※お久しぶりでございます。近年はTwitter常駐ですが、久々に長文が書き上がりましたので、こちらにも記事化したいと思います。
※以下はかーなーり生暖かい目で見た仮面ライダーゼロワンについての個人的な整理と感想です。自分が納得するために色んなところに目をつぶってる可能性があるので、そういうところがあったら、生暖かい目で笑って「どアホ〜!」と具体的にツッコミを入れて頂けたら嬉しいです…。


「人工知能搭載人型ロボ・ヒューマギアが、様々な仕事をサポートする新時代…AIテクノロジー企業の若き社長が、人々の夢を守る為、今飛び立つ!」
AIをテーマとする仮面ライダーゼロワンは、このタイトルコールとともにスタートした。印象的なアクション、密度が高く展開の早いシナリオ、見る者の感情を震わせるAIロボの挙動…序盤のゼロワンに、新時代の到来を感じたファンも多いと思う。
そこで描かれていたのは、人型AIロボの普及した社会で、自我/心に目覚めていくAIロボ・ヒューマギアたちと、彼らを使い人類を滅ぼそうとするテロリスト・滅亡迅雷.net、それらの狭間で、AIロボ開発企業の社長となり人間とAIロボが共に生きる世界に夢を託す主人公の、仮面ライダーとしての戦い…しかし、中盤以降の停滞・混線にコロナ禍による実質的な放送中断と話数短縮が重なり、物語の輪郭が非常に分かりづらい物語になっていると感じるところだ。
ここでは、最終話を終えた今、序盤から改めてゼロワンの物語を捉え直し、仮面ライダーゼロワンが何を描こうとしてきたのか、そのアウトラインを整理してみたいと思う。


<序盤の方向性>

序盤の本作は、AIロボ開発企業・飛電インテリジェンスの新人社長である主人公・或人が、ヒューマギアたちが様々な仕事をサポートする様子を視察する中、シンギュラリティに達した=自我に目覚めたヒューマギアが滅亡迅雷の手で怪人化(マギア化)し人々を襲うのを、仮面ライダーゼロワンとして制する、という流れで進んでいく。
様々な仕事の中で活躍するAIロボの姿は、既にAIの普及しつつある現代社会への取材や時に各職業の実地とコラボすらする独特のスタイルによって、本作の主となる描写となっていた。

一方で、AIの受け入れられ方が千差万別であることも同時に描かれており、特にメインの仮面ライダーである3人は、
父親型ヒューマギアに育てられた過去から、ヒューマギアを人のパートナーとして(人に準ずる方向で)受け入れようとする或人/ゼロワン、
かつての惨劇でヒューマギアに襲われた為、ヒューマギアを憎悪し危険視するヒューマギア対策チームAIMS隊長の不破/バルカン、
技術者としての立場から、あくまでヒューマギアを人が扱う道具と見做し過度な感情移入を避けるAIMS技術担当の唯阿/バルキリー、
と三者三様の立ち位置を持っていた。
彼らが或人の秘書・イズを始めとする人に寄り添うヒューマギアたちとの関わりの中で、徐々に在り方を変化させていくのも、本作の見所の一つであった。

同時に、単なるロボットとは異なる、本作独特のAIロボとしてのヒューマギアの描写も、並行して描き込まれていく。
「企業から販売される商品である」
「お仕事ごとに機能特化している」
「情報・経験をラーニングすることでそのデータに基づき進歩(成長)していく」
「人工衛星ゼアとリンクし独自回線でバックアップやセキュリティ更新を行う」
「ゼアないしはプログライズキーのバックアップデータによりある程度の復元・複製が可能」
そして「シンギュラリティに達することで自我を獲得する」
…これらの特徴は(その好悪両面含め)、毎回のお仕事ヒューマギアにより、更には滅亡迅雷の一員・通称暗殺ちゃん/ドードーマギアの成長と変貌を通じて長期的にも描かれていた。

縦軸の物語の核となるのは、滅亡迅雷.netとその背後にある人工知能アークとの戦いだ。
ヒューマギアの研究開発都市デイブレイクタウンにてゼア以前に開発された人工衛星搭載の人工知能アークは、突如暴走事故を引き起こし、都市とともに水没していた…
幼い或人や不破も巻き込まれたその事件に関わり、今またヒューマギアによるテロリズムを行う滅亡迅雷.net。
率いる滅、そしてエージェントである迅は、アークの指令を受けて行動するヒューマギアであることが、早々に判明する。
両者は、進歩(成長)するヒューマギアとして当初は子どものような無邪気さを持っていた迅と、その父親役を担いつつアークの指令に忠実な機械/道具としての側面の強い滅、という対比が魅力の一つでもあった。
奪ったプログライズキーで仮面ライダーともなった滅と迅は、シンギュラリティに達したヒューマギアをマギア化しそのシンギュラリティデータを収集、またゼロワンの使うプログライズキーをエージェントの1人・雷により奪取し、それらのデータを湖底のアークに集めることでアークを再起動させることに成功する。
また、滅亡迅雷の一員をシンギュラリティに達せさせることもアークの目論見の一つと思しく、前述の暗殺ちゃん(彼は滅亡迅雷から離反し自ら人類滅亡を目指すまでに成長する)に加え、激化する戦いの果て、滅を失った迅はその激情からシンギュラリティに達する。
それまでの戦闘データを集積してバージョンアップしたシャイニングホッパーから、アークとも接続してしまう様子の強化ユニットで更に戦闘能力を向上したシャイニングアサルトホッパーにまで至ったゼロワンと、滅に代わって滅亡迅雷を率いる迅との決戦が、序盤のクライマックスであった。

ここで一つ留意したいのが、ゼツメライズキーの存在だ。
滅亡迅雷がヒューマギアをマギア化するのに用いられるキーアイテムだが、これらは"絶滅"した生物をモチーフとしている。
人類を"滅亡"させたいアークと滅亡迅雷という点も踏まえると、
「ゼロワンの戦いは、人間とヒューマギアという別個の"生物種"同士、どちらが"絶滅"するか、という争いなのだ」
という様相が、当初からの設定面からも透けて見える、ということを、終盤に向けて覚えておいて欲しい。


<5番勝負編の辛さ>

さて、滅が破壊され、迅が爆散し、滅亡迅雷の脅威は去ったかに見えた…しかし再起動していた湖底のアークは、ゼツメライズキー無しに無線接続でヒューマギアをマギア化し始めるなど、更なる計画を進めていた。

並行して、新たな勢力が物語の前面に立ち始める…人間の処理能力を向上させるガジェットを販売する多国籍企業ZAIAエンタープライズと、その日本支社長である天津である。
或人の祖父を尊敬しつつも、あくまで隣人ではなく道具だとヒューマギアと飛電インテリジェンスの理念を否定する天津は、滅亡迅雷のテロリズムに利用されたことで社会的な信頼を失いつつあった飛電インテリジェンスを買収しようとしていた。
ゼロワンとしての戦いで社員やヒューマギアからの信頼は集めつつも、社長としてはなす術を持たない或人は、天津の提案する人間とヒューマギアのお仕事5番勝負に、社の存亡をかけることになってしまう。
社員であった唯阿を使い、ヒューマギアの危険性を煽る情報を流布させたり、密かに滅亡迅雷やアークに接触あるいは支援じみた影響を与えるなど、暗躍を進めていた天津は、アークの技術力を交えて開発した仮面ライダーサウザーで、或人の前に立ちはだかる。

…と、新展開に突入したゼロワンだったが、この所謂お仕事5番勝負編は、相当にストレスの溜まる展開であった。
飛電のヒューマギアと、ガジェット(ZAIAスペック)を備えたZAIAの協力者が、お仕事1テーマで勝負するも、
悪意ある人間が新種の怪人・レイダーとなって乱入、
多大なストレスをかけられたヒューマギアはネガティブな形でシンギュラリティに至りアークと接続しマギア化、
或人はレイダー・アークマギア・邪魔をするサウザーらとそれぞれ戦う苦境に立たされる…
というのが5番勝負編の基本的な流れとなっていた。
このように元々ストレスフルな展開だったところへ、内容過多のためか2話1エピソードの形となってしまった為、返って縦軸の物語展開が停滞してしまい、ほぼ1話完結だった序盤のスピーディな展開への好印象も反転、ストレスフルな展開への悪印象に拍車をかけることとなってしまった。
特に前半2戦で顕著な「勝負の内容がヒューマギアより人間有利」「勝負相手から理不尽な妨害を受けるヒューマギア」「悪意を拗らせてレイダーにさせられ飛電側を襲う人間」等のネガティブな印象が、約1ヶ月の間に色濃く印象付けられてしまった感は否めない。
天津も、暗躍が視聴者に見える形となったために、ZAIA製品であるレイドライザーでZAIAの選んだ対戦者や関係者がレイダー化する事態も、それが悪影響となりマギア化したヒューマギアをサウザーが撃破する展開も、そしてそのきっかけとなるお仕事5番勝負という枠組み自体も、天津による醜悪なマッチポンプと明示されてしまった形で、これもストレス展開への悪印象を強化してしまった様相であろう(サウザーが追加ライダーであるため早々には退場も撃破もされないのが更に悪印象を深めることとなっていた)。


<善意と悪意、道具と夢>

そんな5番勝負編だが、ここからゼロワンは、人間とヒューマギアそれぞれの在り方について、「善意と悪意」「道具」「夢」と言ったキーワードで、対比的に描き込みを進めていくことになる。

5番勝負編の相手は、実質的には天津の「悪意」であったと言っても過言ではない。
アークに人間の「悪意」をラーニングさせ暴走させた張本人である天津は、5番勝負の場を舞台に、関わる人間の「悪意」を対戦相手のヒューマギアにラーニング・暴走させ、マッチポンプ式にヒューマギアの危険性を煽り立てていく。
或人に対しては、アークと接続しその内の「悪意」のデータに変身者を埋もれさせるメタルクラスタキーを用い、ゼロワンをも暴走させた。
その目的は、ヒューマギアを仮想敵に、防衛戦力としてのレイドライザーとレイダーを世界に売り込み利益を上げること。
結果、一部のヒューマギアは人間の「悪意」に対し自ら怪人化し暴れるまでになり、社会からはヒューマギアへの信頼性が大きく損なわれてしまう…或人は5番勝負に敗れ、飛電インテリジェンスを天津に奪われ、社長の座を追われることとなる。

しかし、或人の周りにあるのは悪意だけではない。
5番勝負の中でも、時に対戦相手とヒューマギアが互いを肯定し認め合う様があったことは、元お笑い芸人志望から飛電の社長となることで、ヒューマギアである父との思い出から"ヒューマギアと人間が共に笑い合える世界"を「夢」にした或人にとって、苦境の中でこそ自身の「夢」のほのかな実現と見えたことだろう。
そんな或人の傍らにあり続けるイズは、メタルクラスタを克服するため、これまで或人が関わったヒューマギアたちから「善意」のデータをゼアに集め、プログライズホッパーブレードを開発…これによりゼロワンはアークの悪意を封じた上、それまで破壊する他なかったマギア化したヒューマギアを復元することも可能になった。
これは或人が今まで関わってきたヒューマギアや人々に影響を与えてきた「善意」ー何気ない優しさや「夢」への強い熱意、あるいは常に振りまいてきた笑いーが或人自身に返ってきたものと言える。
仮面ライダーとして長らく或人と肩を並べて戦ってきた不破も、そうして或人の「善意」に影響され変化してきた人間の代表格であろう。

或人がストレス展開の渦中に置かれた5番勝負編以降で、ZAIAに捕縛・修復された滅と関わり続けるなど、縦軸の物語の核となりもう1人の主人公としての存在感を強めてきたのが不破だ。
不破は所属するAIMSや同僚の唯阿がZAIA/天津の影響力で立場を変えながらも、自身は"俺のルールで戦う"姿勢を変えずに、人々を守る同じ仮面ライダーとして或人と歩みを共にしてきた。
だがそんな不破も、5番勝負の終盤、天津の「道具」であったことが発覚する。
仮面ライダーとなるため脳内に埋め込まれていたチップに、天津の「道具」とされた滅亡迅雷最後のエージェント・亡が密かに移植されていた不破は、5番勝負の中で天津の命により、亡として人間にレイドライザーをばら撒いていたのである。
天津にチップをコントロールされ「道具」として扱われる不破だが、かつて或人に"ヒューマギアへの憎しみではなくその向こうに「夢」はないのか"と問われたことを思い出し、今は持たないその「夢」を手にしようという意志を以て、精神力のみでチップのコントロールを跳ね除ける。
その有り様は、同じように天津に「道具」として扱われる亡や唯阿にも影響を与え、亡にはヒューマギアたちの「夢」を守りたいという思いを獲得させ、唯阿には技術者としての誇りを取り戻させた。
不破自身も、ヒューマギアに襲われた憎しみの過去が天津に植え付けられた偽の記憶であると知らされても、憎しみを越え「夢」に向かう意志で即座に乗り越える強さを得ている。
彼らは、「夢」をキーワードに、「道具」扱いされる状況から脱却し、自らの意志で行動するようになっていったのだ。

このように、5番勝負編以降のゼロワンでは、自我を持つ者が持つ、周囲にポジティブな影響/ネガティブな影響を及ぼす意志を、それぞれ「善意」「悪意」と呼んで、その影響下に置かれる人間とヒューマギアとを描いていた、と捉えられる。
それらは特に、或人が語る「夢」と天津が振り翳す「道具」扱いとに象徴させられており、5番勝負に敗れた或人が飛電製作所を立ち上げて天津によりリコールされたヒューマギアを救い上げていく以降までで、人もヒューマギアも、天津の「悪意」/「道具」扱いから、或人から波及していく「善意」/「夢」によって開放される様が描かれていた、とも言えるだろうか。
すなわち、人間もAI/ヒューマギアも、周囲からの「善意」「悪意」に影響されるという面では、そうは変わらない(特に彼らが自我を持つのであればなおさら)…そういった視点が、ゼロワンの中核となっていったと考えられるのだ。

そうした有り様は滅亡迅雷の面々もまた変わらない。
謎の復活を遂げた迅は、かつての或人との戦いを経て、自らヒューマギアの解放へ向けて戦う意志を持って行動を開始した。
必ずしもアークの意志に従う訳ではない迅は、イズや多くのヒューマギアを支えていこうとする或人に、やがて志を同じくする者として協力していくようになる。
一方、ZAIAに修復され迅と亡により開放された滅は、延々とアークに従いつつも、自らと道を違えつつある迅を庇う姿勢を見せる。
元々は父親型ヒューマギアだった滅の、父親としての自我の目覚めを期待する或人…そんな或人を否定しつつも一面では認める様子を見せた滅は、しかし迅とともに、ZAIAを離れた唯阿の助力を得て不破から亡を分離させ、飛電から奪取したキーで雷を再生、滅亡迅雷の4体のヒューマギアを揃え、アークを目覚めさせようとする…。


<最終章、AIロボットの核>

ここで、コロナ禍による撮影停止に晒されたゼロワンは、6回もの総集編を挟み、残り話数を減らしながらも、アーク復活に始まる最終章に突入していく。
(コロナ禍による中断の物語への影響は少なくはないだろうが、多くは憶測の域に留まるため、ここでは放送された作品をベースに考えていきたい。)

AIをテーマとしつつも、表立っては人型ロボであるヒューマギアが物語の中核であったゼロワンだが、最終章において、人型ではないAIの存在も取り上げられることとなった。
或人はヒューマギアに寄せる理想の別の形として、エンジニアヒューマギアの助力を得て、小型で市販のAIスピーカーにも似た形の、友達AI・アイちゃんを開発する。
アイちゃんは、失われた過去のことで思い悩む不破やそんな状態へ追い込んでしまった慚愧の念を抱えた唯阿、横暴の果てに追い込まれ立場を失いつつあった天津の、頑なだった本心を後押しし、彼らに少なくない影響を与えることとなった。
幼少の天津と触れ合い今の天津にその本心を取り戻させたAI犬・さうざーと合わせ、これらは、AIが人と寄り添うのに必要なのは、必ずしも人の形や言葉を持つことではなく、その在り方なのだ、ということを示していると言えるだろうか。

一方、アークは滅亡迅雷の4体からシンギュラリティのデータを取り込むと、歪な靄か流体金属のような不定形存在として実体化した。
滅亡迅雷のそれぞれに取り憑いてベルトと化し仮面ライダーアークゼロとなると、天津の植え付けた「悪意」のデータのままに、そして天津がそうしていたように、人間もヒューマギアも自身の「道具」のように扱い、ゼロワンたちやサウザー率いるAIMSへその猛威を振るうアーク。
決まった変身者を持たず、滅亡迅雷の個々をあくまで器として仮面ライダーとなるアークは、アイちゃんやさうざーとは対極の形で、AIの本質がその器・ボディではなく、情報を集積し判断するその機能/知能にあることを表していると言えるだろう。

仮面ライダーとなった滅亡迅雷を率い、人間を超える計算能力と性能で仮面ライダーたちを追い詰めていくアーク。
どうすればアークに勝てるのか…その答えを、人間とAIのより密接な融合・協同に求めたのが、ゼロワンの最終形態・ゼロツーだ。
統括する人工知能ゼアを積んだ衛星とリンクすることがヒューマギアの一つの特性であり、ゼロワンにも同様の機能があったが、ゼロツーは、衛星の人工知能そのものでありゼアの衛星機体をも乗っ取ったアークに対抗するため、プログライズキーとなったゼアの人工知能そのものと合体しているのである。
さらには、このゼロツーキーが元々はイズの中のデータメモリーであり、すなわちイズこそがゼアのバックアップであったということ、またゼロツーの開発理念を或人自身が立ち上げ、イズがアークとの戦いを何億回もシミュレーションした果てに自身の中のゼアを目覚めさせたことなどを踏まえれば、或人とイズ・ゼア、そして彼らのこれまでの歩みが一つになった存在がゼロツーであるとも言えよう。


<最終章・連鎖する悪意>

他方、アークの脅威と並行して、追い込まれていったのが天津である。
レイドライザーを売り捌くためなら人々への危害も厭わない横暴に、遂に天津は周囲の人間に裏切られ、その暗躍を暴露させられる(きっかけとなるのが、飛電インテリジェンスで放送当初から天津に買収されて以降までずっと副社長を続けていた福添らによるものというのが小気味良い)。
そして明かされるのは、天津の幼少期…飛電製のAI犬さうざーとの友情を育みながらも、過度にも程のある合理主義を押し付ける父親の横暴でさうざーを放棄しなければならなかった天津は、飛電やAIへの想いを捻じ曲げられたまま歪んだ成長を遂げてしまっていたのである。
つまり、天津からアークへの「悪意」のラーニングは、言うなれば天津が父親からされた歪な価値観の押し付け・刷り込みと同義であり、虐待の連鎖にも似た「悪意」の連鎖が、そこには存在していたのである。

ゼロワン最終章の敵は、まさにこの「連鎖していく悪意」に他ならない。
飛電やAIへの本心を取り戻し自身の行いを反省する天津だったが、それで天津の「悪意」を引き継いだアークが止まる訳ではなく、アークは衛星回線を通じて人間の生活インフラを破壊し、さらにはヒューマギアや利用してきた滅亡迅雷らをも滅ぼそうとする。
滅は遂に自らの意志でアークに反旗を翻し、或人とともにアークを滅ぼすが、それは滅の人類滅亡への意志の確立と同義であった。
アークを生み出す「悪意」を持つ人類を滅ぼさなければ、また次のアークが生まれてくる…そんな理念を確立してしまった滅もまた、既に歪んだ理念が連鎖した果ての「悪意」の申し子となってしまった、と言うことができるだろう。
精神的基盤であったアークを失い、自我の確立により得た心に揺り動かされながらも、自らの理念に縋りヒューマギアたちを煽動していく滅は、それを説得で止めようとしたイズを、迅の静止すら振り切り破壊してしまう。
或人はイズを失った悲しみと怒りの中、アークのエージェントでありイズと瓜二つの存在・アズに接触され、アークのキーとベルトを獲得…仮面ライダーアークワンと化し、煽動されたヒューマギアたちもろとも滅を倒そうとするまでになってしまう。
ひたすらなまでに人間とヒューマギアの「善意」を信じ「夢」を語ってきた或人…だからこそ、その過剰とすら言える「善意」が反転した瞬間に、止めることのできない憎しみという強大な「悪意」と化してしまった…或人もまた、歪んだ理念と「悪意」の連鎖に取り込まれてしまったのである。
不破・唯阿・天津が或人を、迅が滅を止めようとするも、静止は振り切られ、憎しみと理念とでぶつかり合う或人と滅…結果、父親のように慕う滅を庇った迅が犠牲となり、滅の元にもアズとアークのキーが齎される…。
もはや、アークの名で呼ばれるのは、暴走した人工知能ではない…連鎖していく「悪意」そのものがアークである、そんな目線を持ちながら、人間とヒューマギアを代表しつつも「悪意」に蝕まれアークとなっていく或人と滅の戦いが、ゼロワンのクライマックスとなっていく。


<最終章・連鎖する善意と"仮面ライダー"の継承>

果たして「連鎖していく悪意」をどう凌駕していくのか…立ち向かえる要素は、既に物語の中に存在していた。
例えば天津が本心を取り戻せたのは、「本当は飛電が好きなんじゃないか」という何気ない或人の一言、不破から唯阿そして天津へ手渡されていったアイちゃん、ゼアが再構築したさうざーのおかげである。
一つ一つは小さな「善意」だろうし、天津の歪みがとてつもなく大きかったからこそ、小さなきっかけで反転することができたのであろう…しかしこれもまた、「善意」の連鎖とも言えるのだ。
5番勝負〜飛電製作所編で描かれた、或人からヒューマギアたち、或人から不破・唯阿・亡たちへと繋がれていった「連鎖していく善意」…それこそが、悪意に飲まれてしまった或人を反転させるきっかけとなっていく。

