あちこちに神社を作った役行者は秦氏であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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ちこちに修験道の神社を創建した役行者(役小角)は実は秦氏であった。地祇系氏族の賀茂氏の出であったが、この賀茂氏の祖、大田田根子は大物主神の養子であり、本当の出身は陶邑出身の秦氏(渡来人、天孫系)であった。つまり、天孫系の賀茂県主と同族であった。


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役行者、旧北浦往還道の三叉路(畑代)にある(左: 長府、右: 関)。北浦海岸に上陸した先祖の渡来人の秦氏の道案内の象徴かもしれない。

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長府の忌宮神社と一ノ宮の住吉神社をつなぐ峠道の途中にもある。


参考

役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、欽明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。姓は君。

三徳山三仏寺、投げ入れ堂
鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(標高900メートル)に境内を持つ山岳寺院である。古くは三徳山全体を境内としていた。「投入堂」(なげいれどう)の通称で知られる奥院の建物は、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。

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まさに岩壁、すなわち嘆きの壁を信仰している。

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麓からの長い参道が高千穂のクシフル峯であろう。

石鎚神社
愛媛県西条市にある神社で、役行者が開山した。西日本最高峰石鎚山神体山とする神社で、山麓に鎮座する本社(口之宮)、山腹の成就社(中宮)と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の4社の総称である。

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嘆きの壁形式

金刀比羅宮
もともと象頭山にあった真言宗の松尾寺に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺昆毘羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする。

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嘆きの壁形式

中東から渡来した秦氏の子孫、役行者は自ら創建した神社にユダヤ人としての信仰をこめた。すなわち、エルサレムの嘆きの壁を表現していた。