塩と漁業と農業の関係 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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縄文時代までは動物の肉から摂取できた塩分であるが、弥生時代の稲作になってから塩分を別途、摂取する必要が出てきた。しかし、日本列島の内陸部には塩鉱山、塩水の鉱泉などは限られており、海水からの製塩に頼った。有名な長野を南北に貫く塩の道が有名である。

塩単独に製塩、流通、販売のルートもあったが、魚介類の保存、長距離輸送に塩漬け魚、塩・魚加工品が開発された。山中の自給自足の村においても、魚介類の蛋白質や塩分の補給に塩漬け魚など加工魚が重宝された。

これにより、海の漁業・製塩と陸の稲作農業が不可分につながった。すなわち、漁師は製塩・漁業に専念して米食ができ、農家は稲作と畑作の農業に専念してお魚を食べられ、それぞれの仕事に専念出来るようになった。


参考

① 自給自足の村でも塩だけは海岸の国から購入していた(参考)

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② 塩鰤、塩鮭など塩漬の干物などは、塩と蛋白源を同時に摂取でき、貴重であった(参考)

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③ 塩分不足は死に結びつく(参考)

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④ 八丈島のクサヤが有名、長距離輸送と長期保存に向いている

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⑤ 魚醤、魚の蛋白質と塩を利用した醤油

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⑥ 若狭湾の漁業と製塩、この例は伊勢・志摩あたりと同じ(参考)

伊勢神宮が伊勢に落ち着く前に、若狭湾の西端の宮津の辺りに滞在したことがあり、元伊勢といわれている籠神社がある。