功山寺の決起の新事実 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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元治元年12月15日、五卿が筑前に移ることを容認した。その直後、高杉晋作と力士隊(総督は伊藤俊輔)、遊撃隊(総督は石川小五郎)は功山寺から下関に入る。萩藩新地会所を襲撃、200人が加わった。「林家家内行事録」(1)(2)

慶応元年1月1日、西郷南洲と高杉晋作が下関で会見(2)


参考

1  東行庵発行、高杉晋作と奇兵隊、平成元年

2  特別展 薩長盟約と下関、長府藩士と龍馬・慎太郎のキセキ、2012