沖ノ島の三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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本物の三角縁神獣鏡が沖ノ島にあった。しかし、奉納の経緯が不明との扱いとなっている。最も古い祭祀時期は3世紀終末期とある。50年以上遡ることが出来れば、卑弥呼の生きた時代となる。


参考

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「張氏車騎神獣画像鏡」↑(上海博物館蔵)と,三角縁神獣鏡↑(宗像大社蔵) 

「中国では三角縁神獣鏡は出土していない」と,考古学者や歴史学者が頑迷に主張していた時期があったが,上海博物館には「張氏車騎神獣画像鏡」という名で三角縁神獣鏡が展示されている。また,兵庫県の「SPring-8(スプリング-8)」の成分分析の結果,日本国内の三角縁神獣鏡の一部は中国由来であることが確認された。なによりも本物の三角縁神獣鏡が,なんと!沖ノ島に眠っていたのだ(
参考1参考2)。







沖ノ島の銅鏡には、365という太陽暦が刻んであるそうです(参考)卑弥呼は太陽暦を知っていたということです(日本が太陽暦を取り入れたのは明治6年1873年、海外では1582年が始まり?)。卑弥呼が女王になったのは西暦180年頃?(参考)


三角縁神獣鏡の真の意味


太陽歴について


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宗像大社の祭祀遺跡の出土品、最も古い祭祀時期は沖ノ島、下高宮とも3世紀終末期とある(参考)。

台与の鏡説
銘文は「天王日月」のみという秀麗な三角縁神獣鏡があります(沖ノ島出土、宗像神社)。魏鏡と思われますが、卑弥呼に授けられた陳氏鏡とは明らかに様式が異なっていて、「皆、文章を作る」という銘文の内容からも外れます。これは、おそらく、壱与に与えられたものでしょう(参考)。これが正しいなら、卑弥呼の鏡は沖ノ島にまだ眠っている。