昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ -2ページ目

昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

中学校2年生のとき、担任の先生が35歳くらいの独身の男の先生だった。

頭ははげ散らかっていたが、すごく人の好い先生で、いつも笑顔の優しい先生だった。


その先生が担任になった当初、周りの友達から

「あの先生、独身らしいぜ」

と言われ、

「えー、やっぱり」

と咄嗟に言った覚えがある。



先生は人柄は良いものの、その容貌は決して良いものではなかった。

あの容貌では結婚できないんだろうと薄々感じていた。


そして、先生自身もからかわれることを知ってか、よくネタにしていた。

授業中に、「結婚手前までいっても、なかなかそこからが難しいんだよなあ」と言って、皆を大爆笑させた記憶がある。

自分も当然爆笑した。


この爆笑は完全に侮蔑の感情である。


あるとき、お調子者の生徒が、先生に独身ネタでしつこく馬鹿にしていた時、先生が怒り出したことがある。

「いい加減にしろ!」と言って、皆の前で長々と説教された。

説教の内容は決して独身ネタについてではなく、他人を馬鹿にするようなことは言うな、という内容だった。

そして怒った後、先生は悲しい表情をしていた。

皆その顔を見て、やっぱり先生は独身であることを気にしていたんだと思い、以来、皆そのネタに一切触れないようにした。

それに気づいてか、先生自身もその話をあまりしなくなった。


自分も先生のことをとても不憫に思った。

当時の自分の中では、30代の男性は皆結婚して子供がいるイメージがあった。

自分の親ですら30代では結婚していた。

だから、35歳くらいで独身というのは、ほんとにかわいそうだなあと勝手に心配していた。


しかし、その先生は自分が3年生になった直後に結婚し、学年便りに自分の結婚式の写真を載せていた。

「やっと結婚しました」みたいな冗談交じりのコメントが載っていたことを覚えている。


そのときも、自分の元恩師の結婚の写真を見て、おめでとうという祝福の感覚はなかった。

むしろ、こんなに年をとって結婚しても何もめでたくないだろう、と思った。

この年で結婚って嫌だなあ、自分はもっと早く結婚しよう、というのが当時の率直な感想である。


子供心にあった自分の未来予想図は20代で結婚し、子供を持つことだった。


しかし、45歳になった現在、子供心にあった未来予想図は1個も実現していない。

結婚はおろか、彼女すら、女友達すら、女性との会話すら、いまだに実現できていない。

アルバイトは始めたものの、職歴らしい職歴もない。


ちょうど10年前、自分がまさに先生と同じ、35歳の頃だった。


うちの母が電話で、誰かとよもやま話をしていた。

その電話の中で、

「うちの息子はまだ独身なのよねー。誰かいい人いないかしら」

と半ば冗談で言った。


これを隣の部屋で聞いたとき、怒りではなく、むしろ、嬉し恥ずかしな気分になったのを覚えている。

独身と言われて、なんとなく誉められたような気分になったのだ。


まだ女性とまともに会話したことすらない自分が、「独身」というカテゴリーに入れてもらえたことが嬉しかった。

女性経験値0の自分が、「独身」という一段上のクラスにレベルアップした感覚になったのだ。


これは今も同じで、独身と言われるとなんとなく嬉しい。


塾の生徒に自分が独身であることを告げた時、小さい子であればあるほど、素直に驚かれる。

独身だと告げた後でも、何度も生徒から「先生、独身なんですかあ?」とふざけて訊いてくる。

おそらく、彼らの心の中には中学2年当時の自分のような、侮蔑と嘲笑の感情があるのだろう。

しかし、自分は不思議と、それを侮蔑や嘲笑とはとらない。

むしろ、うれしいのだ。


「独身」という言葉に優越感に浸れるのである。


中学校2年の担任の年をもう10年くらい上回ってしまった。

自分が勝手に不憫に思っていた先生ですら、35歳の時点で結婚手前までいったことがあるのだ。

あれだけ先生を馬鹿にしていた自分は35歳の時、セックスはおろか、恋愛もしたことがない。

たしかに、先生同様薄毛で、容貌も決して良いものではなかったが、45歳の今も変わっていない。


初恋すらまだなのだ。


しかも、先生を10歳上回った時点で、独身と言われて優越感に浸っているようでは先が思いやられる。



※一度削除されてしまったので、怪しい部分を○に変えて編集した。

○の中身は諸氏の想像にお任せする。


改めて言うが、自分は○辱もののや○虐もののエロ本が好きである。


エロ本といっても官能小説が主である。

この2つが好きな人間は変態である。

これは自分も認めている。


ただ、これには理由がある。


前者(○辱もののエロ)が好きな理由は、単にそれ以外のエロが全く受け付けないからである。


官能小説に限って言うと、エロには大きく分けて3パターンある。

まず、①男性優位型(主に○辱もの)、そして②相思相愛型、③女性優位型である。

このなかで、自分は①しか受け付けない。


たとえば②相思相愛ものについては、ズリネタとしては不適である。

というのも、今までの人生で女性と相思相愛を経験したことがないし、今後もエロ本に出てくるような純粋な相思相愛は経験する見込みがない(もちろんホモではないので男ともだが)。

