天照大神は海人族安曇氏の神であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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天照大神を祀る伊勢神宮のある伊勢志摩は海人族安曇氏の根拠地であった。すなわち、海人族安曇氏が獲得した魚介類や塩に頼って生きる近畿の天皇家が、海人族安曇氏のシンボルである天照大神を祀っていると理解できる。

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参考

① 海人族の移動経路(参考)

阿曇・住吉系はしばらく北九州海域を根拠地とし,のち,瀬戸内海中心にその沿岸と島々,さらに鳴門海峡を出て紀州沿岸を回り,深く伊勢湾に入り込み伊勢海人として一大中心点を構成し,さらに外洋に出て東海道沿岸から伊豆半島ならびに七島の島々に拠点をつくった。それより房総半島から常陸沿岸にかけて分布した。彼らは航海に長じ,漁労をも兼ねる海人集団とみられる。

これに対し,宗像系海人は,もっぱら手づかみ漁,弓射漁,刺突漁など潜水漁を得意とした。本拠を筑前宗像郡鐘ヶ崎に置き,筑後,肥前,壱岐,対馬,豊後の沿岸に進出,さらに日本海側では向津具半島の大浦,出雲半島と東進,但馬,丹波,丹後から若狭湾に入り,なお能登半島,越中,越後,佐渡に渡り,羽後の男鹿半島に及んだ。両系統とも,なかには河川を上し内陸部へ進み陸化したものもあった。


② 沖浦氏の説(参考)

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③ 伊勢志摩の海女達は玉依姫命を信仰していた(参考)


④ 天照大神、宗像三女神、玉依姫、瀬織津姫、木花咲耶姫、姫大神は皆、同一神だった(参考)。

乙巳の変(645年)で蘇我氏(海人族安曇氏)から北九州あたりを取り上げた関係で、沖ノ島祭祀を宗像氏に譲り、その代わりに伊勢神宮の経済基盤を海人族安曇氏に委ねたと考えられる。このような政治からみの遣り取りの中で各種神々を作ったが、元は同一神だった。


⑤ 伊勢神宮は海人族安曇氏が作る塩の専売公社だった(参考)


⑥ 伊勢神宮あたりは、大和地方の魚介類や塩の為に立地するが、呉系弥生人の土地にあとから乗り込んで孤軍奮闘していた(参考)。


⑦ 卑弥呼は初代の女帝であった(参考)


⑧ 伊勢神宮の式年遷宮が20年周期の理由(参考)