奈良盆地は弥生時代から縄文人(D2)と海人族安曇氏(C1)によって開発された条里制地割の水田があった(参考)。
ここに当初、中国大陸から逃れて来た越系弥生人(銅鐸文化人、O2a、饒速日の子孫)を入植させたが、後から再度、中国大陸から逃れて来た斉系弥生人(D2、ニニギの子孫)を入植させた。この時、越系弥生人と斉系弥生人の摩擦が唐子・鍵遺跡に残るように、神武東征(倭国大乱か!)での闘争となった(参考)。
その結果、戦闘に勝利して奈良盆地に入植した神武天皇は現地の地主(すなわち磯城県主、十市県主、春日県主)の娘を妻にした。実は、在地の地主とは早くから日本列島に上陸して水田を開発していた海人族安曇氏(C1)であり彼らの神が事代主命(安曇氏の神)であった。
すなわち、古事記や日本書紀の記述に間違いや矛盾は無かった。