Y-DNA遺伝子Dは古い遺伝子で、アフリカから脱出したホモサピエンスは中東あたりでDとEに分化し、Eは西ヨーロッパ方向に拡散し、Dは東方に拡散した。このうちD2が日本に到達して縄文人となる。途中、中国大陸中央部に滞留し、この地に羌族や秦族などが活躍した。さらに中国大陸東端の江南あたりで呉・越(O2)が分化・進化したのであろう!
ついでO2bが最初に渡来して弥生時代を開始した。さらに後を追ってD2が再度渡来し、邪馬臺国からの古墳時代が始まった。
参考
① ホモサピエンスの拡散ルート、日本への渡来が石器時代人から縄文人となると考える。
アフリカを出てC、D/E、その他が分離、その他からOが遅れて中国大陸で分離する。
② wikiによると、羌(チャン)族は古代から中国史に名を残す異民族であり、古くは殷代の甲骨文字の中に、羌人に関する記載がある。古代の羌人は分布が広く、中国の西北,西南,中原の一部の地方にもその活動が見られた。
上図の中央は丸々、羌族(Y-DNA遺伝子D2)が占めて、常に東方に移動圧力をもって、日本列島に渡来して縄文人になった!秦がやはりD2であるのも羌族と同じチベット系の遊牧民で隣り合わせて生活しており、共通の先祖をから分化したからであろう。
この時代までは春秋戦国時代と呼ばれる動乱の時代で、紀元前400年頃、江南あたりから呉系弥生人(Y-DNA遺伝子O2b)が北九州の吉野ヶ里あたりに渡来しており、既に弥生時代の幕開けとなっていた(参考)。
③ 現在のY-DNA遺伝子D2(緑色)、日本とチベット東部あたり以外の羌(チャン)族は、漢族に駆逐された!
④ 遊牧民の羌が建国した斉は渤海湾、黄海の海の幸と南の稲作技術を手に入れた魚食・稲作弥生人となった。ただし、魚介類を獲得するために海人族との運命共同体を構築した。
これに対し、江南出身の呉系弥生人は揚子江をルーツとする稲作民で、海・川・山の全てからタンパク質を得る自給自足の弥生人となった。
ちなみに、東日本の縄文人は狩猟技術に稲作技術を獲得して在来系弥生人になったが、日本海沿海部は豊かな魚介類を海人族から購入するようになっていった。