月夜のツイスト・アンド・シャウト
どうも!!流星仮面二世です!!
さて、会社帰りにふとスマホを見ると、奥様から「○○買ってきてくれる?」なんて頼まれ事が入っていたので、どれ、いつもよりちょっとだけ遠回りして帰るか~。なんて・・・そんな経験があるお父さん方は、たくさんいると思います。
その日の帰りは我が家も然り。スマホを見ると
「帰りに卵、買ってきてくれる?」
というLINEが入っていたので帰りがけにスーパーに寄ることとなりました。
しかし、卵は高くなったなぁ~。以前なら3パックは買える値段だ。生活していく上で必要不可欠なものだから買うしかないが、それにしてもこの高騰。なんとかならないものなのだろうか・・・
そして翌日。帰宅すると
「卵を買いに行くんだけど、一緒に来る?」
と嫁。あれ?今日は頼まなかったの?と言うと、さすがに2日連続頼むのは申し訳ないかな~と。なんだぁ言ってくれれば買ってきたのに。でもそういうことなら、ちょうどコーヒーが切れていたので一緒に行くことにしました。
それにしても卵の消費が早いねぇ。と思うが早く、聞けばこの4月から息子の三世が社会人になったことで、お弁当での使用頻度が高くなったからとのこと。そうだったのかぁ。どうりで最近、おれの弁当のおかずも華やかでリッチになったと思った。
こうしてスーパーで買い物をし、嫁が会計をしている間にトイレを経由し一足先に駐車場に。そこで車には乗らず駐車場に設けられた低い柵に腰を掛けます。そう、この日は4月の満月、ピンクムーン。風が強かったのですが、そのおかげで雲がはけ、大きな月が夜空を照らしていたのがよく見えたのです。
きれいだなぁ。でも、そうか・・・考えてみれば、月はもう何億年とこうして地球を照らしているんだよなぁ。デボン紀に初めて陸に進出した脊椎動物の両生類イクチオステガも大量絶滅前のペルム紀の象徴的生物のディメトロドンも。恐竜もマンモスも、ネアンデルタール人や我々の多くの先祖達も・・・みんな同じ月を見ていたんだ。彼らは月夜に月明かりを浴びながら、どんな思いを巡らせていたんだろう。ああ~なんて広大なロマンなんだろう。
こんなゆっくり月を眺めるなんて、考えてみたらしばらくありませんでした。そんなこともあり、見とれながらつい、いろいろな思いに耽ってしまうのでした。
それから何分経ったでしょうか?それにしても嫁が来ません。なんだ?なかなか出てこないな・・・あれかな?また知り合いとでもバッタリして話し込んでるのかな?
すると案の定、話ながら誰かと出てくる嫁の姿が見えました。やっぱりかぁ~と思っていると、こちらを見るなり戦闘機ミグ25のマッハ3をも上回るという超音速ボイスから
「お父さんイブシノヒト!!イブシノヒト!!」
という声が発せられました。
ぐっ!!なんという音量。この衝撃波・・・これがソニックブームってやつかっ!?
「なにそれちがーよ飯伏の人!!ホラ、前に話してた店に来るプロレス好きなお客さんの、飯伏と棚橋のバッグ持ってて、話しかけて話すようになった人」
なんだって?プロレス好きな飯伏と棚橋のバッグの人ぉ・・・?
あー!!思い出した!!
そう、以前こんなお話をブログに書いたのですが・・・
な、ちょ、じゃ、こ、この人がカミゴエさんか!!
