渡来系弥生人の一つの出発地、山東半島 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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春秋戦国時代を舞台とする。江南の呉・越が争って共倒れするが、呉(O2b)は直接北九州と中国北東部(現遼寧省、燕)に、越(O2a)もベトナム(旧越南)と日本の大和あたりに難民が移動した。もちろん、中国南西部の少数民族に同族が残留している。

ここで稲作文化が山東半島、遼寧省あたりに伝播したが、山東半島の付け根に斉があり、遼寧省の西部あたりに燕があった。

燕には山東半島の銅資源、遼寧省の鉄資源があり、遼寧省の燕に居住した呉からの難民(O2b)は稲作を現地に移植しながら、銅器と鉄器の生産を行った。この燕も滅ぼされて難民が朝鮮半島に移動して銅器・鉄器、稲作を定着させながら、北九州の福岡市あたりに到達し、先着の呉系弥生人に合流して、銅器・鉄器、稲作の中心地にした。

斉は秦と同族の民(D2)が山東半島で稲作を身につけ、また海人族からの海の幸と交換する経済を確立していた!この斉は秦に滅ぼされて、海人族と共に日本の山陰沿岸に渡来した。この斉系弥生人が後に渡来する秦と共に東鯷国(邪馬臺国)を確立する。

すなわち、山東半島あたりは稲作、銅器・鉄器などの金属生産、海人族からの海の幸の交換経済が交差する渡来系弥生人の出発地と言える。

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1 赤線が斉系弥生人(D2)の渡来ルート、2 緑線が燕系弥生人(O2b、O3)の渡来ルート


参考

① あるブログ「弥生の故郷は山東半島(参考)」の結論部分を抜粋した!

朝鮮半島の青銅器文化の源流は、中国の遼西地区(遼寧省西部)に生まれ、朝鮮北部に伝わった遼寧式銅剣である。その後、朝鮮半島では遼寧式青銅器の色彩が薄れ、細形銅剣・銅矛・銅戈・銅鐸の朝鮮独自の青銅器文化が生れている。この青銅器文化が日本に伝わったのだ。この頃、朝鮮半島に中国の金属器文化の波が押し寄せている。中国式銅剣が韓国全羅北道の上林里から26本出土している。この中国式銅剣5本(韓国3本、日本2本)の鉛同位体比が測定されているが、その全てがラインDに載っている。朝鮮系青銅器の鉛産地が、中国の山東省であった証拠の一つであると考える。

9月29日投稿の「B2.国立歴史民俗博物館の年代観」で、歴博の「水田稲作の広がり 中国から日本列島へ」のコピーを図B2に掲載した。それを見ると中国の長江下流域で始まった水田稲作が、山東半島から、朝鮮を経由して北九州に伝わっている。青銅器も稲作と同様に、山東半島をから、朝鮮を経由して北九州に伝わっている。山東半島が弥生の故郷なのであろうか。 


② 遼寧省、山東省の鉄資源は中国一である。

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③ 渡来系弥生人のルーツのサマリー(参考)。


④ 山東半島あたりの海岸は豊かな漁場ではあったが、戦乱の他に、気象条件も日本列島の方が良かった(参考)。


⑤ 日本全国の条里制地割の水田のルーツは山東半島あたり(参考)。


⑥ 海人族安曇氏が縄文時代から稲作と漁撈を、山東半島辺りから日本列島にもたらしていた(参考)。