だから全く感情移入できないのだ。


相思相愛もののエロにある典型的なパターンは、自分にとっては非典型過ぎるのだ。


相思相愛ものの王道は、①主人公がヒロインに憧れ→②告白・成功→③トラブル→④セックスという流れである。

しかし、自分にとっては、①から④のどれ一つとっても経験したことがない。

だからどうもピンとこないのである。


また、女子高生ものは好きだが、好きなのは女子高生という外観そのものである。

制服の女子を○辱するシーンなどは垂涎ものである。


しかし、これに教室や部活、学校の描写が加わってくると話は別である。

男子校だったので、女子高生のいる教室や部活などは実際に見たことがないし、想像もできない。

想像できないシーンが出てくると、途端に現実に引き戻されてしまう。

小説を読むのに想像力は必須であるが、まったく経験がないものを想像するのは難しいし、楽しくない。

舞台が1億年後の人類というような、途方もないSFを読んでもイメージがわかないのと同じである。

なので、途端にわからなくなり、一気に萎えてしまう。


したがって、これらのシーンが多数出てくると、同時に右手も止まってしまう。


同じく、女子が学校で主人公に話しかけてくるシーンや、女子と一緒に机を並べて勉強するシーン、隣のクラスの女子が気になって勉強が手につかないシーンなども無理である。

これらのシーンが出てくると、こういう経験をしたくてもできなかった高校時代の怨嗟が蘇り、いてもたってもいられなくなってしまう。

あだち充の「タッチ」が流行ったときも、あのマンガを平静で読んでいられなかった。

男女が普通に下の名前で呼び合っているシーンを見るだけで、胸が張り裂けそうになってしまうからだ。

自分は母以外の女性から下の名前で呼ばれたことがない。

同じく女子を下の名前で呼んだことがない。

これらのシーンは想像しようとすると辛くなるから無理なのである。


さらに言えば、女子があまり話をするシーンも無理である。

女子と会話したことがない自分にとっては、そもそも女性がどんな意図をもって話をするのか、どんな話題を好むのか、まったくわからないのでピンとこない。

だから、女子はひたすら「いやーやめてー」と嫌がっているだけで、会話しないほうが萌える。

いや、萌えるというより、そのほうが助かるのだ。

経験したことないことを無理して想像しなくていい分、感情移入しやすい。


③女性優位型のエロは、②と同じ理由で受け付けることができないが、こっちは②よりさらに受け付けることができない。

そもそも綺麗なお姉さんが手ほどきするなど、10代や20代ならうっすら可能性があったかもしれないが、45の今となっては皆無であり、今後も期待できないだろう。

もちろん大金払えば別だが、それはあくまで金のためにやっているのであって、相手と本気でセックスしたいからやっているのではない。

こういうエロは自分の中ではあまりに非現実すぎて感情移入することができない。


となると、消去法から①しかなくなってしまう。


普通の人からは、自分の好きな○辱もののエロに対して、よく「気持ち悪い」とか「吐き気がする」と言われる。


これに対して、自分は「自分の嗜好なんだからとやかく口出しするな」と反論するつもりは毛頭ない。

むしろ、そういう普通の感覚を持てる人が羨ましくてたまらない。

○辱ものに対して気持ち悪いと思えるということは、それだけ女性と接し、女性の気持ちを分かっているからこそ、そういう感覚になれるのだ。


自分は女性とまったく接したことがないから、どうしても女性を性の対象にしか見ることができない。


これは決して昔からではない。

自分の女性に対する思いは、始めは皆と同じ「憧れ」から始まった。

しかし、女性と接することができない状態が続くと、この憧れの現実味はどんどん薄くなり、だんだん苦しいものになっていった。

そして時を経てさらに同じ状態が続くと、もはや女性と接したいと思ってもそれは無理な願望だからと諦観するようになってしまう。

そしていつしか女性そのものが遠い存在になりすぎて、もはや同じ世界に住んでいるとすら思えなくなってしまう。

こうなると、女性と付き合いたいと思うより、女性をオ○ニーの対象として貶めて鬱憤を晴らしたほうが楽だと思うようになってしまう。

そして、気が付けば、最初の憧れなど、微塵もなくなってしまった。


このように長い長い時間をかけ、自分の女性に対する純粋な憧れは、次第に醜く変質・変容し、気が付くと単なる性の対象へとなれ果ててしまったのである。


昔読んだどこかの神話にこの感覚と似たものがあった。

たしか、どこかの悪魔が瓶に閉じ込められ、瓶の中で悪魔は、「解放してくれたらその者を大金持ちにしてやる」と誓ったが、1000年間、誰も瓶を解放する者は現れなかった。

瓶に閉じ込められ1000年を過ぎると、悪魔は「解放する者が現れたら、何でも願いをかなえてやる」と誓うようになったが、結局もう1000年待っても、解放する者は現れなかった。

そして、2000年を過ぎると、いつしか悪魔は瓶を開ける者が現れたらそいつを殺すと誓うようになった、という話である。

もはや何年も瓶に閉じ込められている自分を落ち着かせるにはそのように考えるしか方法がないのだ。


話のあらすじが多少違うかもしれないが、悪魔のこの感情には共感できる。

初めから○辱ものが好きなのではなく、様々な紆余曲折から、○辱ものしか受け入れることができなったのだ。


したがって、自分は○辱ものしか受け入れることができない。


○辱ものと並んで好きなジャンルとして、○虐ものがある。

○虐とは、女性の陰部を責めるのではなく後ろの穴、○門を責めるエロである。


自分のパソコンに「○ぎゃく」と入れ変換すると、一発で「○虐」と出る。

特に単語辞書していなくても、「○」と「ぎゃく」で判断して一番最初に候補に挙がるのだ。

そのくらい多くの頻度で検索している。


特に結城彩雨先生の作品は好きでは処女作からほぼすべて購入した。

氏の作品は○辱と○虐が常にセットになっており、さらにエロに関係ない余計な描写が少なく、全編エロで散りばめられている。


自分が○虐ものが好きな理由は上で述べた○辱ものが好きな理由のとほとんど同じである。

それしか受け入れられないのだ。


例えるなら小学生がハードなAVを見ても気持ち悪いと思うだけだが、「まいっちんぐまちこ先生」やドラえもんのしずかちゃんの裸を見ればエロを感じるだろう。

小学生はセックスの意味を知らないから、本物の女性が喘いでいるのを見てもなんのことだかよくわからないからである。

一方、まちこ先生やドラえもんは現実的で親しみやすいため、これらはエロいと感じる。


自分もこれに似ていて、陰部を責めるエロに現実味を感じない。

○門を責めるエロが、興奮するのである。


自分が女性の体を唯一知る手段は、昔はエロ本、今はネットである。

エロ本やネットでおそらく何千人もの若い女性の裸を見てきたが、実物はまだ見たことないし、触ったこともない。


だから女性が陰部を触られるとどんな反応を示すのかはディスプレイ越しからしか知らない。

陰部を責められて喘ぐ女性を見ても、なぜ悦んでいるのか、よくわからない。

どうすれば喘ぐのか、陰部はどういう感触なのかもわからない。

したがって、陰部を太いバイブで責められているシーンを見ても、彼女は今気持ちいいのかな?、それとも痛いのかな?はたまた、これは撮影だからヨガっている振りをしているだけかな?とか余計な疑問が湧いてしまう。