「どーもはじめまして~!!買い物してたら偶然会いまして、旦那さんいるっていうんでご挨拶に~」
なんという急展開。まさか今日ここでカミゴエさんと出会うとは・・・
驚きの中での第一印象は、愛想が抜群によく朗らかで人当たりがいいんだなぁ~でした。年齢は同じくらいでしょうか?しかし身なりはごく普通。なので内にアツきプロレスパワーを秘めているとは、それこそプロレスグッズを身につけていなかったなら一生気づけなかったかもしれません。
「お話は嫁からよく聞いてます。そういえば飯伏は迷走というか、よくわからなくなっちゃいましたね」
と言うと
「そうなんですよ~もう飯伏はなんだかよくわからなくて~。だから今は棚橋一筋なんですよ~」
するとそこからはカミゴエさん改め太陽ブローさん(と勝手に改名)の独壇場。これまで嫁伝いに聞いていたお話から、なぜプロレス好きになったのか?そして家族のことや会場での棚橋とのエピソードなど、新たに聞く話まで素晴らしいトークが展開されました。うれしそうに楽しそうに話すその姿・・・前記事で懸念していたプロレス離れはしていないどころか、ますますプロレス愛は増幅!!といった感じでした。
そうプロレスを好きというより「プロレスを愛してます」という感じでした
それにしても、なんというフレンドリーさとトーク・・・この方も嫁と同じく音速飛行可能なんじゃないか?そんなことを思っていると
「そういえば旦那さん、オカダに似てません?ちょっと似てますよね?」
え?え、いや、あら、いや、いやいや、いやぁ~っはっはっは。いやぁ~オカダ、いやホントたま~に言われるんですけどね、いやいやそんなね、そっくりじゃないんですけどね、ねぇ~たま~に言われるんですよ。いやいやぁ~そんな、本当にね、叔父とか従兄弟レベルの似方なんですよぉ。いやいや、いやいやいやぁ~♪
そこからオカダ繋がりで以前嫁から聞いていた新日本が水戸に来たときの話(73億人の中のふたり)から、当日は観戦席が実は意外とウチと近かったことなどが判明。夜は更けていくのでした。
その後、嫁と連絡先を交換し、またお話しましょうとこの日はお別れしました。
プロレス。それはクラシック、オールドだったり、現行だったり。ひと団体や、ひとりのレスラーに特化していたり、多種多様、広い視野で好きでもあったり。コレクションとしてマスクが好きな人もいれば入場テーマが好きな人もいる。そして、もっともっと・・・ひとジャンルにして細分化されている、広大な世界の中にたくさんの物語がある"世界"です。
そんな中で出会い、一緒に旅をしていく。その始まりは一体どんなものなのでしょうか?
「今日の帰りにおれに卵を頼まなかったのは、このためだったのかもしれないな」
帰りの車の中でそんな話をし、我々も帰宅しました。太陽ブローさんと会場で会う日も、遠くなさそうです。
50歳、最後の闘魂 ~後編~
後編です。
献花を終え両国を出、いよいよ帰路を迎えることとなりました。
でも、その前にレガさんとどうしても会わせたい人がいたので、わずかな時間ではありましたがセッティングをさせてもらいました。
その人とは、このブログでも何度かお話してます、あのM.Tマシーンズの父親にして幼馴染みで親友の流星仮面2号こと岡田慎一郎(岡田慎一郎公式サイト)です。
2号はプロレスの大ファン。そんなこともありレガさんのことは以前からよく話していました。
「レガさん、知ってるよ~。ブログすごいよねぇ。いやぁ~ゼヒお会いしたいねぇ」
会うとよくこんな会話をしていた2号も同い年。同じ時代のプロレスを見てきた仲間です。でも、自分にとってはそれだけではありません。2号がいなければ小学校、中学校時代に真のプロレス話をできる相手がいませんでしたから、それこそ猪木同様に「もし出会わなかったら、はたしておれはプロレスを好きになっていただろうか」という世界観にまで発展するほど。まさに生きるプロレス原体験。自分に絶大な影響を与えた人物なのです。
まさしく、ボクらは"燃える闘魂"を共有し大きくなっていった仲だったのだ
そんな幼馴染みの2号とレガさんが対面するシーンを見たい。共に話したい。レガさんは飛行機の時間があるので限られてしまいますが、この機会にわずかでも、顔合わせだけでもできないだろうか?そう思い連絡をしてみると
「ゼヒゼヒ!!ちょうど東京で仕事なんだ。早く切り上げて行くよ」
と、うれしい返事が返ってきました。
一方のレガさんも、ゼヒ!!とのことでしたが、日本の介護関係のトップの人に、ワタシなんかが・・・と、躊躇な面も。いえいえ~そこは同級生。何より2号のプロレス、格闘技の知識たるや。何をどんな角度から話してもカウンターできますし、とにかく詳しいのでいいやり取りができるはずです。
ということで猪木のお別れの会のあと、独断さんとレガさんが初めてお会いしたときと同じく水道橋で待ち合わせることになりました。
それにしても東京ドームシティ、変わったなぁ・・・昨年末はウルトラマンEXPO、年明けは新日本の1.4と来たけど、そのときもわずか数日前にあったお店がなくなったりしてた。そして今日、改めて見ればデニーズもなくなって、その並びのローソンもついになくなっちゃって・・・店が一件もなくなってしまって、さみしくなってしまった。
