内田祥文のKeep Hope Alive♪ -2ページ目




横綱 曙
格闘家 曙
プロレスラー 曙

一世を風靡したのはもちろんお相撲でしょう。
若貴ブームを共に牽引し、あのブームも曙というヒールがいたからこそ、
余計に盛り上がったのは紛れもない事実だったかと思います。

僕はプロレスラーの曙が好きでした。

親方という立場を捨てて格闘家に転身した時はお金に困ってるのかなぁと思っていました。
それでもこちらの記事を読んで、そうじゃなかったんだと亡くなってから分かりました。
もっと早くに知っていれば、もっと好きになっていました。
こちら


プロレスラーとしての曙は、その知名度からどこの会場に行っても人気がありました。
レスラーは体が大きいだけで有利だし、目立ちます。
つまりその存在だけでインパクトを残せるんですね。

曙の場合は横綱という箔もついていたし、誰もが知っているということとオーラがありました。
入場からリングイン、リング上での闘い、そして退場する時も魅せることの出来る数少ないレスラーでした。

そして試合が終わってからも売店に来て、気さくにサインや写真に応じてくれました。
今日の写真はまさにそれです。

亡くなってから、相撲界よりも多くのプロレスラーたちから追悼の言葉がSNSに溢れていました。
どこの団体に上がっても、その人柄の良さでみんなから愛されていたのでしょう。

レスラーとして油が乗ってきて「王道」というプロダクションを立ち上げました。
かのジャイアント馬場さんの元子夫人から承認されて、事務所も元子夫人の住所でした。
これから自主興行も増やして、それまでの関係を深めてきたレスラーたちと一緒に
同じリングに上がって普段は見られないようなカードが実現するのかなぁと楽しみにしていました。

残念ながら、その後すぐに病に倒れてしまって・・・。


下の写真は「王道」のTシャツです。

インパクトのあるデザインはまさに「横綱インパクト」。
そして第64代横綱にこだわった「64」を常にコスチュームにも入れていたので、
このTシャツにも入れ込んだのでしょう。
ちなみに第65代横綱は貴乃花です。
貴乃花よりも早く横綱になったんだというこだわりを感じます。

このTシャツと頂いたサインは今でももちろんあります。
Tシャツはたまに着てます。

かなり厳しい闘病生活とは聞いていましたが、それでももう一度あの勇姿を見たかったです。

外国人初の横綱ということで日本の国技にも大きく名を刻んだ曙ですが、
短いプロレスラー人生の中でも大きなインパクトを残したのは事実です。
レスラーもファンも忘れないでしょう。










合掌













東行忌



4月14日は高杉晋作の命日で東行忌という法要が行われます。

今年はコロナ前と同じ規模での開催ということで晴れて良かったです。

僕は毎年その前々週に櫻山神社の春季例大祭に参列し、
奉納高杉晋作ライブをやっているので東行忌の方は不参加になっています。

例大祭で東行庵の世話人代表の方ともお会いしているので今年もご挨拶をさせて頂きました。
毎年ご案内を頂いているのですが、欠席に○をして返信しているのも申し訳なく…
少し早いお墓参りを個人的にして、当日に合わせて「志」を送っています。

知り合いが写真を送ってくれました。

「内田さんの日本酒置いてありますよ~」
ということで、こちらも無事に届いて良かったです。

良かったことは良かったのですが、この「志」も年々数が減って、
今年は地元の組合からと僕からだけになっていました。

幕末維新の立役者である高杉晋作の法要にこれだけじゃ淋しいです。
今日は日曜日ということで多くの人たちが全国から集まったようですが、
高齢化も相まって今後が少し心配です。

まぁ、今日は大勢でにぎやかな法要で高杉晋作も喜んだのではないでしょうか。

また来年の下関が楽しみです。



合掌







長崎平和公園

長崎の街並みらしく原爆資料館へ上って行き、原爆落下中心地へは下りて行き、
そして平和公園にはまた上って行くという流れでした。

平和公園はそれなりに上がるのでエスカレーターが設置されていました。

エスカレーターを降りて公園に入っていくと、噴水の池があってそこには原爆の悲惨さを
表すようなある少女の文章が目に入ります。




一番手前と一番奥にある祈念像




とても広い公園です




毎年式典の行われる会場でもありますよね
ここの映像を毎年見てたんですよね









平和祈念像、間近で見ると迫力がありました




改めて戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを確認した感じです。
もう本当に長崎を最後にしなければいけないと思います。

行きたかった長崎の資料館、平和公園に行けて良かったです。
長崎は大好きなところで、ここを歩いてまたいろいろと感じるところがありました。









長崎原爆落下中心地

資料館から原爆落下中心地へ。

ここは資料館出てから少し探してしまいました。
広島のように資料館出たら象徴的なものがすぐに見えたりするのかなぁと勝手に思っていましたが、
どこにも見当たらず・・・。
知っていればなんてことは無かったんでしょうけども・・・。

下りて行ったところがまさに原爆落下中心地でした。














これが位置関係を表す地図。
くっついているようで何気に歩きました。








長崎原爆資料館



グラバー園を後にして、原爆資料館へ行きました。
広島の方は何度か行きましたが長崎は初めてでした。

行きたいと思っていましたがいつも時間の関係で他に行っちゃったりしてたから、
後回しにしちゃってたんですよね。
今回はゆっくりと時間を取って行ったのでじっくり見ることが出来ました。

広島の原爆資料館、慰霊碑、そして原爆ドーム。
勝手にこのイメージを長崎の方にも当てはめていたので一緒にまとまっているんだろうと。
そしたら違っていました。

まずは原爆資料館の方へ。
特徴的な建築デザインの資料館でした。




本当に最後にして欲しいものです。






全体的なスケール感で言えば広島の方が圧倒的でしたが、内容は甲乙つけがたいです。
広島と長崎はどうしてもセット。
天候の関係で小倉から長崎に変更されてしまいましたが、小倉なら小倉で同じ悲劇だったわけで。

広島も外国人が多かったですが、ここも多くの外国人が来ていました。
日本人もそうですが、外国の人たちにも感じてももらえたら・・・。

もっともっと核廃絶を強く訴えていかなければ・・・。

本当に悲劇しかないです。