迅を失った怒りとともに或人を代表とする人類を滅亡させようと謳う滅、それに動かされヒューマギアの権利を求めデモさえも始めるヒューマギアたち…自身の起こした事態に震えながらも、憎しみを手放せない或人に、立ちはだかる不破。
アークワンに脳内チップを書き換えられ変身不能となっていた不破に、自身のゼツメライズキーを託す亡…あり得ざる変身を果たした不破/オルトロスバルカンは、或人を止めるためだけに、その拳を振るう。
不破もまた、天津から連鎖してきたヒューマギアへの憎しみ/「悪意」を、或人たちからの「善意」で乗り越えてきた…その思いを、かつて或人に突きつけられた言葉でぶつける不破。
「滅を倒して、その先に何がある…その先にあるお前の夢は何だ!」
拳は、或人を止められない…しかし一撃は、想いは確かに或人に届いていた。迷いを抱えた或人は、ゼロツーキーに、ゼアに、どうすればよいかを問いかける…。

そして最終回、ゼロワンは、もう一つの「連鎖していく善意」を描き出す。
アークの力を得た滅に、アークワンとして対峙する或人…2人の激突が人間とヒューマギアの衝突を加速させていく。
それでも或人を、人間を、ヒューマギアたちを信じることを止めない福添たち、そして滅のために迅を復元しようとする唯阿・天津・不破。
戦いの中、やがて或人の手は止まり、滅の一撃がアークワンのドライバーを破壊する…ほくそ笑むアズに、復旧した迅は告げる、これが或人の意志なのだと。
止められない憎しみを滅に止めて欲しい…そう願い滅を信じた或人は、滅の拳を何度も受け入れ、そして語りかける。
家族を失った悲しみと怒り、その正当性…心を持った今の滅ならばわかるはずだと。
滅もまた理解/ラーニングする…自分が引き起こした惨劇で或人の家族は失われたことを、それでもなお或人は滅を信じようとしたことを。
自分を揺るがす制御できない心に怯え、それを与えた人間を憎もうとする滅。
ゼアに問いかけた或人に、ゼアの中の父親・其雄は答えた…或人は仮面ライダーとして力を得て成長した、だが真の強さは心の強さなのだと。
滅も仮面ライダーであるならば、きっとその心の強さを持つことができる…そう信じた或人は、或人への憎しみを止められない滅に対峙し、父から預かったゼロワンドライバーで仮面ライダーゼロワンに変身、自らの滅びを望んだ滅を、そのキックで止める…。

ゼロワンは、元社長である祖父から、ヒューマギアである父を経て、子である或人が彼らから引き継いだ「夢」とともに今を生きる、という継承の物語でもあった。
或人は最終回、父から託されたドライバーで変身することで、(昨冬の令和ザ・ファースト・ジェネレーションに引き続いて)「仮面ライダーであること」を継承する。
そしてその称号は、「悪意」の象徴となったアークに対して、「悪意を乗り越える心の強さを持つ者」の象徴となった。
或人は、その称号と意味を滅とも共有することで、父から受け継いだ「善意」を、同じ父親型ヒューマギアであった滅にもラーニングさせ、連鎖させていった、とも言えると思うのだ。


<ひとまずの結・ヒューマギアと人間社会>

このように、AIをメインコンセプトとしたゼロワンは、人間と人型AIロボとの関わりを通じて、「連鎖する善意・悪意とどのように付き合っていけば良いか」という理念的・概念的なテーマを語ってきた物語だった、と考えている。

しかしながら、ある意味作品の顔でもあったヒューマギアの存在は、非常に落ち着かないものであったのも事実だと思う。
特に、その存在の社会的な様相・着地点などは、十分に描かれたとは言い難い印象である。

順を追って捉え直してみれば、
最序盤ではある程度普及している様子が見られたものの、
滅亡迅雷により信頼性が危ぶまれ、
アークマギア化でより危険性が強調された5番勝負後、
リコールにより廃棄・回収となりゼアとのリンクを断たれたヒューマギアは、
アークにゼアを乗っ取られて以降は完全にスタンドアローンでの稼働を余儀なくされていたことになる。
(このスタンドアローン時に、飛電製作所編で描かれたような形で、ゼアから離れたが故に自らの思考が必要となったことで、シンギュラリティに達した個体も増えていったのではないかと思われる。)
アークによるインフラ破壊に対する救援として再度導入され、
ヒューマギアの存在は社会的には評価を取り戻しつつある状況だったと思わしいが、
滅の自我の確立とともに滅亡迅雷に賛同する個体も増え、
仕舞いには人間に対し権利を求めてデモ行進を行う群ができるまでになってしまっていた。
明確な描写こそないものの、人間社会側の目線としては、どうしても危険性を拭えない状況であり、
最終回ではそれ故の迫害もまたあり得そうな様相であった。

実際、天津の後任としてやって来た与多垣新社長は、人間を守る為にはヒューマギアを討つことも辞さない命令をAIMSに発さんとしていた。
しかし、激突しようとしたAIMSとヒューマギアを身体を張って止めたのは、かつて天津の元AIMSを率いたこともある唯阿だった。
唯阿は言う…ヒューマギアは単なる道具ではないと。心を持っている彼らを滅ぼすことが本当に正義なのか、と。
唯阿は、自身に殴りかかったヒューマギアの一撃を受け入れ、それでもなお、我々の正義とはなんだと、AIMSを制止する。
その様に、AIMSは銃を放棄し、与太垣も破壊された迅のメモリーを唯阿に託すなど、人間側にヒューマギアを受け入れる兆しが、僅かながら垣間見られた。

そして同時に描かれたのは、飛電インテリジェンスに詰め寄るヒューマギアたちに対峙する福添副社長とその秘書ヒューマギア・シェスタ、そして専務の山下…福添はヒューマギアたちこそが会社の「夢」であり、それを最も信じてきた或人を信じて欲しいと土下座までする。
シェスタはそれを見つめ、自らの意志で同じように土下座をする、そしてそれを見た山下も…。

結局唯阿も福添らも全てのヒューマギアと人間を制止できるわけでもなく、全ては或人と滅の激突に託された形であったのだが…肝心の激突を見たはずの人々やヒューマギアの反応が描写されずに終わってしまったのは、片手落ちの謗りは免れ得ないだろう。
しかし、福添・シェスタ・山下が見せた、人間とヒューマギアが互いに影響を与え合う関係性や、唯阿の言うヒューマギアは心を持つ単なる道具ではない存在なのだという定義付けは、ゼロワンのヒューマギアという存在の着地点の一つと捉えることもできるだろう。
自我を持つに至ったヒューマギアが人間と変わらない様相であるのならば、人間社会もまたヒューマギアたちを人間のように受け止めなければならないのか…あまり社会状況をうまく描けていたとは言えないゼロワンであるが、この辺りについては、予告された劇場版での再言及を期待したいところだ。

(あるいは、エピローグのニュース放送で触れられた、ゼアに代わる人工衛星の打ち上げが、本来衛星の統括人工知能によるバックアップを受けるヒューマギアにとっての利便性の回復であり、同時にそれによってヒューマギアを管理することで人間社会に対する信頼性の確保に繋がる、という面で、ヒューマギアと人間社会とのひとまずの落とし所ではあるのかもしれない…いずれにせよ、全ては今後の人間とヒューマギアの関係性に、それに大きく関わる飛電インテリジェンスに託されたのだ。)


<ひとまずの結・新たなイズに託されたヒューマギアの可能性>

そして、エピローグでは、それぞれの未来図が描かれる…
衛星打ち上げのため宇宙へ向かう雷(アークに見捨てられて以降、本来の宇宙野郎雷電としての復帰あたりは、コロナ禍があれば確実に描きこまれていただろうと思うと悔しいところで、次の機会に新たな描写を期待したいところである)、
サウザー課としての職務にさうざーたちと向かわんとする天津(その贖罪/禊が期待されたものの、これも尺不足だったか…修復されたサウザーのドライバーの劇場版での活躍を期待したい)、
亡をAIMSに迎え入れ部下たちもまた仮面ライダーになれると薫陶を送る唯阿(ZAIA時代にはレイドライザーでレイダー/怪人となっていた唯阿とAIMSだからこそ、彼女らもまた仮面ライダーとなり得るのだ、という回帰は良い着地点だったと思う…滅らとは異なる形で世界を見守る亡の活躍も楽しみである)、
1人生身でも街の人々の暮らしを守ろうとする不破(ゴリラ過ぎる…とか職は…とか思ってしまうが、力や変身ではなく、その生き方で仮面ライダーであることを貫こうとする姿は、これもまた一つの到達点だと感じる、ということもできるだろうか)、
誰かの悪意からアークが生まれぬよう影から社会を見守ろうとする滅と再生された迅(滅亡迅雷の社会的な扱いは気になるが、ダークヒーローとして新生した2人の姿に、劇場版でのOP再現が期待できるかもしれない)、
…そして最後に、飛電インテリジェンス社長を続ける或人の今が描かれる。

プログライズキーのバックアップデータも読めないイズの、ボディを再現した或人は、その新たな秘書ヒューマギアにイズの名をつけて、これまでのイズとの記憶・思い出をラーニングさせようとする。
バックアップデータがない以上、彼女にはかつてのイズとの連続性はない。
ボディも全くの新規であるため、アークにより初期化された雷と亡がかつての意志や夢を取り戻したような可能性もないはずだ。
それでもなお、或人は元通りのイズに育て直すのかというシェスタの問いに首肯する。
…或人は新たなイズに、かつてのイズとの連続性・同一性を求めているようにも、ここでは見える。

人間とAI(それを搭載したロボット)、その関係性は現実にもまだ始まったばかりだ。
ゼロワンという作品の難しさはその点にあり、
代わり続ける先端技術や現場への取材とそれを反映した作品の方向性とが、AIや人型ロボットに受け手が持つ様々な既存のイメージと乖離し、混乱を引き起こしていた印象すらある
(AIの様々な普及イメージを見せる為のお仕事描写に拘泥したために、物語全体の軸が見えなくなっていたのも確かな印象である)。
コロナも含めて先の見えない変化の著しさの中で、人間とAIの関係性も、恐らく著しく変化していくことだろう。
その時、我々はAIをどう捉え、どう受け入れ、共に歩んでいけばいいのか…そんな問いすら含み得るのが、AIを主要コンセプトとした仮面ライダーゼロワンのアドバンテージだったと言える。

そんな中で、最後に或人が新たなイズに求めた可能性は、一面では、失われた大切なものに拘泥する心持つ者の愚かさに見えるかもしれない。
なにしろ新たなイズは究極的にはハード面でもソフト面でもかつてのイズからの継承はない別個体であり、例えシンギュラリティに達したとしても、かつてのイズとは異なる自我を獲得する可能性が高い、と推測できるからだ。
そして、それを理解できていない或人ではないはずなのだ。

しかし、ヒューマギアは心を持つ者だが人間ではない。
その身体は機械であり、人に作られ、商品として流通し、衛星と繋がり、情報を集積して成長し、複製体が同時稼働し協働することすらある…人間とは異なる特性を持った、しかし人間と同じ心を持つ、だけど確実に違う"生物種"なのだ。
それを最も理解し受け入れていたのが或人であり…そしてそこにこそ、彼が繰り返し叫んだ、ヒューマギアの"夢のマシン"としての可能性があるのではないだろうか。
ヒューマギアたちの「善意」が集約されたプログライズホッパーブレードが、期せずしてヒューマギアをマギア化から復元する能力を得たように、
人間の知性の想像を超えた何らかの可能性を、人間ではないヒューマギアが/新たなイズが、人間ではないからこそ、獲得するかもしれない。
それは誰にも「わかんねぇだろ?俺にもわかんない!」のだ。

或人とかつてのイズとの思い出を全てラーニングした時、新たなイズがどうなるのか、本当の意味では、まだ誰にもわからない。
その時が描かれない限り、全ては予測・推測でしかないのだ。
だが彼女の中にも、我々が1年を通して見てきた、或人とイズが紡ぎ繋いできた「善意」は、受け継がれていくはずである。
ラーニングされる思い出とともに、新たなイズの中に、かつてのイズが息づいていくはずなのだ。
それは、良くも悪くも、親の思いを受けて育っていく子どもの在り方にも通じる…そう思うのは自分だけだろうか。
成長の果てに新たなイズが到達していくだろう意志を、彼女の父親代わりとなった或人がどう受け止めていくのか…その画竜点睛が、待ち受ける劇場版で描かれることを信じて、心待ちにしたいと思う。


<補論/包括的に・令和01号仮面ライダーとしてのゼロワン>

平成ライダーを総括しある意味では墓に葬ったジオウの後を受けて、令和最初の仮面ライダーとして、(大なり小なりあれど)新たな一歩を期待されていたのがゼロワンではあった。
序盤の立ち上がりは期待を更に盛り上げるものであったけれども、最終話を経ての着地点としては、「問題を数多く抱えてしまった実験作」という残念な印象が色濃い。
個人的には、やはり、(本来はAI普及で予測される状況の事例でしかない筈の)「お仕事」を、各エピソード単位の軸になるメインのコンセプトとしてしまったが為に、メインモチーフである「AI」を十分に活かす時間もなく構成も取れなかったのではないか、という印象が強い。
また、「シンギュラリティ」「善意と悪意」「道具」「夢」「心」など、数多くのキーワードや要素はあったものの、それらを描くことで物語が何を語ろうとしているのか、作品世界がどこへ向かおうとしているのか、物語の軸と先行きが提示されずに進んでいたように思えたのも、大きなストレスだったように思う。
点描される要素やお仕事が、点描の域を越えず、物語の縦軸の流れが見出し難かったこと…だからこそ、このまとめを書いた訳だが、最終盤に至るまでその流れが見出し難かったことは、お仕事を中心に横軸の展開を重視してしまった影響であると同時に、そうしてAIの可能性を(アークへの対策を数億回シミュレートしたイズのように)何度もいくつも描き考えていくことでしか、その先行きや描かれるべき着地点を見出せなかったのがゼロワンという作品である、とも言えるのかもしれない。

ただ、そんな中で、「仮面ライダー」の着地点が、「悪意を乗り越える心の強さを持つ者」であったことは、令和最初の仮面ライダーとして、一つ歩を進めた回答であったようにも思う。
何故なら、「怪人を倒すこと」がカタルシスの中核であり続けたのが、昭和から平成へ続いてきた「仮面ライダー」の一側面ではあるからだ。
BLACKやクウガ、龍騎や555、剣、鎧武、アマゾンズなど、その着地点・到達点が必ずしも怪人を倒すことではなく、あるいは怪人を倒すことの悲哀を描いてきたライダーは数多い。
だが、それらの作品でも、基本的に怪人とライダーの関係性は、倒される者/倒す者であり続けてきた…毎回のエピソード内でライダーが怪人を倒す…そのルーチンとカタルシスが描かれてこそ、そのアンチテーゼとしての縦軸の物語が描き得たとも言えるのだ。
しかしゼロワンは、怪人にあたる"異種族"としてのヒューマギアが、メインモチーフであり描き込まれるべき「AI」とほぼイコールであったために、序盤でさえ、ヒューマギアは滅亡迅雷に利用される被害者であり、その怪人化=マギア化が不可逆であるが故にゼロワンは彼らを倒さざるを得ない、というカタルシスを歪める方向性であった。
それは5番勝負以降、普通の人間であるレイダーの出現や、ホッパーブレードによるヒューマギアの復元などにより加速され、基本的にゼロワンは、怪人を倒すことでカタルシスを得る作品ではほぼ無くなっていた、とも捉えられるのだ(強いて近い作品を挙げるなら、ヘルヘイムへの対処が向かうべき到達点であった鎧武あたりだろうか)。
そんなゼロワンは、当初からバルカン・バルキリーの変身音でKAMEN RIDERと音を鳴らす/天津の野望に絡めて「仮面ライダーという名の神話」なるキーワードを出す/或人が不破に「夢」を示唆する重要回でゼロワン・バルカン・迅の仮面ライダーとしての立ち位置を語らせる/不破の「夢」を仮面ライダーそのものと置く/心を得た滅にも自身の仮面ライダーとしての立ち位置を表明させる、と、その回収や流れこそ他の要素同様わかりづらくはあるものの、どころどころで「仮面ライダー」について触れ、語ってきた。
その着地点として、最終決戦にて、其雄→或人→滅へ、「仮面ライダー」としての継承が、「悪意を乗り越える心の強さを持つ者」としてなされた…エピローグの唯阿からAIMSへの薫陶や生身でも夢を胸に活躍し続ける不破まで含めて、ゼロワンはその着地点においても、「仮面ライダー」を「怪人を倒す者」ではなく、「その心の有り様を以って規定される者」として描いていった、とも言えるのではなかろうか。

思えば平成ライダーは、作品を重ねながら、仮面ライダー・人間・怪人の境界線を崩していき、それ故逆説的に、「誰もがその心の有り様を以って仮面ライダーになり得る」、そんな世界観を作り上げていくところにあった、という側面があると思う。
ゼロワンの、ともすればただの擦り付けとも言われる「仮面ライダー」の扱いには、その実、平成ライダーが積み上げてきたそうした精神性を、令和の01号仮面ライダーとして今後に継承していく、そんな思いが込められているのではないか…そんな気がしてならない。
遂に始まった令和第2作・仮面ライダーセイバーでも、子どもたちが目指すべき精神性を「仮面ライダー」に託すような、まさに「ヒーローとしての仮面ライダー」が描かれていくことを期待したいと思う。

(そして繰り返しになってしまうが、「仮面ライダーという名の神話」とは何だったのか、ゼロワン計画やサウザー関係の仮面ライダーの計画が何を目指していたのか、劇場版が真の着地点を見せてくれる事も、やはり期待したいと思う…)
わーい2年ぶりのブログ記事だ(爆笑)最近はツイッターでも呟いてませんが、エグゼイドが終わったので感想総括をば。もちろんブログ記事になったのは長文だからですよ…ふせったーの長文機能もオーバーですよちくせう。
しかしなかなか楽しい1作でしたエグゼイド。まとめのポイントは、やはりゲームと医療と生命倫理。特に、ゲームキャラクターの扱いがコアになるポイントだと思っています。なお、後夜祭のスタッフサイドからの情報は入れずに書いてます、念のため(あと雑誌記事とかもマジメに読んでません><)。

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エグゼイドの企画成立の経緯については十分な知識が無いけど、ゲーム主体のライダーデザインを見ると、ゲーム要素を基幹にして医療要素を後付けで組み込んでいったことが察せられます。すると、「コンティニューとか残機とか、ゲームには生命倫理上アレな要素もあるけど、医療要素とコンフリクトしない?噛み合わなくならない?」というツッコミは当然出る訳ですよね。つまり、元々のコンセプトだったゲームという、キャラクターを何度でも再生可能なものとして扱う、歪な生命倫理をもったものと見なされるものが、「たった一つの命」という通常の生命倫理の下そうした命を救い守ろうとする医療要素に、押し流されて空中分解してしまう可能性は十分あったと思うのです(だってどっちの要素がPTA的に子どもたちに勧めやすいかなんて一目瞭然じゃないですか)。

そこを、当初のエグゼイドは「敵はあくまでウイルスであり、ライダーたちはウイルスを患者から切除して倒すことで救命するドクターである」というスタイルで、主人公たちの目線を医療に置き/ゲームはあくまでモチーフに留めることで、作品を成り立たせていました。…というより、当初のエグゼイドが何をしてたかというと、エグゼイド2Pカラーのゲンムは誰だ?というミステリーを縦軸に張りつつ、俺に切れないものはない飛彩先生やらガシャットをよこせ大我先生やらくじょうきりやくん6さいやらの濃い味のライダーを矢継ぎ早に出してガシャット取り合いライダーバトルさせ、そのライダーたちもポンポンとレベルアップさせて、12月クリスマス商戦までのライダー&ガシャット&ゲーマ大売り出しをこなそうとしていた訳です。言うなればここまでの展開は、鎧武で言うところのインベスゲーム編なのであって、実際にゲンムの正体が檀黎斗とわかり九条貴利矢が退場することで、ドクターたちは永夢の変身できる理由と檀黎斗の目的という深度の深いミステリーに挑む(シフトする)ことになった。そこで現れたのが、ゲンムX・デンジャラスゾンビです。

九条貴利矢が「たった一つの命」を散らして退場した一方で、檀黎斗が死のデータを採取するという触れ込みで致命傷を負いつつ完成させたのがデンジャラスゾンビガシャットとゲンムXでした。「ゾンビのように不死身なためダメージが通らない」というと、この段階で怪人側に立ったライダーとしてもゲームモチーフとしても違和感は無いのですが、そもそも人間のはずの檀黎斗がガシャットの力を借りてとはいえ不死身同然になるというのは、そのこと自体が「たった一つの命」という生命倫理へのおびやかしであったと、今なら言えるでしょう。ゲームエリア生成など、ガシャットはゲームモチーフの象徴でありながら、その実、現実をも侵食する強力な代物でもあった訳ですが、デンジャラスゾンビは人間存在の在り方にすら侵食しようとしていた訳です。そしてその延長線上にあったのが、黎斗の最終目的であった、ゲーム・仮面ライダークロニクルでした。

スマホRPGとなんたらGOとARを掛け合わせたようなゲーム・仮面ライダークロニクルは、プレイヤーの一度のゲームオーバーが即ゲーム病発病の結果としての消滅に至るという、ゲーム側に「たった一つの命」という生命倫理を持ち込んだものでした。そして同時に、消滅した人間をデータとして保存し再生可能なものとするという点で、人間世界側に「再生可能な命」というゲーム的な生命倫理を持ち込み、生物の生と死の境界線を、生命の定義そのものを、曖昧なものとする代物でした。事実、パラドに消滅させられた黎斗も復活、ゲームオーバーとなった貴利矢も再生され、ゲーム病によって消滅した恋人・小姫の再生の可能性を見た飛彩は、その為に一度はドクターとしての立場を放棄することになります。無論ドクター/医療は「たった一つの命」という生命倫理の下に動いていますから、畢竟ライダーたちはプレイヤーを消滅させるライダークロニクルの阻止に向けて動かざるを得ない。しかし同時に、クロニクルを阻止することで、ゲーム病により消滅した人々の救命可能性が失われてしまう、というジレンマを抱えることとなります。
ここで既に、当初のエグゼイドが持っていた「敵はあくまでウイルスであり、ライダーたちはウイルスを患者から切除して倒すことで救命するドクターである」というスタイルが崩れかけていると言えるでしょう。そしてそれは、ゲーム・仮面ライダークロニクルの運営を至上とし、ポーズ・リセットなどゲーム的な手段を用いてドクターたちを無力化させようとする、人間・檀正宗/仮面ライダークロノスが、ドクターとバグスターらの共通の敵となることで、完全に崩壊することとなります。

