について、担当者氏は今ひとつピンと来ていないようだった。
PTA担当になって間もないこともあるのかもしれないが、「直接切実な相談を受けたりしたことはない」そうだ。

読売の記事に紹介されている「実態調査」は、どうもわれわれがその記事から期待していたものとは違うようだ。
その「実態調査」とは、平成20年度スタートの「保護者を中心とした学校・家庭・地域連携強化及び活性化推進事業」の一環として行われた調査で、学力格差や道徳の授業やクラブ活動についての保護者の意識を探り、それを踏まえてPTA活動でどんなことをすればいいかを考えていくというものだそうだ。
学力格差についての親の意識を探ることとPTA活動の活性化とがどうつながるのか、私には意味不明である。

その調査には、PTA活動に付随する悩み事を聞くような項目はまったくないということだ。
また、保護者の悩みを聞く予定は?と問いかけると、「今のところ、調査の予定はない」。(悲)


話をしている時は、学力格差等について保護者の意識を調べてもらうのは、それはそれでありがたいとも思ったが、それを調べたからと言って何がどうなるとも思えないことに時間とお金をかけるくらいなら、なぜ「苦情が殺到している」問題について探ろうとしないのか、本当に納得がいかない。


【質問2】(質問の趣旨:学校・PTAぐるみの人権侵害が許されるとは思えない!)
これは、うれしいことに当方の主張をよく理解してくれ、仙台市立八木山小と西多賀小PTAの不適切な入会のあり方について、是正に向けての働きかけをしてくれることになった。(その際、「法令遵守の観点」という場合の「法令」とは具体的に何を指しているのかとの質問があった。「何かの法律に反しているという意味ではなく、義務付ける法令がないのに義務であるかのごとく人の行動を縛るところに、不法性があると考えている」と述べたところ、了解してくれた。)
さしあたりの窓口は市P連事務局長。
そして、両小学校のみならず、その他の市内小中学校についても、不適切な事例がないか点検することも要請してもらえることになった。
(以下、もう少し具体的に書いておくと― )
前回の文科省と市P連事務局長との話し合いでも、事務局長より「大変誤解を招く表現だ」という発言があったわけだか、
今回、文科省より、改めて
「不適切だと思われるので、適切な方向にしていってほしい。」
といった申し入れをしてもらえることになった。

関連質問①
教育基本法に抵触しないかという問題。
担当者氏は、この突っ込みに対して、「『この学校はPTAには全員参加です』という文言が、ただちに『PTAに入らないと学校に入れないんだ』という印象を保護者に与えるか疑問だ。」との見解。
当方は、「第三者的な目で見れば、『PTAに入らないからと言って学校に子どもを通わせられないわけがない。』と冷めた目で判断できるかもしれないが、実際に子どもと校門をくぐる親の立場に立って考えるべきだ!」と反論しておいた。
「間違った印象を与えかねない。」というだけでも、大問題なのではないのか?

結局、最後に担当者氏が言ったのは、「適法か違法かは行政では判断できない。それは司法の領分です」。
明らかに問題がなければ、「これこれこういう理由により、問題はありません!」と明言するわけで、痛いところを突いていることは確かだなと思っている。

関連質問②
上に述べたように、西多賀小の件についても是正されることになった。
ただし、個人情報の流失の件(論点②)については、保護者が学校に提出する書類にプライバシーポリシーがきちんと記されていれば問題はないのでは、とのこと。
「子ども会」については、部署が違うとのこと(担当部署はあり、具体的な部署名は次回返答)。


【質問5】(PTA問題解決に向け、どう取り組もうとしているのか?)
課レベルの課題にはなっているが、施策として打ち出す段階ではない、とのこと。
「いったいPTAのどのような点が問題になっているのか」が聞けなかった。
次回は、もう少し具体的に聞いてみたい。

関連質問
(「地域の教育力の低下」を裏付けるものがあるのか?)
「調査はした。データはある。」とのことだが、くわしい話は次回の話し合いのときに教えてもらえることになった(この件は担当者氏の管轄外)。


