縄文時代、弥生時代についての研究報告へのコメント | 日本の歴史と日本人のルーツ

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縄文時代の縄文人の大まかな分類、内陸系縄文人(D2)、海人族安曇氏(C1、住吉氏と宗像氏は省略)、弥生時代の弥生人、すなわち越系弥生人(O2a)、呉系弥生人(O2b)、燕系弥生人(O2b)、斉系弥生人(D2)など、時代毎、民族毎を分類しないと何が何やら分からなくなる。

言及されていない燕系弥生人(O2b)については、鉄器生産技術を北九州にもたらした。さらに斉系弥生人(D2)は2300年ころ弥生時代中期ころ、秦氏(D2)は古墳時代中期に渡来することを付記する。


参考

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(引用URL)について要旨を抜粋した。


A 稲の伝来ルートに3ルートある。①は越系弥生人(O2a)や②は呉系弥生人O2b)による。③は海人族安曇氏(C1)と斉系弥生人(D2)による(参考)。

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B 日本列島では、米、大麦、アズキ、アワが縄文時代から栽培され、山東半島辺りから渡来した。海人族安曇氏(C1)がもたらした(参考)

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C 弥生時代の家畜(豚)の飼育について、奈良県、大分県、福岡県、愛知県などの大規模な弥生遺跡について検証した。越系弥生人(O2a)や呉系・燕系弥生人(O2b)による。海人族安曇氏(C1)と斉系弥生人(D2)は漁撈と稲作を分業することになり、家畜は飼育してい無い(参考)。

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D 縄文時代からの漁撈と稲作について、山東半島から遼東半島、黄海、朝鮮半島南部、ロシア沿海州にわたる文化を指摘している。海人族安曇氏(C1)による(参考)。漁撈についてはカタクチイワシの漁獲範囲にあたる(参考)。

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E 縄文時代からの水田稲作について(参考)