そのため、全然興奮できない。


しかし、○門は男性にもついており、触られるとどんな感覚かはなんとなくわかる。

そこは男女共通なので、想像しやすいのだ。


また、女性は一般的に○門を責めると恥ずかしがるので、その恥ずかしいと思う気持ちも、より興奮する材料となる。


だから、陰部より、○門を責めているエロのほうが興奮する。



自分が働いている職場には10名ほどの講師がいる。


そのうち女性の講師は全部で4名おり、全員大学生である。


以前にも書いたことだが、自分は彼女らを見て、かわいいというより、大人の女性だなあと感じてしまう。

「お姉さん」という目で見てしまうのである。

自分の中での「女子」は中学3年で成長が止まっているため、45歳の今になっても女子大生を見ると「大人」と感じるのである。


しかしその反面、彼女らには、つい「年上の格好良さ」を見せようと演じてしまう。

彼女らの前では、格好良く見せようとしてしまうのだ。

自分の中での「女性」はクールでちょい悪な男性が好きなはずだから、彼女らの前ではいつも以上に孤高の人を演じて、彼女らに関心を抱かせようとするのだ。

ただ、45歳の今になってはいくらクールに振る舞っても、女性からまったく声はかからない。


かくして、そんな孤高の人は、彼女らといまだ一度もコミュニケーションをとることができない。


他方、男性講師も皆大学生だが、彼らを見ても女子大生と同じ感覚が湧かないのが不思議である。

もっとも普段彼らと会話することは全くないため、彼らがどういう人間かはほとんどわからないし、興味もわかない。


ただ、そのうち1人苦手な男性講師がいる。


彼もおそらく大学生である。

肌は黒く、茶髪のショートヘアーでヒゲを短く整えており、塾に来るときはサッカーの本田がかけているような金縁のサングラスをかけている。

女性講師からはエグザイルのなんとかに似ていると言われるなど、コワちゃらい感じである。


自分もちょい悪を演じているのだが彼は見た目だけのちょい悪である。

でも、彼はそれが「格好良い」といわれ、自分は言われたことがない。

彼はちょっとした服装の変化にもすぐ気付かれる。

自分は何をしても気づかれない。

これはいったい何の差なのか。


そんなちょい悪な彼でも仕事においてはフットワークが軽く、室長の言いたいことを即時に把握してすぐ行動に移すという行動力を持っている。

そのため、室長は彼に何かと仕事を任せることが多い。

最年長の自分は仕事を任せられたことはないが、20歳そこそこの彼には様々な仕事を任せるのである。

自分もパソコンについては、そこそこの知識はある。

ネットが主だが、もう10年以上使い続けているからだ。

だから、パソコンの仕事は彼にやらせるより自分が適任のはずである。

でも、パソコンを使った仕事でも、室長は自分ではなく彼に頼む。

そういうのを見ると、なんだかやるせなくなる。



また、これも自分と違って、生徒に面白い話をして楽しませることもできるため、生徒から人気があり、休み時間はいつも彼の周りに人だかりができている。


そして彼が話すときはいつも大声だ。

まるで吉本の芸人のように大声で話したり、笑ったりする。


そんな彼は、いつも講師室に入るなり、得意の大声で周りの講師をいじったり、馬鹿話をして場を和ませており、講師室ではムードメーカーとしての役割を果たしている。

自分が彼の話を聞いてもあまり面白いとは思わないが、同世代ではあれが面白いと感じるのだろう。

彼にいじられる方も、まんざら悪い気ではなさそうだ。

彼が講師室にいないときも講師の間ではよく彼の話をして笑っている。


要は憎まれないキャラなのである。

この辺は自分と正反対である。


その一方で、彼は目上の人間に対しては体育会系なノリで接する。

その体育会系なノリが、上司である室長からも気に入られているのか、室長としょっちゅう長話をしている。

自分は仕事中ほとんど講師室で室長のそばにいるが、室長と最初の面接以来、5分以上話したことはない。

何気ないコミュニケーションが取れないのだ。


彼はもはや室長からは単なるお気に入りから「特別な存在」として認識されている。


その証左として、彼は塾の駐車場に堂々と自分の車を止めている。

しかも、室長公認で止めているのだ。

学生のくせに車を持っていることだけで腹立たしいのに、塾に来るのにわざわざ車で来て、どや顔で駐車場に止めているのだ。



自分はそんな彼が好きになれない。

理由は単純な嫉妬以外何物でもない。

学生のくせに車に乗るなんて、運転免許も持っていない自分にとっては妬ましくて仕方がないし、あんなふざけた話ばかりしてて講師になれるのに、自分がいまだ研修生なことも納得がいかないし、妬ましい。

また、女性講師と笑いながら喋っているのも妬ましくて仕方がない。


そんな単純な嫉妬から、彼をあまり好きにはなれなかった。


しかし、一点だけ評価するところがある。


彼は周りの講師のほとんどをいじってきたが、自分だけに対しては、決していじろうとしないことである。

体育会系ならではの年上に対する敬意があるのだろうか、彼は自分を笑いのネタに使ったことは一度もなかった。


いくらボンボンのエグザイルでも、二回り以上も年上の人間には敬意を払っており、そこは意識的にきちんと線引きしているのである。


当然と言えば当然だが、自分も中学校時代の水泳部で上下関係を学んだからよくわかる。

年上の先輩をネタにすることなんて不謹慎極まりないのである。

このくらい、中学生でも知っている常識である。

さすがのエグザイルも、そこはきちんとわきまえていたのだった。

そこだけが唯一彼を評価できる点だった。


…はずだった。

その唯一の評価が覆る出来事が起こった。


数日前、天候が著しく悪く、さながら台風のような日があった。


その日は休んでいる生徒が多かったが、講師も電車の関係でいつもの半分くらいしか来ていなかった。

自分もすぐに帰ってよかったのだが、そのとき男性陣から一番人気のある女性講師も残っていたため、彼女とのコミュニケーションを作る絶好のチャンスと考え、自分も敢えて残った。

