JR山陰線、人丸駅、長門市油谷 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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JR山陰線、人丸駅は、山口県長門市油谷新別名字上江にある、西日本旅客鉄道山陰本線の駅。かつては急行も停車していたが、現在は普通列車のみが停車する。

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人丸駅

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向津具半島の付け根、油谷湾奥にある

万葉歌人の柿本人麻呂は渡来人であった。柿本氏は和邇氏の支族で、海人族安曇氏と同じ海人であり(参考)、和邇とは船のことである(参考)。土師氏と同様な技術を持ち、神功皇后ともつながりがある(参考)。


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柿本人麻呂の集団は「銅の精錬の渡来系の技術集団」であった。奈良の大仏を作る事になった為に、坑道を持った本格的な銅の鉱山を作らなくてはならなくなり、柿本氏族はその指導者的立場に立った。そしてその本格的な銅鉱山は山口県にあり、荒金がどんどん奈良に運ばれてさらに精錬された。このような背景があり、山口県を中心に人丸神社が沢山祭られるようになった。そこには鍛冶の神を祭っていたけれども、時代が下がると意味が分からなくなり、鍛冶の神⇒かじのかみ⇒火事の神⇒火止まる⇒人丸となった(参考1参考2)。



参考

八幡人丸神社〒759-4503 山口県長門市油谷新別名35

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・説明

新別名弓弦葉山に鎮座の八幡宮(注1)に、三佐崎山に鎮座の人丸神社(注2)が明治40年12月に合祀し、即日、当神社社殿に移し、現神社名に改称。 御祭神は、應神天皇・仲哀天皇・仁徳天皇と万葉集の代表的歌人である柿本人麻呂。 護神徳は、農・商・工・水産業・繁栄・学業成就・開運厄除・延命長寿・縁結び・交通安全・火除け。 境内には大正四年に造られた古典樹苑が広がり、室町時代以前の日本古典に登場する樹木や「万葉集」をはじめ古歌・古文を出典とする木草約180種、480株、40叢が植栽されている(参考)。
(注1)旧八幡宮
天平宝字年中(757年~765年)、油谷町(現長門市油谷)字掛渕に住む漁夫の霊夢に、牛に乗った八幡大神と称する御姿が示現したため、油谷湾より奉遷し、地域鎮護として弓弦葉山に主祭神(應神天皇)、配祀神(仲哀天皇・仁徳天皇)を奉祀した。

(注2)旧人丸社

柿本人麻呂が石見国(島根県)より九州・奈良方面への往還の際に、この地の風光を気に入り、「向津具の奥の入江のさざ波に、海苔かく海士の袖は濡れつつ」と詠んだと言われています。逝去後、郷人がその遺徳をしのび、祠を建立して奉祀した。石見国高津、播磨国明石の柿本神社と共に日本三社と称されています。


・追加説明(参考)


国道191号線、宮ノ下バス停近くの三佐崎山に鎮座。もと三佐崎山大願寺内にあったが、明治40年(1907)、弓弦葉山の八幡宮を現在地に奉遷したさいに合祀し八幡人丸神社としたという。人丸社の創設時期は定かではないが、弘化4年(1847)録上の『元禄寺社根帳』(通称「御根帳」)には人丸社としてはただ1社のみ載る。


播磨国明石、石見国高津の柿本神社と合わせ、日本三社の名があるとされ、境内には室町時代以前の古典に載る樹木を植栽する「古典樹苑」、人麿歌碑がある。


『注進案』には「新別名村 人丸社、神殿横1間1尺7寸竪2間、釣屋横2間竪3間2尺7寸、拝殿横2間竪3間2尺7寸、御供所横1間半竪2間、御祭礼諸道具入場横2間竪3間半。社伝に(略)讒にあひて播州明石に謫居の折から、慶雲4年異国より鬼人渡りしかば、和歌の徳にて防ぐべしとて人丸に勅ありければ、人丸左遷の闇晴て明石を出て多々良宮に着、一首の歌にて異敵を海底のみくづとなし玉へり。その後故郷忘れかたしとて多々良浜を出て西海に漂ひ長門国大津郡奥入江に着岸し、風景を愛し給ひ3年の春秋を送り朝夕の眺望に、「向津のおくの入江のさゝ浪に のりかくあまの袖は濡つゝ」さて年老て石州高角にて終り給ひぬ、聖武帝神亀元甲子三月中八日没と云々、私に云、奥入江の地を新別名と号くと、又入江十町計をへだて右に漣石あり、鵜石といふあたりに石も多けれ共此石のみ海苔生ずと云々。左に河原の水末に連歌といふ江在、人丸の常に口ずさみ玉ひし所となん、今に草一茎も不生。又社廟の辺御腰掛石御手洗の池あり、是を鑑石鏡池ともいふ。乳いでざる婦人此池に御祓する時ハ乳汁たり出る云々と縁起の大略如此、(以下略)」とある。


