神代に渡来した氏族、秦氏の中の得意な役割、家系などで色々支族があった。土師氏、八坂氏、賀茂氏、、、、など、天孫の神々は渡来してきた各種技術集団であった。例えば、土師氏が土木技術、埴輪製造、土器製造、タタラ、、の技術を持っていた事は有名であるが、彼らの技術はどの様にして習得したのであろうか?
答えは親兄弟、一族の親方、兄弟子からである。門外不出のルールは江戸時代まであった。伝統芸能や伝統工芸は今でも秘伝の世襲であった。すなわち、5世紀頃以降に渡来して国内で製造された文物、技術工芸品、技術などは、それらの知識を持つ技術者の集団が渡来した。彼らが中国を越えて西アジア起源の知識、技術を持つとしたら、彼らは中国以西で知識、技術を獲得した民族と考えて差し支え無い。
動乱の中国国内、朝鮮半島内で、じっくり現地の異民族の親方について技術を習得する事は考えられない。
遣隋使や遣唐使など中国が日本の学生を受け入れたではないか!と言う指摘があると思うが、文官や僧侶が文化や宗教など中国の権威を受け入れる場合で、中国に不利にならないものに限られる。
参考
アマルガム
古墳の副葬品は既に錆に覆われた銅や青銅が多いが、表面に金アマルガム粒子の残留やヘラ磨きの痕跡があり、鍍金加工がされていたと考えられている。
メッキの起源は、紀元前1500年ごろ、メソポタミア北部で鉄器に溶融すずメッキが、その後、水銀に金等を溶かし「水銀アマルガム法」として、古代エジプト、アラビア、ヨーロッパ、東洋へ、装飾品・仏像等に施したメッキ品が見つかっています。日本へはシルクロードを渡り、中国、朝鮮から伝わりました。日本では、西暦752年に東大寺の大仏がこの「水銀アマルガム法」で金メッキがされたと伝えられています(抜粋)。我が国では1400年前、中国から仏教と共にめっき技術が伝わる(抜粋)。
東大寺の大仏
灰吹法は貴金属を鉛合金にした上で鉛を除去する精錬法です。るつぼで溶かし、合金の表面に浮いてくるゴミを捨てて合金だけ残します。やがて鉛が溶けて、るつぼに染み込んでいきます。最終的に溶け残った貴金属がるつぼに残り、鉛はるつぼに吸われてなくなります。アマルガム法は貴金属を水銀合金にした上で水銀を除去する精錬法です。こっちは水銀が蒸発して飛んでしまうまで加熱します。灰吹法より純度が高いのですが、水銀蒸気は毒ガスなので、作業した者は激しい中毒に襲われます。旧約聖書に記載されているアマルガム法に酷似した灰吹法を伝承してきた倭人とは、ヘブライ人の末裔である可能性が極めて高い。なぜならば、そんな大事な先進技術を彼らは他民族へ伝承などさせるわけがないからだ(抜粋)。
金アマルガム渡金は、銅または銅合金の製品の表面に金や銀などを付着させる金工加飾技法の一つ。中国では戦国時代以降に盛行し,日本では古墳時代以降にみられる。なお、秦の始皇帝の時代のクロムメッキは後世に残っていない。(参考)
技術と世襲
大宝律令に定められた古代の日本の官職には、技術やものづくりに起源を発するものが多くある。筥陶司、織部司、内匠寮、木工寮、等、これらの役職は単なる宮廷の営繕担当などではなく、代々世襲される立派な官職でした。宮廷において、技術者の地位が非常に高く、また彼らが、こうした技術を継承する氏族同士で結束を固め、その技術を磨き続けて行った様子がよく分る。古代日本を纏め上げた渡来人たちの立脚基盤の一つが、大陸からの進んだ技術の伝播者という身分であった。古代豪族は技術集団の一面も持っており、自らの氏族のアイデンティティたる技術に誇りと伝承の使命感を持っていたものと思われる。大宝律令の背後には、こうした古代氏族の技術に対する特別な思いを察することが出来ます。(抜粋)
伝統工芸と世襲制、伝統工芸系職人の特徴(現在)
日本人男性Y遺伝子に中東から来たものがある。
金メッキの生産地を西から東へ辿ってみる。
甘粛省靖遠県の4、5世紀の金メッキ製品、西アジアで製造され、運ばれて出土
金メッキについて、渡来ルートはシルクロードだった。
世界最古のめっきが行なわれた時代は、現在のイラクの首都バクダッド郊外から出土したバクダッド電池を根拠として、2000年前のパルティア人によるものとする説、1700年前のスキタイ人によるものとする説などさまざまある。(ルーツはバクダッド、又はスキタイ)
製鉄について
明治42年、朝鮮咸鏡北道富寧の南東にある抄河洞の輪域川の河原で、極めて原始的な製鉄現場が確認された。その方法は、河原に乾いた砂鉄を60㎝積み、その上に大量の薪を乗せ、一夜燃やし続けて翌日に鉄塊を拾い集める方法だった(京城の加藤灌覚氏の実見談)。最も原始的な製鉄法である。弁韓・辰韓・新羅で製鉄の伝統を持つ国の話である。我が国古代製鉄に深く関わる韓国のこの現代に於ける原始製鉄の風景は、我が国原始製鉄の謎を解く鍵を持つかも知れない。
アジア各地からの渡来は太古の昔から連綿と続いていた。製鉄原料の選択は渡来人(移民)の経験に基づき選択された筈である。製鉄技術は保持者の生活防衛の為に秘匿されるのが普通であり、部族によって異なる製鉄原料が使われていて不思議はない。日本考古学では湖沼鉄製錬を看過してしまった。先入観を拭い去ることが求められる。砂鉄が当然という前提は、現代感覚の誤謬(ごびゅう)といえる(抜粋)。