いつもクールに振る舞ってばかりでは会話の糸口を掴めない、ここでは二人きりのときに思い切って声をかけてみようと考えた。


彼女はハーフのような顔立ちをしており、顔だけでいうとおとぼけキャラのローラに似ている。

いつも笑顔で皆を和ませるため、、周りの職員にも人気がある。

彼女は大学でチアリーディングをしており、いつも黒髪をポニーテールのようにして後ろで結んでいる。


生徒からも人気があって何名も担任として抱えている。

だから、台風の日でも出勤せざるを得ないのだ。


彼女の情報はだいたい知っている。

というのも、以前室長が講師名簿を見ている隙に背後から覗き見し、彼女の通っている大学や生年月日、住所も覚えたのだ。

男性講師が何歳でどこの大学などまったく興味すらわかないが、女性に対しては別である。

勉強ではほとんど機能しない暗記力も、こういう時には20代に負けないくらいの力を発揮する。


その日、最後まで授業があったのはエグザイルとローラだけだった。

最後の授業をしている間、自分はひとり講師室に残って予習をする振りをしながら、彼女に話しかけるためのネタを考えていた。

しかし、彼女はエグザイルと一緒に講師室に入って、ずっとエグザイルと喋っていたため、結局チャンスは巡ってこなかった。


夜になると雨はほとんどやんでいたが、室長はエグザイルに、自分ら2人を車で送るよう提案した。

自分は、正直彼の車に乗りたくなどなかったが、これまた彼女と話せるかもしれないチャンスと考え、期待に胸を膨らませた。


エグザイルは「いいっすよ」みたいな返事をして、車に乗せることを快諾した。

これは絶好の機会だ、これを逃すわけにはいかないと思った。


しかし、そこで問題が起きた。

自分はかれこれ20年くらい車に乗ったことがない。

両親は車の免許を持っていなかったので、幼いころから数えるほどしか車に乗ったことないからだ。

だいたい、電車か自転車を利用していた。

最近乗った最も古い記憶は、20年くらい前に乗ったタクシーである。

そのため、車に乗る要領がいまいちわからない。


しかし、彼らの手前、ほとんど車に乗っていないことを知られたくなかった。

彼らの前では人生経験を積んだ大人でありたいのだ。


夜10時近くに、塾のシャッターを閉め、隣の駐車場に向かった。

そして、彼の車をはじめて目にしたとき、やはり戸惑ってしまった。

どういうタイミングで乗ればいいのかわからなかったのだ。


まず、彼は、車のキーをリモコンのように押すと、車のランプみたいなのが光ったが、それが何を意味するかわからず、呆然と立ち尽くしてしまった。

車からカチャという音が聞こえたような気もしたし、それが開錠を意味するものなのかもしれない。

しかし、はっきりわからない以上、ドアを開けるわけにもいかなかった。


すると、エグザイルは「開いてるよ」と言った。

ああ、さっきのはやはり開錠の音だったのか、最近の車は鍵を使わなくてもドアを開錠するのかと、科学の進歩はすさまじいなと思った。


そして同時に、エグザイルの言葉遣いに疑問を抱いた。

「開いてるよ」という言葉は、年上の先輩に使う言葉ではなく、同世代か年下に使う言葉である。

いわゆるタメ口である。

この疑問が自分の中で膨れ上がった。

なぜ彼はタメ口なのか、二回り以上年上の人間とわかっていて彼はタメ口を使ったのか、いやそれはない、そんなことは許されるはずがない。

そして逡巡した結果、なるほどこれはローラに向けて言ったのかと善解し、疑問に一応の決着をつけた。


そんないきなりのエグザイルのタメ口につまづいたが、いつもクールなちょい悪を振る舞う自分は、こんなことに取り乱したことを知られてはならないと思いつつ、先輩の威厳を改めて見せつけるように、車のドアを格好良く開けて挽回しようと試みた。

車のドアの開閉くらいはなんとなく知っているからだ。


そして、助手席のドアの取っ手に手を伸ばしたら、
「いや、後ろ行って」

と言われ、さらなるショックを受けた。


また、タメ口だ。

しかも、今回のは間違いなく自分に向けてだ。

おそらく、さっきのタメ口もローラではなく、自分に言っていたのだ。

しかし小心者の自分はこの2発を食らっても、すぐには信じることはできなかった。


待てよ、これは自分に対する親しみをこめて言っているに違いない、と良いほうに考えた。

しかし、体育会系なノリの彼にそんなはずはなく、自分を目下に見ている説のほうがかなり有力となり、一気に不快になった。


しかも、ローラを助手席に乗せて、自分を後部座席に座らせるつもりなのだ。

ただでさえ家まで近いのに、これではローラと全くコミュニケーションが取れないではないか。

自分の淡い期待はまたも絶望に変わった。


ただ、いまさら乗りたくないというわけにもいかず、つつがなくドアを開け、後部座席に乗り込んだ。


そして、久々の車に3度目のショックを受けた。

車の中はテレビで見た車と同じでカーナビがあって、革張りのシートに、いまどきの音楽が流れていた。

自転車しか乗らないので、車の内部構造はまったくわからなかったが、車の中はまさに異世界だ。

若者が車にあこがれる気持ちがよくわかる。


なんだか悔しかった。

自分は車の免許すら持っていないのに、たかだか20歳かそこらの糞ガキがこんな立派な車に毎日乗っていることに腹が立った。

自分が彼の年のときは、まだ浪人生だった。

車どころか、自転車に乗って、毎日必死にペダルをこぎながら図書館を往復し、図書館では向かいに座って勉強している女子高生を見て、悶々としていた。

そんな時期だった。

だから車を買うなど考えたこともなかった。

免許取得ですらおくびにも出たことがなかった。


しかし、彼はそんな自分の数歩先、いや何十㎞先の人生を歩んでいる。

それが悔しくて仕方がなかった。


車の中はオレンジかシトラスかわからないが、柑橘系の香りが車特有の独特の臭いを打ち消していた。

ローラも入るなり、「いい匂い」と言っていたが、自分はそうは思わなかった、いや思いたくなかった。

先のエグザイルのタメ口で一気に不快にな自分にとっては、ローラのエグザイルに対する肯定的な発言も許さなかった。


車の中でエグザイルの言動を何度も反芻し、怒りで発狂しそうだった。

仕事の上では彼のが立場が上だが、さすがに二回り上の人間に対する態度ではないだろう。


その怒りを感じつつも、やはり小心者の自分はつい自己弁護してしまう。

ひょっとすると彼のさっきの言葉は、とっさに一番言いやすい言葉が出てしまっただけではないか、体育会系にもかかわらず思わずタメ口になってしまったのは仕事がオフになってつい気が抜けてしまったからではないか、もしやエグザイルはローラの前で少し格好つけようとしただけではないか、と自分を落ち着けるため必死の善意解釈を繰り返していた。


そしてある決意をした。

自分の不安を打ち消すために、彼が車の中で助手席のローラとの話に、あえて後部座席から自分が入ろうと考えたのだ。

さっきは2発とも単純な一言に過ぎなかった。

だから、その2発で上下関係を判断するのは難しい。

彼と2語以上の会話をすれば上下関係がはっきりする。

そのときの彼の言葉遣いで、彼のなかでの上下関係を認識できると判断しようと試みた。


この試みには勝算があった、

2語以上の会話であれば、さすがのエグザイルもタメ口を使うことは憚られ、おそらく敬語を使ってくるだろうと確信した。

そして、ローラの前で自分の方がエグザイルより上であることを誇示するチャンスと思った。


そして、彼とローラがくだらない話をした後、相槌をうつように「○○ですよね~」と言った。

自分はエグザイルの先の言動で侮辱されて腹が立ってしょうがないため、本来自分はタメ口でもよかった。

しかし、そこは大人の余裕と見せかけた小心者の本音で、敢えて敬語を使って接した。


ローラはきちんと「ですねー」と反応したが、なんと、エグザイルは自分の相槌を無視したのだ。


20歳そこそこの若者に45歳の人生の先輩がわざわざ相槌を打ったのに、無視しやがったのだ。

よしんば運転中だとしても、ローラとの話は漏らさず反応していたのに、自分の初めての一言に対しては「無視」なのだ。

普段職場ではおふざけキャラとして同僚のちょっとした反応でも見逃さず拾うのに、彼らに比べ遥か遥か先輩の敬語による相槌に無視を決めたのだ。

怒りを超えて悲しくなってしまった。


そして、同時に、もしかして彼を怒らせてしまったのではないかという不安が頭をよぎった。

もし彼が怒っているならば、これ以上の彼の話への介入はさらなる刺激となり、本当に怒りだすかもしれない。

言葉の達者な彼が本気になって怒れば、自分は太刀打ちできない。

また、自分は車に乗せてもらっている立場上、完全に自分の分が悪い。

それを棚に上げて応戦すれば、間違いなく彼女の前で失態を晒すことになる。


普段全くコミュニケーションをとらなくクールなちょい悪を演じているのに、ちょっと喋ったら怒られたなど、恥の上塗りである。

それだけは避けなければと思った。

そして、そう思わざるを得ない自分が情けなくなり、悔しくて悔しくて仕方がなかった。

そんなこんなで2語以上の会話を交わすという当初の目的も暗礁に乗り上げてしまった。


しかし、年上のプライドからか、本当は不安でたまらないくせに、自分も先のエグザイルの言動で先輩の威厳を傷つけられたことは許さないぞという態度だけは示し、ローラにだけはわかってもらおうとした。

