安曇氏ゆかりの元伊勢、籠神社の系図に卑弥呼、臺輿の名があった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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若狭湾は海人族安曇氏の地盤であり、伊勢志摩と同じくヤマト政権の台所であった。天照大神を祀る伊勢神宮が伊勢の地に落ち着く前、候補として元伊勢、籠神社の地に一時、滞在した。また、外宮の祭神の豊受大神もこの地から招聘された。

この元伊勢、籠神社の海部氏系図に卑弥呼、臺輿の名前が載っている。すなわち、邪馬臺国の女王達は海人族安曇氏の出身となり、子孫の蘇我氏が天皇のような振る舞いをすることが腑に落ちた。

この海部氏系図では海人族安曇氏は天孫・瓊瓊杵命(ニニギノミコト)より早く天下った饒速日命(ニギハヤヒミコト)の子孫で、物部氏と別の系統に位置付けられている。


参考
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蘇我氏(海人族安曇氏)は天皇候補であった(参考)


伊勢神宮の天照大神は海人族安曇氏の神であった(参考)


伊勢神宮のルーツは、乙巳の変(645年)以前は沖ノ島祭祀であった(参考)。祭祀者は宮地嶽神社の蘇我氏(海人族安曇氏)であった。