沖ノ島経由の航海の確実な事例1 弥生時代、無文土器が朝鮮半島から対馬、沖ノ島、下関市に分布2 弥生時代以来、玄海灘文化は対馬に影響が無く、沖ノ島を中心に対馬まで響灘文化圏だった3 最近まで、沖ノ島あたりは響灘沿岸の漁師の漁場だった4 白村江の戦いの敗戦後、668年、天智天皇は下関市の蒲生野に居られた5 805年、遣唐使の帰国、伝教大師最澄は沖ノ島経由で長門に着岸して帰国6 江戸時代まで、北浦海岸(肥中港)は朝鮮半島との交易窓口だった7 江戸時代まで、長門市の仏教寺院が響灘、玄海灘を越えて、末寺ネットワークを広げていた8 縄文時代から漁師が立ち寄っていた9 紀元前3世紀には外洋航海用の帆船が中国にはあり、徐福は日本に渡海してきた(参考)。