稲作弥生人の渡来ルートのサマリー | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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1 赤線、邪馬臺国につながる斉系弥生人の渡来ルート、秦氏も同族で、追って朝鮮半島経由で本州西端に渡来した。秦氏は羌族(現在のチャン族)とも同族だった(参考)。

2 青線、有明海から吉野ヶ里への呉系弥生人のルート、ミャオ族が同族だった(参考)。

3 紫線、越あたりから、ベトナムへ渡る越人の一部が越系弥生人として、日本海沿岸の福井県から新潟県の越国、大和あたりの銅鐸文化圏に渡来した(参考)。

4 緑線、呉あたりで北上して、燕から北九州の福岡市あたりに渡来して合流した(参考)。

5 江南あたりが稲作のルーツなら、山東半島あたりが稲作、金属器、海の幸の交換にまつわるルーツ(参考)。


参考