縄文人と海人は土地分譲業を営んだ | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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条里制地割の水田は弥生時代から存在し、8世紀ころまで連綿と開発された。

下関市の条里制の遺跡の範囲内にある農業集落(現在も人が住む伊倉遺跡)から縄文時代からの遺物も出土する。すなわち、縄文人と海人族が協力して土地をある程度造成して、中国からの稲作弥生人を誘致したことも考えられる。

条里制地割そのものは、山東半島の斉国がルーツであり、斉の情報を持っていた海人族の安曇氏が日本列島に持ち込んだ(参考)。その証拠に彼らの漁港は条里制地割であった(参考)。


参考

① 水田を条里に区切る条里制地割

定説では8世紀としている。



② 条里制の解説(参考)

大化改新より以降と解釈しているため、太陽を基にした測量技術を6世紀に中国から渡来したとか、半折型はこの時に定められた、と説明している。

しかし、東西南北に正しく整地され、半折型の条里が弥生遺跡として、下関市綾羅木の延行条里遺跡が存在する。やはり、条里制は弥生時代から連綿と開発されたと考えた方が正しい。また、太陽を基にした測量も、3世紀の日本を記述した魏志倭人伝の中の太陽暦にあわせた生活から、その存在がうかがえる。

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③ 下関市の綾羅木、延行条里遺跡

条里制地割の水田は弥生時代にはすでにあったが、驚くことに斉国のあった山東半島にルーツがあった(参考)。

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綾羅木川の南北にあったが、都市開発で南部が消滅した。さらに北側は最近の圃場整備事業による。綾羅木川より北の東西に伸びる水路は弥生史跡に指定されている。

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④ 下関市豊浦町の川棚条里遺跡も弥生時代から

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⑤ 下関市の条里遺跡からは縄文時代からの遺物も出土する。

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⑥ 埼玉県の旗羅遺跡

新羅から渡来した秦氏の入植地のような地名が付いている(参考)。古墳時代以降か?

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⑦ 条里制地割の水田は海人族の安曇氏のものか(参考)?


⑧ 山口県にも小さな条里制地割の水田が沢山あった(参考)


⑨ 弥生時代の条里制地割の水田

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