縄文系のY-DNA「D2」が土井ヶ浜の斉系弥生人でもあった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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古来から日本列島に先住していたアイヌ系縄文人のY-DNAがD2で、邪馬臺国からヤマト朝廷に至る系譜を持つ土井ヶ浜の斉系弥生人や秦氏のY-DNAがD2であった。

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緑色がD2遺伝子の分布、日本列島とチベット、中国西域辺りに目立つ。日本列島内の均一な分布に注目して欲しい。


参考

① 縄文系のY-DNA「D2」

現在の情報では北海道のアイヌ人から本土、南琉球人までY-DNA「D2」が出現頻度の差はあれ日本列島の共通遺伝子であることを明確に示しています。典型的な肌黒で二重瞼パッチリのネグリート(倭人)であったY-DNA「D2」縄文人の遺伝子は確かに日本列島の男系基層遺伝子として見事に根付いています。

現代アイヌのY-DNA「D2」の詳細がもっと明らかになると、過去のどの年代で日本列島本土以南のY-DNA「D2」と分離したのかが、より明確になってくると思います。また地域がわかれば最も古いY-DNA「D2」がどこに分布しているのかも明確になってくるのですが。

縄文遺伝子旧Y-DNA「D2」(新Y-DNA「D1a」)の弟遺伝子の旧Y-DNA「D3」がY-DNA「D1b」としてツリー化され、縄文と更に近い遺伝子として位置づけされました。

Y-DNA「D」はこれまで「D1」,「D2」と「D3」に分類されていましたが、全て「D1」に統合されました。この結果、我らが「D2」は「D1b」になり、羌族・チベット系の「D1a」とY遺伝子的にこれまでより近い関係に位置付けされました。







② 呉系弥生人「O2b」は「O2b1a」に分化

水田稲作農耕文化を日本列島に持ち込んだのは、長江下流で水田稲作技術を興しながらも黄河系Y-DNA「O3」との中原での勢力争いに負けて、拡張する「O3」に長江流域から追い出されたY-DNA「O2a」(Y-DNA「O1a」も含む)から分化したY-DNA「O2b」である。



③ 縄文海洋性ハンター(海人族)遺伝子のY-DNA「C1」

縄文海洋性ハンターY-DNA「C1a」は今回Y-DNA「C1a1」になりました。そしてヨーロッパにわずかに検出されているY-DNA「C6」が「C1a2」と、かなり近い兄弟遺伝子と分類されました。


④ 縄文内陸性ハンター遺伝子Y-DNA「C3a」

属するY-DNA「C3」はv.9.32ではY-DNA「C2」に分類され「C1」のファミリーに比べて若干分化が進んでいる位置は変わっていません。「C3a」は新たにY-DNA「C2a」に分類されたました。





⑥ 下関市の土井ヶ浜遺跡から鳥取市の青谷上寺地遺跡の渡来人の男性はDNA分析で縄文人と同じY-DNA D2を持っていた(参考)(2019.3.4追加)