伊勢神宮は何故、20年周期で式年遷宮をするのか? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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珍説かも知れないが!20年周期の式年遷宮の理由の新説を考えた!

伊勢神宮の機能は本来、日本列島の海人族の神である天照大神を天皇家が祀ることである。すなわち、海人族の魚介類や塩と国民の米穀他の生産物を神饌として天照大神に捧げた後、天皇以下、海人族を含めた全国民が頂くことである。

しかし、いつも海人族と陸の国民は対等な立場では無い。日本国が夷狄に侵入された時は、全国民より先に海人族が進んで最前線の海上で立ち向かうことが期待される。

この為には常に海人族の造船技術、建築技術、運搬技術、兵員など海軍団としての体制を維持し続ける必要がある。その為、木造船や木造建築の耐用年数20年に合わせて、現在の価値で毎回500億円相当の人材、資材(御用林の木材)の確保をして式年遷宮を繰り返し続けたのであろう!

式年遷宮の初回の時期が690年と、白村江の戦いの敗戦(663年)の経験の直後であることから納得させられる。それにしても1300年以上、継続しているとは大したものである。


参考

①-1 木造船の寿命1(参考)

今までの木造船が長持ちしなかったのは 、水と栄養豊富な木が直接ふれ合い、木にバクテリアが繁殖して腐ってしまうと言う現象からです。その証拠に今までの木造船はデッキの水漏れ箇所から腐ります。船体の方は海水に浸かっているので少々水漏れしても塩水には木を腐らせるバクテリアはわかないのです。

出来の良い船で20年、だめな船では10年が今までの木造船の寿命ですが、私は30年はしっかりと造船時の強度を保つ船を造るつもりです。


①-2 木造船の寿命2(参考)

福竜丸は140・86トン、全長28・56メートル、幅5・9メートル。敗戦直後の1947年、和歌山県の古座町(現串本町)で建造された木造船である。木造船の寿命は15年から20年とされているが、福竜丸は建造から今年でちょうど60年。敗戦直後に造られた木造船としては現存する唯一の船とされる。


② 式年遷宮の理由(ヤフー知恵袋より)

現在のところ明確な理由は解明されていませんが、以下の5つが考えられています。しかし、全て後代の学者等の推測に過ぎない、といわれている。

①唯一神明造りの茅葺、白木造りの掘っ立て柱の耐久限度。
②技術者、工芸師等の技術継承が世代間で20年が妥当である。
③「朔旦冬至」つまり旧暦で20年に一度、冬至日が一致する。
④社会、経験的観点で時代的転換期が訪れている事実に基いている説。
⑤養老律令に糒(ほしい:蒸した後の乾燥米)の貯蔵年を20年とする倉庫令による説。


③ 神社の建て替えに船大工の特殊技術が要る(ヤフー知恵袋より)

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宇治橋造替で橋板等の特殊施工技術は宮大工ではなく、地元の船大工が行う。


④ 天照大神を祀る伊勢神宮のある伊勢志摩は海人族安曇氏の根拠地であった。

すなわち、海人族安曇氏が獲得した魚介類や塩に頼って生きる近畿の天皇家が、海人族安曇氏のシンボルである天照大神を祀っていると理解できる(参考)。


⑤ 式年遷宮の際に解体される旧殿に使用された用材は、神宮内やその摂社・末社をはじめ、全国の神社の造営等に再利用される。例えば、内宮正殿の棟持柱については宇治橋神宮側鳥居となり、さらに関の東の追分の鳥居となる習わしである。また、外宮正殿の棟持柱は宇治橋おはらい町側鳥居となり、さらに桑名の七里の渡しの鳥居となる習わしである(wikiより)。


⑥ 内宮用材は川曳を行う(wikiより)。


⑦ 御木曳行事は、神宮の旧神領地に住む「神領民」が伝統的に奉仕してきた行事で、現在は全国から参加した「一日神領民」も加わっています。

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⑧ 日本列島を守る本州最西端の東門鎮護住吉八幡宮(参考)、西門鎮守八幡宮(参考)