呼穹ノオト cokyu note -3ページ目
先日の水曜日に友人の会社設立パーティーに仕事先から好きな街のひとつの広島まで駆けつけて美味しくて楽しくていい感じにいろんな方々と過ごして翌日からまたご縁となりつつある宮島へ渡る。なぜ宮島がご縁となりつつあるかと言えばアストロマップを知る講座を宮島で受けたことから。そのときに西洋占星術による恵方のラインが丁度宮島を通っていると知ったこともあり何となく今年中にまた訪ねられないものかと思いあぐねていたときにすどうゆうこ社長!からお招きいただいたのでサクッと行ってみた次第。にぎやかでおめでたかった!↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【レポ】株式会社 DO ONE 設立パーティー&忘年会http://s.ameblo.jp/a-doone/image-12229112370-13822472750.html紅葉のシーズンを経て年末年始までは宮島もほんの少しの間閑散期で厳島神社でもゆったり拝観できた。初冬。どこへ行っても穏やかな雰囲気がいい。ここ宮島で(だけでなく)来年は個展など見せることをしようと決めた。今のところ宮島のゲストハウス『鹿庭荘』さんでhttps://kaniwa.co.jp何らかの形でお見せできればと話を進めて行くことになった。↑ホームページより画像拝借こちらの壁をお借りする。見せてなんぼ。いや観ていただいてなんぼ。決まったあかつきには是非に宮島まで旅と合わせて訪ねて頂きたいと思っております。『感じる書』アーティスト 石川呼穹 わたしの名前は“呼穹”…ではない。あ、正確には本名ではないです。か。石川呼穹(こきゅう)は雅号(がごう)です。↓↓↓↓↓↓↓↓雅号について、解りやすく書いていらっしゃるものをみつけました。これによるとわたしのように形から入るのは悪くはないようです(笑)ちなみにわたしは自分で付けました。※師匠も承諾済み。わたしが書塾に入って半年も経たない頃姉弟子が個展をされたんです。で、このとき「そのうち絶対に個展を開く!」と、わたしは思いました。姉弟子の雅号は“弓宙”(きゅうちゅう)さん。弓はお名前から宙は宇宙からとったとのこと。作品を書きためる段階で落款(署名みたいなもの)を添えるにあたり本名を書いていたのですが何かよい名前は無いものか?と、考えました。本名は親からもらったもの。とはまったく絡まない。師匠は“自由に付ければよい” 派。目にしたときの漢字の印象聴いたときの音(おん)の印象なんといってもわたしらしく名乗れるものをと当時かなり考えた…と思います(笑)音の「こきゅう」はbreath の呼吸漢字は弓なりの大きな空を表す穹(きゅう)に呼ぶ、叫ぶの意味をこめて「呼穹」としました。名乗ってからそろそろ15年くらい?になるでしょうかね…今では「こきゅう」さんと呼ばれる方が多くなり自身シックリ来ています。その世界観に浸る。大きな弓なりの空のこと。雅号の呼穹はその空に向かって呼ぶ、叫ぶことを名前にした。音の“こきゅう”(呼吸)とのふたつの意味合いから。文字の世界観に自らの名前からも浸る。「穹」きゅう『感じる書』アーティスト 石川呼穹しあわせの金色のとりカレンダー発売中!ホームページ らぶしょby こきゅうより こちらからー!(『感じる書』カレンダーは完売致しました) センター。人の首に枷を加えた正面の形。冂(けい)と大からできていて大は人であるがこの文字で枷を表す冂は本来は境界を象どっている。首に着けられた枷が境界ならばそれが有ることと無いことで自由と不自由の境界を知ることができる文字であるのかなと思う。そしてそのまんなかで人は何を感じていたのだろうか?と。「央」オウ『感じる書』アーティスト 石川呼穹『感じる書』カレンダーと 酉年らしいカレンダー承ります。 ホームページ らぶしょby こきゅう コチラー!!!から。 一昨日は西洋占星術家 小泉マーリさんが招致された斉藤ダソ先生の『瞑想を深めるクリーン・ランゲージ』というワークショップで1日スタジオにて過ごしました。瞑想すらほぼ初めてにもかかわらずクリーン・ランゲージの方はさらに何も知らぬままの参加。