大学に通っているとき、なるべく周りの空気に流されないように気を付けた。
時はバブル崩壊が始まりだしたときだが、うちの大学の雰囲気はバブルそのものだった。
といっても、大学の雰囲気を知るほど、他人と会話したり、仲良くしたりしたことはないのだが。
当時は、いつも仏頂面で、一匹狼を演じていた。
そのくせ、周りの目にどういう風に映っていたかをやたら気にした。
自分は4浪していることもあり、自分について、周りからは孤高の人、近寄りがたい人というイメージを持ってもらいたかった。
当時学部の中でとりわけ美形な女子がいた。
ポニーテールの似合う田中好子に少し似た感じの女子だった。
まわりのアホな男どもがいつも彼女の噂をしていた。
自分も彼女のことが少し気になっていたので、本当はその中に加わりたかったが、自分が加わるとアホが伝染ると思い、聞き耳をそばだてるだけにしていた。
もちろん自分は女子との付き合い方が全く分からないため、自分からその女子に積極的に話しかけることなど絶対できなかった。
そして、授業の合間にひょんなことから、その女子の帽子が落ちていたので、後ろから走り寄り自分が拾ってあげたことがあった。
向こうはそのとき、すごくかわいらしい笑顔でお礼を言ってくれた。
が、自分は女子とまともに会話したことがないため、その笑顔に必要以上に照れてしまい、うまく応答できなかった。
結局孤高の人よろしく、フン!という感じでやりすごすだけだった。
そのとき、自分は、うまい返しはできなかったことに後悔した。
しかし、彼女は俺の持つ優しくてニヒルなイメージに興味を持つに違いない、と思い込んだ。
もしかすると、彼女をモノにできるかもしれないとまで思った。
普段は凌辱オナニーに耽る俺も、そのときだけは彼女をその対象としなかった。
初恋というほどのものでもないが、たった一瞬の出来事でそのくらい彼女は特別な存在になりかけた。
そして、彼女の中で自分は特別な存在になっているとも思い込んだ。
しかし、数週間後に事件は起きた。
通学途中、学校に行く電車の中で、隣の車両で彼女を見かけた。
俺は胸を弾ませ、用もないのに、隣の車両まで行き、彼女にわかるようにさりげなく前を通った。
そして、彼女の前を通った時、渾身の力をふりしぼって言った。
「おはよう」
しかし、彼女は俺を見てきょとんとした。
そして、
「え?」
と言われた。
そして、さらに渾身の力を込めてもう一度言った。
そしたら、初めて彼女が
「おはようございます」
と言った。
しかし、そのトーンは明らかに向こうは俺のことを覚えていなかった。
そんな「え?」と「おはようございます」だった。
そのとき、俺の中で何かが崩れた。
彼女は自分のことを覚えていない。
好きの反対は嫌いではなく、無関心だと、マザーテレサが言ったことを思い出した。
そうか、彼女にとって俺はまったくの無関心なんだ。
俺は少なくとも彼女に相当な関心を持ったが、彼女はまったく俺に対して、帽子を拾った俺に対して、関心を持たなかったのである。
嫌いならまだわかる。
知らないのだ。無関心なのだ。
屈辱だった。
そんな事件があった後、彼女が早稲田のサークルに所属していたことを風のうわさで知った。
このうわさを聞いた後、さらに司法試験の勉強にのめりこんでいくようになった。
彼女が早稲田のサークルにいるというだけで、自分の中では彼女は高学歴、当時で言う三高の女なんだと思い込み、それなら俺は弁護士になってやると意気込んで勉強を始めた。
そういう不純な動機から始めれば、うまくいかないのは目に見えていた。
しかし、当時の自分にはまったく見えていなかった。
そして、彼女もまた俺の凌辱オナニーの餌食となった。