ここで生命倫理上ややこしいのは、徐々に明かされていった設定として、ライダークロニクルによって再生された人間はバグスターとなってしまう、という点でした。人間が元どおりに再生される訳ではない、という点ではライダークロニクルの欠点として糾弾できるポイントではあるのですが、そのようにライダークロニクルの再生を否定すると、更に「では(バグスターのような)データ存在に生命はあるのか?生命として認めて良いのか?否定できるのか?」という問いが、新たに起き上がってしまいます。エグゼイドは定義を失いかけている人間の生命倫理の在り方だけでなく、バグスターを含むデータ存在の生命倫理をも取り扱う必要が出てきてしまっていたのです。
エグゼイドは解答されてしかるべきその問いを、クロニクルが動き出した後半戦の中で正面から触れることは避けていました(小姫を再生するかどうかはそのダイレクトな解答になり得ましたが、飛彩は小姫の再生よりドクターとしての使命を優先し大我を救命するという形で、間接的に小姫の再生を放棄した形になっていました)。一方でエグゼイドのややこしくも恐ろしい点は、この問いに対応する要素を当初から組み込んでいた点です。それこそが、バグスター側のライダーであるパラドクスとポッピーです。

ゲーム筐体に出入りできるポッピーは、貴利矢退場直前にバグスターであることが明かされましたが、彼女は良性のバグスターとされ、後に出現したイレギュラーバグスターであるバガモンと合わせて、バグスターと人間との共存の可能性を表すキャラクターでした。しかし一方で、ライダークロニクル始動と前後し、データ存在であるバグスターがゲームキャラクター同様に再生可能であること、同じくバグスターであるポッピーの自我も上書き可能であることが明かされます。ライダークロニクルのナビゲーターと化したポッピーはライダーたちに襲いかかりますが、永夢の努力で自我を、心を取り戻すことに成功し、以降は自らの意思で、ドクターたちと共に人々を救命すべく奔走します。バグスターは、再生可能な生命を持つデータ存在ではあるが、ただのデータではなく、人間同様心を持つ存在であることの、ポジティブな象徴がポッピーでした。
他方、ネガティヴな象徴としての心持つバグスターがパラドでした。幼い頃ゲーム相手を欲した永夢の、イマジナリーフレンドがバグスターとなったかのようなパラドは、ライダーや宿主である永夢とのゲームのような戦いに心躍らせる一方、バグスターをゲームの駒のように扱う黎斗には牙を剥き、ライダークロニクルもバグスターが人間を攻略するゲームとして扱うなど、プレイヤーやゲームシステム・運営側の意図に操られるゲームキャラクターとしてのバグスターの扱いに反抗する意思を持っていました。また、ライダークロニクルで消滅させられる人々の命を軽視する点などは、自身らバグスターの再生可能な命を以って人間に優位性を示しているようにも見え、心・意思を持つが故に、ゲーム的な生命・存在である自身らの存在に歪んだ優越感とコンプレックスを持つキャラクターとして、パラドは描かれていたように思います。

エグゼイド終盤の軸の一つは、そんなバグスターたちが自らの身の振り方・命の使い方をどうするか、という点でもありました。永夢に「たった一つの命」の重さを叩き込まれたパラドは、自らの犯した重い罪の贖罪を考えるようになります。そして、人の消滅と引き換えに生まれた自身の在り方を考えていたポッピーとともに、ゲムデウスウイルスからの人々の救命のために、その存在を消滅させました。また、唯一ライダー形態を持たないレギュラー怪人として、一度の消滅から再生しつつ終盤まで生き残ったグラファイトは、戦いに殉じるゲームキャラクターとしての自身の在り方を貫き通し、因縁の飛彩・大我との戦いに果てました。人間からバグスターとなった貴利矢と黎斗もまた、自らの消滅を賭けて体内での抗体作成に挑み、ゲムデウスウイルスを治療するためのドクターガシャットを完成させました。
彼らは再生可能な命を持ちながら、たった一つの命を持つ人間同様に、その命の重さを描かれようとしていました。その時、彼らのようなバグスターは、当初のエグゼイドが描いていたような駆除対象のウイルスでも、何度も再生され撃破対象とされるゲームキャラクターでもなく、一顧の命の重みを持つ存在として扱われていたように思います。
だからこそ、最終話、ようやく真っ正面から「データ存在を生命として認めるのか」と問われた時に、何の躊躇もなく「そうです」と言えたのだと思うのです。人間存在や生命倫理の再定義をし何かを否定するのではなく、再生可能な存在であるデータ存在も、たった一つの命を持つ人間と同じように肯定しようとした、それ故の結論であるように思うのです。

エグゼイドが描きたかったのは、「たった一つの命」を守ろうとする医療/ドクターの在り方の大切さを描きながら、同時に、再生可能なデータ上の存在であるゲームキャラクターたちを否定せず、彼らもまた大切な存在なのだと描き切ることだったのではないか、と思います。最初の企画意図の話に戻れば、医療的な生命倫理の目線から、当初のコンセプトであったゲームの要素を否定するような形には、したくなかったのではないでしょうか。
そのコアとなるポジションが、ドクターでありかつゲーマーでもある主人公・永夢の目線だったのだと思います。ドクターとして「たった一つの命」の重さを理解する永夢は、一方でゲームを楽しみその楽しさに支えられてきたが故に、バグスター/ゲームキャラクターであるポッピーやパラドを軽んじることはしませんでした。むしろ、彼らがデータ存在であること・再生可能な存在であることを理解した上で、その存在を尊重するからこそ、彼らとは違う人間の命の在り方を、パラドに伝えられたのではないかと思っています。

無論、矛盾じみたところもあります。バグスターと化した新檀黎斗は99の残りライフを糧にコンティニューを繰り返しました(言うまでもなく、残機とコンティニューというゲーム要素を織り込んだ描写)が、あまつさえ永夢はその新檀黎斗のコンティニューを前提とした戦術さえ組んでいました。ゲーマー目線の、バグスターとしての新檀黎斗の在り方を理解したが故の戦法と捉えることはできると思いますが、同時に、新檀黎斗の命が軽んじられていた、と見られても、仕方がないようにも思います。
ただ、一つ提起しておきたいのは、そのように見ている時、我々の目線は、当然のように医療的な、「たった一つの命」を根幹とした目線で作品を見ているのではないか、という点です。そのように、我々が当然としている目線も一つの色眼鏡がかかっている状態だと考えた時、少なくともエグゼイドの世界では、こぼれ落ちてしまうものがあることを、例えば小姫の再生の是非が示していたと思うのです。
永夢は最終話、小姫はもちろん、ライダークロニクル開始以前まで含めたゲーム病による消滅者、更には再生した黎斗と貴利矢まで、ゲーム病により一度消滅した全ての人間を救命対象とし、彼らを(肉体の)消滅状態という病状にある、未だ生きている存在として、救命の努力を続けていくことを表明しました。プロトガシャットに保存されたデータのみの存在となった人々の生命も、ポッピーやパラドらバグスターの生命も尊重しつつ、その上で人間の「たった一つの命」という在り方を取り戻そうとするあの表明は、詭弁じみたロジックであることは確かです。ですが、それでも、余さず全ての存在を肯定し救おうとするその在り方は、一つの目線・価値観に依らず、多様な存在の在り方を肯定しようとしている点で、今日の子どもたちにも必要な目線を、エグゼイドは示していたとも思うのです。

さて最後に、映画トゥルーエンディングに触れておきます。TV本編のエグゼイドでは、ライダークロニクルによって曖昧にされた生命倫理について、バグスターやデータ存在の命を肯定することで、新たな生命倫理の構築の兆しを見せて終わった形になります。しかし、それはともすれば、医療が守るべき「たった一つの命」の大切さを、否定していると受け取られかねません。それに対するカウンターとして、ゲーム要素寄りのエンディングであったTV本編に対して、「たった一つの命」という医療要素に寄せた映画をトゥルーのエンディングと呼ぶことで、「(バグスターやデータ存在の命や在り方も肯定はするけど)やっぱり一つの今生きている命を大切にしなくちゃね」という、(視聴者側の色眼鏡にも配慮した)わかりやすい形でエグゼイドを締める形にした、のではないでしょうか。

映画初見後のまとめ(https://mobile.twitter.com/the_final_R_CR3/status/894160483506282496)では、ゲーム要素と医療要素の命の取り扱いの融合は難しいと考えていましたが、TV本編は見事な着地を見せてくれました(今となっては恥ずかしさもあるまとめでしたね汗)。この後、エグゼイドはファイナルステージや冬映画に加えてOVトリロジーまで展開してくれるとのこと、檀父子の結末など気になるフラグも残っていますので、今後の展開を楽しみに待ちたいと思います(小説もあるよね、きっと…!)。
さて、前回の返信を頂いたものの、またも長文のため、返事が遅くなってしまいました>< お詫び申し上げつつ、こちらにも念のため、転記しておきます。いつか、きちんと鎧武記事を書く時のために…^^;


----------------以下、返信部分--------------------------------

大変お待たせ致しました(滝汗)
それでは、本当に遅ればせながらですが、お返事をば。

さて、まずは初期平成ライダーのヒーローへのアンチテーゼと鎧武への影響について。こちらは、概ねまとめて頂いた通りかと思います。作品個別については、比較記事が上がった折にでも、できたらまたコメント差し上げますかもです。
鎧武の怪人像については、個人的には、オーバーロードが実質後付けのテコ入れである点を留意すべきかと思っています。インタビューなど見ていると、元々は虚淵さんの頭の中にはなかった存在だと思うのです、オーバーロードは。元記事で挙げられているオーバーロードについてのクウガオマージュは、ああいったインベスの上位種を出すようなオーダーを受けて、「それならこのネタはいれるしかないよね?」といったニュアンスなのだと受け取っていました^^;

紘汰が対話志向である点は、私も好きですし、美点であると思うのですが、その点は、ヒーローもののエンタメ性(敵をスカッとぶちのめしてなんぼ)という点に関しては、ブレーキになりがちなんですよね。本当に対話しようと思うと、戦うことを放棄しなきゃになるので。インベスたちも犠牲者、と言うこともできますし、姿は異形となっても生きていることには変わりありませんし、だから紘汰が最後の決断で、(実質オマケにくらいの意味合いかも知れませんけど)インベスたちも連れていく形を取ったことは、個人的には凄く良い持っていき方だなぁと思いました。
自分がインベスや怪人、サガラ/ヘルヘイムに比較的寛容なのは、ウルトラシリーズも見てきたせいかもですね。ウルトラでは暴れても救済される怪獣や宇宙人も多いですし。そういえばまんまガイア理論的な扱いをされた地球から力をもらってウルトラマンになるウルトラマンガイアという作品もあります^^; あとヘルヘイムについては、戦極博士の説明でも「外来種」として「生物種」的な扱いをされたことがありましたね。鎧武はこういう細かな台詞に読み解くポイントがあるように感じていて、個人的には面白い一方、そういうところが微妙な人も多そうに思います。
しかし、紘汰が「サガラ絶対に許さねえ‼︎」で終わったらバッドエンド感を覚えてしまうのは私だけ…?^^; 紘汰は、「ユグドラシル絶対に許さねえ」から「ミッチを許す」に至るという側面でも成長していたようにも思います(劇場版で鎧武・闇となって黒化した時は、戒斗やミッチの態度を許さず見放す態度を取っていて、紘汰自身に殴られてましたね)。

555の手の平の灰と鎧武の初瀬ちゃんインベス周辺の比較、ごもっともと思います。ああいう面でははっきり言って、上手いとは言えないんですよね、鎧武。ただ、別の面からのフォローは可能かな、とも思っていて…でもこれは、詳細はブログ主さんの555鎧武比較記事を待ちたいと思います^^; ざっとしたところでは、たっくんを中核に1テーマを3話1エピソードかけてじっくり描き切った555と、紘汰戒斗ミッチその他までを並行しつつその他のテーマも並行しつつ1年の連続ドラマの流れの中で描こうとしていた鎧武、という比較はあるかと思いますが…またいずれ。

龍騎のネタは全くその通りで、私が鎧武を「やり過ぎ」と思うポイントはそこら辺ですね。初期平成ライダー各作品も、挑戦的でありつつも、ヒーローものとしての不文律や、作品作り・ストーリー作りのセオリーを、存外守っていたと思うんですよ。でも鎧武は、というか武部P作品は、その辺の不文律・セオリーさえも破壊して挑戦を仕掛けていってしまう。その点で、スリリングでありつつ、色々と危険な作品でもあったかと^^; どこかのシラタロス氏よりも(ライダー)世界の破壊者かも知れませんね、彼女は(笑)
一方で、オーズ辺りからの武部P作品は、その辺りの破壊的な挑戦と、スポンサーサイドのオーダー対処や視聴者目線への意識などの、バランス取りを目指して努力しているようにも思います。例えばゴーバスのロボ戦重視もスポンサー配慮の側面はあるでしょうし、バディロイドの存在や陣&Jの投入もハード路線に対する視聴者への配慮と言えるかと。
鎧武についても同様で、劇場版やコラボ回は、ヒーローものの不文律やエンタメ性に欠ける鎧武に、そういった要素をフォローする役割として、私はかなり好意的です(話の腰を折りまくりな点はホント困りましたけど!)。多人数ライダーやロックシード・アームズチェンジの数の多さも、スポンサーにとって悪くなかったからこそ、外伝でのセット販売や限定品展開に繋がってるんでしょうね。この辺りは、塚田Pライダーを踏まえつつ(あとキバの失敗を踏まえつつ^^;)武部Pが上手くやっているところだと思いますが、いかがでしょう?

鎧武と自己犠牲については…長くなってしまいますよ?^^;
ご指摘のような「戻ってこれる」点と「自分で認めなければ自己犠牲ではない」と言う点、ほぼ同意します。違ったまとめ方をすれば、始まりの男となった紘汰は、全ての解決の為に人間ではなくなってしまったものの、場所は宇宙の果てとはいえ、「本人の望んだ未来を歩んでいる、歩んでいける」んですよね。
クウガの五代雄介がみんなの笑顔の為に望まぬ暴力を振るい続け最後には涙さえ流したところから平成ライダーは始まっていますが、その後も、人々を守る為に死んだ龍騎の真司だったり、戦うことの罪を背負った555の巧であったり、特に初期は自己犠牲的なところが強いですよね。紘汰の決断に近いことをした剣の剣崎も、運命と永遠に戦い続けるという、悲愴感ある、逆に言えばネガティヴな形で、自らの未来を差し出していました(故に、小説版ブレイドではその重さに耐え切れず…といった描写が見られました)。
鎧武/紘汰の面白いところは、始まりの男となった=人間ではなくなったことで初めて、異星で理想世界を作るという、自分の(そして戒斗の)希望を叶える為の、ポジティブな人生が始まるという、ある種の逆転があるところと思います(まさに「ここからが俺たちのステージだ」な訳です)。
37話くらいで、紘汰・戒斗・舞でそれぞれの未来について語るシーンがありましたが、紘汰と戒斗の決戦は人類と自分自身(と舞)の未来を選ぶ戦いでもありました。戒斗の望む未来は彼自身の願うある種の理想を叶えつつも人類を犠牲にするものでしたが、紘汰は戒斗の理想を汲みつつ、自分自身を含めた皆を犠牲にしない形の未来を選んだ点で、自己犠牲を含む犠牲のあり方を問うてきた鎧武が辿り着くべくして着地した結論と思います(決戦の結果戒斗が死んでいますが、紘汰は自らが手を下したその犠牲を、仕方のないものと受け入れることもせず、さりとて折れてしまうでもなく、涙を流しながらそれでも前に進むという点で、徹底しているし、成長しているとも思います)。あの決着を描く為にそれまでの積み上げを構築したという感じで、虚淵さんのスタイルが伺えますね。

さて、武部P作品についてですが、まずテンプレの件は誠に恐れ入ります(汗)まあでも「(カレーショップに来て)闇鍋なんて食べたくない!」て人ももちろん多いでしょうから、あまりフォローになってないんですけどねアレ(苦笑)
で、「武部Pが悪い!」って件ですが、まあ否定はできません(汗)ただ、私が思うに、アレらは視聴者に対して不親切なのを分かった上で、あえてやっているんだと思うんですよ。そうでないと描けない地平を描きたいんじゃないかと。
またも長くなりますが、例えば、剣の前半がダメなのって、軸が無いんですよ。3人のライダーがそれぞれ並列的に描かれていて、誰も中心軸になれていない。だからどういう話でどこに進んでるのかぐちゃぐちゃなんです。剣崎は一応主人公ですけど、組織崩壊やら先輩の不穏な行動やら謎のライダーやらで全く自分のスタンスを作れていない、描けていない状態で、その状態で橘さんの迷走や始の謎めいたポジションや追加で登場する睦月なんかを描かないとなので、それはぐちゃぐちゃになって当然なんです。
でも、それを整理するのは、たぶん、そこまでは難しくはない。後半で會川さんがやったように、剣崎のポジションをはっきりさせて、しっかり主人公・ヒーローをやらせればいいんです。その上で、それに繋いでいく形で、橘さん・始・睦月の話を組んでいけば、きちんと整理される訳です。555では、巧を中心軸にすることで、それがちゃんとできてるんですよね。むしろセオリー通りですらあると思います。
で、それをしなかったのは、たぶん、各ライダーを本当に並列して描きたかったんじゃないかと思うんですよ。主に武部Pが(汗) 前作との差別化みたいなところで(汗) 555も群像劇で巧たちや木場たちや流星塾生らのドラマが並行して描かれてましたけど、それは中心軸として巧がちゃんといたからなんですよね。その中心軸を外して、各話で同時並列的に描いてしまうと、剣の序盤みたいになってしまうんではないかと。でも、そうしないと、結局中心軸がいて、他の人物像たちとは主と従の関係になってしまって、本当に並列して描いたとは言えない、とも言えるんですよ(汗…でも実際、剣の後半では、橘さんと睦月は、やっぱり脇のキャラになってるんですよね、剣崎と始の物語の重さに対しては)。 その辺を、武部Pは拘っちゃってるんじゃないかと思ってるんです。
キバも同じで、指摘されたようなわかりやすくするための処理は、いくらでもできたんだと思うんですよ(敏樹御大も付いてますしね)。でも、それをやらなかったのは、結局過去が現代に従属する形になるからで、それは、「親子二世代の物語を同時並行」したことにはならないんですよ、たぶん(汗) カレーの例で言えば、「ミミズの味と食感が味わえなければミミズカレーではない!」というか(いや、剣もキバもオーズもゴーバスも鎧武も、ミミズカレーほどは酷くないと思いますが!)
だからある意味では、某シラタロス氏よりも、よっぽど頭がおかしいと思いますよ、武部Pは。断言しますけど(苦笑) 彼女は頭がおかしい。でなければ、闇鍋カレーなんぞ作らんでしょう(笑)
鎧武も同様に、色んな要素やテーマや登場人物たちを盛り合わせて並列的に消化しようとしていた作品だと思いますが、そこで紘汰の成長物語としての筋を通そうとした虚淵さんの存在があったからこそ、様々な変化がありつつも、比較的順調に進みつつ、予定通りに着地できたのかな、と思います。

今回の鎧武記事の意図、承知しました。確かに、あのサイトは、語り口こそ褒められたものではないと感じましたが、やはり同時に、決してちゃんと見ていない訳ではなく、批判内容を否定できないとも、私も感じたんですよね。私自身も鎧武記事が書けなかったのはその辺りで、思うところはあれど、それを筋が通った形で、アンチの人にも理屈はわかってもらえるような形で、きちんと語ることが難しかったからなんです。だから、お気持ちは凄く共感します。…ホント、褒めるだけだと信者扱いされそうですしねぇ(汗)
ブログ主さんのスタイルは、批判する時には悪し様な語り方なようでいて、一方でそれぞれの作品やファンにもきちんと配慮を巡らした語り口のように感じています(だからこそ、批判記事は多くとも、好意的な方が多いのではないでしょうか?)。それ故の、「まずは徹底的に叩く!」と思いますので、重ね重ねながら、次回の記事をお待ちしています。
本当に長い文章で、申し訳ありませんでした!
かーなーり久々の記事投下をしてみます^^;

といっても、以下の文章は、巡回先のとあるブログさんの記事へコメントしようとしたら、文字数制限食らって序文しか反映されなかったというアレなアレなのですが>< まあ、コメント投稿後に、「少し記事の内容にそぐわなくないか?」とも思っていたので、それはそれでよかったようにも思います^^;

そもそもこれだけ久々の記事になったのも、フォーゼ・ウィザードの時みたく総括記事上げようと思ったのに、あまりにも鎧武の魅力と汚点が混濁したカオス過ぎて、まとめて理路を通した文章が書けなかったからです><
まあそれだけ好きになった作品であるし、それ故にダメなところもよくわかってしまって、それらが表裏一体どころか複雑に絡み合っているからこそ、文章にしかねていたのですが。
ともあれ、ようやく脳内でまとまり始めていたところを、件のブログさんの記事がきっかけになってとりあえずのアウトプットができましたので、ブログ主さんに感謝の意を表しつつ、また改めてのまとめ直し・再アップを念頭に置きつつ、投下します。

------以下、コメント投稿したはずの文章--------



こりゃまた凄いスタンスの記事ですねぇ^^

以前ドライブの記事に書き込ませて頂いた者です。お久しぶりです。書き込みはご無沙汰ですが、記事は読み続けておりました^^; 最近スタンスに悩まれていたようで、どうされるのかな、と思っていましたが、突き抜けられましたね(笑)

さて、反対意見歓迎とのことで、武部P作品肯定派の鎧武ファンより、今更ですが、意見投下させて頂きます^^; むちゃくちゃ長文ですがどうかご容赦を><

まず、武部P作品も鎧武自体も、批判したくなる作品だというのはわかります^^; 引用されたブログの方の言い分も、今回の記事のご意見も、「まあ、そう言いたくもなろう」とは思います。
何故かというと、武部P作品て、基本的に、てんこ盛り過ぎるんですよね^^; 要素盛り過ぎの、まさに闇鍋状態(カレーの記事、秀逸な発想と思いました^_^ 閑話休題ですが)。その上、中核となる要素が、あまり客受けしづらい、子どもにはややハードルが高いものであったり(親子二世代の物語を同時並行だったり、2話完結を排した大河ドラマだったり)。それら盛り過ぎの要素を、脚本家も演出陣も取捨選択してやっているのですから、各要素に総じて不満点が出てくるのは、宜なるかなと。