(しかも今回は敢えて調べなかった)1日のワークショップというだけありどちらについても“さわり”だけではあったものの瞑想にはとても興味が深まったそんな1日となりました。日本人にはDNAの中に禅についてわかる機能が備わっている。ダソ先生のその言葉からワークショップは始まりました。わたしを含む参加者のほとんどが初心者で「雑念を払う」「思考に囚われず」クリアにまた集中できる術を求めて瞑想を学びに来たのだけれども1日に人は8000以上も無意識に考え行動(生活)しているのだし雑念も払ったり退けたりするのではなく横に置いておくことを目指すのだということを知りました。思考は大切でそれをすべて雑念などと言って悪者にしていてはいけないのです。(苦笑)わたしの感想というかこの日得たことを持ち帰れたとすれば過去の自分に囚われなくていいんだ。と、いうことでした。笑っちゃいけない自分を抑えるのがやっとなくらいに一瞬にしてどうでもよくなること(時)の感覚を知った。のです。あ、そう書くとすごく大それたことのようになってしまっていますがそうではないです(笑)“たった今の自分”に向き合ってみると(たった今気付いたことをシェアしたとき)少し前のちょっとした拘りなど(上手く振る舞えたかどうかなど?)どうでもよくなってしまっていた。のです。これはワークの中での少し前の自分についてだけのことでしたが“たった今の自分”に繋がればどうでもよくなることさらに大切なことも解ってくるのではないか?ということだと思ったわけです。某H先生の「今でしょ?」よりも今である“たった今” なのです。今回はたった1日。多くの方法があると言われる瞑想の中のほんの少しを体験してみてまずは続けたいということとそのコツをもっと得たい!なあと思いました。また、関係あるかどうか?ただの偶然かも?ですが実は身体にも急に変化があってそれを含めて大きくとても大事なことを思い出させてくれてるのでは?という機会となっています。↑イマココ(苦笑)“たった今の自分に繋がる”その術を知りに。雑念を悪者にするのではなくただクリアになることを求めるのではなく繋がることのできたうえでのクリアな状態へ。取り急ぎまた大阪で企画されるマーリさんの瞑想会には定期的に参加したいと思っています。今回多くの人の中での瞑想のワークショップで人間のenergyを実際目にも見えるくらいに(←マジで!)とてもよく感じられた1日でした。しかし眼を瞑れば人はみな独りになれる。そう言ってらしたダソ先生の言葉が印象的でした。自分に繋がりまた大いなる空間を感じるにはまだまだ…まだまだまだまだまだまだ…(笑)先のことでしょうけどさらなる変化と新しい展開に期待したいと思います(笑)そして何処とつながる?「天」 『感じる書』アーティスト 石川呼穹お知らせ『感じる書』カレンダーともう一種類酉年らしい!カレンダーを承っております。限定ものなので覗いてみてくださいな。ホームページ らぶしょby こきゅうこちらから。 最近
接客の仕事をしていて
思うこと。
まずはなんて言葉足らずなんだろうってこと。日本人同士なのに
分かり合えない。
これは別に
深いテーマでも
身近な関係でも
何でもなくて
キチンと伝達していただかないと
こちら側の
対応のやり様が無い。
詳細を述べたいが
会社の規則(誓約)でできないが
今日も電話口で
散々詳細を聞いてきて
わたしが
説明を終えてから
相手がそれを受けてどうしたいのかを
答えてくれなくて
(迷う風でもなく)
「それでは如何なさいますか?」
と(強く)2度訊ねて
やっと
「あ、いいですわー」だと。
電話なので顔も見えない。
その“間”をどう解釈していいか
こちらは分からない。
また
小出しに後出し的に
聞かれるのもイラッとする。
聞きたい答えは何?
どうしたくて聞いている?
心の中で
「だから?」と思うことが
よくある。
対面でも
「○○なので、△△をお願いします」と言えない人が多い。
ポンっと目の前に
持っているものを差し出すだけ。
タクシーで言えば
手を挙げて停めて
座席に座った後に
何処に行くのかを
言わないのと同じだ。
物事を頼んで来られても
至極当然と思われているのか?