【質問6】(文科省は子どもの人権に対してもっと敏感であってほしい!)
具体的な事例につき相談を受けたら、文科省として「事実確認」を行うと言ってくれた。
さすがに、学校行事における児童・生徒の差別待遇はまずいと考えたようだ。

一方で、現在地方の小中学校の先生で文科省に研修(仕事)に来ている方たち何人かに担当者氏が確認してくれたところ、「PTAから運動会や卒業式の記念品を出すことはやめる方向になっている。」とのことだった。
非会員の人たちから声が上がったことがきっかけになったケースが多いようだ。

担当者氏としては、「文科省から言われたからというのではなく、そのように『自治的に解決』されるといいと思っている」そうだ。
一理はあるとは思うものの、保護者の微妙な心理にもっと配慮してほしいなと思った。
声をあげられる人ばかりではないし、子どもを人質にとられているという側面がないことはない以上、声をあげられないことをだれも責められないと思うのだ。
それに、そもそも現場の先生達は何をしているのだろうか?
当方が問題にしているのは、「学校行事における問題」なのだ!
ご自分たちの仕事の問題でしょ!

それにつけても、学校長にはもっとしっかりとしてほしいと思う。
そのためにも、PTAに依存した学校運営は、もうやめるべきではないだろうか。

追記:【質問2】のところで話題にあがった「どの法令に触れるか?」ということに関してだが、①法令的に義務付けられていないことを強制することは、思想信条の自由を侵害するものであり、民法第90条の言う「公序良俗違反」となるはずだ。また、②入会および会費の支払が義務であると錯誤させているという点も問題であり、これは、民法第96条の言う「詐欺」に当たると考えられる。
この点は、次回の話し合いのときにぜひ指摘しておきたい。

なお、PTAの問題を、思想信条の自由の侵害(憲法)・公序良俗違反(民法)の観点から追及するに当たっては、拙ブログでも取り上げた甲賀市自治会判決がたいへん参考になる。

文科省との対話(3)質問準備篇

質問を整理していたら、時間が過ぎてしまいましたので、明日電話します(これも予定ですが)。

前回返答を約束してもらった件
①卒業式における生徒差別が懸念される奈良市立平城東中学のケースに関し、文科省から奈良市のP連に連絡を入れる件は、どうなったか。

②3年前に「日Pで『入会の適切化』についての話し合いが行われることになっている」と文科省担当者(H氏)から聞いた。その後どうなったか。
※その時PTA担当であったH氏(確か係長)は現在「外に出ている」とのことだが、現職は?(記録が残っていないということだが、当方としては3年前のやりとり(不適切な入会のさせ方と会費徴収の方法をめぐる)がその後文科省内でどう処理されたのかが、できれば知りたく思う。)

③歴代の日P事務局長は、文科省出身か?(退職後? それとも出向?)


以下、今回の新たな問いかけ(前回までのやりとりの反論を含む)。

【質問1】(質問の趣旨:文科省は保護者の置かれた悲惨な状況に目を向けているのか?)
春になると役員選びのごたごた等により文科省に対して保護者の苦情や悲鳴が殺到するとのこと(読売新聞「PTA再考(1)」08.3.18)。その記事の中に出てくる、「惨状」を踏まえ文科省が行うとされているPTAに関する「実態調査」について聞きたい。
その調査は、どのような調査(調査項目、調査方法)なのか。いつ結果が出るのか。

<関連質問>
PTAが原因で心身にダメージを受け、入院や通院を余儀なくされた事例は私の周りにもいくつもある。また、そのような事例はネット上にはごろごろしていると言うべきだし、川端裕人氏の著作上での指摘もある。「PTAがらみのケースが最近多い」と言う医者(複数)もいると聞く。
このような『実態』についても、文科省はぜひ調査すべきだと思うが、すでに行っているのか、または行う予定はあるか。
たとえば、医師(精神科系含む)に聞き取り調査やアンケート調査をすることなどを考えてもいいのではないか。
もちろん、保護者に直接聞くのもよい。