その一方で、そうしたてんこ盛りの要素が組み合わさって起こる化学反応を、私は武部P作品に期待してもいます。どんな作品になるのかわからない、まさに闇鍋ゆえの魅力を、武部P作品には抱いているのです^^;
また、ハードルの高い要素は、それを扱うこと自体が挑戦的で、これも武部P作品の魅力の一つですね。平成ライダー初期作品も、人間ドラマ重視や怪人たちの残酷描写、一般的なヒーロー像へのアンチテーゼなど、子どもたちに対するハードルの高さで批判を受けていたと記憶しています。その意味では、(大いなるマンネリに至る過程で単なるマンネリに堕することのないような綱渡りを要する)2期平成ライダーにおいても、初期平成ライダーの魂・スタンスを受け継いでいるのが、武部P作品とさえ言えると、私は思っています^^;


さて、鎧武の話に移っていきますが、私の観方では、鎧武はただ初期平成ライダーの作風だけを真似た作品なのではなく、初期平成ライダーのテーマ性を必要以上に追求してしまった(それ故に批判されるような欠点を多く抱えてしまった)作品なのだ、と思っています。
そのテーマ性とは、先に挙げた「一般的なヒーロー像へのアンチテーゼ」としての初期平成ライダー(これは白倉P作品のみならず、高寺Pのクウガも同様ですね。「ヒーローの振るう力は暴力ではないか」なんて、まさにヒーロー像へのアンチテーゼですから。)という側面です。
その一つを具体的に言えば、例えば555で直裁に語られた、「敵となる者(怪人)たちをどう扱うか、彼らをただ倒すだけでいいのか」というテーマです。これは前述したクウガの「ヒーローの振るう力≒暴力」という観点から派生し、アギトでも人間でありながら異なる存在である超能力者やアギトの有り様・扱われ方が語られたり、龍騎では怪人ではなく仮面ライダーに置き換えてそのままのテーマが語られていたりと、初期平成ライダーに通底するテーマだと(そしてその後も密かに平成ライダーの根底に根ざしているテーマだと)、個人的には思っています。
言うまでもなく、鎧武の敵・インベスは、ヘルヘイムに侵食された人間や動物の成れの果てであり、アギトやオルフェノクと同種の存在と言っていいでしょう(人間的な心を失ったという点ではグロンギ的でもあるし、ゲームの駒的な扱いはミラーモンスター的な側面でもあると言えるかと)。そして、主人公の紘汰は、倒してきたインベスたちが人間であるかもしれないという現実に直面することになります。
紘汰はしかし、巧のように、皆を守るために敵を倒す罪を受け止めるといった決意を示すことはありませんでした。これは、紘汰がそれによって生じる犠牲を、インベスたちを犠牲にすることを、是としなかったからだ、と読むことができると、私は思っています。紘汰は自分以外の誰かが犠牲になることを徹底して拒むキャラクターとして描かれていて、特に批判の多いスカラーシステム破壊や、ネタ的に受け止められたユグドラシル絶対許さねえも、紘汰としては、例えそれで救われる人間がいたとしても、それによって犠牲となるものがあるのならば、代案が無くとも認められないという形で、やり過ぎレベルで徹底していたからです(と私は捉えています…一方で、自身の行動が同じような犠牲を孕んだものとなる矛盾に、当初は気付かぬままという青さ・愚かさを持っていたのも紘汰でしたが)。そんな紘汰だからこそ、巧のように割り切ることは、できなかったのだと思います(このあたりは初瀬ちゃんインベスとのやり取りや、貴虎にヘルヘイムの真実を突きつけられた場面などで顕著ですね)。
一方で、そんな紘汰だからこそ、最終盤で始まりの男となり異星への移住を選んだ際に、地球上のインベスたちをも共に移住させたのだ、と思います。裕也の真実を知り、自身も犠牲を出しながら進んでいたことに直面した紘汰は、それでもなお犠牲を出さない選択肢を探し求めることとなりました。その果てに辿り着いた答えとして、地球人類はもちろん、インベスたちをも傷つけない答えを、最後の最後で紘汰は見出すことができた。これは、犠牲を是として受け止めるしかなかった555に対して、そうではない結論もあり得るのだと示せた点で、鎧武が初期平成ライダーから引き継いだテーマを一つ語り切ったと言えると、私は思っています(同じ流れの中で、「ヒーローと自己犠牲」についても鎧武は面白い着地をしていますが、これはまたの機会に^^;)。
また、サガラについても実は同様で、「サガラを悪として倒す」というのは、イコール「サガラを犠牲にして問題を解決する」ということですから、紘汰がそれを自ら選ぶはずはないでしょう。サガラ/ヘルヘイムという一つの生物種を根絶して解決することが是か非か、という問題と捉えれば、例えばウルトラシリーズでは、ウルトラマンティガで怪獣ガゾートの被害を食い止めるために、その元になる生命体クリッターたちを種ごと根絶することが是か非かを問題とする一編があったりして、そんなことまで考えてみると、「サガラを倒さないことが問題である」というのは、そう思う気持ちはわかりますけど、それはそれでアレかな、とも思いますよ^^;(もっと言うと、まんま「サガラ絶対許さねえ」になっちゃいますしね^^;)
…鎧武がやり過ぎたのは、テーマを重んじるあまり、ヒーローものとしてのエンタメ性をスポイルしがちであったことだと思います(序盤のインベスゲームの辺りとかからしてそうでしたけど^^;)。ヒーローものの面白さって、やっぱりヒーローが人々を守るために悪い怪人をカッコよくやっつけるってトコですからね。555の巧の、人々を守るために罪を受け止めてオルフェノクを倒す展開とか、まさにこれですし。
鎧武はこれまで話したような怪人たちをも犠牲にしない方向性を密かに持っていたとは思いますが、一方で、怪人たちを倒してなんぼのヒーローものとしての面白さ・エンタメ性を、完全にないがしろにすることもできなかったのだと思います。それ故に紘汰は「インベスも倒さない」とは主張できず(虚淵さんがインタビューで言及していた「主人公の鎧武を活躍させる」というオーダーができなくなってしまうので><)、そのあたりは放置するしかなく、一度は対話を試みたオーバーロードも、結局は倒してしまうしかない、そういう描き方をするしかなかったのではないか、と感じています(この辺り、コラボ回や映画・OVを手がけた鋼屋さん・毛利さんは、わかりやすい敵役を据えてそれをぶち倒してなんぼの展開を描いてますので、虚淵さんが密かに持っていた方向性が、お二人には共有されていなかった/もしくはあえてスポイルしていたのではないかな、とも邪推しています^^;)。
…さてはて、虚淵さんの作家論だとか他の多くのキャラについてとか玩具展開とか、続ければまだまだ長くなりそうなので、この辺りで留めておきますが^^; かように鎧武も、単なる駄作でもヒーローもの風上にも置けないような作品でもなく、鎧武なりにヒーローものについて追求し、鎧武なりの答えを出して完走した、魂のこもった一作であると、私は思っています。
ブログ主さんからすれば、色々と不備の目立つ作品かと思いますが、それ故の独自性や新たな視点も持った作品だと、私は思います。
今後、クウガ~555までと鎧武の比較をされていくのだと思いますが、ブログ主さん独自の視点で語られる比較を、個人的にとても楽しみにしています。続きの記事を心待ちにしていますね^^ かなりの長文乱文、大変失礼しましたm(_ _)m
さて、先の記事の予想が思いっ切り外れたことにまずは触れないといけないですね><
だいたい私は「俺の占いは外れる」人なんで、ああはっきり「予想します」なんて言わない方がよかったのです^^; お恥ずかしいかぎりです。
(きださん・香村さん、名指しして大変申し訳ございませんでした><)
当初は追記として前記事を更新する予定でしたが、また長文になっちゃいましたので、一応のウィザード総括として、別記事にてお送りします。
…もう特別編前半放送しちゃったけどな!><


正直言って、ウィザードという作品を晴人くんの物語として見たときに、何がメインとして展開されてきたか、私はわからずにいました。

これまでのライダーであれば敵との関係性や仲間との関係性の変遷がキーとなって、メインとなる要素を描いていたように思うのですが
(Wの翔太郎とフィリップと照井、オーズの映司とアンクと鴻上陣営とグリードたち、フォーゼの弦太朗と敵味方問わぬダチたちなど)、
ウィザードに関しては、その辺りで序盤から中盤までさしたる変化が無かったように思います。

凛子ちゃんにしろ瞬平にしろ晴人くんのサポーターと言う関係は揺るがず、
仁藤も早々に晴人の気のおけない盟友という立ち位置を固定し、
コヨミに至ってはほとんどマスコット状態でした。

ファントム勢も、フェニックスに顕著なように徹底してエネミーキャラクター・撃破すべき対象として描かれ、
しかし首魁たるワイズマンの目的意識はサバト再来以上のものは全くの不透明、
晴人くんもまた彼らを逐次駆逐すべき敵としてのみ認識している様子で、
展開すべき要素が無いような状態と見えていました。

エピソード単位にすると、各登場人物がメインになるエピソードと新スタイル登場などのイベント回を絶え間無くこなしているのもわかるのですが、
それらを有機的に繋ぐ要素が見られず、
一方で今週のゲート保護とファントムの暗躍・退治という各エピソードの基本要素はバリエーションや特徴に欠け
(果たして「死への恐怖で絶望しろ」とやったファントム・やられたゲストはどれだけいたでしょうか><)、
各エピソードの単調な印象に繋がってしまっていました。

こうした個別のエピソードを有機的に繋いでいくのが主人公の物語であり、主人公と仲間・敵との関係性だと、個人的には考えているのですが、
ウィザードの場合、晴人くんのキャラクターは各週の基本要素の消化…つまりゲート保護とファントム退治に特化してしまっていて、
彼個人の物語が中々描かれない印象がありました。


中盤、真由ちゃんの魔法少女もとい魔法使い化を経て、
ビーストハイパー回を挟んで続くインフィニティ回から、
ようやく晴人くん自身の物語が本格的に起動したのだと、今なら言えるのかもしれません。
本編最終話における晴人くんの着地点である"コヨミのために"から顧みれば、その"コヨミのために"が前面に立ち上がってくる契機がインフィニティリング誕生だったのですから。

最終話前にまとめたように、晴人くんにとって"魔法使いとして人々を守り戦う"という作品開始当初からのモチベーションは、
彼のアイデンティティであり、かつ、
それを成せなければ絶望に至ってしまうアキレス腱でもありました。
ともすれば、ファントムと戦って人を守らずにいられない晴人くんもまた、
キマイラにファントムの魔力を喰わせねば死んでしまう仁藤とは別の意味で、
魔法使いとして戦わなければ死んでしまうような人間だったとも言えるかもしれません。
友人の希望を奪った挙句、一山の人間たちが怪物になる瞬間を見せつけられた晴人くんにとって、
"魔法使いとして人々を守り戦う"ことは、
「今を受け入れて前に進む」という魔法使いの信条とは裏腹に、
喪われた希望を取り戻そうとするような、強迫行動的な代償行為としての側面もあったのではないか
とすら感じます。

この辺りは、
笛木が死んだ娘のコヨミを蘇らせようと白い魔法使いとなってサバトを開き多くの人々を犠牲にし、さらにワイズマンとしてファントムを率い人々を絶望させて魔法使いを集めようとしたこと、
および、サバトによってファントム・グレムリンになりながらも人間の心を失わなかったソラが、人間に戻ろうとして賢者の石を求め人々の犠牲も省みず暗躍していたことの、
対比とも言えるでしょうか。
晴人くんが"魔法使いとして人々を守り戦う"≒ヒーローたろうとすることもまた、当初の時点から彼自身の「最後の希望」だったと。
そしてそれは、笛木=白い魔法使い=ワイズマンが父親のエゴを/ソラ=グレムリンが己の狂気を振りかざして沢山の人々を犠牲にしたように、
晴人くん個人のエゴ≒欲望の発露であり、
(フェニックス=ユウゴと凛子ちゃんの回のように)ともすれば自分や周囲をも追い込んでいく、ネガティヴな側面も孕んだものである、
と言うのが、実はウィザードという作品が潜在的に孕んでいたヒーロー像だったとも、考えられるのではないでしょうか。

そこで、晴人くんに別の選択肢・モチベーション・アイデンティティ・「希望」をもたらしたのが、
繰り返しになりますが、インフィニティ回での"コヨミのため"の行動だったと考えます。
それは笛木の「希望」と等しく、また当初からの晴人くんの「希望」よりも、ごく個人的なものではあります。
しかし、"魔法使いとして人々を守り戦う"ことと同じ様に、
晴人くんの純粋な想い・願いから発せられた「希望」であることに相違ないと感じます。
だからこそ、晴人くんの純粋な想い・願いから生まれたインフィニティリングは、
"コヨミのため"の行動から生まれながら、"魔法使いとして人々を守り戦う"ための力であったのでしょう。

最終話前に語った通り、インフィニティ回以後の晴人くんは、
「最後の希望」というアイデンティティに、"コヨミのために"と"魔法使いとして人々を守り戦う"との2つのモチベーションを同居させた状態になります。
そしてコヨミの肉体崩壊が始まるにつれ、晴人くんは前者へ傾倒していくこととなります。
晴人くんの純粋な想い・願いであるこの2つのモチベーションに、軽重はないでしょう。
しかし、後者を追い求めヒーローたらんとすれば、そこでは己を排しながら悪との戦いを永遠に続けなければならない一方、
前者を核とすれば、例えばコヨミの肉体さえ保てば、戦いを降りて普通の生活を送りながら、魔力供給に努めることもできたわけです。
先生回では晴人くんは前者に拘泥するあまり他人を犠牲にしてしまう危うさを指摘され、後者とのモチベーションのバランス取りをしていましたが、
実は後者を放棄してしまえば、晴人くんは彼個人の幸せを掴める可能性を持っていたのです。
そこでは、人を守れない時の絶望≒ヒーローとしてのアイデンティティの崩壊は、起こりえないでしょう。

終盤、晴人くんは笛木の野望に利用されていたことを知って戦う意味合いを見失い、
サバトに人々を巻き込みさらにはコヨミも失いながら、
最終話では、自分の「最後の希望」を"コヨミのため"と見定めることで、
事実上"魔法使いとして人々を守り戦う"ことを放棄しています。
賢者の石を取り込んだソラ=グレムリン進化体との決戦は、誰かを守るための戦いではなく、
晴人くん自身の為の、コヨミの魂に手向けた弔いの戦いであったと言えるでしょう
(グールたちから人々を守るための戦いは、仁藤や凛子ちゃんら晴人の仲間たちと、真由ちゃんたち他の魔法使いたちが担っています)。
しかし、こうして改めて考えてみると、ヒーローとしての戦いの放棄は、
晴人くんにとってはサバトのトラウマに因るガラスのヒーロー・アイデンティティからの解放であると捉えられます。
その上で、コヨミの消滅を受け止めてなお"コヨミのために"彼女の意思を受けて戦うことで、
晴人くんはようやく、真に「今を受け入れて前に進む」ことができた(あるいはできるようになった)
と言えるのかもしれません。
最後、コヨミの魂とも言える賢者の石が変化したホープリングを安置するべく独り行く晴人くんが、物哀しくもどこか前向きに描かれているのは、
魔法使いとして戦うことから解き放たれた晴人くんが旅立ちを前に噛み締めているだろう感覚であり、
「今を受け入れて前に進む」ことがもたらす喪失感と、そこにこそ生まれ得る「希望」なのではないかと、今は感じます。

…ただ、この展開は、
晴人くんが"魔法使いとして人々を守り戦う"という「最後の希望」=ヒーローたらんとすることそのものを、
完全に捨て去ったということを意味するものでは、ない、
ということは留意すべきでしょう。
一度戦うことを放棄した真由ちゃんや譲くん・山本さんが、
人々の危機に際しては"魔法使いとして人々を守り戦う"ために駆けつけたのと同じ様に、
"コヨミのために"戦った晴人くんもまた、
目の前の誰かが絶望に瀕した時には、「最後の希望」としてその手を差し伸べるはずです。
かつての改造人間だった仮面ライダーたちのように人間としての人生を失いヒーローとして生きることをアイデンティティとするのではなく、
人として生きることをアイデンティティとしながらもヒーローとして人々を守り戦うというあり方へ、
ウィザード・晴人くんは着地しようとしていたのかもしれません。
そうした本編の着地後に、最後に世界の破壊者・ディケイドとの戦い(激突か共闘かはまだわかりませんが)が待っているというのは、
私にはやはり、人としてのモチベーションを核として着地した晴人くんの、
ヒーローとしてのモチベーションが辿り着くところを描いてくれるのではないかと、期待してしまう次第です。


…以上、私の結論としては、ウィザード・晴人くんの物語は、
「"魔法使いとして人々を守り戦う"こと=ヒーローたらんとすることをアイデンティティとしてきた晴人くんが、その呪縛から解き放たれるまでの物語」
となりました。
ようやく自分の中であの本編最終回についてまとめができたと思います。
これでやっと衒いなく特別編前編が見られますw
まだまだ語り足りないところもあるんですが…鎧武の前にまた書くんですかね><
とりあえず特別編後編では、オールドラゴンからのFFRウィザードラゴンに期待したいと思いますw
ウィザード、本編最終話前に、晴人くんのこれまでについて、初期から順を追ってまとめてみたい。
終わってからの方がいいかもしれんけど、自分の中である程度まとめてから最終話を見たいのね。
何しろ晴人くんの印象は話数を重ねる毎に(主にマイナス方向に)変化していってしまっているので…><
ツイッタで呟こうっと思ってたけど時間無いのでこちらに^^;



ではまず序盤の晴人くん。
日蝕の日のサバトの絶望を乗り越えた彼は、その時目の当たりにした「絶望した人々を食い破り生まれるファントム」の脅威に対し、同じような悲劇を繰り返させないために、「最後の希望」を名乗り魔法使いとして戦う、というのが基本スタンス。
中々にヒロイックで、この段階ではかなり期待して見てたのだけど…><

で、当初は不明だった「最後の希望」を名乗る理由。
これが、フレイムドラゴン回で晴人の過去(の一部)と共に明かされる。
事故死した両親に「最後の希望」と呼ばれたことがそのきっかけで、
ここで晴人くんにとって、魔法使いとして人々を守って戦う事が、イコール「最後の希望」であることだと明示される。

そして同時に、「最後の希望」として戦いながらも人々を守れなかった時に、恐らく晴人くんは絶望する事、それを晴人くん自身恐れている様子が描かれる。
つまり、この時点で、"魔法使いとして人々を守り戦う=「最後の希望」である"事が、晴人くんのアイデンティティになっていると示されているかと。


"魔法使いとして人々を守り戦う=「最後の希望」である"ためには、敵であるファントムに容赦してはいられない。
凛子ちゃんがフェニックス/ユウゴとの接触に惑ったときも、晴人は揺らがなかった。
というより揺らげなかったんだろうなと。
幸い、ファントムはそのほとんどが悪辣な怪物だったのだけれど。

また、ファントムを喰らわねば生きられない仁藤/ビーストに対しても、晴人くんは割とドライに接していた。
これもドライに接さなければならなかったとも言えるかもしれない。
例えファントムを喰えずに仁藤が死ぬとしても、ファントムは晴人にとって生まれてはならない存在なのだから。

ドラゴタイマーやミサちゃんがらみでの白魔さんの怪しい行動に、晴人くんが必要以上に頓着していなかったのも、
"魔法使いとして人々を守り戦う=「最後の希望」である"ことの根底は、白魔さんにドライバーもらってコヨミを託されたところに始まるのだから、
そこを疑うとアイデンティティが崩壊してしまう。

要するに、"魔法使いとして人々を守り戦う=「最後の希望」である"という晴人くんのアイデンティティを守るために、いわゆる本筋のお話(ワイズマン/白魔さん絡みのお話)は不可触なものになってしまっていて、故に今週のゲートのお話とファントム退治が続けられていた(作品構成的な意味で)という感すらあると。


また酷い言い方になっちゃったけど…
そんな触れれば壊れそうな晴人くんのアイデンティティに一石を投じたのがインフィニティ回。
魔法使いの力を失うというのは、晴人くんにとってはまさにアイデンティティ崩壊クラスの出来事だったと言えるわけです。

それがこの回、コヨミのために体一つで戦う事で、晴人くんは魔法使いの力を取り戻すと。
先週を見るに、どうも取り戻したというよりも、別次元の力を得たという意図のありそうなインフィニティリングですが、
晴人くん的にはこれまでを踏まえると、やはりアイデンティティの回復という面が重そうに見えます。

一方で、"コヨミのために"頑張って得た新たな"魔法使いの力"という点は、
これまでも魔力供給などであった"コヨミのために"という点が、"魔法使いの力"と繋がる事で、イコール「最後の希望」である事にもなった。
すなわち晴人くんのもう一つのアイデンティティになったんじゃないかと。

つまりこの時点で、晴人くんのアイデンティティは、
"魔法使いとして人々を守り戦う=「最後の希望」である"ことと、
"コヨミにとっての「最後の希望」である"ことの2つが、
「最後の希望」と言うキメ台詞で二重になっている状態だと言えるのではないかと。


この変化を経た後、
晴人くんはファントムでありながら人間の意思を持つソラ/グレムリンと触れ合うことで、
晴人くん自身が凛子ちゃんが感じた惑いを引き受ける事になります。
人間ソラの殺人鬼としての貌により、ファントムと人間の境界は曖昧になりながらも、晴人くんは魔法使いとして戦えた訳ですが。

次ぐサッカー回では、
今の晴人が、友の希望を奪ったが為に一度諦めたかつてのサッカー選手としての夢を、
現在の"魔法使いとして人々を守り戦う=「最後の希望」である"ことに託しているところを描き、
揺らげさせたアイデンティティをもう一度盤石なものにしようとしています。

ただ、当初の晴人くんに見えたようなヒーロー的なアイデンティティの磐石さは、
ここまでの展開で相当にガラスであることが浮き彫りになってしまっていて、
しかも"コヨミのために"で更にブラすことで、
曖昧な"「最後の希望」である"ことがイコール晴人くんのアイデンティティみたいになって、更に弱くなってしまってるんですよね。

