卑弥呼の女王国は北九州の宗像にあった。魏志倭人伝の文中の「おごそか」に注目し、通常の居住地、砦などと違うイメージを持つ。宗像大社の奥に伊勢神宮の正宮の古くなった建物を移築して二宮、三宮としているが、これが卑弥呼の宮室のイメージでは!
この二宮、三宮の写真の奥に高宮祭場がある。鎮守の森をさらに歩いた、小高い丘の上にあります。
参考
邪馬台国の女王・卑弥呼が居所とした宮室は魏志倭人伝に記されているだけである。倭人伝には、卑弥呼の居所には「宮室、楼観(たかどの)、城柵をおごそかに設け、つねに人がいて、兵器を持ち守備をしている」「兵器には矛(ほこ)を用いる」「竹の箭(や)は鉄の鏃(やじり)あるいは骨の鏃である」などと記されている(参考)。
4棟の建物跡は、いずれも中軸線を東西の同一直線上におき、同じ方向を向いて建てられている。 纒向遺跡でも建物を囲むように柵が敷設されていたが、これは区画用の柵である。(既に外敵を征圧し、防御の必要が無かった。同時期の時代の流れ)
北内郭は二重の環壕に囲まれており、その中に斎場棟、主祭殿、物見櫓と思われる建物跡があった。防御用に設けられた城柵をもつ。