なぜなら、もしエグザイルに自分が不快な態度が知られてケンカを売られたら敵うはずがない。

だから、エグザイルには気づかれず、心優しいローラにだけは、この男のプライドが伝わるよう、細心の注意を払って仏頂面を決めた。


そして、自分の家の近くの信号で止まったので、彼に「この辺で大丈夫です」と伝えた。

すると、彼は「え?あー、はい」と答えて、やおらハンドルを切って車を止めた。


そのとき、彼の「え?」は明らかに不機嫌が8割入っていた。

おそらく車線変更をしなくてはならない関係で、もう少し早めに止めるべきことを伝えなければならなかったのだ。

それなのに、直前で止めるように言った自分に呆れと怒りを感じたのだろう。


ここで反省すべきなのに、楽観主義の自分はそうは考えず、あとのエグザイルの「はい」というどうでもよい返事に安堵してしまったのだ。

「はい」は年上に対する敬語であることから安堵したのだ。

自分に対して、一部ではあるがエグザイルが敬語を使った。

安心した、なんだ自分に対しても敬語じゃないかと思った。

もし、目下の人間なら「はい」と言わず、「うん」とか「ああ」だろう。

そこに一瞬の安堵をした。

その後、そんな一瞬の安堵も奈落の底に突き落とす出来事が起こる。


致命的なミスを犯してしまったのだ。

彼の底にくすぶっていた怒りの炉心を露呈させてしまうようなミス犯しててしまったのである。


原因は、突き詰めて言えば、人生経験不足だ。


自分は車の降り方を知らなかった。


通常車を降りるときは歩道側のドアを開けるのに、自分はそれすら知らなかった。

もちろんまったく何も知らなかったわけではない。

狭い歩道側から降りたら車のドアがガードレールに当たって傷つけてしまうかもしれないという、さしてどうでもいいことは気づいたのだが、肝心なことはわかっていなかったのだ。


そして、彼の不機嫌を察しているにもかかわらず、自分は先の仏頂面の延長でそんなの気にしていないような振りをしながら、さらにタメ口で上から目線で「おーありがと」と言って、思いっきり車道側のドアを開けたのだ。


するとエグザイルに「なにしてんだ、危ねーだろ!!」といきなり怒鳴られた。

耳を疑うような怒声に一瞬心臓が止まった。


さらに、同時に車の後ろから走ってきたバイクに急ブレーキを踏ませてしまったのだ。

バイクに乗っていた人に少し驚いた顔で「大丈夫ですか?」と言われたので、大丈夫ですと答えると、そのまま走り去って行った。


自分は彼に「すいません!」と謝ったが、もはや彼の怒りは頂点に達していた。

「ちょっと考えればわかるでしょ。なんで後ろ確認しないの?」と続けざまに怒られた。

完全にタメ口である。

しかもそれは明らかに目上の人間が使う言葉で自分を叱った。

先の一瞬の安堵は地獄の底に叩き落とされた。


恥ずかしくて憤死しそうだった。

よくよく考えなくても、自分のミスに対しての至極当然の怒りである。

あわや事故になるようなミスをしでかしたのは自分だから、怒られるのはもっともだ。


しかし、恥ずかしさはそこではない。

30近く年下の男に怒られたのだ。

しかもきつい言い方で怒られたことがショックだった。

今まで逡巡していた彼の自分に対する目線は明らかになった。

彼は自分に敬意を払うつもりなぞさらさらなかったのだ。

すべてが、この怒声で改めて思い知らされた。


もう自分のミスなどどうでもよかった。


そんな彼の怒っている顔を見て、申し訳ないという気持ちは生まれなかった。

ただただ自分が情けなくて情けなくて仕方がないという気持ちと、先輩に対するタメ口が許さないという気持ち、そして、なにより普段クールに演じている自分が、こんなことで怒られるのをローラに見られたことがつらかった。