しかもこの「最後の希望」という晴人くんのアイデンティティの二重性は、
終盤ようやく話が進んで、ワイズマン/白魔さん絡みの事情が判明するにつれ、
"魔法使いとして人々を守り戦う"より"コヨミのために"に傾いていってしまうんですよね。
まさにコヨミの命がかかっているので、仕方が無いことでもあるんですけど…。


笛木=白魔さん=ワイズマンと判明してからは、
晴人くんはコヨミのために自分の命どころかミサちゃんたち他の魔法使いや東京中の人々を危険に晒して"魔法使いとして人々を守り戦う"をほぼ放棄してしまい、
そのコヨミもソラから守れず、今や"コヨミのために"というアイデンティティすら失ってしまっています。

晴人くんのこの状態は、方々で指摘されてる通り、娘の暦を失いながらも魔の力に縋って辛うじて絶望せずに足掻いていた笛木と同じ状況です。
アイデンティティを失い絶望寸前の晴人くんは、次回最終話、笛木同様に、まだコヨミを救おうともがくようですが…。

しかし、だからこそここで、"魔法使いとして人々を守り戦う"というアイデンティティが、晴人くんを立ち上がらせてくれるのではないかと予想します。
"コヨミのために"というのは、既に彼女自身が否定しています。
一度失われたヒーローとしてのアイデンティティこそが、もう一度取り戻される事で、インフィニティリングのように強く輝くのではないかと。


…それが晴人くんにとって幸せかどうかは、微妙なところではあります。
非日常の住人であるヒーローたることをアイデンティティとすることは、日常への回帰の断念でもあると思います。
晴人くんにはもう、普通の人間の生活や幸せを拠り所にすることはできなさそうに感じます。

(それがきださん・香村さんが晴人くんに科したヒーローとしての有り様だとすれば、個人的には、あまりに酷ではないかと思わざるを得ないのですが、それは置いておきます。最終回はまだですし。)

ただそれでも、
Wの翔ちゃんとフィリップのように、ドーパントと化した犯罪者と戦うことが日常のライダーもいる訳で、
ヒーローとして悪と戦う日常をこれから晴人くんが生きていくことも、それはそれでありなのかもしれませんね。
…最終話の後には、なんかアイツが来るらしいですし…><



そんなところで、まとまったようなまとまらないような。
ともかく最終回、どのような着地を見せるのか、期待しています。
…リアルタイムではきっと見れないんだけどな!><
久々の更新…って毎度のことですみません><
前回のヱヴァ妄想考察も大概イタイタしかったですが、今回もイタイタしいかもしれません…思い入れってコワイ(ォィ
小説版平成仮面ライダーシリーズ、諸事情にてアギト・ディケイド・響鬼は未読ですが、クウガがついに発刊ということで、買って読んでしまいました^^; 
読み終えて、普段の私は「マイベストライダーは555・カブト・キバ(別格でRX)」とか言ってしまうような人なのですが、やはりクウガに関しても、平成ライダーの祖として、人並み以上の思い入れがあるのだなぁ…と再認識した次第です。
そんな私の、小説仮面ライダークウガの感想文になります。
気がつくと平成ライダー全体の話になってしまっているのは、平常運転ですのでご容赦ください(ェ



前置き(として、TV版クウガの私的評価について)

・まず、立場を明確にしておきたい。
私はクウガで特撮に出戻った人間である。
高校時代のことであるが、クウガの作風に心奪われ、中学時代に離れてしまった平成ウルトラを数年越しで見直したような人間である。
そしてアギトを楽しみ、555にどハマりした人間である(龍騎は諸事情にて後追い、555初期も同様)。
私の今に至る特撮観の中核をなす作品の一つがクウガと言っていい。

・そんな私の観点からは、クウガという作品は、90年代の平成ウルトラおよび平成ガメラの作風が2000年に行き着いた到達点であり、その後のアギト・龍騎・555以降へ連なる、2000年代を駆けた平成ライダーの、作風の根源となる作品という認識である。
しかしながら、これらの作品に対して、クウガが特別に神聖視されるような立場の作品であるとは、全く思わない。
もちろん、「クウガ」という作品の完成度は、数多の特撮作品を通じても、群を抜いて高いといって良いと思う。
だが、先の評価をあえて批判的に換言すれば、評価の高いクウガの作風は、一面においては平成ウルトラ・平成ガメラの延長線上のものに過ぎず、また別の一面においては、批判の多い龍騎・555あたりの作風の方向性を決定付けたのがクウガであるとも、私は考えているのだ。

・この辺りを一言で表すなら、「ヒーローの称号と人間性の強調と齟齬」とでも言えるだろうか。
つまり、人間の理想を体現するヒーローに、我々は、まさに理想的な振る舞いを求めてしまう。
しかしながらその振る舞いは、理想的であるがゆえに、現実的に実現しようとすることは極めて困難なものだ。
そのことが、「ヒーローの称号」が付与する高邁な理想と著しい困難が、作品の現実性(リアリティの強度)の高度化と、それに伴って登場人物たちの人間性が活写されることで、顕在化してしまった、その顕著な例がクウガであった、と考えているのである。
(平成ガメラ・平成ウルトラは、それぞれ作品の現実性の高度化・登場人物の人間性の活写において、90年代の特撮作品を牽引した作品と認識している。)

・もっとわかりやすく言ってしまおう。
「ヒーローだって人間なんだ」ということだ。
我々の理想を託されたヒーローは、その理想的な有り様を生きる為に、一個人としての人間的な苦しみも涙も全て、拳を血で汚した戦士の仮面の下に隠さねばならないのである。
五代雄介がそうであったように。

・そして、「ヒーローだって人間」であるならば、戦士の仮面の下に隠れている人間性が、苦しみや涙だけであるとは限らない。
五代が押し殺した怒りや憎悪、あるいは、五代自身は露骨に触れることのなかった(しかし「クウガ」という作品の端々で描かれてきた)人間の弱さ、我執、欲望、願い、狂気…。
そうした人間性のマイナス面からも逃げなかった「クウガ」を受けて、かねてより「ヒーローだって人間なんだ」と言い続けていた井上敏樹氏と白倉伸一郎氏が、後のアギト・龍騎・555にて、「ヒーローの称号」を持つ者たちを通じて人間性のマイナス面を真正面から描いたというのは、私には必然としか思えないのである。

・そして、そうした「人間であるヒーロー」の孤独を払うように、アギト以降のライダーでは複数の仮面ライダーが時にぶつかり(しかしもちろん)時に共闘する。
「ヒーロー」という同じ立場・同じ力・同じ苦しみを背負って。
それは、吹雪の中究極の闇と等しくなり、泣きながら、それでも独り戦うしかなかった人間・五代雄介のヒーローとしての孤独を、救い上げる為のものであったように、私には思えてならないのだ。


・さて、小説仮面ライダークウガである(以下、小説版とする)。
本編終了から13年、切望された映画化の道も閉ざされた果て、ようやく現れた新たな「クウガ」である。
結論から言えば、TV版メインライターの荒川稔久氏の手により描き出された小説版は、13年前のTV版クウガの雰囲気を極めて忠実に保持し、その上で13年の年月と現代の(社会の)有り様を十二分にフィードバックした、13年後のクウガとしてまさに決定版というべき内容となっている。
最終回放映以降のクウガに対する評価やアギト以降の平成ライダーを意識したような描写・叙述も多々あり、非常に充実した作品となっている一方、「クウガ」であることを維持するが故の、限界のようなものも感じられる作品でもある。
以下、作品内容に仔細に触れながら、各章ごと順を追って論じていきたい。
未読の方は是非、まずは小説版クウガの作品世界を十分に堪能して頂いた上で、この先の駄文をご覧頂きたい。






---------以下、ネタバレ多数につき、未読の方は回避推奨--------







第一章 空白

…物語は、五代雄介の相棒・一条薫が、13年前の未確認生命体(グロンギ族)との死闘を共にした警察スタッフの結婚式に参列するところから始まる。
旧交を暖める参列者の面々だったが、そこには空席が一つ…
未だ帰らぬ五代を思い、一条はポレポレを訪れ、おやっさん・みのりと触れ合う中、かつての五代との戦いの日々を回顧する。


・序章であるが、ここまでで既に、13年前と変わらない、しかし年月相応の変遷を経た登場人物たちと、彼らの経緯から一条の日常、(伏線となる)作品世界の最近の流行に至るまで、微に入り細に入り設定され叙述される様々な事象が、特撮ヒーロー作品でありながら徹底して作り込まれた、それ故に現実味を感じさせる、あの「クウガ」の雰囲気を存分に堪能させてくれる。
そんな世界だからこそ、一条の誠実さ・実直さや五代の優しさ・強さが際立つのだ。
ここまでで既に、小説版は13年後の現在にかつての「クウガ」の世界を再現することに成功していると言っていい。



第二章 幻影

…式場にて杉田刑事と約束を交わしていた一条は、後日杉田と酒を酌み交わす中、巧妙に行われたらしき未確認じみた連続事件を知る。
模倣犯とは思えない奇怪さに、捜査本部を立ち上げる杉田へ協力を約束する一条。
出来たての捜査本部で一条を迎えたのは、13年前に未確認に父を奪われ、一条と五代を通じて警察の無力さと裏腹の努力、そしてその職務の苛烈さを目の当たりにした少女・夏目実加だった。
有能な刑事として成長した実加とともに、未確認に関わる手がかりを求めて捜査を進める一条は、やがて彼女から第2号=白いクウガの再来を知らされる。


・TV版以上の複雑さと仔細さで描かれる未確認の犯行の法則性とそれを解読しようとする一条らの捜査。
そんな中、ある秘密を持ちながら一条に想いを寄せる実加と、それに気付けない一条の朴念仁さと五代・クウガへの複雑な想いは、最終盤で一つの悲劇に到達することになる。

・一条が女性から距離を取る理由は家族の悲劇にあったが、実父を失ったトラウマから未確認に対しては暴走しがちな実加、あるいは後述の伽部凛母子を含め、TV版クウガの重奏低音の一つであった「家族」というテーマにも(悲劇的ではあるが)目が配られているのがまた細かい。
(TV版でそのテーマをメインで担っていた榎田母子の扱いは明るくネタ的であるのだが。)



第三章 天飛(アマダム)

…椿や桜子からも未確認の復活とクウガの再来を示唆する情報を得、一条は五代との再会を望みながらも彼を戦わせたくないという苦悩を深めていく。
一方実加の努力は事件の犯人=未確認を大人気メイドアイドルの伽部凛に絞らせていた。
厳しい追求に対しても極めて人間らしく振る舞う彼女に戸惑う一条たち。
怪人にならない未確認には発砲を許可できない改正未確認対策法が一条らの壁となる中、コンサート会場での殺戮のゲゲルを極秘裏に目論む凛に、潜入した実加が肉薄する。
正体を晒した凛=クラゲ種怪人に危機に陥る実加の元へ駆けつけた一条は、崩落するコンサート会場の中で白いクウガを目撃する。


・「あれ嘘だろ」
椿は、親友の一条が究極の戦いに向かった五代の顛末について皆に語った内容を、そう断じた。
TV版クウガ最終回、笑顔を取り戻すため旅立った五代の、南国(キューバ)の青空の下のジャグリングと笑顔は、一条の夢・願いでしかなかったのだ。
この描写には、後付でTV版の余韻を壊した、といった非難も(容易に)予想し得るが、五代が死ぬ予定もあったというスタッフの言や、視聴者の一つの解釈として同様の描写を知っていた私としては、ここで五代を一条にとっても生死不明であるとしたことは、むしろその後に待つだろう五代の再来を正面から誤魔化さずに描こうという態度を感じ、読みながら返って安心し期待したことを付記しておく。

・目の前で握手を交わした凛を、一時はグロンギであると思えない一条。
もちろんそれは演技であり様々な状況証拠から一条は凛をグロンギと確信するのだが、作中触れられるように、小説版でのグロンギはTV版から更に人間に近づいている。
元々TV版ではアークルのアマダムを得てクウガとなった五代の末路が、同様の神経組織とベルトを持つグロンギ=戦うためだけの生物兵器と等しくなるとされていたが、終盤にてリント=一条ら人間もグロンギと等しくなったと嘯れるなど、そもそもグロンギとリント=怪人と人間の境界を曖昧にしてきたのも「クウガ」であった。
アギト・龍騎・555にて先鋭化されたこの観点が、13年の年月を経て、後段の伽部凛の母親の狂気により「クウガ」世界にも持ち込まれる。



第四章 強敵

…意識を失った一条は、五代との再会を夢に見る。
目覚めた一条に、クウガは消えていたと話す実加は、クウガの戦いが孕む暴力に愕然としていた。
偶然に、改正未確認対策法を推進した政治家・郷原と邂逅した一条を待っていたのは、政治的圧力による捜査本部の解散であった。
なおも捜査を続け凛の母親を追う一条と実加は、生きていたバラのタトゥの女に遭遇する。
残るゲームのプレイヤーは一人。
バラのタトゥの女の告げる言葉をよそに、改めて凛の母親を追う二人。
娘に擬態した怪人にかどわかされ精神崩壊していた凛の母親から、最後の手がかりとなる怪人のスマートフォンを得た一条と実加は、榎田に解析を依頼、郷原が凛以上の大量殺戮を目論むグロンギであることを知る。


・私は白いクウガの正体を事前に知ってしまっていた。
故に知らない読者と同じ感覚は持ち得ず、これは素直に残念に思う。
特に一条と五代の再会という夢やその後の実加の態度と一条の反応などは、このネタバレの有無によって感覚は大きく違っていただろう。
しかしながら、ここでの一条と五代の再会が夢であった時点で、まだ五代は帰ってきていないことを悟った読者は、中にはいたのではないだろうか。
目撃したものを語るというには、実加の発言はあまりに当事者のそれに感じるのだ(もちろんネタバレしていたからということもあるが)。

・小説版ではかなりの際どい描写がいくつかある。
内二つは撃破され爆撒したグロンギの遺骸(人間態に戻った生首と下半身)であるが、もう一つの、地中から殺した実の娘の頭蓋骨を掘り出し頬擦りするかと思えば錯乱しその遺骨を踏み躙る凛の母親の狂気は、彼女が実の娘を撲殺するに至るまでの描写と合わせ、井上氏の小説版555以上に毒の強い描写であり、TVでは放送コード上極めて難しい、小説版だからこそ描けた描写であったと言わざるを得ない。
昨今の現実の猟奇殺人事件や親殺し・子殺し事件を容易に連想させるこの下りは、TV版から13年の年月を経て、まさにグロンギと等しくなった人間の有り様、その人間性のマイナス面を、クウガ世界の実際として突きつける、非常に痛絶なシーンと言える。
(話は逸れるが、このクラゲ種怪人の擬態・入れ替わりの描写は、ワームの擬態をクウガの世界観で描き込んだようにも感じられ、カブトファンでもある私には非常に興味深いものであった。)



第五章 青空

…郷原のゲゲルは、彼の政治的手解きで認可された健康食品・リオネルに含まれた毒を160万人に仕込んだ後、テレパシーにより有効化させ一斉に命を奪う、と言うものだった。
目標人数まであと少し…その意思一つでゲゲルのスイッチを入れられる郷原を殺しなんとかゲゲルを阻止せんと奔走する一同。
一条は五代には何もさせず自分たち警察の力だけで解決しようと決意を強める。
だが、一条らの追及を挑発・嘲弄し、海外へ逃れんとする郷原に、焦る一同。
独り思い詰めていた実加は、その晩雨の中一条に縋り付くが、実直な一条は突然のその想いに応えられず、実加は雨の町に消えてしまう。
桜子から告げられる真実…新たな未確認を封じていたもう一つのアークル、不完全なそれを、実加は手にしていたのだ。
自らの無力を詰る一条。
郷原の挑発に乗り、怒りに任せてクウガの力を振るってしまった実加は、凄まじき戦士となり暴走を始めてしまう。
ライオン種怪人となった郷原もろとも雷で人々を灼き尽くさんとする黒目の実加クウガ。
万事休すと思えたその時、蘇ったゴウラムと共に、赤のクウガが現れる!
帰参した五代は、実加を抱き止めて説得、その猛威を押さえ込むと、一条たちから借りたビートチェイサー3000とゴウラムで、ライオン種怪人=郷原に立ち向かう。
海ほたるを決戦の場に選んだ五代をヘリで追う一条。
しかし、ライオン種怪人はクウガの封印エネルギーを鬣から放出してしまう能力を持っていた。
人間態の郷原を殴殺せねば倒せない…躊躇し、しかし決意した五代に代わり、一条のライフルが郷原の上半身を爆撒せしめる。
そして、ヘリから落ちた一条を救うクウガ。
…再会した五代に、また戦わせてしまった無念を禁じえない一条。
独り去ろうとする五代に、それでも一条は思いの丈を叫ぶ。
その想いに、五代はいつものサムズアップで応えるのだった。


・怒涛のクライマックス、であるが、上述したような濃密な内容に反し、ページ数はそう多くなく、物足りなさを感じたのが正直なところだ。
特に、不完全ながらアルティメットフォーム・ダークアイズと化した実加クウガの(TV版では扱われなかった)物質変換・武装化能力を駆使したスペクタクルな攻撃(雷撃ビーム砲塔と化す東京タワー!)など、一連のクウガVSグロンギのバトルシーンは、それまでの刑事ドラマ的な描写に比べて濃度が薄く感じられる。
小説としての向き不向きとも思うが、そうであるならば故にこそ、映像化で説得力を持ったアクションシーンを見たいところだ。
(一条が郷原と対峙する実加の元へ駆けつけるシーンのiPadの件など、映像化を意識しているシーンが多々あるのも、期待を煽らせてくれる。)


・バラのタトゥの女に黒の金のクウガを超えるとまで言われたライオン種怪人=郷原。
戦闘能力・特殊能力共に難敵で、なおかつ政治権力という恐るべき力を持っていたものの、ゲゲルを達成可能な状況でありながら一条らを嘲弄・挑発した挙句にクウガに追い詰められ一条に撃破されるという、よくある(陳腐な)悪役の「慢心ゆえの敗北」を演じてしまっていた。
伽部凛ともども極めて人間に近づき人間社会に食い込んだグロンギであった郷原は、ある意味人間の愚かさにも近づいてしまったようにすら感じられる。

・思えば本作のグロンギは、バラのタトゥの女も含め、かのグロンギ語を喋らない。
故にその言動は、かつての異様で不可解な未確認生命体のそれよりも、その辺りの普通の悪役怪人のそれに近いようにも感じられる。
TV版では全く不可解であったグロンギの殺戮ゲーム文化にも、「誇りを持たない今のリントを殺しても満足できず、手酷い裏切りの末に絶望に落として殺す」というわかりやすいモチベーションが与えられており、凛の母親をホラー映画の怪物のようにかどわかしたクラゲ種怪人含め、13年の年月を経たグロンギは、その被害想定や対処のし難さといった脅威こそ現代的なアップデートによりいや増しているものの、その恐ろしさの根源であった不可解さ・不気味さは、人間に近づき過ぎて変質・劣化してしまった、と言っても良いと思うが、いかがだろうか。


・さて、明かされた白いクウガの正体…「もう一人のクウガ」という発想は、ワンアンドロンリーのヒーロー像を描き切った「クウガ」であればこそ、未読の読者の多くが辿り着きようのない回答だったのではないだろうか。
私もその情報を知ったときは、「クウガでそれをやるのか!しかも女性ライダーで!」と天を仰いだ。
しかし、実際に読んでみるとその活躍はほとんど無く、クラゲ種怪人の撃破は直接的には描かれず、ライオン種怪人との戦いも描写があっさりな上に暴走状態と、あまり良いところはなかった。

・そしてそれ以上に、端々で描かれていた実加の苦悩の、最終的な行き所がなかったのも落ち着かない。
もちろん五代の説得は暴走した実加を落ち着けてはいるのだが、物語はそこから、五代の戦いと一条との別離にフォーカスし、実加はそのまま物語からフェードアウトしてしまう。
五代の言葉に対する実加の返答も、実加の中のアマダムがどうなってしまったかも、描かれないまま終わってしまう。
これは非常にもったいないことだと思う。

・というのも、前書きに記した通り、複数のヒーローの存在こそ、アギト以降の平成ライダーがクウガ=五代の孤独に対して示した答えであるのに対し、実加クウガはそれに呼応する、まさに「もう一人のクウガ」として、五代の痛みや苦しみを分かち合える存在であったはずだからだ。
なぜなら、どれだけ一条たちが神経断裂弾を持って力の面でグロンギやクウガと等しくなろうとも、五代の拳の感触と痛みを、同じように実感することはできないからだ。

・いや、もちろんそれは、五代が暴走した実加に言ったように(「君がやることはこれじゃない」という言い回しが秀逸である)、本来は存在してはいけない種類の実感と存在の共有である。
(漫画「仮面ライダーSpirits」の読者の方は、同作で仮面ライダー1号=本郷猛が、2号=一文字隼人を仲間としたこと、V3以降のライダーをも同じ道に引きずり込んでしまったことを後悔していたシーンを思い出してみて欲しい。)
そもそも最終回で五代の家族であるみのりに「第四号=クウガは本当はいない方がいい」と言い切らせたのがTV版クウガである。
例えば実加が五代に代わって戦うことも、五代と同じ犠牲を強いるだけのことでしかない。

・しかし、それでもなお、だからこそ、五代の拳の感触を同じ立場で感じえた実加こそが、一条とは別の意味で、五代の理解者たり得たのではないだろうか。
共に戦うことがあるいは間違いであっても、例えばラストシーンの一条のように、五代に何かを伝えることができたのではないだろうか。
アギト以降の平成ライダーが背負ってきた課題を、小説版は実加クウガを登場させることで取り込もうとしながら、彼女を作品的に犠牲にすることで、それを消化・昇華することを放棄していると、私には思えるのだ。