しかし東京ドームに行ってみると、ここも異変が。あの中尾彬も絶賛のオイスターソース焼きそばがうまかった中華料理の嘉賓(かひん)はなくなり、そしてレガさん、独断さんと初めて顔合わせし、最初に行ったお店の銀蔵もなくなっていたのです(おれたちの8.8 ~平成最後に開花した昭和の夢~)
これはまいったな・・・と、ドームの周囲を徘徊。やがて逆の方へ回り「タコベル」というタコスのお店の前に。お店の外にもテーブルがあるこのお店。この日は天気がよく暖かかったので店内でなく、この外の席に陣取りましょうということになりました。
間もなくして2号から駅に到着したという連絡が。こうしていよいよ対面となりました。
「あー、はじめまして!!」
という声と共に広がる不思議な空間。本当にふたりが会ってるんだな~。うれしい気持ちももちろんありましたが、不思議でたまりませんでした。
その後、とりあえず何か食べましょうということでこのタコベルのタコスを注文します。
できるまで少々時間があるので
「おれが取ってくるからゼヒ。お話しててくださいよ~」
と、ボクはひとり店で待ちました。そんな待ち時間。ふと外に目をやると・・・
これは・・・
ついさっきまで周囲にたくさん人がいたのに、そのときはふたりだけしかいませんでした。まるで異世界に入り込んでしまったような・・・そんなシーンを見ているかのようでした。
やがてタコスを片手に乾杯。3人で話すこととなりました。
はじめましてなのに、やっぱりプロレスファン同士だなぁ。滑らかに、次から次へと話が出たかと思えば、まったく途切れない。その内容たるやライトな話かと思えばコアな内容の応酬にもなったり、反則スレスレな内容になったり飛び道具もあったり。でもすべて噛み合っているのです。まさに出会いのストロングスタイル、トークの猪木・ロビンソン戦と言ってもいいくらいの"攻防"が展開されました。
それにしても・・・レガさんと2号がしゃべっている。このふたりが同じ場所にいて、こうして話していることは本当に不思議なんだけど、でもなぜか違和感がまったくない。ふたりは本当に初めて会ったんだろうか?実はおれの知らないところですでに何度か会ってたんでは?というくらい自然。それも不思議でした。
そして、ふと思いました。レガさんを見ていると何かを思い出しそうになる。というのは度々書いているんだけど、その答えのひとつが、この2号なんじゃないのだろうか?と・・・
なんだろな?なんか似ているんだよな・・・いや、しゃべり方とか考え方、性格とかじゃなくて、なんというんだろう?自分との間合い?リズムというか、テンポというか・・・レガさんと2号は、そこが似ている気がしたのです。
だから、おれも2号もレガさんも、ほっといたらおそらくずっーと話し続けられるんじゃないかな?ふたりの話す様子を見て、そんなことを感じていました。
そして・・・楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。今日はあまり時間がなかったけど、今度はゆっくり。腰を据えて話しましょう。それに、おれたちも落ち着いたら北海道に、レガさんに会いに行こうぜ!!と言葉を交わし、この日はお別れとなりました。
本当は早めに空港に行きゆっくりする予定でしたが、あまりの楽しさに引っ張りすぎてしまい、申し訳ないことに飛行機への搭乗の時間がギリギリとなってしまいました。ということで空港内の途中でお別れをしたのですが、心配にもなり、こっそりあとから追いかけ搭乗口まで見届けさせてもらいました。
搭乗口前でひとりチェックを受けるレガさん。やっぱりもう少し早く来るべきだったなぁ・・・見て込み上げてきたのは自分のダメさ加減でした。今回は最初から最後までダメなところばかり出ててしまった。レガさんに迷惑ばかりかけてしまったな・・・申し訳なかった。もう失敗が起きないよう、メンタルを元に戻す努力をしていこう。
そして空港までの車の中でレガさんと話した「今日がプロレスファンとしての一区切り」という言葉。おそらく昭和のプロレスファンの多くが同じことを感じたはずです。もちろん自分もそうです。でもプロレスだけじゃなく、この2日間は自分にとっては人生の分岐点にもなった日でした。
「今日を境に流星さんもよい方向へ向かいますよ!!」
レガさんが言ってくれたその言葉が本当にうれしかったです。そうだ・・・人生、プロレス。いろいろ・・・やり直しだ。そう思いました。
翌日、洗濯から上がったTシャツを畳もうと手に取りました。
猪木のTシャツかぁ・・・
これは、そうだったな。買ったのは中学3年のときだったな。あれから35年か。長かったなぁ。いろんなシーンで着たなぁ。でも、もう二度とこのTシャツを着ることはないんだろうな。そしてアントニオ猪木を見ることも、もうないんだ。できないんだなぁ・・・
猪木がいたからプロレスファンになれた。多くの人と出会うことができ、話すことができた。素晴らしい時間を人生を送ることができた。みんな、アントニオ猪木のおかげだ・・・感謝しかありません。
さようなら青春の闘魂。猪木さん、ありがとう!!長い間、夢を思い出を、本当に、本当にありがとうございました!!