【質問2】(学校・PTAぐるみの人権侵害が許されるとは思えない!)
前回も触れた仙台市立八木山小学校の件だが、市P連の事務局長の「誤解を招くかもしれない。」という発言で、もう「済み」なのか?
まったく、納得ができない。
前回、「当方(まるお)から(市P連へ)話があれば、八木山小にどういう意図で書いたのか市P連が八木山小PTAに問い合わせてくれる」とのことだったが、当方は、「文書の意図がよく分からない」などと言っているのではなく、法令遵守の観点からも、人権尊重の観点からも大きな問題があると言っているのである。
このような不法状態が放置されていいわけがないと思う。
当該「不法文書」は、当該小学校のホームページに掲載されているものでもあり、しかも、当方は文書の字句をあげつらっているのではなく、「現実」の問題として、その地域の保護者の人権(「会員の人権」に限定されてはいないことに注意!)が侵害されている(と考えられる)ことを問題にしているのである(全員強制加入・役職の無理強い)。
※Pちゃんの「隠れメッセージ」は、ご存知か。
学校が深く関与した保護者に対する不法行為を、文科省として放置していいとは思われないが、どうか。
この問題は、学校長の責任問題、ひいては初等・中等教育局の責任問題にもなるのではないか。

<関連質問①>
拙ブログに寄せられた以下のような指摘について、どう考えるか。
***
『この学校はPTAには全員参加です』としてしまうことについて考えてたのですが、教育基本法の第二章 教育の実施に関する基本の第五条 4の【国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については授業料を徴収しない。】に抵触するのではないかと思いました。
 参加の協力をお願いするのでなく、入会する事になっている、とすると、『では、入会をして会費を納めないとつまり、お金を出さないと授業を受けられない』との判断が出来ます。(柳下さん)
***

<関連質問②>
同じく仙台の西多賀小学校のケースも大問題だと思われるが、いかがか。柳下氏のブログ(09.9.3)中のコメント3~6を見られたい。(①PTAと子ども会への加入を「強制参加」であるとしている点。②システムとして個人情報が学校から子ども会に流れる点。③子どもの子ども会への参加が強制されている点。)


【質問3】(実は、問題の事例に満ち満ちているのでは!?)
①「十分な入会の意思確認なし+学校による会費徴収」というケース(これは、3年前にも文科省に対して問題提起したケースだ)について、「事例が把握できていないので、現時点ではどうこう動けない。」とのことだったが、PTAのあり方とは…氏より、お子さんの通われている学校がこのケースに該当するというご指摘があった(この事例は文科省も承知済みのはず)。
こういう事例は、極めて不適切であり、PTA及び、学校長(教育委員会)に対して、厳しい指導がなされるべきと思われるが、どうか。
② ①のケースは学校の責任が明々白々のものとしてあげたものであり、実を言えば、会費を学校が徴収しようがPTAが単独で徴収しようが、入会するかしないかの「選択の自由が保障されていない」のならば、もうこれだけですでに、大問題だと思われる。
そして、このような事例ならば、全国のほとんどすべての小中学校で認められるものである。

このような不法状態に対して、文科省としてどう考え、どう対処しようとしているのか。
仙台市の小学校のように、「うちは強制的全員加入なんです!」と明言してはいなくても、日本の大部分の小中学校においては、実質的には有無を言わせず入会させる「強制的全員加入」になっている
参照:同上「柳下氏のブログ」(09.9.3)コメント7~。)

注釈:「日本のほとんどの学校では『強制的全員加入』になっている」と述べたが、その内実としては、
①会の性格説明とそれを踏まえた入会の意思確認がない。
②学校と保護者が連携する上でのミニマム(学級保護者会等)をPTAが押さえてしまっている。
③卒業式や運動会等の学校行事における児童・生徒への記念品がPTA会費から出されている。
等のものがある。
このうち、①はこれまでも多くの人によって問題にされてきたが、②も非常に重要である。
(拙記事<続報 市教委に聞いてみた(証書の入れ物の単価、加入率、入会の意思確認の問題>のコメントの2と4を参照されたい。)


【質問4】(「原則、全員加入」なら、許される?)
前回、八木山小に関する話し合いの中で、「強制は許されないが、『原則、全員加入』というスタンスなら許される」ともとれる発言があったと記憶しているが、そのような理解でよいか?
もしそうなら、「原則、全員加入」なるスタンスは、法的な根拠に基づくものではなく、法令遵守、人権の尊重の観点から問題だと思われるが、如何。


【質問5】(PTA問題解決に向け、どう取り組もうとしているのか?)
「PTAについては問題を認識しており、重要な課題として取り組みたい」とのことだが、①解決への何らかの方向性は出ているのか? ②いつごろまでに解決をめざすのか?
ひょっとして「地域支援本部」の設置は、PTA問題解消に向けた政策の一つなのか?

