仏教伝来と魚食文化と日本 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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現代日本は結婚式、地鎮祭などめでたいことは神道、葬式は仏教となっているが、著者の地域は毎2月くらいお寺さんのお説教があり、農家の五穀豊饒の祈願に神社でお祓いを受けたうえに稲作の無事を願ったお籠りが3回ある。すなわち神仏習合は当然で、明治維新後の神仏分離の影響はほとんど無い。仏教では無駄な殺生を禁じているが、まさに必要最小限の魚食のみで、牛、豚、鶏は第二次大戦後、昭和30年代まで食していなかった。従って、明治維新後の廃仏棄釈などの運動は発生しなかったし、江戸時代と変わらない信仰を続けている。明治維新を遂行した山口県の農家と漁師は保守的に、古代からの習慣を維持している。

本題の仏教の受容であるが、当時のヤマト政権、蘇我氏としては、支配者側の斉系弥生人(D2)、秦氏(D2)と海人族(安曇氏の後裔の蘇我氏、C1)の相互依存、すなわち魚介類を蛋白源とした米食を強化することであった(参考)。牛、豚、鶏など何でも食べる文化は、魚を狩猟する海人族には不都合であった。また、支配者側は全国支配の武器である塩の製造を担っている海人族を無視することは出来なかった(参考)。仏教の受容は当時の支配階級の利権構造の強化であった!

すなわち、神道と仏教は互いに矛盾するものではなかった!今の日本文化は神仏習合から成り立っている。


参考

① 仏教伝来時期

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② 仏教を受け入れた蘇我氏

先祖は武内宿禰であり、海人族安曇氏が出自であったことが重要である(参考)。

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③ 獣肉食の歴史、弥生時代以降(wikiを抜粋)

wikiでは、魚食文化の斉系弥生人(D2)と獣を何でも食べる呉系弥生人(O2b)を混同しているので、注意して区別すること!(参考)

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注: 縄文時代の記述をスキップする。

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注: 弥生ブタや鶏は呉系弥生人(O2b)が食していたが、斉系弥生人(D2)は魚食のみである。支配者である斉系弥生人の末裔は魚食であるが、獣肉を食する呉系弥生人の制御に苦慮した歴史が以下に書かれている。

未検証ではあるが、家畜は駄目だが、野生の鳥や獣の肉はよろしいと言うのは、稲作を害する鳥、猪そして鹿の追い払いを要する弥生人の生活と、在来の縄文人(D2)の生きる為の狩猟を禁じる訳にいかないからであろう。

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④ 聖徳太子

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⑤ 伊勢神宮が塩を管理していた(参考)


⑥ 九州では犬まで食べた(参考)


⑦ 後の大化改新は魚と塩の利権争いの揺り戻しであった(参考)


⑧ 家畜の獣を食べる物部氏は反対した(参考)。縄文人(D2)などが狩猟した豬、雉など野生の獣は問題無く、食べることが出来た。海人族と物部氏の間の利権の調整であった。