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
レガさんのブログもゼヒ、ご覧くださいね。
“燃える闘魂”アントニオ猪木に「ありがとう」を言えた旅~前編~
“燃える闘魂”アントニオ猪木に「ありがとう」を言えた旅~後編~
50歳、最後の闘魂 ~中編~
中編です。
3月7日、いよいよ両国へと向かいます。プロレスはボクはいつも車で行くので、現地まではレガさんと一緒にお話ししながらのドライブとなりました。
今日は昨日のような失敗はしないぞっ。そう自分に言い聞かせ向かいます。途中、渋滞もあっりちょっとドキドキしたのですが、怪我の功名。これがちょうど首都高から両国を眺められるタイミングとも重なってひと安心。気持ちは落ち着くどころか高まりました。
「これが両国ですか~」
そうか、レガさんは両国、初めてだったんだなぁ・・・それが猪木のお別れの会とは、込み上げるものがある。そう、おれだって、これが最後の両国になるかもしれない。心して行かなくては・・・
こうして現地に到着。このあとスパさんと会うため入り口付近まで歩いていきます。しかし人も多かったことから歩いて探すのはやめ、両国国技館の入り口を過ぎた先のところにひとまず待機。レガさんが連絡を取りスパさんとの合流を待つことにしました。
このとき、すでに入場からしばらくの時間が経過していましたが、人波が途切れることはありませんでした
しばらくして友達と一緒にやってきたスパさんが登場。ついに会うことができました。その佇まいはスーツに身を固め凛々しく清楚。しかしかつてはレスリングの猛者であり、現在でも武道、格闘技を追求し続けていると言います。まさにスパさん所縁の地、伊達政宗は仙台藩の流派である影山流の祖、あの影山善賀入道を思わせる静閑。甦った影山善賀入道と言っても過言ではない印象でした。
そんなスパさん。まずはレガさんと初対面してのご挨拶です。やり取りするようになって14年でやっと実現した対面。本当にうれしそうに言葉を交わしています。そんなお互いの表情を見ていたら、こちらまでうれしくなってきました。
そしてボクとの対面です。あの頃、スパさんはひとつ上でキャプテンやってたんだよなぁ~。覚えてますよ。朝練に午後練に試合。いろいろ思い出してきます。そんな心境から
「お久しぶりです!!」
という言葉が自然と出てきてしまいました。このブログを始めてからいろいろな方とお会いしてきましたが、こんな、そうです再会です。こんな劇的な再会をしたのは初めてです。うれしい再会となりました。
こうしてスパさんを交え、しばしお話していると・・・こればかりは霊感と言うしかなかったと思います。ふと、ピーンと何か電波のようなものを感じ、向こうから来る!!と、振り向いたのです。すると、同じ電波を感じていたのでしょうか?