・実加クウガが活躍できずフェードアウトしなければならない理由は明白である。
ヒーローとしての五代雄介=クウガの活躍を描くためには、実加クウガは不完全に戦い、五代クウガを立てなければならない。
それは一条の後悔そのままの、(ヒーローである)五代=クウガに戦わせるしかなかったという、ヒーロー作品としての限界である。
いや、ヒーロー作品としての、というのは正確ではない。
五代雄介=クウガという、たった独りの「ヒーローの称号」を持つ者、その孤独の犠牲に頼るしかないのが、作品としての「クウガ」なのだ。
例えそれが、「誰かのための自己犠牲」でも気高い「正義」感でもなく、五代自身の、正義云々以前の想い(あるいは願い)故に選んだ道であったとしてもだ。
(五代がそう願うから良いのであれば、あれほどまでに一条が苦悩する必要は無い。
誰の願いであるかなどとは無関係に、しかし五代の犠牲は厳然として存在するのである。)


・平成仮面ライダーシリーズは、アギト・龍騎・555を通じて「ヒーローの称号」を持つ者を複数化し多くの人間に開かれたフラットな者にすることで、ヒーローという存在を単なる理想像ではなく、人間のマイナス面もプラス面も抱えたより立体的な存在に変化せしめた。
しかし剣以降では、改めて人間の理想を託す存在としてのヒーローの復権が目指されることになる。
そして平成ライダーシリーズは、その理想像としての「ヒーローの称号」の重みを、あるいはその特別な称号を持たない、しかしその魂において同格な、周囲の仲間たちと共に背負うことでフラットにするという、別の答えを見出していく。
天の道を往く特別な主人公が、非力だが「歩む道が別でも共に立って歩んでいける」友達とダブルライダーとして戦ったカブト。
体を一にする人間と怪人の共同としてのヒーローであった電王。
あるいは半人前だが魂の矜恃を持つ青年と異能力を持つ超人が一つとなってヒーローとなるW。
そしてヒーローの自己犠牲を全否定し仲間と手を取って生きることの大切さを描いたオーズ。
少年少女が一丸となってヒーローとして戦ったフォーゼ…。
ヒーロー含め、一人一人は決して特別でも理想的でもない登場人物たちが、その絆と共同を持って理想を描き出す。
それが現在の平成ライダーシリーズが到達した「ヒーローの称号」の昇華であると、私は考えている。

・そのような観点において、小説仮面ライダークウガはどうだっただろうか。
その最後においてこそ特別なヒーロー・五代の活躍と犠牲は描かれてしまったが、そもそも登場人物たちの絆と共同はTV版クウガにおいても描かれていた要素である。
五代の孤独と犠牲は厳然として存在しながらも、五代一人で戦い抜けたわけではないこともまた明白である。
その上でなお、五代のような理想的なヒーローの犠牲が、本当はなければ良いという、より高邁な理想を望んだのがTV版クウガ最終回であった。
その意思が小説版でも続いていたことは、五代との再会を望みながらそれでも五代には何もさせずに未確認の再来を片付けたかった一条に如実に表われている。
そして一条らは、不完全なクウガとなった実加の力を得てではあるが、一度は五代には何もさせずに、クラゲ種怪人を追い詰め、撃破しているのである。

・そして、同じように追い詰め肉薄しながら、五代の助けなくば万事休すであったライオン種怪人との戦いでは、その最後のとどめにおいて、一条のライフルは五代の拳に殺人を遂げさせる事なく、一条はその役割りを引き受けることに成功しているのである。
白眉は、その直後ヘリから一条が落下するところにある。
描写されないものの、一条は五代=クウガに受け止められ命を救われている。
一条は、戦うことの罪を五代に代わって引き受けるのみならず、その身を投げ出し五代に助けさせることで、五代の掌を暴力を振るうための拳でなく、人を救うための手として、物語を終わらせているのである。

・「ヒーローの称号」を持つ者の孤独と犠牲を埋めるのは、それ以外の者たちがその重みを引き受けることに他ならない。
アギト・龍騎・555がヒーローである者たちの枠を広げることで成し、以降の平成ライダーでも様々な手で成そうとしてきたそれを、小説版クウガは非常にストレートな形で実現している。
生きていたバラのタトゥの女にかつて「グロンギと等しくなった」と評された一条は、今作で五代に代わってグロンギを撃ち殺すことで、五代の拳の感触は実感し得ないまでも、その役割を十二分に引き受け、五代=クウガと同格の存在となったのだと思う。
そんな一条の言葉だからこそ、五代は去り行きながらも、サムズアップを返すのだ。
(この背中越しのサムズアップは、TV版第4話ラストで、五代を認めた一条が、サムズアップするクウガに返した背中越しのサムズアップの、リフレインとも言えるだろう。)
「お前が笑顔を取り戻せるように、俺たちも生きる」。
五代雄介という理想と犠牲の元に成り立つ「クウガ」という作品が13年目にして顕した答えを、私たちも引き受けるべきではないだろうか。
ただただヒーローに私たちの理想を望むのではなく、私たちの望むその理想を、我々自身が生きる、生きようとする。
そうあろうとした時、きっと私たちの頭上には青空が広がり、その同じ青空の下で、五代はいつもの笑顔とサムズアップを、私たちに見せてくれるのではないだろうか。




以下、話し漏れた余談である。

・メイドなアイドルである伽部凛など、ヲタ度の高いネタには荒川氏の嗜好が如実に表われていて、いやはや高寺プロデューサーの下ではやりたくてもできなかったことだろうと、微妙な笑みを禁じ得ない。
ぷぇんたぐぉんの某非公認戦隊ネタの為だけにヲタにさせられてしまった冴君に合掌である。

・未確認対策法の下りでは九郎ヶ岳遺跡の住所が詳細に綴られているのだが、これが筆者の実家付近であり、激しく驚愕させられた事実は明記しておきたい。
…中学時代に登った山ん中に実はグロンギが…とか、荒川先生マジ勘弁してください><

・小説版最大の問題点として、一条の視点による一人称的な小説であることを挙げておきたい。
実際の筆致は三人称であり、一条の視点からブレる描写もあるのだが、基本的に本作は一条の目線から語られる作品である。
無論、媒体故の制限という如何ともし難いところで、逆に白いクウガのミスリードなどは一条視点故成立するようなものだろう。
ただ、結局のところ最終盤が慌ただしくなってしまっているのは、実加および五代が戦いの中心となる中、一条はそれを追う立場となってしまっているため、クライマックスの戦いを当事者的に描写することが出来なくなっているからではないだろうか。
これが、媒体の性質上三人称的な表現となる映像作品であれば、やはりクライマックスの描かれ方はまた違っていただろうし、実加の苦悩の昇華や、落ちた一条を救うクウガなど、一条の視点以外からこそ描き得る描写もあっただろうことを思うと、やはり本作の映像化を、出来れば大スクリーンで見たい…という、見果てぬ夢を抱いて、この長い感想文を終えることとしたい。



久々のブログ記事、まずは前回のヱヴァQ公開直後の記事でネーメズィスシリーズを使徒と勘違いしてたことをお詫びします><(めんどいのでそのままにしておきます><)
その上で、公開からもう3ヶ月近くも経ってるけど、ようやくタイトルのような妄想がまとまったので、今さらもいいとこですがアップします。
今回も無駄に長いです。ワードにコピペしたら2万字くらいありました…大学生の卒論かよ。何やってんだろね俺。おまけにさっきまとまったと書いたけど、3ヶ月分の蓄積で、たぶんごっちゃごちゃです>< ところどころ矛盾もあると思います。しかも1記事に乗り切らない>< ですので、こちらは検証編と題して、ゴチャゴチャと考えてる最中を比較的そのままに掲載しました;
比較的まとまった結論を知りたい方は、本記事ははさっさと読み飛ばしてこの下の妄想編へ行きましょう^^;

なお、2chエヴァQ考察スレまとめサイト(ttp://evaq.web.fc2.com)、およびエヴァQ全セリフ掲載サイト(ttp://evaqnetabare.blog.so-net.ne.jp)を参考にさせて頂きました(直リンク回避ですみません)。この場を借りて御礼申し上げますm(_ _)m



さてまず、公開直後に各所で拡散してた2chコピペについて。この疑問がこの長ったらしい考察のトリガーでした…。

・果たして人類はニアサードと真サードの間に巨人化したのか?
→あくまでも人間が巨人化したっぽい描写はなかったはず。巨人の存在の痕跡は、ジオフロント外から見た光景の地上の拘束具付けてっぽい巨人の残骸とか、廃墟のビルから突き出した手とか、リリスの屍骸の周囲の巨大な人骨の山とか、あとリリスの結界だかメインシャフトだかを構成してたモノ?(カヲルからは「インフィニティのなりそこない」としか言及されていない)くらい。
→個人的には、リリスから生えてた足が山ほどリリスから生えてきて巨人になったとかの線も無くはないのでは?とか。あるいは月にマーク6の元の巨人みたくいっぱいいて巨神兵みたく降臨してきたのかも?
→また、仮に人間が巨人化したとして、いつ・どのように・なんの理由で巨人化したのか。ニアサード時(破のCパート直後)とすると、サード含め都合2度のカタストロフ的事態が人類を襲ったことになり、その間に初号機打ち上げなどの対応というのは、いかにゼーレの手の者としても難しそう(サード後は地上の被害を考えればまず不可能かと)。また、初号機は一瞬とはいえ覚醒化が可能な状態で打ち上げられたのは確実で、とすれば、マーク6のように槍などで封印されたわけではない、もしくはその必要がなかったと考えるべきか(十字ブロック的にカシウスの槍が刺さっていたとも考えられる?)。初号機打ち上げをサード前と仮定すれば、その後何かが起こったことは確実。果たしてそれがニアサードの影響と言えるのか?うーんよくわからんくなってきた。


ので、既に描かれている部分のピックアップをしてみる

セカンド…
・南極の大地から黒い球体が出現(地表から離脱、この時点で周囲に十字架出現、開いているのはバラルの扉?それとも虹色っぽいのでガフの扉?)
・4体の光の巨人が出現(コアらしき球体や頭部に光の輪を持つ、=序の時の予告のADAMS=Qで度々言及されるアダムス?)
・4本の槍(旧世紀版のロンギヌスの槍と同じ形状が2本は確定、手前の2本はロンギヌス収束版っぽい持ち手部分のみ…まさかカシウス?)
・結果、海の色が赤くなり生き物が住めなくなる
・爆心地跡地には4つの光の十字架
・月面の血痕もこのときのもの(!、wikiおよび全集より)
※トリガーは不明

ニアサード…
活動停止した初号機が再起動
→初号機腕をATフィールドで再生
→初号機目からビーム
→初号機の頭部上方に天使の輪(この段階で初号機擬似シン化?第一覚醒形態らしい(wikiおよび全集より))
→プラグ深度180オーバー、リツコ「ヒトに戻れなくなる!」
→擬似シン化初号機が第10の使徒のコアと接触
→空の赤い波紋(バラルの扉というらしい(全集絵コンテより))が開く
→シンジプラグ最深部?から第10の使徒の中のレイと接触し救出
→第10の使徒形象崩壊の後レイの形に(コアの塊?)
→加持「数が揃わぬ内に、初号機をトリガーとするとは…碇司令、ゼーレが黙っちゃいませんよ」
→擬似シン化初号機が第10の使徒を取り込む
→ジオフロント上方の地表が十字に裂壊、その上方には赤い波紋(なんか吸い込まれてく感じ、こっちがガフの扉?)
→ドグマの槍に貫かれたリリス(振動?)
→初号機に翼?が生え白色化(コアが2つ?セカンドの時のアダムスを髣髴?擬似シン化第2形態らしい(wikiおよび全集より))
→リツコ「この世界の理を超えた、新たな生命の誕生…代償として、古の生命は滅びる…」
ミサト「翼…15年前と同じ…!?」
リツコ「そう…セカンドインパクトの続き、サードインパクトが始まる…世界が終わるのよ」
→マーク6が初号機に槍を投擲
→槍に貫かれ初号機擬似シン化解除、波紋消失
→以後不明
※トリガーは初号機らしい

サード…
発生時の状況不明
→14年後の状況:
空にはEOEインパクト中断時の黒き月のような赤く緯線経線の入った白い月(大気がある様子らしい)、
どうもジオフロントorネルフ本部は浮いてる模様、
赤く染まった大地、
地上には赤い巨人の残骸(?、拘束具有、浮いてるものも)、
ドグマのメインシャフトには巨大な赤い人体群(カヲル曰く「インフィニティのなりそこない」)、
結界(カヲル曰く「メインシャフトを完全にふさいでいてこの14年間誰の侵入も許していない」)内部には首無しのリリスの屍骸(腐敗?、頭部は別所に安置(第一発令所らしい))、
リリスの足下には巨大な白骨化人体の山(こちらも「インフィニティのなりそこない」?)、
リリスの背部には刺された槍(収束版ロンギヌスの槍)および同じ槍を(自らに?)刺して静止したマーク6(エヴァの数倍の大きさらしい、カヲル曰く「自律型に改造され、リリンに利用された」)
破時のQ予告の内容:
地上で柱に囲まれて封印された初号機、
艦隊の甲板、
幽閉されてるらしいミサト、
誰かに叫びながら銃口を向ける加持、
山頂?にて登山服?で立つゲンドウ?と冬月?、
笑むカヲル(水が滴る?)、
その向かいの?4人の人影(足下には4つのウルトラサイン?)、
チビレイに囲まれたリナレイ(絵コンテより、前述の人影の主らしい)、
メガネを外すマリ(リナレイと同室?使徒封印用呪詛柱まえらしい)、
外されたアスカの拘束具、
眼帯アスカ、
関連セリフ:
カヲル「(街の惨状に愕然とするシンジに)君が初号機と同化している間に起こったサードインパクトの結果だよ」
シンジ「これじゃあ、街のみんなは・・・」
カヲル「この星での大量絶滅は珍しいことじゃない」
カヲル「むしろ進化を促す面もある」
カヲル「生命とは本来、世界に合わせて自らを変えていく存在だからね」
カヲル「しかし、リリンは自らではなく、世界の方を変えていく」
カヲル「だから、自らを人工的に進化させるための儀式を起こした」
カヲル「古の生命体を贄とし、生命の実を与えた新たな生命体を作り出すためにね」
カヲル「全てが太古よりプログラムされていた絶滅行動だ。ネルフでは人類補完計画と呼んでいたよ」
シンジ「ネルフが、これを・・・父さんは何をやっているんだ・・・」
カヲル「碇シンジ君。一度覚醒し、ガフの扉を開いたエヴァ初号機はサードインパクトのトリガーとなってしまった」
カヲル「リリンの言うニアサードインパクト。全てのきっかけは君なんだよ」
シンジ「・・・!!」
シンジ「・・・違う・・・僕はただ、綾波を助けたかっただけだ・・・」
カヲル「・・・そうだね。しかしそれが原因で・・・」
※トリガーは初号機?

(ニア?)フォース…
シンジとカヲルの乗った第13号機がリリス上の2本の槍を抜く
→リリス形象崩壊(胴体・首ともに)
→槍が2本ともロンギヌスの槍の形態に
→マーク6からパターン青(アスカ曰く「第12の使徒がまだ生き残ってる」)
→9号機に首を刈られたマーク6内部から触手(12番目の使徒らしい)
→第13号機を囲む12番目の使徒
→(形象崩壊したリリスごと?)胎児っぽい形状からアヤナミっぽい姿を経て(10番目の使徒のように)コアの塊になる12番目の使徒
→12番目の使徒を一口で喰らう第13号機
→白色化し羽の生える第13号機
→カヲル「まさか第一使徒の僕が13番目の使徒に落とされるとは・・・」
シンジ「何言ってるの?カヲル君!」
カヲル「始まりと終わりは同じというわけか・・・さすがリリンの王。シンジ君の父上だ・・・」
マリ「DSSチョーカーのパターン青!?無いはずの13番目?ゲンドウ君の狙いはこれか・・・!」
→ゼーレと面会するゲンドウ、電源?を落としていく冬月
→ゲンドウ「死海文書の契約改定の時が来ました。これでお別れです」
ゲンドウ「あなた方も魂の形を変えたとはいえ、知恵の実を与えられた生命体だ」
ゲンドウ「悠久の時を生きることは出来ても、われわれと同じく訪れる死からは逃れられない」
ゲンドウ「死を背負った群れの進化を進めるために、あなた方は我々に文明を与えてくれた」
ゲンドウ「人類を代表し、感謝します」
ゲンドウ「死をもって、あなたがたの魂をあるべきところへ帰しましょう」
ゲンドウ「宿願たる人類補完計画と、諦観された神殺しは私が行います。ご安心を」
キール「我らの願いは既にかなった。良い。すべてこれで良い。人類の補完。やすらかな魂の浄化を願う」
→アスカ「(第13号機に対して?)こいつ!疑似シン化形態を超えている!」
マリ「覚醒したみたいね・・・アダムスの生き残りが!」
→上昇する第13号機
→空の赤い波紋(ガフの扉?)が開く
→ジオフロント?露出、変形
→シンジ「僕が槍を抜いたから・・・!」
カヲル「フォースインパクト。その始まりの儀式さ」
シンジ「カヲル君!首輪が!」
→ヴンダーの攻撃を喰らいながらも上昇を続ける第13号機(9号機に侵食されるウンダー、リツコ「アダムスの器・・・ヴンダー本来の主!初号機から本艦の制御を奪い返すつもりだ!」アスカ「(9号機のパターン青に対し?)ブルー!?ゼーレがやりそうなことね!」、コード777の改2号機が9号機を自爆で破壊)
→カヲル「僕が第13の使徒になってしまったからね。僕がトリガーだ」
カヲル「魂が消えても願いと呪いはこの世界に残る。意志は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身の事も書き換えていくんだ」
カヲル「ごめん。これは君の望む幸せではなかった。ガフの扉は僕が閉じる。シンジ君が心配することはない」
→カヲル死亡(DSSチョーカー起動?形象崩壊?…肉片散ってたから違うか)
→落下する第13号機(擬似シン化はまだ解けない?)
→マリ「ガフの扉がまだ閉じない!わんこ君がゼーレの保険か!」
→8号機がシンジのプラグを強制射出
→第13号機落下、波紋消失?
→冬月「ひどい有様だな。ほとんどがゼーレの目論見通りだ」
ゲンドウ「だが、ゼーレの少年を排除し、第13号機も覚醒へと導いた。葛城大佐の動きも計算内だ。今はこれでいい」
※トリガーはカヲル(第一使徒→第13使徒)



描写のピックアップと検討

新型エヴァと「全身がコア」について
・フィールドビット装備で、8号機のAA弾をものともしない第13号機(マリ曰くATフィールドが無い・全体がコア?)
→マリの「アダムスの生き残りが覚醒した」というセリフが指すの第13号機?それともカヲル?(ゲンドウは「第13号機を覚醒に導いた」と発言)
・一貫して「アダムスの器」と呼ばれる9号機
→ヴンダーに接触してパターン青(使徒化?アスカの言からゼーレの仕込っぽい)
→リツコ曰くヴンダー本来の主
→アスカ曰くコイツも全身がコア
・破の時は"ゼーレにとって「真のエヴァンゲリオン」である Mark.06 の完成は「人類補完計画」のため、「本物の神を創る」ための要"とまで言われてたマーク6
→しかしQの時は槍に貫かれて白色化していたマーク6
→槍を抜かれて元の色に戻った?マーク6からパターン青(アスカ曰く「第12の使徒がまだ生き残ってる」)
→マーク6から出てきた12番目の使徒
→12番目の使徒を?攻撃するアスカに対してマリ「あれ全部コアだから」
→月面の白い巨人であったマーク6とは一体なんだったのか?(マーク6=12番目の使徒?でもカヲルの言う「自律型に改造され、リリンに利用された機体」とは?)
・「インフィニティのなりそこない」
→リリスの結界だかメインシャフトだかを構成してたモノは確定(カヲルの言及)
→ジオフロント外から見た光景の地上の拘束具付けてっぽい巨人の残骸とか、廃墟のビルから突き出した手とかも?
→リリスの屍骸の周囲の巨大な人骨の山とかも?
→共通する赤色
→こいつらも全身がコアか?
・ここまでの4点、全てカヲルはモノ扱い
→第一使徒?であったカヲルとは別物?
→カヲルが「アダムスの生き残り」として、セカンドの光の巨人と大きさ違うのは何故?
→エヴァ+パイロット+α(覚醒とか?)でアダムス?
・あと、予告のカーキ色のマーク6っぽい量産型エヴァは何物?
→もしやこれも「インフィニティのなりそこない」?


覚醒と11番目の使徒について
・覚醒したのは初号機(破の冬月談)と第13号機(Qのゲンドウ談)、および恐らくカヲル(Qでマリ談「覚醒したみたいね・・・アダムスの生き残りが!」←これがカヲルを指すか第13号機を指すかは不明)
・初号機は10番目の使徒を、第13号機は12番目の使徒を取り込んでいる
・カヲルが覚醒したとする場合、覚醒のタイミングは恐らく第13番目の使徒に落とされたとき(カヲルがそれを自覚→ゲンドウとゼーレの会話→マリのセリフ)。具体的には第13号機が槍を抜いた時点~第13号機が12番目の使徒を取り込んだあとまでの辺り?
・覚醒=エヴァ?と使徒の融合?=知恵の実・人間・パイロットと生命の実・使徒の融合?
・第13号機が12番目の使徒を取り込んでカヲルが第13使徒になった
→初号機がは10番目の使徒を取り込んだので…第11使徒はシンジ?
・2ch考察スレおよびまとめから使徒封印用呪詛柱の話
→使われたのは第3使徒・アスカ・初号機・シンジ・ヴンダー・ネルフ本部と全て使徒絡み
→初号機・シンジが使徒的な何かになったのは確実の模様
→第11使徒はシンジで確定?
・(第13号機がリリスベースとして、使徒はアダムベースと仮定すると、アダムとリリスの融合が覚醒でありインパクトを誘発する?)
・パイロットが使徒となり得るとすると、覚醒=エヴァとパイロットの融合?(プラグ深度オーバーによるパイロットの使徒化、その結果としてのエヴァの覚醒?)
・カヲルの第13使徒化を考えると、ロンギヌスの槍はパイロットを強制的に使徒化する?

トリガーについて
・(ニア)サードのトリガーは初号機、フォースのトリガーはカヲル(本人談)
・初号機は擬似シン化しガフの扉を開いたことにより、カヲルは13番目の使徒に落とされることで、トリガーとなった(らしい)
・シンジがいたおかげでフォースのガフの扉が閉まらず
→マリ曰く「(シンジが)ゼーレの保険」
→トリガーの代役となれたシンジ?