そして怒られている最中、気になったのが彼女の顔である。

彼女が今どんな表情をしているか気になった。


たしかに怒られるべきミスをしてしまったのは自分である。

しかし、彼は人生の先輩に対してあるまじき怒声で怒鳴ったのであり、これは許されることではない。

そこはローラも自分に対して気の毒に思い、心配してくれるはずだと思い込んだ。


だから、彼女の顔がすごく気になった。

優しい心の持ち主の彼女なら、自分の些細なミスよりエグザイルの無礼な態度のほうが許せないと思うはずだし、自分に肩を持ってくれるはずだと信じた。


彼女はきっと、心配そうな顔で自分を見ているに違いないと、そう信じて、彼女の顔をちらっと見た。


この期待はあっさり崩れ去った。

彼女の顔はまったくの「無表情」だった。

今まで見たことがないくらいの「無表情」だった。


いつも笑顔の彼女の無表情など、見たことがなかった。

彼女の無表情は何を意味しているのだろう。

おそらく、いや、間違いなく「怒り」を表しているのだろう。

自分に対して怒っていたのはエグザイルだけではなかったのだ。


彼女も自分のどんくささと勘違いに怒っていたということに、やっと気が付いた。


そして、うなだれながら自宅に帰った。


そもそも彼は自分に対して敬意があったからいじらなかったのではなかったのだ。

ここが勘違いの始まりだった。


彼は自分を認識していなかったのだ。

だから、いじるほど関心すらなかったのだ。

無関心だったのだ。

そしてそれはローラも同じだった。


あそこの塾にいる人間みながそうなのかもしれない。

自分など、いてもいなくてもどっちでもいいのだ。

むしろいないほうがよいのだろう。


20年間、司法試験の勉強を続けたのは、皆を見返してやりたくて、女にもてたくて始めた。

しかし、20年頑張っても結果をだせなかったら、このざまである。

女にもてないどころか、関心すら寄せられない。

クールに気取っても、何の関心も抱かれなかったのだ。


そう思い、いつものように塞ぎ込んだ。

仕事で受け持つ子で、すこし苦手な子がいる。

今度高校生になる中学3年生の男の子だ。


彼は乱暴者でも不真面目でもない。

友達も多く人気者である。

高校に合格した後も、週に1回程度、塾に来て、たまに自分が授業を受け持つことがある。

なぜ彼のことが苦手なのかというと、そこははっきりわからない。

しかし、おそらく彼は自分に対してはあまり好意を抱いていない。

なんとなく雰囲気でわかるのだ。


室長の計らいで、彼に対してはビシビシやるのではなく、塾をペースメーカーにして高校になっても続けるよう指導してほしいとのことだった。

要するに、勉強も大事だが、とりあえず楽しませろということだ。


自分も昔は、よく休み時間に友達と騒いだりしたので、面白い話をして楽しませるのは得意である。

しかし、悲しいかな、ネットもテレビもないので、あまり持ちネタがない。

なので、昔ネットで得た知識を自分の体験談のように面白話としてよく使った。


すると、彼は、最初のうちは笑ってくれたが、自分の話に飽きてきたのか、最近そうそう笑わなくなってきた。

話がワンパターンなのか悩み、多少デフォルメしながら話をした。

しかし、今日はとうとう冷静に突っ込まれた。


まず、「先生って、見かけによらず若いよね」と言われた。

それを聞いて、最初よくわからなかった。

続けざまに「先生の話って、みんな嘘くさいし」と言った後、


「浅い」と言われた。


あまりのショックにとっさに返答できなかった。

彼がはじめに言った「若い」は、「若さ」ではなく「幼稚さ」だろう。

「お前は幼稚だ。」と言えば当然角が立つ。

ましてや、相手は一応先生なのでオブラートに包んで、「若いね」と言ったのだろう。

「若い」は褒め言葉でもあるから、暗に「幼稚」だという意味でも、そこは推して知るべしで、すぐ受け止めるべきだった。


しかし、そんな簡単なことに気付かなかった自分を見て、彼は落胆し、よりストレートに言い直したのだろう。


お前は薄っぺらいと。


中学校3年生に自分の底の浅さを指摘されたのだ。


結局2秒間黙って、出たのが「先生をあまり馬鹿にするなよ」という、自分でも胸糞悪くなるくらいのコピペ返答だった。


彼は決して自分を馬鹿にしたわけではなかった。

自分の人格を冷静に客観視し、指摘したのだ。

むしろ、大人ならなかなかできない指摘をしてくれた彼に感謝をしなければならないくらいだ。

しかし、そんな何も悪くない彼に対して、自分はヒステリーを起こすような真似をしたのだ。

その後、自己嫌悪に陥った。


彼はそのまま自分の返答に応酬するでも、謝るでもなく、そのまま黙って机の上の教科書に目を落とした。


そのまま一言も発言しなかった。

自分がネットから拾って作った底の浅い話加え、およそ講師とも思えない言動に辟易し、彼は自分との関係を断絶したのだ。


繰り返すようだが、彼の当初の発言は、自分を慮ったいわゆる後見的な発言である。

彼もそう言えば、KYな自分でも多少は分かると思ったのだろう。

しかし、実態は彼の予期したものを上回るKYだった。

想定外の幼稚な人間だったのだ。

彼は自分が言わなくても良いことを言わないとわからない人間だったということに気が付き、落胆し、改めて指摘した。

真実を指摘したのだ。

そして、考えられないことに、なんと仮にも法曹を目指していた人間が、真実を指摘されてヒステリーを起こしたのである。

もう救いようがない。


そのまま気まずい空気で90分の授業が終了した。


授業後、彼のファイルに授業記録を記入しながら彼の生年月日を見ると、平成8年生まれとあった。

平成8年といえば、自分が30の時である。

大学卒業して2年目、自分が司法浪人を始めて間もないときに生まれたのである。


そんなつい最近生まれたばかりの子供に薄っぺらいと思われたと思うと、悔しくて悔しくてに堪えられなかった。


そして帰り道、いつもの漫画喫茶まで自転車に乗りながら考えた。

思い起こせば、自分は作り話を構成するのは得意でも、不意に突っ込まれると、うまく返すことができなかった。

なんというか、アドリブがきかないのだ。


だから話がいつも一方的になってしまい、相手が話の途中で自分にボールを投げても、返さないまま終わってしまう。


悩み事の相談をされても、「先生が昔○○のとき、~で、大変だった。先生は~」と結局、自分語りで終わってしまう。

相手の立場に立って物事を考えたり、相手の話を敷衍させることができないのだ。

卓越した笑いのセンスを持っている人なら、それでもかまわないだろう。


しかし、いい年して自分が自分がと自分の話しかしない、しかもつまらない。

45歳の大人が子供相手にもつまらない自分の話しかしない。


そう考えると自分の幼稚さに虫唾が走る。



3月25日で45歳になった。


アルバイトも結局、研修生を脱することができず、講師はお預けとなった。


誕生日は日曜だからと言って特別なことはせず、ひたすら家で高校の数学の勉強をしていた。

マンガ喫茶に行ってブログの更新をしようと考えたが、それもやめた。


生まれてから45回誕生日を迎えたことになる。


この誕生日という響きには、懐かしさとむなしさが同時にこみ上げてくる。


自分が中学校のときまでは、誕生日になると、友達を家に呼んで盛大に誕生日会をやった。

うちは裕福ではないが、中流家庭なりのごくふつうの誕生日会を友達と過ごし、とても楽しかった。