「飯塚さん!!」
と言うが早く、レガさんはすでに駆け寄っていきました。レガさんにも第6感のようなものが働いたのかもしれません。その動きは早いものでした。そう、飯塚さんが来たのです。
4年前のドラディションのとき一瞬に写真を撮らせていただき、後楽園ホールの手前のデニーズでご一緒したのですが、覚えてらっしゃいますか?とレガさんが話すと、ああ、覚えてる覚えてる!!と、うれしそうに答えてくれました。
出会えた・・・こんなに大勢の人がいるのに、まるで待ち合わせしたみたいに出会えた。昨日話してて、今日に。本当に。こんなことがあるんだ・・・いい意味で身の毛が弥立ちました。
再会はもちろんうれしいものでしたが、実は以前からレガさんと話していたのですが猪木さんが亡くなったことで飯塚さんが体調を崩していないか?心配していたのです。
思わず
「お体の方はいかがですか?」
と伺ってしまったのですが
「うん、大丈夫だよ。毎日ね、トレーニングしてるのよ。ほら、こう、こう!!」
と飯塚さんはみんなに突きと前蹴りを見せてくれました。その動きたるや・・・早い。スゴい!!聞けば80歳という飯塚さん。でも見た目も60歳くらいにしか見えません。本当に若々しいです。元気なことに心から安心しました。
「元気が一番。なんでもね、仕事も足がしっかりしてないとね、できないからね」
と力強く語ります。そしてアイドリング状態だった飯塚さんのトークは徐々にダジャレトークの方にシフトアップしていき、ついにトップギアに到達しました。
「里見浩太朗が水戸黄門やってる頃、具合悪くて病院行って、先生どこが悪いんですか?って言ったら先生がこう言ったのよ。胃と肛門(水戸黄門)それを聞いたら茨城の海よ、海。なんだかわる?大洗(大笑い)ってね」
思わずスパさんにもたれ掛かってしまうほど笑ってしまいました。切れ味衰えぬダジャレ。お笑い猪木イズム伝承者でもある飯塚さんの元気な姿は本当にうれしかったです。
その後、みんなで記念撮影。またお会いしましょう!!と言葉を交わし飯塚さんは両国へと入っていきました。
素晴らしい時間をありがとうございました
それにしてもです。飯塚さんは個人的に猪木と付き合いがあり、他にもレスラーや関係者に知り合いもたくさんいる方。来賓として呼ばれて参加しても十分なくらいの人なのに、驚くべきことに友達と待ち合わせしていて、これから入ると言うのです。我々と同じくチケットを買っての参加とは・・・それに今日は幟を手にしていません。そこも気になるところではありました。
その後、入り口でレガさんと記念撮影。
記念です
大器晩成。いよいよ我々も入場しましょう!!というそのときでした。
「あれ・・・!?チケットが、ない・・・」
そんな馬鹿な!!さっきレガさんと一緒に確認したし、そのあと確かにリュックの大きい方へ、ここへ入れてチャックしといたのに!!
まさか・・・リュックに入れたつもりが入れずにどこかへポンと置いてしまい、記念撮影している間に盗まれてしまったのか・・・そうだ、チケットだけなくなるなんておかしい。それしか考えられない。あああ・・・どうしよう・・・
おれはなんということをしてしまったんだ。北海道からわざわざレガさんが来て、初めて両国に来て、スパさんや飯塚さんと会って、いよいよ入り口まで来て入ろうというときに入れなくしてしまうとは・・・全身から血が引くのがわかりました。
「(もうだめだ。詫びなんてものじゃすまされない。どんなことしようが許されることじゃない。そうだ隅田川に飛び込もう。今日は猪木のお別れの会じゃなくて、おれ自身のお別れの会だ。マジに飛び込もう)」
そんな絶望の中、この中にあるわけないよな・・・と、まだ見ていなかったリュックの小さいポッケの方のチャックを一応開けて見てみました。すると・・・
あった・・・
あああー!!あったー!!チケットあったぁー!!よかった!!よかった・・・
よかった・・・
しかし、あったにしても大失態。本格的にヘコみます。いくらメンタルが弱になっているとはいえ、こんなことをしてしまうとは・・・もう何十回と観戦に来ていますが、以前の自分ならこんな行動するなんてまず考えられません。今の自分のことが心からイヤになりました。
あまりのヘコみっぷりに
「あったんだからいいじゃないですか~。ほら、猪木さんはイタズラ好きだから、ちょっとやったんですよ」
と、レガさんは優しい言葉をかけてくれたものの・・・見つかったからよかったものの、見つからなかったらどうなっていたんだろうか?空寒い。あまりにも空寒い。本当にあってよかった・・・お騒がせして本当に申し訳ありませんでした。