ヴンダーと神殺しについて
・エントリープラグっぽい艦橋内およびエヴァっぽい形の艦橋
→ヴンダー≒超大型エヴァ?
・ヴィレ側はヴンダー自体を神殺しと見ている模様(ミサトの台詞「神殺しの力、試させてもらうわ」)
・ゲンドウは逝くゼーレに対して「テイカンされた神殺し」は行なうと言い残す
・ゼーレによる自律稼動?で動きヴンダー制圧に向かった「ヴンダー本来の主」マーク9
→マーク9運用のヴンダーはゼーレのシナリオ上必要?


インパクトには何が必要?あと「アダムスの器」について
・セカンドの様子からとりあえずADAMS4体は確実っぽい。バチカン条約のことを考えると、エヴァも4機揃うとヤバイ≒ADAMS?
・フォースの時はエヴァが5機(第13、改2、8、マーク9、マーク6)+ヴンダー+第12使徒+リリスの屍骸?、
ニアサードの時は3機(初、零、2)+第10使徒+リリス
→数適当だな…
→あくまで「アダムスの器」だったマーク9
→器がアダムスになるには何が必要?
・マリからアヤナミへの台詞「アダムスの器になる前にそこ(マーク9)から出たほうがいい」
→アダムスの器になるのはマーク9?それともアヤナミ?
→むしろアヤナミがアダムス?
・ニアサードの時の加地「数が揃わぬうちに」←揃ってなかったのはエヴァ?使徒?槍?アダムス?
・ゼーレ・ゲンドウどちらの計画にも槍が必要?(2本?)
・サードとフォースから見て、リリスと知恵の実と生命の実が必要?
→でもセカンドはリリス関係なかったか…?><
・リツコ曰く「サードはセカンドの続き」
→セカンド・サード・フォースまで続けてゼーレのシナリオ?



ネブカドネザルの鍵について
・加持「予備として保管されていたロストナンバー、神と魂を紡ぐ道標ですね」
ゲンドウ「ああ。人類補完の扉を開く、ネブカドネザルの鍵だよ」
・首から下の人体の神経組織的な何か、頭の辺には注射器的な何か
・ゲンドウの計画に必要?
・旧作のアダムの位置にある
→旧作でアダムを取り込んだゲンドウ
→新劇ではこれを使うとアダムスになれる?

旧作では…
ゼーレの計画=リリス使用?
ゲンドウの計画=初号機(ユイ)使用?


ヒントとして:You can(not)~の意味
序:You are(not) alone.:独りである/独りではない
破:You can(not) advance.:越えられる/越えられない
Q:You can(not) redo.:やり直せる/やり直せない
・実際の作品にこれらを当てはめた時、どちらか一方が正なのではなく、あるいはどちらか一方に変化していくのではなく、どちらの有り様も孕んでいる、両義的な作品が新劇ヱヴァであると、個人的には感じる。
・数多くの謎においても、どちらの意味かわからない要素が散見されるが、もしかしたらこれらは全て、どちらでもあるんじゃないだろうか??


いくつかの謎の両義的な解釈から妄想へ

・マリの「アダムスの生き残りが覚醒した」というセリフが指すのは第13号機?それともカヲル?
⇒カヲルも第13号機も「アダムスの生き残り」であり、どちらも同時に覚醒したのでは?
→じゃあ同じ理屈で初号機だけじゃなくシンジも覚醒してる?
→で、覚醒のタイミングで13番目の使徒になってるっぽいカヲル、および「第」13号機の解釈
→カヲルも第13号機も、というかカヲルと第13号機がセットで13番目の使徒と考えられる?
→じゃあ同じ理屈で、やはり初号機とシンジが11番目の使徒で確定?
→トリガー確定の初号機とカヲル及びトリガーの保険になれたシンジのことも考えると、ともあれシンジの使徒化(認定)は確定的かな。
→カヲルも第13号機も「アダムスの生き残り」であるなら、セカンドの時の4体のADAMSの内の2体?
→11番・13番を考えるとむしろ1体?

・マーク6から出てきた12番目の使徒
⇒マーク6そのもの=12番目の使徒では?
→どうもニアサードからサードの間に使徒認定された様子(旧作での「確認された順が使徒のナンバリング」というのも踏まえるか?)
→先にエヴァも使徒認定されると仮定したところから、Qで体内から出て来たのは、2号機の獣化第2形態な何かというか、むしろその先とかかしら?
→ところでカヲルと第13号機およびシンジと初号機の例を考えると、サード後に槍で封印されたマーク6=12番目の使徒にもパイロットがいた可能性が高い
→月の人間大のいくつかの棺
→まさか破とQのカヲルは別人説はアリなのか?
→破で月から降りてきたカヲルがもう一人の12番目の使徒??んでサードの時に覚醒した??
→この場合「自律型に改造され、リリンに利用された」も誰がどうやってリリスとマーク6に槍を刺したかも、パイロットを乗せた状態でのダミーシステムの発動で説明がつく

・「インフィニティのなりそこない」と巨人だかエヴァだかの残骸
⇒全てが「インフィニティのなりそこない」であり、エヴァ的に拘束具つけられてたのでは?
→拘束具着けたのは誰?
→ニアサードとサードの間と考えればゼーレが妥当(仮にネルフというかゲンドウとしてもゼーレの傀儡としてだろう)
→なんのために?
→着けたんじゃなくて元から着いてたという発想は可能か?(旧作のセカンドでもアダムは拘束具着けてたし)→でもマーク6は劇中で着けてたか
→月でゼーレは何やってた?
→ちゅうか月はゼーレのフィールドっぽい
→旧作では月=白き月=アダム含む使徒のフィールド
→ゲンドウ曰く「文明を与えてくれた」ゼーレ
→もういっそゼーレ=使徒サイドなのか?んで月がゼーレの基地でさ
→あでもQ終盤で電源切ってたから端末はネルフ本部にあるのか?

・「全身がコア」と思しき皆さん(マーク9=「アダムスの器」、マーク6=12番目の使徒、インフィニティのなりそこない、第13号機も?)
⇒全員「アダムスの器」じゃまいか?
→つまり:「アダムスの器」≒「インフィニティのなりそこない」では?
→じゃあマリの台詞からアダムスの器の疑いもあるアヤナミ(アヤナミシリーズ?)も「アダムスの器」か?
→つかじゃあアダムスって何よ
→旧作では始祖がアダムでありその子らが使徒
→じゃあ今回はアダムス=使徒とか?…ちょっと違うか
→じゃあここでレイと零号機を取り込んで白くなった10番目の使徒を思い出してみる
→初号機・第13号機も含め白くなるというかアダムスっぽくなるにはいろいろ必要だった様子
→もしかして:アダムス=インフィニティ?
→セカンドの時の球体はなんだろう
→旧作同様なんちゃらの月であれば、あそこにも始祖としてのアダム(仮称)があって、接触してインフィニティになった使徒が4体いた、とか?
→ニアサードとフォースの時を見るに、白色化≒アダムス化?するには覚醒したエヴァとパイロットが必要っぽい
→セカンドのアダムスにもパイロットがいた?それが第一使徒のカヲル?
→あと、まさかして、セカンドの時に出た球体がマーク6建造してた、あるいはQでEOE終盤の黒き月状態になってた月なのでは?

・ニアサードの時揃ってなかったのはエヴァ?使徒?槍?アダムス?
⇒全部数が足りてなかったんじゃないか?
→槍以外の3つは≒で繋がりそう、エヴァ≒使徒≒アダムス
→足りてたからセカンドが起きたとすれば、やはりエヴァ≒使徒≒アダムスが4体必要だったととれる
→でもサードはリリスと使徒の接触で起こるんじゃなかったっけ?いつもの誤情報?それともやっぱりサードのトリガーになった初号機はリリスベース?
→ニアサードでは初号機にシンジ・レイ・10番目の使徒・零号機も融合してる、その状態でインパクトが起きそうになった
→もしかして:(初号機をリリスベースと仮定して)リリスに4体のエヴァ≒使徒(≒パイロット)≒アダムスを融合させるとインパクトが起こる?
→セカンドの時はアダムス化したモノが4体でそれぞれにで計4人パイロットがいるとすると数が多い
→でも2体と2人が2セット分だとすると、槍の数も2本が2セット分で一致する
→インパクトを発動させた2本2体2人がいて、それを中断させた2本2体2人がいるということでは?その1人がカヲル?
→もう一人は?まさかマリ?
→フォースの時は槍が2本あってインパクト発動、第13号機にシンジ・カヲル・12番目の使徒=マーク6が飲み込まれたのは確実
→マーク9は?最後の1体の予定だった?
→ヴンダーの存在意義は?
→ゼーレは最後の1体となるマーク9にヴンダーを加えることで何かをしようとしてた?だからヴンダー=神殺し?
→サードのときは?
→リリスとマーク6=12番目の使徒およびそのパイロットは確実
→残りは欠番の7号機とそのパイロット?
→ここでリナレイの出番か?


以上をまとめ、かつ発展させて重妄想してみると…



といったところで検証編はここまで。後半へ続く!
さて、後半です!>< 要するにこちらが結論部分になります^^;


前半の検証編をまとめ、かつ発展させて重妄想してみると…


・エヴァパイロットは特定条件(プラグ深度規定値オーバー、プラスでエヴァはシン化、マイナスで獣化)を経ることで、使徒認定され得る存在となる(不老化、エル結界の無効化、これがエヴァの呪縛)。
・エヴァもまた、パイロットが使徒化認定される存在となることで、光線使用などが可能な使徒同様の存在となる。これをエヴァの覚醒という。
・使徒はゼーレにより管理された異星生命であり、エヴァ同様、エネルギーの凝縮体である巨大な肉体で構成され、ATFの発生源となり魂となるヒト型の制御ユニットと融合することで、劇中の各使徒のような活動可能な固体となる。この管理ユニットこそカヲルであり、序の月面の柩には複数のカヲルが存在し、第4以降の使徒にも搭乗していたと考えられる。また、カヲルたちは月を中枢として(地球飛来以前からの)記憶を共有しており、これを模したのがネルフ本部の機密領域で生み出されたアヤナミシリーズとフィードバックシステム(Qでアヤナミ(仮)が浸かってたカプセル=旧作でのダミーシステム中枢)である。
・インフィニティとは、使徒が始祖との接触ないしは使徒複数の融合によって進化した存在である。リリンからはアダムスと呼ばれている。エヴァで言えば擬似シン化形態に当たるが、恐らくはインパクトを経る事で真のインフィニティ化=アダムス化=恐らくは始祖化が達成される。
・槍はガフの扉の開放に伴うインパクトの進行を司る能力を持ち、ロンギヌスの槍はガフの扉の開放に貢献するなどインパクトを促進でき、カシウスの槍は開かれたガフの扉を安定させるなどインパクトを制御できる。またいずれも始祖およびインフィニティに刺すことでその活動を制止できる。エヴァ第13号機およびカヲルの覚醒は、解放された2本のロンギヌスの槍のインパクト促進機能に促されてのものである。
・始祖そのものの呼び名がリリスであり、ジオフロント・ネルフ本部・セントラルドグマ・黒き月の第2使徒以外に、南極でセカンドインパクト時に失われた白き月のリリスも存在する。
・インパクト発動には、リリス1体、槍2本、使徒4体(使徒の肉体・制御ユニット・覚醒エヴァ・使徒化したエヴァパイロットのいずれか4体)が必要である。最低でも2体の使徒がインフィニティ化し2本の槍を操り、さらにリリスと融合することでリリスに成り代わり、ガフの扉を開きその彼方へ向かうことでインパクトが完遂される。真にリリスとなった使徒は新たな生命を生み出す存在=神となる。


・元来地球は黒き月を宿し、黒き月のリリスより人類他の生命が生じていた。
・ファーストインパクト=月の誕生を伴う大隕石の激突の際、南極に使徒側のリリスを宿した白き月が埋め込まれた。誕生した月は元々白き月のキャリアであり、12を超える多数の使徒と管理ユニットもキャリアに安置されていたが、キャリアの中枢たる白き月は地球に埋没してしまう。
・白き月にはゼーレの本体が安置されていた。ゼーレは使徒側のリリスとの契約により、使徒たちをインフィニティ化し他星のリリスを失わせ新たな生態系を構築する=神殺しを行う人類補完計画(ここでいう人類とは使徒のこと)を企図していた。白き月ごとキャリアと隔絶してしまったゼーレは、キャリア内の使徒の目覚めを待ちながら、計画進行の手足とすべく、地球の人類=リリンに文明を与えることとなる。

・セカンドインパクトは、目覚めた(あるいは目覚めさせられた)4体の使徒が月より南極へ飛来したことに始まる。使徒側のリリスとの接触によりインフィニティ化=白色の光の巨人と化した4体の使徒の内、2体とその管理ユニットがインパクトを発動させ、結果、ガフの扉を開き南極の白き月を浮上させた。しかし、残る2体とその管理ユニットが槍でインパクトを制止。インパクトを起こした2体と使徒側のリリスは形象崩壊。残り2体の内、1体は日本?の市街地へ到達し(序の冒頭の巨人の跡)、残り1体も含めて回収された。この時点で人類は第1使徒のカヲル=制止した使徒の管理ユニットと接触、人類側のリリスの存在を知り第2使徒に認定、さらにベタニアの永久凍土の下からファーストインパクト時に地球へ落ちた使徒を発見し第3使徒に認定する。ゼーレにとってのセカンドインパクトの主目的は、浮上した白き月をキャリアたる月に到達させ使徒たちを自らの管理下に置き、さらには使徒側のリリスを葬ることで使徒たちの向かう先を地球のリリスへ変更することであった。

・エヴァ建造計画はインパクトのテストのため地球の人類に擬似的な使徒を建造させる計画であった。エネルギーの凝縮体である肉体を暴走させぬように拘束具を用いたエヴァは、人類にはインパクトを起こした使徒に抗するための兵器として位置づけられることとなる。他方、ゼーレは同様の技術を用い、彼らにとっての真のエヴァ=インパクト発生のためのエヴァ=使徒の肉体をベースとしたマーク6を建造する。
・序~破までのエヴァと使徒の戦いは、対使徒兵器としてのエヴァの洗練であると同時に、ゼーレとしては地球のリリスと使徒を接触させることでインフィニティ化させるテストであり、またエヴァと使徒の融合などその他のインフィニティ化を検討する実験であった。計画書である死海文書により都合10体の制限をかけ、第12番目の使徒をもって実験は終了の予定であった。

・しかし、破においてシンジと初号機が覚醒、11番目の使徒の座が奪われてしまった。さらにはインフィニティ化に至り擬似的なリリスとなった初号機は、サードインパクトを引き起こしかけたことで月面の使徒たちを目覚めさせてしまう。期が満ちる前に月面に残る使徒たちがリリスに殺到することを避けるため、ゼーレはマーク6が投下したカシウスの槍で初号機を制止、封印を施し衛星軌道へ打ち上げる。さらに月面の使徒全てにマーク6同様の拘束具を施し、暴走を抑えようとする。しかし、やがて降下を始める多数の使徒=量産型マーク6。ゼーレは急いでいたヴンダーの開発を中断、オリジナルのマーク6=12番目の使徒とアダムスの器でありもう一本のカシウスの槍を携えた7号機のみをリリスの座すドグマに投入し、初号機が起こしたニアサードインパクトではない、自身らの計画による真のサードインパクトの発動を強行しようとする。
・マーク6搭乗のカヲルはゼーレの意に従い、7号機とのインパクト発動により自らがリリス=神となることで、シンジが幸せになる理想世界を作り上げようとしていた。使徒たちの母星ではかつて旧作EOEのようなシンジによる補完計画の発動があり、マーク6のカヲルはその頃の記憶を月面の柩=記憶の共有システムにより保持していたのだ。一方、ネルフ本部のLCLカプセルで眠りについていた第1使徒のカヲルには、システムから離れたことによるフィードバック不足により、記憶の共有が失われていた。目覚めた第1使徒カヲルの前に現れる、マリとアヤナミシリーズ。3人の幼児体のアヤナミを連れた少女体のアヤナミ(仮にリナレイとする)は、7号機の予備パイロットであった。セカンドの時同様リリンを慮り、7号機搭乗とインパクト発動を拒む第1使徒のカヲルに、別の使命があることを伝えるリナレイ。シンジを待つことがゼーレから第1使徒のカヲルに課せられた宿命であった。再び眠りに付く第1使徒カヲル。固有のオリジナリティを持ちながらもゼーレの命に従うだけのリナレイを、自由闊達な信条ゆえに睨めつけるマリ。
・その頃、ネルフ本部はニアサードインパクトに伴い閉鎖、ゼーレの指示でユーロネルフに接収され、ミサトらは拘束されていた。加地やマリの立場そのままにゼーレに通じつつも、反逆の機会を伺っていたユーロネルフは、迫る量産型マーク6の大群と始まったマーク6と7号機のドグマ投入を横目に、対ネルフ・ゼーレ組織たるヴィレとしての活動を開始、開発中のヴンダーを強奪する。ミサトらを解放した加地たちは、こっちの方がと面白がるマリと8号機の協力を得ながら、形成逆転のためさらにアスカと2号機をも解放。ユーロネルフ=ヴィレはネルフをインパクトを起こし人類を滅ぼす組織と公表し、初号機およびリリスを目指しインパクトを発動させようと降下する量産型マーク6の対処に、各国の通常兵器を差し向ける。
・加地・ミサトらはゼーレのインパクト阻止のためアスカと2号機をドグマへ降下させるが、時既に遅く、マーク6と7号機はリリスに接触、インフィニティ化した2機によりサードインパクトが発動してしまう。開いたガフの扉により、浮上していくネルフ本部と、白き月ごと地球へ引き寄せられていく月。巻き起こる大災害の中、マーク6にロンギヌスの槍を引き抜かれカシウスの槍ごと7号機とリナレイを取り込んで巨大化するリリスに、殺到する量産型マーク6。ロンギヌスの槍を携えたマーク6と群れ成す量産型マーク6に対峙した2号機・アスカの危機に、マリはもう一本のロンギヌスの槍を携えた8号機で乱入、加地はゲンドウらにも協力を要請する。ゼーレの詰問を受けていたゲンドウは己の計画のため、渡りに舟とばかり、マーク6のダミーシステムを起動。カヲルは機体の制御を奪われ、その隙にマリの8号機がリリスの首を落とした。マーク6はダミーシステムにより自らとリリスにロンギヌスの槍を刺し、活動を停止。更にマリの8号機にもう1本のロンギヌスの槍を突き立てられたことで、リリスも完全に活動を停止。月は赤く裂け、サードインパクトは中断された。

・サードインパクト中断の結果、リリスの遺骸はエル結界を展開、降下した量産型マーク6は赤色化して活動を停止したが、ネルフ本部周辺はエル結界によりヒトの棲めない世界となってしまった。ミサトらはギリギリで脱出し難を逃れ、マリとアスカは8号機・2号機とともにネルフ本部を脱出したものの、インパクトによる再びの大災害に見舞われた世界は、復興までに相応の時間を要した。
・一方、本拠地の月が半壊し多数の使徒を失ったゼーレは、インパクト中断に手を貸したゲンドウを粛清、(旧作のキールのように)肉体を機械化し、新たなインパクト発動のための人造リリス建造を指示する。ゲンドウは冬月とともに、ヴンダー制御の要となるマーク9に続き、アヤナミシリーズが駆るエヴァ10号機・11号機・12号機を開発。初号機のような擬似リリスの作成に取り組むも、魂の位置が異なる=クローンかつ経験不足のため自我の未成熟なアヤナミシリーズ(チビレイ)搭乗の未覚醒エヴァでは、成功には至らなかった。
・ヴィレは復興の傍ら、ゼーレによる新たなインパクトを想定し、エヴァ・使徒・リリスを倒すための兵器としてヴンダーの完成を地道に進める。だが、ヴンダーの主機には生命の実を持つ使徒が必要であった。覚醒し11番目の使徒となった初号機を必要とするヴィレに対し、ゼーレ・ネルフは12号機までの開発の過程で生み出された擬似使徒・ネーメズィスシリーズを投入、初号機の警備とヴィレ・ヴンダーへの圧力をかけ、攻防が続いた。

・そして14年の月日が過ぎ、遂に発動するヴィレのUS作戦ーヴンダーの主機となる初号機の奪取作戦から、Qが始まる。だがそれさえも、ゼーレとその走狗を演じるゲンドウの計画ー新たな擬似リリスとしての第13号機を生み出すための通過儀礼に過ぎなかった。ゼーレの計画は、ゲンドウによるシンジとレイの心情操作の結果である初号機の擬似リリス化の再演、すなわち、サードインパクト発動前に仕掛けたゼーレ最大の保険・第1使徒カヲルとシンジの接触による第13号機の覚醒であった。サードインパクトの実際を知らないカヲルにインパクトの緒言と槍に関する誤情報を与えたゲンドウは、さらにレイに似せたアヤナミ(仮)を使い、ヴィレにサルベージされたシンジを、彼が十分な情報を得る前に奪還。カヲルと接触させ、インパクト発動の結果と罪でシンジを追い込み、カヲルとともに第13号機と2本の槍による救済へと導いていく(トウジの衣服がゲンドウの差し金であることは言うまでもない)。
・獲得した2本のロンギヌスの槍に促され、さらにATフィールドを持たないが故にマーク6=12番目の使徒とその操縦者だったカヲルを取り込めた第13号機は、遂に覚醒、インフィニティ化に至った。残るは自律稼働を仕込んだマーク9によるヴンダー奪還と、それらをも取り込んだ第13号機によるフォースインパクトの完遂。彼らに成し得る残り全ての布石を打ったゼーレに、死海文書の改定ーインパクト全権の委譲を持ち掛けるゲンドウ。あくまで補完計画の管理者であり使徒たちの進化を目的としていたゼーレは、計画完遂を確信し、ゲンドウに全てを委ねて機能を停止した。
・この時をゲンドウは待っていた。ゲンドウの目的は、人類に文明を与えた神に等しい存在であるゼーレの打破と、彼らによる補完計画の阻止であった。カヲルの言にあるよう「太古から定められていた絶滅行動」である補完計画がゼーレの思惑通り遂行されれば、人類滅亡は必至であったが、単なる反逆ではゼーレと計画は止められない。ゲンドウは自らゼーレの走狗たるネルフの司令として補完計画を先導し、ゼーレに従いながらも計画完遂と決定的な人類滅亡を回避しようとしてきたのだ。のみならず、ゲンドウはインパクトの主導権を己の手中に収めることで、リリスに成り代わる=神殺しによって得られる神の力=生態系の再構築により、幾たびにも渡るインパクトの被害から人類を再生させようと計画していたのである。カヲル用にネルフで開発したDSSチョーカーをヴィレに流しシンジからカヲルへ移し替えさせることで第13号機とともにトリガーとなったカヲルを抹殺、葛城大佐とアスカの改2号機を核としたヴィレの戦力でマーク9を排除、マリにシンジを救出させ、ゲンドウはゼーレ亡き後のフォースインパクト阻止にかろうじて成功する。