誕生日が学校の修了式と重なっていたため、成績が悪くて落ち込むこともあったが、そんなことも忘れて楽しんだ。

今もたまにその時の夢を見る。


しかし、それ以来、かれこれ30年くらい誕生日を祝っていない。


実家にいたときは親がケーキを買ってきたりしていたが、それも高校生までだ。


男子校にいて悶々としていた頃、誕生日が近づくと、周りの共学の連中は誕生日プレゼントを男女間でやりとりしているのだろうと想像してむしゃくしゃしていた。

だから高校の時の誕生日は、すべてむしゃくしゃしながら過ごしていた気がする。


親がケーキを買ってきても、毒づいて一切口にしなかった。

それを見て親はあきれていた。


高校卒業してからは親もケーキも買わなくなったが、20歳の誕生日に高級レストランに連れて行ってもらった。

20歳は成人になった記念なんだから、酒でも飲んではどうかという意味だったのだろう。


ただそのときは浪人生で、しかも3浪が決定したときだったのでむしゃくしゃしていた。

それだけでなく、男子校のときの悶々とした気持ちも引き摺っていたので、食事中に普段持ち歩いたこともない英単語帳を見ながら早食いして先に帰った。


彼女のいる奴は二人っきりでお祝いしているかもしれないのに、なんで俺は親と一緒にレストランなんだよ、とイラつきながら帰りの電車で涙を飲んだ記憶がある。


それ以来、誕生日はむしゃくしゃするので、なるべく誕生日になったことを意識せずに、いつも通り過ごそうと努めている。


たまにネットのブログで、友達と大勢で誕生祝いをしたあと、彼女と二人っきりで誕生祝いをしたという記事を見かける。

そこには、カラオケで友達同士で上半身裸になって馬鹿騒ぎしている画像と、おそらくそのあと撮ったのであろう彼女とキスをしている画像が貼られている。

ブログの主は、別に芸能人でも、有名人でもなく、ただの学生である。


自分は彼女と二人っきりで祝うのも好きだが、大勢で馬鹿騒ぎしながら祝うのも好きである。

二人っきりで祝うのは憧れで、大勢で祝うのは懐かしさである。


こういう夢のような誕生祝いを、ただの学生ごときが二つ同時にかなえているのを見ると腸が煮えくり返って卒倒しそうになる。


そしてその後、いつものむなしさが訪れる。


もしかしたら一生こういう誕生日祝いはできないのかもしれない。

そう思うと、たまらなくむなしくなる。


仮にできたとしても、50歳の誕生日に友達とカラオケボックスで裸になって朝まで騒いだと言えば、眉を顰めるだろう。

その前に馬鹿騒ぎに付き合ってくれる友達などいないだろう。


失われた青春の価値はとても大きい。


人生で最も楽しく輝ける時間を無為に過ごした切なさとむなしさで胸がいっぱいになる。



だから、誕生日は何も考えずに過ごすよう努めている。


初の給料が入った。


2月に勤務したのは55時間なので、交通費を含め52000円である。

今の塾は自転車通勤でも交通費が出るため、たいへんありがたい。

家賃を差し引くと2万円残る計算だが、光熱費等を引けば結局手元に残るのは15000円程度だろう。

アルバイトは掛け持ちしないと厳しい。


ただ、初任給をもらって、泣きたくなった。


それは、労働の対価に対する喜びではない。


そう、「もっと早くに働いておけばよかった」ということだ。


自分が高校時代、女子と仲良くなれるチャンスを探すため、アルバイトをしたいと親に言ったことがある。


しかし、「学生時代は勉強に専念しろ」と言われ却下された。

また、続けて「お金を稼ぐことは大変なことだ。今、たっぷり勉強できるのだから、それに専念すればよい」とも言われた。

高校1、2年の時など全く勉強していなかったくせに、その言葉に妙に納得し、額面通り受け止めた。

そのため、受験生活でアルバイトはずっとやらないでいた。


でも、今の仕事をして、給料を手にして改めて思うのは、高校時代からアルバイトをすべきだったということだ。


自分は高校時代、アルバイトもせず、勉強もせず、毎日悶々としながら家でマンガやSM雑誌を読みふけっていた。

そんなことに貴重な青春を浪費するなら、アルバイトをして汗を流して労働の楽しさを感じたほうが、よっぽどマシだった。


「高校時代、女っ気はなかったけど、アルバイトを一生懸命頑張って働くことの楽しさを覚えた」と振り返ったほうが、その後の人生の精神衛生上にもよかった。

さらにはアルバイトをすれば、女子との出会いもあったかもしれない。

女子と会話する力が身についたかもしれない。

うまくいけば彼女ができたかもしれない。

運命を変えられたかもしれない。


仮にアルバイトをして受験を失敗したとしても、そのぶん好きなアルバイトをしていたのだからしょうがないと、どっかで割り切っていただろう。

自分の場合、周りが共学に通い楽しんでいるのに、自分は男子校で毎日悶々とした高校生活を強いられていた。


これが強い劣等感となり、その劣等感が腐のエネルギーとして受験勉強の原動力となっていた。


「負のエネルギー」ではない。

負のエネルギーは家が貧しいから貧しさから脱出しようとか、昔、辛いいじめや虐待に遭ったから見返してやるため、頑張るときのエネルギーである。

自分の場合、そんな尊大なものではない。

ただ、高校時代に女子と知り合いたかったのに、知り合うことができなかった、共学に行きたかったのに共学に行かなかった、という醜い醜い劣等感である。

だからあえて「腐のエネルギー」とする。


そしてその腐のエネルギーは、自分の願望を解消しないと消えなかった。

結局、大学受験に失敗した後、不本意な大学生活では、そんな自分の願望はかなうことができず、司法浪人として20年も無駄な時間を送ってしまうのである。


そう思うと、高校の時の後悔が津波のように押し寄せ、いてもたってもいられなくなる。


そうだ、そういや、高校時代ちゃらちゃらしてたあいつはアルバイトをやっていたとか。

男子中出身のくせに隣の女子校の生徒をナンパしていたのは、アルバイトで得たコミュニケーション能力だったのかもしれないとか。

あいつは高校時代アルバイトもし、ナンパもし、現役で明治に行って、一流企業で働いているとか。


かたや俺は変な倫理観が邪魔をしてアルバイトを我慢し、悶々とし、何もなかった高校時代を過ごし、そのまま4年間浪人し、あいつよりレベルの低い大学に進学した、、とか。


クラスで一番まじめだったあいつは休み時間も勉強していた。

あいつは彼女がほしくないのか、ゲイなのかと薄々馬鹿にしていたのに、現役で医大に進んだ。

ひのえうま世代とはいえ、自分は4年かかっても受からなかっただろう。

もしかしたら、彼はもう結婚し、家庭を持っているかもしれない。


自分はひたすら腐のエネルギーを受験勉強にぶつけていた。


結果、何も得られなかった。





同じ職場に大学生講師が10人ほどいる。


自分に対して声をかけてくるような講師はいないが、なかにはいわゆるリア充の大学生もいる。


自分から見ればすべての大学生がリア充なのだが、とりわけリア充の彼は高校大学とエスカレータ式に進学し、現在卒業間近の4回生とのことだ。

彼は1回生のときからこのバイトをやっているそうで、バイトではリーダー的な存在である。

時給もおそらく一番高いのだろう。


見た目もよく、生徒にも職員にも人気がある。


すでに就職は決まっており、来月からは大手損保に就職するそうだ。


4浪した自分は彼の年の時、まだ浪人生だった。