済んでからの
ちょっとした
「ありがとう」のかけらすら
感じない態度。
もちろん言葉に出すことはない。
(特に求めてはないけれど)人としての礼儀に欠けていらっしゃる方のなんと多いことだろう。それでは伝わらない。
そんなことでは
通用しない。
と、思うようなことや
態度を
平気でしてこられる方の
なんと多いことだろう。
http://ameblo.jp/samantha-kyoko/entry-12222427011.htmlこの人の↑このお話には
大変
共感する。
ラッシュ時の地下鉄内で
大きなデイパックを
担いだままの
男子中学生に向かって
(わたしの顔の前の)
「荷物をどうにか
してもらえませんか?」と
わたしは言った。
彼は自分のことと解っていながら
何一つ顔色すら変えず
幾つか先で降りて行く際に
友人に挨拶だけして行った。
某有名私立校の生徒さん。
残念だけれども
残念な人がいらっしゃると
端で見ているだけでも在る。
老若男女を問わず。
ねばならないを
強調するのは好まないが
相手を敬う最低限の礼儀を知らな過ぎる。とわたしは思うが…
如何なものだろうか?
『感じる書』アーティスト 石川呼穹
わたしがわたしについて
考えるところの
独りになりたい。
と、思うようなときは
多分に
大切な人たちに
囲まれているからだと思う。
“そっとしといてちょうだい!”
などと思うことからは
ほぼない。
守られていたり
逆に
頼られていたり
しているからだと思う。
それが自分の身近に感じるときと
そうでないとき(こと)もあるだろう。
自分がどこか僻んでいるときには
気づかないことも
よく目を凝らしてみたり
深く想像力を働かせていれば
思い違いなんて
自分の周りで
ゴロゴロしていたり
「そんなわけないやん」で
一蹴されるようなことは
いっぱいあると思う。
そこに執着してる間に
自分の成長は止まってしまうのだ。
そうすると
周りは
なんて勿体無いんだろうと
思っていて
本人だけがどんどん気付かなくなる。
以上はそういう感じの人のことを
目の当たりにしたり
(立場的に)
そう諭してあげたいと思っていたり
(諭さないけど…)
思うことから
わたしにも当てはまりませんか?
と自問している
(させられている)
からである。
最近
『素直さ』
について
ものすごく考える。
そして
『感性』や『世界観』についても。
『ウキウキワクワク』は
『ザワザワしない』ことから
感じることもありだと
いうことも。
あ、これらは
ひさびさに会った友達から
心底
温かい言葉を
投げかけられたことで
ふと立ち止まってみたときに
考えること。
また
今の自分を知ることが
多くなってきた
最近の傾向と対策である。
真夜中の独り言終了。
『感じる書』アーティスト 石川呼穹
やっぱり
たまには出さないと…なのかな?
勤め仕事の帰りしな
地下鉄を降りて
最寄り駅からのバスに乗った。
いちばん後ろのシートに
座った途端に
少し息苦しくて
肩らへんがガチガチで
睡魔が急に襲ってきて
でも
あまりに車内の空気感が
どんよりと
よろしくないせいか
うたた寝することもなく
生あくびばかりしていた。
そしたら
涙が止まらない(苦笑)
着くまでの
約10分余り
泣いていた(苦笑)
悲しくはない。よ。(苦笑)
とにかく
あくびがひどくて
仕事中なら裏に引っ込んでたわ。
昨日休みで
今日からの連勤なのだけれど
なんだ?これは疲れか??
とか思って
熱々の生姜湯を用意してたら
やけに落ち着いてきて
そんなにしんどくなくなっていた。
それでも
念のため一時間半強
ベッドで
眠ったけれど。
混んでもないバスの中
氣がね
本当に
よろしくない感じだったんで
そこからのわたしの中の
強制力は
凄ましいものだったなぁ。
あくびと共に
鼻すするほど
泣き倒すという…(笑)
涙を最近
流していないからなのかなぁ…
ちょっと
感動の涙が流れる
映画でも観てみようかしら?
とにかく
脳がお休みしたかったのかも?
何らかの
強制力が働いた
みたい。
再び眠ろう。
↑チョコの箱、開けてびっくり
西島クン(笑)
『感じる書』アーティスト 石川呼穹