<関連質問>
趣旨説明等を読むと、「地域の教育力の低下」ということが「地域支援本部」設置の前提になっているが、「地域の教育力が低下している」と判断される根拠はあるのか?
説明文を読む限り、「~と言われている」とだけあり、そう判断することの根拠はどこにも書かれていなかったような気がする。


【質問6】(文科省は子どもの人権に対してもっと敏感であってほしい!)
拙ブログに寄せられた以下のような指摘についてどう考えるか。
***
卒業式で会員と非会員の区別をつけたいなら親を区別するのが相当です。
記念品が渡されるルートがを作れば渡さなくて良いというなら、
「PTAに入らないなら、おたくの子どもさんは運動会で記念品もらえなくてもいいんですね。」
というような、非入会者に対する脅しも文科省は肯定するんでしょうか。
(朝顔さん)
***
この運動会の記念品をめぐる話はよく聞く。
ぜひ文科省としてのスタンスを示してほしいものだ。

「だから」についての国語辞典の説明

<「だから」についての平均的なイメージ>
前記事で、当時の国語辞典には、「理由」を示す「前」(=前件)がない「だから」については何の説明もなかったと述べたが、事情は現在でもほとんど変わっていない。
理由を示す「前件」のない「だから」の用法について検討する前に、現在の国語辞典では「だから」についてどのような説明がされているのか、ざっと見ておこう。
(なお、すべての辞典で「だから」は「接続詞」とされている。)

まず、『日本国語大辞典』(小学館、全13巻)の「だから」の項。

***
(助動詞「だ」に助詞「から」の付いたものが自立語化したもの)
先行の事柄の当然の結果として、後続の事柄が起こることを示す。理由を示す。であるから。それだから。だからして。
「洗湯(おぶう)へはいって帰って来ると、忽地腹はへっこりサ。然(ダ)から先熱盛にして十三盃と遣らかしたが」滑稽本・七偏人(1857-63)五・下
(『日本国語大辞典(2版)』)
***
上の用例は、最初にあげられている例。それ以下の用例は、省略する。『日国』ではもっとも古いと思われる例が最初にあげられるので、「だから」は江戸時代末期に成立したことばだということになる。ちなみに、それ以前は時代劇でもおなじみの「されば」が「だから」と同じような意味を表していたものと考えられる。
語史についての貴重な情報は得られるが、語義説明そのものは極めてあっさりしたもので、問題の「だから」についての説明はなにもない。百科事典サイズの全13巻のボリュームなのに…。

次は『岩波国語辞典』(岩波書店)。

***
前に言った事柄が、後から言う事柄の原因・理由になる意を表す。
それであるから。それゆえ。
「たいへん疲れた。だから、早く寝た。」「だから、言ったではないか」
(『岩波国語辞典(6版)』)
***
「だから、言ったではないか」という話しことばに特有の例があげられているのは注目される。しかし、それが語義説明には反映されていない。

最近10年ぶりに改訂版の出た、日本語の辞典の「代名詞」たる『広辞苑』(岩波書店)。

***
前に述べた事柄が、後に述べる事柄の原因・理由になることを表す語。
そういうわけで。それゆえ。
「だから言わないこっちゃない」
(『広辞苑』(6版))
***
語義説明は極めてオーソドックスなのに対して、例文が話しことばに特有のものだけというのは問題。語義説明とあげられている例文は、どう整合するのだろう?