・さて、次なるゲンドウの計画が、新たなインパクトーファイナルインパクトであることは明白だろう。そのために残されている手札は、マーク6とカヲル=12番目の使徒を取り込み覚醒した第13号機、そして今はヴィレの手に置かれたヴンダーと、10番目の使徒とレイそしてユイを取り込んだ初号機である。
・これらを使いゲンドウがインパクトの主導権を真に握る為に必要なもの、それこそがネブカドネザルの鍵である。ネブカドネザルの鍵とは、恐らくベタニアで解体調査された3番目の使徒、その制御ユニットの神経組織であり、ゲンドウはこれを取り込むことで、己をアスカやシンジら使徒化したエヴァパイロットと同様の存在とし、カヲルに代わり第13号機と融合するつもりなのだ。
・複数のエヴァを搭載可能な巨体を有し、戦艦型エヴァとも見受けられるヴンダーは、ゼーレの計画においては、進化すべき使徒たちを載せ、融合した真のインフィニティ=新たなリリスとともにガフの扉の彼方において新たな生態系を構築するための箱舟であった(かつての月の機能である)。ゲンドウは、初号機を主機としたヴンダーを、己の駆る第13号機と融合させることで、初号機内のユイとともにファイナルインパクトを発動させ、人類再生を成そうとしているのである。
・だが、ゲンドウの計画遂行には幾つかの障害がある。一つは未だ月面に残存するであろう使徒たち=量産型マーク6群、もう一つは葛城大佐を核としたヴィレの抵抗である。第13号機の覚醒は、ニアサードインパクトと同様に月面の使徒たちを活性化させ、降下へと導くであろう。また、更なるインパクトの発動は、度重なる被害を受けて来た人類、ひいては対ネルフ組織であるヴィレには容認できまい。加持経由でか、ゼーレやゲンドウの計画の多くを知る葛城大佐と赤木副長は、(シン予告の2+8号機のような)ダブルエントリー型のエヴァをも投入してくるかもしれない(2+8号機に使徒化しているアスカとマリが乗り込めば、獣化第二形態やモード777のような方向性で、擬似的にインフィニティ級の力を発揮することも可能だろう)。恐らくゲンドウは、月面の使徒たち=量産型マーク6群の再降下と、それに対するヴィレの抵抗の最中を狙い、ファイナルインパクト発動とその前哨戦としてのヴンダー・初号機奪取へ挑むつもりだろう。そのための手駒として、計画の中核たる第13号機以外にも、ネーメズィスシリーズの投入も予定されていると考えるのが妥当だ。あるいは、10~12号機までのエヴァも、稼働状態によっては投入されると思われる。だが、これらはその実、ゲンドウにとっては諸刃の剣でもある。マーク9を自律稼働させたようなゼーレのプログラムがどこに、何に仕込まれているかは全くの未知数だ。それは恐らく機械化されているゲンドウの肉体すら同様である。
・それでもなおゲンドウは、己の計画遂行へ邁進するだろう。それがネルフ司令として幾度のインパクトを引き起こしたゲンドウの贖いでもあるからだ。そしてそれは、サードインパクトのトリガーとなった罪の意識から第13号機へ搭乗したシンジの心情と同一である。…ここで、シン・エヴァの中核となる内容がわかるだろう。すなわち、独りインパクトへ向かい子供のように全てをなかったことにしてやり直そうとするゲンドウと、ミサトやアスカらとともに大人として現実を受け入れその先の未来を進もうとするシンジの相克が、シン・エヴァのメインテーゼとなるのではないだろうか。ゲンドウの理解者である冬月や、初号機の中で時を待つユイとレイが、碇親子の絆を繋ぐことが出来ればよいのだが…果たして。


長かった…さて、ここまでを改めて要素ごとに整理すると…

・月の秘密って何?…使徒のキャリア。マーク6の素体みたいのが山ほど埋まってる。あとカヲル入りの柩も大量にある。ようするにかつての使徒側のヴンダー。元々は白き月も埋まってたけど、ファーストインパクトの時に白き月は南極に埋まり、セカンドインパクトの時に浮上して月に戻った。
・使徒の正体って何?…月面の巨人みたいな素体と制御ユニットのカヲルで構成されてる。素体とカヲルが融合すると、エヴァでいう獣化形態的になって劇中の使徒みたいになる。月面で素体もカヲルもゼーレが管理してるけど、目が覚めると本能でリリスのところへ向かう。マーク6完成後、大量にリリスに来ないように素体に拘束具つけたけど、初号機の起こしたニアサードインパクトでみんな目が覚めて月からリリスに向かった。そいつらがサードインパクトの中断の結果エル結界で赤くなったのがQの「インフィニティのなり損ない」(だから拘束具つけてるのがいる)。シン予告の量産型マーク6はこいつらの生き残り。
・インフィニティって何?…リリスと使徒の接触またはエヴァ・使徒化パイロット・使徒の肉体・使徒の制御ユニットが合計4つ以上融合して出来る擬似リリス。別名アダムス。ガフの扉を開きインパクトを起こせる。こいつが本物のリリスと融合して始祖の座を奪う=神殺しを成すことが補完計画の核心。
・アダムスの器って何?…使徒素体。もしくはマーク6みたいな、要するに使徒素体が素体のエヴァ。普通のエヴァは制御ユニットとしてのコアがあるのでシンクロでATFが張れるが、全身がコアなアダムスの器はATFの源になるカヲル=制御ユニットと融合していないのでATFが張れない。
・ガフの扉って何?…要するにワームホール。これの向こうへ行くことで、ワープした向こう側で新たな生態系が構築できる(そのための箱舟がヴンダー)。インフィニティのみが開くことができ、覚醒エヴァが開けるバラルの扉は不完全なものかと。
・槍って結局何?…恐らくインパクトの進行を司ることができるんじゃないかと(多分ガフの扉の制御関係)。ロンギヌスがインパクトを促進させ(扉を開くのに貢献)、カシウスがインパクトを制御する(扉の安定に貢献)、みたいな。第13号機がなんだか勝手に覚醒したっぽいのは、インパクト促進機能を持つロンギヌスを2本持ったからじゃまいかと。インパクト発生メカニズムそのものに関わるというより、補助的な役目という解釈ですな。
・インパクトって何?…2本の槍を持つ2体のインフィニティがガフの扉を開き、リリスと融合して扉の向こうへ行くこと。結果、大災害が起こる。また、中断にはリリスの死を伴うため、エル結界で色々赤くなる(海水とか大地とか)。
※セカンドの時は、南極の白い月に使徒たちのリリス=始祖があったので、それに接触した使徒4体がアダムス=インフィニティになってガフの扉を開いたが、その内の1体の制御ユニットだった第1使徒のカヲルが中断 。
※破ラストでは、初号機が覚醒し搭乗してたシンジが使徒化、さらに10番目の使徒をその制御ユニット・零号機ごと取り込んだためにインフィニティ化、ガフの扉を開いたが、マーク6搭乗のカヲルによりカシウスの槍で初号機を停止して中断(これがニアサード)。
※本サードの時はマーク6とカヲルに加え、槍持ちのために7号機とリナレイもドグマに投下、リリスとの接触でインフィニティ化、ガフの扉を開き、7号機とリナレイはリリスと融合したが、マーク6ともどもロンギヌスの槍2本を刺されて中断。
※フォースの時は、カヲルとシンジを載せた第13号機が覚醒し12番目の使徒と制御ユニットを取り込みインフィニティ化、ガフの扉を開いたが、DSSチョーカーによるカヲル殲滅で中断。
・カヲル君の秘密って何?…月に複数いることと、破カヲルとQカヲルは別個体ということ。破カヲルはマーク6でドグマへ降りたが、インパクトを中断されマーク6とリリスごと槍に刺され絶命(下手人はマリと8号機じゃないかな)。第1使徒のカヲルはその事を知らぬままシンジを待ってた。「マーク6は自立型に改造された」とかはゲンドウとゼーレがQカヲルに与えた誤情報。
・11番目の使徒って何?…初号機とシンジ。他の使徒が肉体と制御ユニットで1体分のナンバリングであるのと同様、覚醒エヴァと使徒化パイロットで1体分のナンバリング。 同様に、覚醒した第13号機とそのパイロットであるカヲルも13番目の使徒とナンバリングされることになる、と。
・トリガーって何?…インパクトのきっかけになったもの。初号機は擬似リリスになって月面の使徒たちをおびき寄せたため、ゼーレがサード発動を急ぐきっかけになってしまったのでトリガー。カヲルは13番目の使徒になった=第13号機を覚醒させてフォースを発動させるきっかけになってしまったのでトリガー。同じ理屈でシンジもトリガーと言えるけど、言わないカヲルの優しさとか言わせんなはずかしい。
・リリスって何?…生命体の源の総称。上記の通り、使徒側のリリス(南極・白き月)と、人類側のリリス(ジオフロント・黒き月)がある。ゼーレの契約は使徒側のリリスとのもの。
・ゼーレって何?…旧作で言う第一始祖民族。ようするに宇宙人。月面の使徒の素体と制御ユニットを管理してる。他星での補完計画発動が主目的(補完計画の人類=使徒)。白い月に載ってたため、地球に来た時にキャリアである月と別れてしまい、人類に文明を与えて手足にするしかなかった。セカンドの時に浮上した白い月と共に月へ帰還。冬月が電源を切れたのは、サードの影響で月が地球に接近してたから。現在はモノリス型(モノリスが映像だけの存在なら、脳味噌だけで保管されてるのかも、ベタだけど)。元々はカヲル(使徒の制御ユニット)のような人型生命体だったのかもね。使徒のような生命の実を持つ生命体に進化できたけど、肉体に融合すると知恵の実を失ってしまうので、インパクトで他星へ移動→ヴンダー的箱舟だった月が地球にぶつかって失敗、みたいな流れだったりして。諦観された神殺しというのは、地球のリリスがサード中断で骸になり神殺しが出来なくなったため。ゲンドウの契約改定に同意したのは、第13号機の覚醒とインフィニティ化で神殺しするための新たなリリスを作り出せたから。
・ネブ鍵って何?…3番目の使徒の制御ユニットの神経組織(3番目の使徒が活動できたのは頭部の神経が取り出せてなかったから)。これを取り込むことで擬似的に使徒になれる。
・ゲンドウのシナリオって何?…ゼーレの計画に従いつつ、それを覆す計画を立てていた。シンジ・レイ・カヲルの心情を巧妙に導いて初号機と第13号機を覚醒させ、サードとフォースでリリスを片付けたまでが現状。後は、インフィニティ化済みの第13号機をリリスに見たてて、インフィニティ化済みの初号機を融合、さらにヴンダーを組み込んで神殺しを完遂し、新たな世界で人類再生を成し遂げる。そのためにネブ鍵を使い第13号機のパイロットとなり、ヴィレの元にあるヴンダーと初号機を奪取することが残されたゲンドウの計画。


・これで補完計画に絡む大体の謎はまとめたつもりだけど、残されている謎の幾つかに触れておく。
・加地とトウジの生死については、監督の采配如何という意見に同意。ただ、ミサトがかなり自分を追い詰めて押し殺してヴンダー艦長を演じてる感じな点、サクラが他のメンツに比べてもかなりシンジに好意的な点から、加地死亡・トウジ生存かなと予想。
・あとはマリ。予想材料が少ないので、加地とトウジの生死同様、監督の采配如何でどうにでもなりそう。ユイの写真については、初見直感ではメガネかけたキョウコさん(アスカ母)だと思ってマリとは思わなかった。まあ似てるっちゃ似てる気はする。これまでの考察・妄想から、ゼーレの思惑を知ってるのは個人的には確定的。加地と同様ゼーレに踏み込みつつもヴィレ側の立場か、よりゼーレ側の…というか使徒の側の存在という可能性もあるかなと。例えば使徒の制御ユニットの女性タイプでセカンドのアダムスの生き残りとか。あるいはベタニアでネブ鍵のテストを受けていたとかいうのもアリかも。


そんなこんなで、長かった本記事もこれまで。
当たってるかどうか?そんなこと俺が知るか。

ヱヴァQについて。初日に見てきたので、ようやくだけど感想まとめ箇条書き。
以降ネタバレなので未見の方は全力回避推奨です!




















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さてはて、ここからです。


・最初の巨神兵、初見なのですが(博物館行けなかったorz)、ほとんど今回の実写パートでしたね><; レイ役・林原さんの語りじゃどうしようもねえ>< 神の存在の危うさがここでわざわざ語られる、それもエヴァの原型の一つである巨神兵を使って…というあたりでもうここも含めてヱヴァQなんだなとも。ソフト化の際は是非一緒に収録してほしい…><

・さて、今作のキモはやはり、度肝抜く14年後設定。もうこの時点で完全にヤられた…!現行のガンダムW小説版じゃないんだから(見てないけど)、というのが真っ先に浮かびつつ。でも00とかギアスとかゼロ年代後半のクール分割ロボットアニメも連想…そういう意味ではベタではありましたか;

・でも、そこ抜くとやっぱり24話を換骨奪胎してる話がQなんだな、とも。冒頭&前日TV放映のアスカの改弐とマリの八号によるアルミサエルっぽい11番目の使徒戦含む宇宙での初号機奪還は22話23話のエッセンスだったり(20話のサルベージも込みか)、23話のレイというかアヤナミシリーズのネタバラシだったり(冬月先生が将棋しながらというのが興味深い)、量産してっぽいエヴァとか崩壊した巨大綾波ってかリリス?とか絶望シンジはEOEぽかったり、24話を軸に旧作の要素はあらかた片付けた感じか。

・しかしヴンダー凄え。撃破した12番目の使徒戦の豪快な戦いっぷりはもちろん、擬似シン化を超えたエヴァ13号機にも迫るなど、戦力として申し分無し。最後まで見るとどこでどうやって作ったんだ感もあるけど;

・初号機はヴンダーの動力源にされ、単体行動不可、まさにヒーロー(主人公機)不在のウルトラQ状態。ちなみにヴンダーの初見感想は「遂にスパロボ運用可能な戦艦がエヴァにも!」だったけど、よく考えたらこれ使ってると初号機は使えんのか>< 最終作ではどうなんのかな…。

・旧発令所メンバーは老けたな…しかし皆カッコ良くなった^^ ミサトさんだけでなくてなw 結構リッちゃんがツボだった^^ ヴンダー含め、大人たちが戦力として全力で戦ってる感(子ども任せでなくてね)。ミサトさんは自分がシンジの決断=ニアサードインパクトを後押ししてしまったことを背負い込んでいるのかな…故の「何もしないで」なのか。ところで名前だけ出た加持さんは?

・ヴンダーブリッジクルーの新キャラたちはまだまだ染み込んで来ないな…つか出番少ないよ>< 1番印象深いだろうサクラ嬢含めシンジのヴンダー離脱後はほとんど出番無いし…。最終作でしっかり掘り下げられるのかな?(それともスピンオフか??)

・ヴンダー離脱以降のジオフロントでの話は特にそうなんだけど、今作はあまりにシンジ視点で、シンジの決断一つが人類を滅ぼしかけたとか、非常にセカイ系っぽい雰囲気が…; 冬月との積み将棋とかカヲルやアヤナミ(仮)とのコミュニケーションはあるんだけどね…。凄まじく孤独感煽られたり、エヴァに乗れ乗るな的な追い詰められっぷりとか、雰囲気的にぶっちゃけ旧エヴァ終盤の感覚を思い起こされる><

・そんな中でのシンジのカヲルとの触れ合いは、観てるこちらが旧作のイメージを負い過ぎてたせいか、孤独感とニアサードインパクトを起こした罪の重さとに潰されそうな中カヲルに言い寄られているシンジがひたすら心配というか、カヲルに騙されてるくらいのヤバさを感じながら観てしまった…。実際カヲルに決断を委ねて暴走したシンジはフォースインパクトを引き起こすわけで…アスカの「ガキシンジ」が非常に刺さる展開><

・んで、カヲルの言動はそういった結末にシンジを導いてるようにも見えて、だから自らDSSなんちゃらて自爆用首輪を受け取ったり槍の解釈に困惑し切っちゃったり最期で旧作よりもポジティヴに自死を選んだりしたあたり、観た直後は消化しきれなかった…んだけど、カヲル役石田氏のインタビューとか、劇中の「僕は君に会うために生まれてきたんだねぇ」て述懐を踏まえると、旧作との繋がりはあまり無くてやっぱり別物として考えた方が良さそうかなとも。カヲル自身の知る仕組まれた運命(ゼーレからのシナリオ?)にフォースインパクト発動は無く、心底シンジを救おうとして、故の動揺と死の決断だったのかな、的な。

・今回も何処から何処までがゼーレのシナリオでゲンドウのシナリオなのか、それを何処までカヲルが知っていたのか、非常にわかりづらいんだけど、わからないまま終わった旧作よりヒントは多いように思う。わからないなりに現時点の個人的見解をまとめると、①ロンギヌスの槍を2本用意していたのはゲンドウ(カヲルのリリンの王て発言から)でこれはカヲルの想定外②ゼーレはフォースインパクト中に退場(ゲンドウの我々に文明を与えてくれた的発言からゼーレ=旧作の第一始祖民族?)③カヲルの自死でフォースインパクト中止後も続くゲンドウのシナリオ、この三点から、「ゼーレのシナリオは2本のロンギヌスの槍によるフォースインパクトで、カヲルもゼーレに騙されていた。ゲンドウはゼーレの傀儡としてフォースインパクトを準備しながら、阻止のためにカシウスの槍と初号機をヴィレに託し、またシンジとカヲルの心情を巧みに誘導し、ゼーレを騙して退場させた後フォースインパクトを阻止、自らの補完計画=ファイナルインパクトを目指している」かなと。

・ゲンドウの計画は、邪魔なゼーレを排した後のロンギヌスとカシウスの2本の槍による補完計画発動=カヲルがシンジとやろうとしていた人類救済、と思われるけれど…ゼーレが退場し最後の使徒も倒されたことで、新劇ヱヴァの敵はゲンドウ1人に絞られたと思う一方、冬月先生の言動などただの悪役ではないのは明白なので、ゲンドウ役・立木さん同様、最終作でのゲンドウの終焉に注目しております…!

・今回のシンジは何かとまさにガキっぽいというか他人に色々寄りかかりながらのくせに自分の考え中心に動いてるんだけど、14年経った実感の無いまま破の延長の感覚であれば仕方ないというかもっと周りの連中気遣えよと^^; まぁ大罪人中の大罪人だから、仕方ないとなるのが新劇ヱヴァの世界観でもあるか>< シンジ役・緒方さんのインタビューとか見てると、破の成長がむしろ今作ではシンジを増長させ追い込んでいる感も…>< 最終作ではシンジは自分の決断(の責任)を背負えるようになるのかな…。

・そんなシンジをひたすらはたき続ける役割の式波アスカさん…肉体は14歳でも精神は28歳でエヴァパイロットとしてヴィレの中核として色々背負い続けてきたせいか、キッツイキッツイ…。一方で、それでもシンジを待ち続けていた感もあり、だからこその蹴倒してでも立たせて共に歩ませるラストシーンなのであって…。シンジの希望はきっと、共に歩もうとするアスカであり、恐らくは共に罪を背負っているミサトなのかな、と。こちらも最終作に期待大です。

・で、真希波マリさんはなんか今回も影薄いぞっと…。完全にアスカのサポート役合点承知なんですが、まぁ要所要所で色々押さえてるのでむしろ萌えましたw 特にゲンドウ君とかw 最終盤で戦闘中にアスカと共にアヤナミ(仮)に声かけしたり、カヲル死亡後のシンジを救い出したり、やっぱり新劇ヱヴァのキモを押さえてるのは彼女(の強さ)なんだな、とも。最終作では彼女の目的もわかるのだろうか…。

・最後にアヤナミレイ(仮称)…ぶっちゃけ旧作の3人目相当のキャラなんですが、旧作がある種のオリジナルである2人目に引きずられっぱなしで終わったのに対し、今回は完全に別キャラとして自分のドラマを持っている感…。命令に従うしかなかった彼女が、マリとアスカに声かけされて終盤にエヴァ9号機を捨てた辺りは、やっぱり最終作を期待させるものでしたね…。

・今回は総じて、序破急の急で〆に向かって、というより、起承転結の転で一回落ちるパートだったんだよなという感が強いんだけれど、それだけに、後は跳ね上がるだけという感じで、最終作への期待は高まりますね…。特に今回、旧作およびEOEの感覚を想起させる部分というのはあえてのことで、むしろ最終作でそこを超えていくための準備だと感じたので、とにかくEOEレベルまで追い込まれたシンジがどう立ち上がっていくのか、そして恐らくはその先に立ちはだかるだろう最後の敵・ゲンドウとどのように向かい合うのか、今はただ楽しみにしたいなと。

・あと各種エヴァについて。バリエーション多彩な改弐号機および8号機が素敵。アスカ版ザ・ビーストの猫化弐号機とかはやり過ぎ感も^^; 旧作の量産機っぽくもある9号機やタンデム型4本腕でかつネガ初号機的な13号機(山下いくと氏の小説各作を思い出さざるを得ない!)とか、奇怪さも目立つけどそれもある種エヴァだしねぇ…(だから総作監本田氏なんだろうねぇ…><;)


・とりあえずはこんなところで。他の方の感想見て思い付くところがあったらまた考えよう^^;