だから自分などと比較するのはおこがましい。

自分など、彼の足元にも及ばないのだ。


だから劣等感を抱くことはあっても、世の中は不公平だと思うことなど許されないのだ。


しかし、自分は彼を見てつくづく世の中は不公平だと思ってしまう。


自分は18歳から勉強を続け、およそ30年近く勉強を続けたが、失うものは多くとも、得るものは何もなかった。


いま44歳で、頭は禿げ上がり、恋愛経験やまともに正社員になったこともない。


でも、勉強は日々続けていた。


毎日毎日好きでもない勉強だけをひたすら続けて、結局、何も得なかった。


彼の倍は生きている自分は、彼の5倍は勉強をしただろう。


いやもっとかもしれない。


好きでもない勉強を彼の5倍、いや10倍やったかもしれない。


それだけやった。


でも、得たものは彼の1000分の1にもならない。何も得なかったのだから。

ましてや人生経験は彼の10分の1にも及ばないだろう。


そして彼との差は、これから一生かかっても埋めることはできないだろう。


仕事帰り、自転車に乗りながらふとそんなことを考えていた。


彼は彼女と一緒に勉強したかもしれない。

自分は図書館の同じ机でそんなカップルを見て頭が沸騰するほど悶々としながらの勉強していた。


目の前で勉強するカップルを見て勉強が全く手につかず、そばの公園のベンチで自分の空虚な人生を振り返りひとしきり涙したこともあった。


彼は、何の用もないのに繁華街に行ってカップルやパンチラを見に行ったことなどないだろう。

SM小説を探し、5時間も6時間も町を彷徨い歩いたこともないだろう。


むしろ、サークルでバーベキューをやったり、飲み会をやったり、はたまたプールや海に行って水着で彼女とはしゃいだり、花火を浴衣で見に行ったり、自分のあこがれの大学生活を、青春を謳歌しただろう。


これから会社に行けば、上司に怒られたり励まされたり、女子職員にアプローチされたり、同僚と励ましあったり切磋琢磨しあったりするだろう。


そして、そのうち結婚し、子供をつくり、マイホームを持ち、休日は公園で子供とキャッチボールをするのだろう。


自分がなし得なかったすべてを彼はいとも簡単に成し遂げるだろう。


仮に彼が社会人になってすぐ仕事をやめて法曹をめざし、3回三振したとしても自分の年には及ばない。


それだけの差が開いてしまったのである。


こういう日は寝つきが悪くて困るのだ。


朝できる仕事を探そう。



たくさんのコメントを頂戴した。


ほとんど私に対する応援的なコメントばかりである。


近況についてだが、仕事は研修から正式に講師として迎え入れられそうである。

室長が自分より一回り上のとても感じの良い方で、自分の状況を共感してくれたのが幸いだった。

また、ほかの講師は皆大学生なので、二回り以上年上の自分に対しては距離を置いており、誰も話しかけようともしてこない。

なので、衝突もなく過ごせている。


もうすぐ45歳だが、誕生日を迎えるまでには講師となっていることを願う。


講師となれば時給900円から1100円へアップするし、何よりシフトが入りやすくなる。


出来の悪い生徒になじられるかと不安だったが、研修中に英語を教えた中学生はまさに自分の中学生のときのような子であった。


彼は男子校に進学するのだが、彼には自分のようになってほしくないので、とにかく女子と接する機会を増やすように高校に行っても塾に通うことを勧めた。


彼に通じるとよいが。


生活はいっぱいいっぱいで仕事帰りに半額になった弁当を買い、1個の弁当を朝と晩に分けて食べている。

自炊したいが、レンジも炊飯器も冷蔵庫もない。

そして、家にはもう頼れない。


夜に家の窓を開けると中高生が自転車置き場でたばこを吸ってたむろっているのが見える。

それを1時間に1回は警察が注意にやってくる。

あまり環境のよいところではないが、単調な毎日よりこういう刺激のある光景が見れるほうが自分にとっては良い。


1か月の家賃が32,000円で、電気もほとんど使わず、風呂も入っていないので、光熱費と水道代もほとんどかかっていないだろう。


漫喫もあと少しで延長料金を取られるので今日はこの辺にしておく。


諸々の事情があって家を出て働かざるを得なくなってしまった。


1月3日のブログに外へ出て女性に積極的にアタックしようと決意をしたが、まったく違うベクトルに行ってしまった。


諸々の事情はまだ進行中なので詳しくは書けないが、だいたい諸氏の想像のとおりである。

1月26日のブログも書きかけで更新していなかったのだが、このあとに「その事情の発端」が起こったのだ(事件とは書かない。突発的なものでもなく、他人のせいにしたくないので)。


そして家を出て、まず部屋を探した。


たまたまURの特別募集物件(いわゆる事故物件)が1件あいていたので、そこに引っ越した。

家賃は1年限定で3万ちょいである。


今は金がなく自宅でパソコンできないため、更新は難しい。


仕事は苦戦するかと思いきや、あっさりきまった。

一応塾の講師をやり始めた。

女子高生もいるし、拘束時間も長くないので自分としては最高の職場だ。

1対1の塾は人手が足りないらしく、すぐに採用された(アルバイトだが)。

現在時給900円で研修中である。


ということで、パソコンが使えるようになるまで休止せざるを得ない。




司法試験の受験勉強は主に図書館か、予備校の自習室でやっていた。


図書館は相変わらず高校生がいっぱいいるので嫌だったのと、5年以上一か所のところで他人との会話も全くせず勉強していると気がおかしくなってしまいそうだったからである。


ただ、外界との接触がほとんどないため。このころの自分は頭の中が法律(というか司法試験ネタ)とエロしかなかった。


会話も司法試験ネタ、いわゆる論証ブロックがああだこうだというような、一般の人が聞いても何がなんやらまったくわからないような話しかできなかったため、他人と会話することもなくなっていた。


家に帰れば官能小説(主にSM秘小説を愛読していた)をむさぼり読み、オナニーに耽っていた。

性的嗜好は、周りには秘密にしていたので、そんなこと話題にできないため、他人と会話の糸口となるような話題のネタはどんどん減っていった。


ただ、予備校に行くと、現役合格者の写真があちこちに飾られており、合格体験記も一緒に貼ってあってこれが大きなモチベーションとなった。

それらを読んでいると、「論証ブロックさえ押さえておけば大丈夫!」「基本書は一切読まずに、学校のテキストだけで大丈夫!」といったような予備校の宣伝的なものが多く、何も考えず書いてあることをそのまま鵜呑みにしてた。

そして次第に予備校の講座で勉強していれば間違いなく合格すると洗脳されるようになった。


すると、大学の法律の授業など、ばかばかしく感じるようになり、いつも「あんな非効率的な勉強では学力は身につかない」と思い込み、予備校の授業以外は一切受けないようにしていた。

3年生になるころには出席とる授業以外は一切出席しなかった。


しかし、これが大きな誤りだった。


自分では勉強していたと思ったが、全然できなかった。

そもそも予備校講義をひたすら何回も聞くだけでは何も頭に残らず、講師の言ったフレーズのみが断片的に残っているだけで、まったく力にはなってなかったのだ。

おまけに勉強を始めて3年目くらいまで、六法をほとんど引くこともなかった体たらくである。

これが仇となり、専門科目をほとんど落とし、1回目の留年を経験する。