中型辞典として評価の高い『大辞林』(三省堂)はどうだろう。

***
〔助動詞「だ」に助詞「から」が付いたもの〕
それゆえ。そんなわけで。
「なに、壊した。だから、注意したのに。」「だから、言わないことじゃない」
(『大辞林』(3版))
***
語義説明が単なることばの置き換えで終わっており、しかも、『広辞苑』同様,話しことばに特有の用法しか例にあげられておらず、「説明」との整合性にも問題がある。
例文中の「だから」を、説明としてあげられている「それゆえ」や「そんなわけで」に置き換えることは無理だ。
×「なに、壊した。それゆえ(そんなわけで)、注意したのに。」
×「それゆえ(そんなわけで)、言わないことじゃない」

さて、以上、やや脱線しながら、主だった国語辞典の「だから」に関する説明を見てきた。話しことばに特有の例(赤字の例)があげられつつも、結局、多くの国語辞典が「だから」を「因果的関係を示す接続詞」と規定していることがお分かりいただけたものと思う。
「だから」ということばについての日本人の平均的なイメージは、このあたりに集約されると言ってよいのではないだろうか。


<国語辞典のとらえた通常の用法から逸脱した「だから」>
実は、国語辞典の中にも、通常の用法から逸脱した「だから」に注目し、説明を加えたものがほんのわずかながらある。
一つは、個性的かつするどい語釈で定評のある『新明解国語辞典』(三省堂)、もうひとつは国語辞典界(?)の新進気鋭『明鏡国語辞典』(大修館,初版2002)だ。

<『新明解』の語義説明>
『新明解』は、基本的な意味(①)に加え、派生的な意味(②)を別に認めていている。

***
① 後件が、前件の論理上当然の帰結であることを表わす。
「あの人はおせっかいすぎる。だから、みんなに嫌われのるのだ」
② そのような望ましくない結果が自分には前もって予測できたものであったことを表わす。
「だから、言わないことじゃない」
(『新明解国語辞典(6版)』)
***
「新明解」の②の語義説明は、他の国語辞典が用例にはあげるもののきちんとした位置づけをしていなかったもの(赤字の例文)を正当に位置づけたものとして注目に値する。

この『新明解』の②の用法は、私が問題にしている用法とは違う。その異同については、わたしなりの用法整理を一通りした後で改めて触れたいと思う。
(結論的なことをあらかじめ述べておけば、「新明解」の②の用法は、通常の用法と本論でこれからとりあげる問題の用法の中間に位置するものと考えている。)

<『明鏡』の語義説明>
『明鏡』も、基本的な用法と派生的な用法の二本立ての説明になっている。

***
①前に述べたことを理由として、その帰結を述べる語。
そういうわけで。それゆえ。「台風が近づいている。だから波が荒いんだ」「道が悪い。だからスピードを落とせ」
②相手の発言に対して反抗的な気持ちを示す語。
「『早くしなさい』『だからやりたくないんだってば』」
(『明鏡国語辞典』)
***
大修館の『明鏡国語辞典』は、私が問題にしている「だから」に言及している唯一の辞典だ。しかしながら、「明鏡」の②の語釈は、規定が狭いし、核心からも外れてはいないか。
第一に、次のような、ラブラブの恋人同士が使う「だ♡か♡ら♡」はどう説明するのだろう??

***
「ねえ、今度あそこに連れてってね♡」
「あそこって?」
「だ♡か♡ら♡~」
***
このどこに「反抗的な気持ち」があるのでしょう?(笑)
「相手の発言に対して反抗的な気持ちを示す語」と言うなら、「(う)るっせ~よ!」などこそがそれにふさわしいのではないだろうか。

また、第二として、たとえ反抗的な気分だとしても、「やりたくない」という意思をあらかじめ示してあるか、あるいは「やりたくない」ということが改めて言うまでもなく明らかなことでなかったら、「だから」は使いがたいと思われるのだ。
②の例の場合、それが成り立つためには、『だからやりたくないんだってば』という発言に先立って、「やれたくない!」という意思表示があらかじめなされていなければならないだろう。前もっての意思表示がなければ、たとえ反抗的な気分であっても、「だから!」とは言えないはずである。

問題の「だから」をとりあげたことは評価されるものの、「反抗的な気持ち」と「だから」を直結させるのは無理があると思う。
では、このような用法はどのように考えればいいのだろうか?
それを、以下に見て行きたい。


よそ様の悪口はこれくらいにして、次回は、「だから」の問題の用法の整理に入りたいと思っている。