三佐崎山は御陵山とも呼ばれていることから、古代のこの地にあった豪族(日置氏族)の陵墓であったと思われる。全国各地に広がっている日置氏は、太陽祭祀を司り、鉄冶業を生業としていたという。


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人麻呂公歌碑

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油谷湾遠望

山口県内の人丸神社(参考)


菅原神社「菅原道眞、柿本人麻呂」山口県玖珂郡玖珂町6164


中田八幡宮「仲哀天皇ほか 配 柿本人麻呂ほか」山口県玖珂郡周東町大字田尻683


斎宮神社「倭姫命 配 柿本人麿ほか」山口県玖珂郡周東町西長野292


大帯姫八幡宮摂社大里天満宮「菅原道眞 配 柿本人麿」山口県柳井市大字日積3920


河内神社「水波之女命、事代主命 配 柿本人丸」山口県玖珂郡美和町大字秋掛1882-2


河内神社摂社人丸社「柿本人丸」山口県玖珂郡本郷村大字波野1615


有飯八幡宮摂社柿本神社「柿本人麻呂」山口県光市大字小周防2759


八幡宮摂社河築神社「建水別神ほか 合 柿本人麿ほか」山口県徳山市大字須々万本郷312


河内神社摂社柿本神社「柿本人麿」山口県徳山市大字筋地559


八幡宮摂社杵崎神社「科津彦神、科津姫神、柿本人麿ほか」山口県徳山市大字須万2608


八幡宮摂社須賀社「速須佐之男神 合 柿本人丸神ほか」山口県徳山市大字中須南2663


八幡宮摂社五柱神社「句句廼知神ほか 合 柿本人丸神ほか」山口県徳山市大字中須南2663


八幡宮摂社人丸社「柿本人丸神」山口県徳山市大字中須南2663


八幡宮摂社人丸社「柿本人丸神」山口県徳山市大字中須南2663


八幡宮摂社柿本人丸社「柿本人丸神」山口県徳山市大字中須南2663


河内神社「天兒屋根命、素戔嗚命 配 柿本人丸神」山口県新南陽市大字米光163-1


河内神社「天兒屋根命、經津主之大神ほか 合 柿本人丸神ほか」山口県都農郡鹿野町都濃郡大字鹿野下420


金峯神社末社「合 柿本人麿ほか」山口県都農郡鹿野町都濃郡大字金峰4581


桑山八幡宮摂社柿本人麿社「柿本人麿」山口県防府市大字仁井令530


宇佐八幡宮摂社人丸社「柿本人麿」山口県防府市大字鈴屋840


繁枝神社摂社人麻呂社「柿本人麻呂」山口県防府市大字台道422


繁枝神社摂社おうばん社「柿本人麻呂」山口県防府市大字台道422


古熊神社摂社三森神社「柿本人麿ほか」山口県山口市古熊1-10-3


赤田神社「大己貴命、柿本人麿ほか」山口県山口市大字吉敷780


恒冨八幡宮摂社人丸神社「柿本人麿」山口県山口市大字黒川1149


白山神社摂社柿本人麿神社「柿本人麿ほか」山口県豊浦郡菊川町大字下保木543


王司神社「應神天皇 配 仁徳天皇 合 柿本人麻呂」山口県下関市大字植田510


住吉八幡宮摂社人丸社「柿本人麻呂」山口県豊浦郡豊北町大字神田3901


忌宮神社摂社八坂神社「稻田姫神、手摩乳神 合 柿本人丸ほか」山口県下関市長府宮ノ内町1-18


生野神社摂社人丸神社「柿本人麿」山口県下関市幡生宮の下町16-18


八幡人丸神社「應神天皇 合 柿本人麻呂ほか」山口県大津郡油谷町大字新別名3


八幡宮摂社権現社「柿本人麿ほか」山口県阿武郡阿東町大字地福1796


住吉神社「住吉三神ほか 配 柿本人麿ほか」山口県萩市浜崎町240


人丸神社「柿本人麿」山口県萩市大字椿東字諏訪ケ台第1700


八幡宮摂社合祀神社「柿本人麿ほか」山口県阿武郡阿武町奈古3341


西見山八幡宮「應神天皇ほか 配 柿本人麿ほか」山口県阿武郡福栄村大字紫福第1431


渡来人と稼業の世襲制


山口県が秦王国であった証拠


長登銅山、美祢市


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山口県内の廃社を含めた人丸神社の分布(参考)