穴門国の北浦海岸沿いの海人族の分布 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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北浦海岸の漁師町の神社の配祀神や相殿神、境内摂社を調べ、漁労民の出身を推定する。

旧下関市内では住吉、宗像、安曇の海人族が仲良く共存し、渡来人の受け入れと夷狄防衛を担当した。旧豊浦郡は粟野を除き、安曇海人族、住吉海人族で占められ、漁業権も安曇海人族、住吉海人族が最も持っていると想像され、夷狄防衛が主担当であったであろう。

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参考

粟野八幡宮、宗像海人族、豊北町大字粟野
住吉八幡宮、住吉海人族系、豊北町神田島戸浦、郷社
住吉神社、住吉海人族系、豊北町神田上根崎、一の宮
蛭子神社、安曇海人族、豊北町神田特牛1635
恵比須神社、安曇海人族、豊北町神田4012
恵比寿神社、安曇海人族、豊北町角島尾山
神功皇后神社、住吉海人族系、豊北町江尻下、土井ヶ浜
恵比寿神社、安曇海人族、豊北町大字矢玉
吉永八幡宮、住吉海人族、豊浦町大字吉永
恵比須神社、安曇海人族、豊浦町大字脇田後地652
蓋井島八幡宮、住吉海人族、下関市大字蓋井島
室津八幡宮、住吉海人族、下関市大字室津
蛭子社、安曇海人族、下関市大字室津
若宮神社、住吉海人族、下関市大字吉母
海神社、安曇海人族、下関市大字吉母
恵比寿神社、安曇海人族、下関市大字吉母
永田神社、宗像海人族、下関市大字永田郷
龍王神社、安曇海人族、住吉海人族、下関市大字吉見下
安岡八幡宮、住吉海人族、下関市安岡町
蛭子神社、安曇海人族、下関市安岡本町1-11
蛭子神社、安曇海人族、下関市安岡本町3-14
住吉神社、住吉海人族、宗像海人族、安曇海人族、下関市一ノ宮町
生野神社、宗像海人族、下関市幡生宮の下町
厳島神社、宗像海人族、安曇海人族、下関市伊崎町
和布刈神社、安曇海人族、北九州市門司区
甲宗八幡宮、宗像海人族、北九州市門司区


岡の県主の熊鰐の館跡だった仲宿八幡宮(北九州市八幡東区祇園)の配祀神に大綿津見命があり、熊鰐は安曇海人族で響灘を支配していたと考えられる。神功皇后は、熊鰐から献上された響灘の漁業権などを配下の住吉海人族や宗像海人族にも分け与え、特に北浦海岸については穴門から吉母までは宗像海人族、住吉海人族、安曇海人族に平等に与え、吉母以北は安曇海人族、住吉海人族に与えたと推定される。

吉母から粟野まで、特に宇賀沿岸は好魚場で、宗像の漁師が来て地元宇賀の漁師と血の喧嘩がおきることがあったとか!

さらに、旧厚母八幡宮から北の島戸の住吉八幡宮まで山を背にした神社形式であり、秦氏系の農民と住吉海人族の漁師が混住して東門鎮護に任じられていることを示している。


瀬戸内海は、ある研究によると安曇氏、住吉氏、宗像氏に加え隼人族が混住していたようである。