それにしても・・・やっぱりダメなときは何してもダメなんだなぁ・・・
改めて。入場します。
中に入るところで献花用のお花と記念品を受け取り、入り口を通過しました。そうすると、入ってすぐのエントランスには向かって左手は物販のコーナー。右手はベルトやリングシューズなど猪木所縁の品が展示してあるコーナーとなっていました。人が多く間近でゆっくりは見れませんでしたが、そこに真っ先に並んでいたのは、まさに飯塚さんのあの幟でした。
「(そうか、そういうことだったのか・・・)」
言葉では伝えきれない、いろいろな思いが駆け巡ったのでした。
こうして中に入り席に着きました。すると隣の方の席の前に、さっき展示してあったはずのあの"世界一強い アントニオ猪木 頑張れ!!"の幟が下げてあるではないですか。しかしよく見ると、ちょっとちがいます。下地こそ同じ色でしたが、その文字は刺繍という豪華なものでした。
我々が話しかけると、なんとそれは自作の幟だというのです。聞けばあの清原と同級生というこの方。猪木の大ファンで、今日のため大阪からきたとのことでした。レガさんは北海道、スパさんは宮城。この人は大阪・・・まだまだいる同志たち。全国から今日のために集まってきたんだな。胸がいっぱいになりました。
午前11時。式がいよいよ始まりました。司会は田畑アナ。その進行により坂口征二が開会を宣言すると炎のファイターが会場いっぱいに鳴り響きます。両国で聴く炎のファイター。ボクにとってのそれは2019年2月19日に行われた「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~ アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念~さらば呪術師~」(魂の相伝~プロレスの日に、プロレスを見た~)以来のことでした。
あのときはオープニングで馬場さんの名勝負映像とNTVスポーツテーマが流れ、それが終わった直後に間髪いれず炎のファイターがかかり猪木が入場してくるという奇跡的なリレーが実現したんだ。あれも忘れられないシーンだったなぁ。
しかし、あの日は猪木が入場してきた。でも今日は・・・と思うが早く、まもなく花道がスポットライトに照らされました。
「(え、まさか!?)」
高鳴る気持ち。でも、いないのです。いないのに・・・誰もいないはずの花道のスポットライトは、やがて誰かを照らしているかのごとく、まるで歩いていくのを追っていくように動き出したのです。
その瞬間、自分の脳内に
「さぁ~静寂から大歓声へ、まさに今日この会場の花道と同じ色合い。空気が、鮮やかな深紅へと一変しました。割れんばかりの心の中の大猪木コール。その中を、スポットライトに照らされてアントニオ猪木が入ってまいりました!!青地で襟にJAPANの文字、白地に大蛇、赤地に昇る朝日、紺地に花、そして闘魂!!ひとりひとりの目に写る時代を彩った猪木のガウン姿、甦る入場シーン。六道輪廻、幾度と通ったリングへの花道は冥界から現世への道なのか!?それとも芥川龍之介の蜘蛛の糸、逆現象。極楽から下げられた蜘蛛の糸を伝って、1日だけ舞い降りてきたのでしょうか!?今確かに、我々の前を、小走りに猪木が通って行きます!!」
という古舘さんの声が聞こえてきました。そう、幻でも思い込みでもありません。アントニオ猪木が入場してきたのです。両国に来たのです!!
やがてテンカウントが鳴らされ、その生涯と名勝負が映像で流されました。その後、来賓の挨拶が始まります。一番最初は森喜朗元総理。初めて、いや最初で最後となる生で見る歴代総理大臣でした。
そして藤波です。藤波こそ、長い時間猪木と一緒に過ごしたレスラー。その歴史を思いと共に語られたなら・・・そんな思いでいると、レガさんのすすり泣く声が聞こえてきました。本当は声をかけたかったのですが、ここで声をかけたら自分も泣き出してしまいそうで(おれ、泣き出すと1、2時間収まらないんですよ・・・)周囲に迷惑かかっちゃうんで、お声かけできませんでした。すいません・・・
続いては棚橋です。非常に賢く頭が良い棚橋。弁も立ち、マイクでもインタビューでも常に相手にわかるように丁寧に話す人です。しかしこの日は正直、何を伝えたいのかわからない状態。話がまったくまとまっていませんでした。あの棚橋にして、珍しい出来事だと思いました。棚橋も気持ちがいっぱいだったのかもしれません。
そして古舘さんです。古舘さんはマイクを握るや否や、突然、猪木vsアンドレの実況を始めました。キーロック?持ち上げる?76年10月7日の蔵前か!?格闘技世界一決定戦だな!!
