春秋戦国時代を舞台とする。江南の呉・越が争って共倒れするが、呉(O2b)は直接北九州と中国北東部(現遼寧省、燕)に、越(O2a)もベトナム(旧越南)と日本の大和あたりに難民が移動した。もちろん、中国南西部の少数民族に同族が残留している。
ここで稲作文化が山東半島、遼寧省あたりに伝播したが、山東半島の付け根に斉があり、遼寧省の西部あたりに燕があった。
燕には山東半島の銅資源、遼寧省の鉄資源があり、遼寧省の燕に居住した呉からの難民(O2b)は稲作を現地に移植しながら、銅器と鉄器の生産を行った。この燕も滅ぼされて難民が朝鮮半島に移動して銅器・鉄器、稲作を定着させながら、北九州の福岡市あたりに到達し、先着の呉系弥生人に合流して、銅器・鉄器、稲作の中心地にした。
斉は秦と同族の民(D2)が山東半島で稲作を身につけ、また海人族からの海の幸と交換する経済を確立していた!この斉は秦に滅ぼされて、海人族と共に日本の山陰沿岸に渡来した。この斉系弥生人が後に渡来する秦と共に東鯷国(邪馬臺国)を確立する。
すなわち、山東半島あたりは稲作、銅器・鉄器などの金属生産、海人族からの海の幸の交換経済が交差する渡来系弥生人の出発地と言える。
参考
① あるブログ「弥生の故郷は山東半島(参考)」の結論部分を抜粋した!
9月29日投稿の「B2.国立歴史民俗博物館の年代観」で、歴博の「水田稲作の広がり 中国から日本列島へ」のコピーを図B2に掲載した。それを見ると中国の長江下流域で始まった水田稲作が、山東半島から、朝鮮を経由して北九州に伝わっている。青銅器も稲作と同様に、山東半島をから、朝鮮を経由して北九州に伝わっている。山東半島が弥生の故郷なのであろうか。
② 遼寧省、山東省の鉄資源は中国一である。