でも、あれは古舘さんの実況ではなかった・・・のに、見える。猪木もアンドレも、実況席の古舘さんも!!
その後、古舘さんは、どうして猪木さんの試合は湯水の様に言葉が出てくるのか?新人の頃にはわからなかった。でも少し経ってからわかってくる様になってきたと・・・それは猪木の頭の中には必ず物語があるからと、だったら猪木の頭の中に入っていって、その物語を言葉に転換し放送席で喋ればいいんだと、実況から一辺。今度は噛み締めるように猪木への思い。思い出を語り始めました。
そして、その言葉の最後。その思いはもっとも表れることになりました。
「アントニオ猪木が旅立ってからおよそ5ヶ月と1週間あまり。なが~い旅路、今この此岸から彼岸への花道、ゆっくりと猪木が背中を見せながら遠ざかっていく。思えばこの背中に幾多のイメージが有りました。そしてこの闘魂ガウンの背中に数多の物語がありました。すべてを見せつけ、すべてを抱え込んで、今、猪木がゆっくりと、あの世界へと進んでいきます。猪木、今、我々に一瞬振り向いた。無言だ!また踵を返して進んでいく。猪木の身体が、小さくなっていく・・・」
強く光る、真っ白に光る方へ歩いていく姿。振り向いたその顔は微笑に満ちていた。そして再び前を向き、また進みだす猪木。一歩一歩と進んでいく猪木。もう振り向かない。二度と振り向かず歩いていく。だんだん小さくなっていく。やがてその影は完全に光の中へと・・・消えていきました。
そんな風景が確かに見えました。耐えていた涙ですが、とうとう、じわっと出てしまいました。猪木に入り猪木の物語を語る。そう、古舘さんは今日も猪木に入り、その物語を言葉で見せてくれたのです。ありがとう・・・古舘さん。
その後はかつてのライバルであるドリー・ファンク・ジュニア、タイガー・ジェット・シンからの映像でのメッセージが紹介されました。ふたりだけというのはさみしい気もしましたが、ここでジェットシンが出たのは大変意味のあることだと思いました。
そして猪木の弟である啓介氏の挨拶が行われ、オカダと孫のナオトさんで123ダーッが行われ幕を閉じました。
ここからは献花式が始まりました。が、その参列者は想像を絶するものでした。身内、関係者、弟子・・・もう、これだけの人が同じ場所にそろうことはないだろうと思いました。
そんな中、ボクの中で印象的だったのは実は娘の寛子さんでした。姿を見たとたん、一番いろんなことが頭を過りました。そうだよな、猪木が「お父さん」なんだもんな。お父さんが亡くなったんだもんな・・・と・・・
若き日の寛子さん(84年5月、当時のブラジル大統領のジョアン・フィゲレイド氏と)
若い頃はそんなこと考えなかったのに、自分も父親になり、この歳になったから寛子さんの姿に一番感じるものがあったんだろうなと、そう思いました。
やがて自分たちの献花となりました。両国の1階へ降りると
「レガさん、赤コーナーに行きませんか」
と、お誘いしました。猪木は赤コーナーにいる。両国の中に入りリングを見た瞬間からピンときたので、絶対に赤コーナーへ行くと決めていました。レガさんはこれを快く受けてくださり、我々は赤コーナーへ行きました。
来た。両国のリング。猪木のいる赤コーナー・・・見上げます。
花を上げ、ボクもレガさんもサードロープを握りました。打合せしたわけでもなく、どこからともなく自然と同じ動きが出たのです。きっと猪木のいるリングの感触を確かめたかったのかもしれません。
そして、そのあと合掌しました。伝えしは礼です。心からお礼を言いました。目を開けると、レガさんはまだ合掌していました。長く長く合掌していました。その姿がとても印象的でした。
こうしてすべてを終え、両国を後にしました。
「(お別れの会、終わったんだな・・・)」
平常を装ってはいましたが、やはり虚しさは大きく残りました。そして何かが、別の大きな何かが終わったような・・・言葉には言い表せないような、特別な余韻も残ったのでした。
後編へ続きます。