邦題:「ひだりみみ」




人気小説の映画化
『左耳』は、2006年に出版された、饶雪漫という人気作家の代表作と言われている小説だ。
主人公は17歳の女の子、左耳が聴こえない。物語は、彼女を中心にし、同級生たちの友情、恋愛、進学が絡まり合いながら進んでいく。

実は、この小説、過去にも映画化されている。何度も映画化されるというのは、かなり魅力があるのかなあと思ったら、20~30代の人たちで、映画館が満員だった。

ネットで 評判 を見てみると、「大学を卒業した年に、自分の高校時代を思い出しながら読んだ・・・」、「中学生のときに夢中で読んだ小説だから、懐かしい・・・」という書込みがいっぱいあった。でも、ほとんど小説について・・・。笑。


小説の評価は高い。でも、映画は今のところ、それほど評価されてない。どうも、登場人物がカットされていたり、エピソードがなくなっているのが原因のようだ。
小説は、なかなかの長編。全4巻?笑。だから、全てを2時間で表現するのは無理なんだろう。
小説を読んだ人にとっては、共感して思い入れた部分がなくなっていたら、「なんで~!?」と思うだろうねえ。


まあ、でも、そういった先入観なしてみたところ、うん、十分おもしろかった。
話しは複雑でありながら、どんどんスピーディに進んでいき、どこまで行くの?~とは思ったけど。さすが長編小説。笑。


あらすじ
李珥(陈都灵)は、17歳の高校生。病気のため、左耳の聴力がない。
”左耳は心臓に近いから、(恋人の)甘いささやきは左耳で聞くのがいい。それをわたしは聞くことができない。でも、もし左耳でささやかれたら、きっと感じることができると思う・・・”という冒頭。

正確ではないけど、こんなかんじ。非常に引きつけられる。これから、どんな物語が始まるんだろうと思わせてくれる。(たぶん、小説は、この冒頭で "決まった” と思う。笑。)


李珥の同級生たちの物語・・・
李珥は、同級生の许弋 (杨洋)が好きだ。(映画では、すごいイケメン。)でも、引っ込み思案で、告白するどころか、彼を直視することもできない。
李珥のいとこ、尤他(胡夏)はそんな彼女のことを思い、いつも側につきそっている。たよりなさそうで、いざとなると力を出す控えめなナイト。

张漾(欧豪)は、背も高く男らしくて女性にもてる。恋人は、お金持ちのお嬢様で歌手志望の蒋雅希(关晓彤)。彼は、许弋のことを目の敵にしている。许弋は優等生で、男女問わず人気者だ。


ある日、张漾は、黎吧啦(马思纯)という少女から「好きだ」と告白される。黎吧啦は、貧しくて学校に行かずに、バーで歌手をして暮らしている。同い年らしい。

张漾は黎吧啦に、付き合ってやってもいいが、许弋の評判を貶めて彼をずたずたにしろ、と条件をつける。そして、自分を捨てて逃げた母親は、現在、许弋の母親なんだ。许弋の父親と再婚したんだ。つまり、张漾と许弋は異父兄弟で・・・。と家族の秘密を打ち明ける。


黎吧啦は、さっそく许弋につきまとい始める。许弋はとまどっているが、そこは高校生の男の子、女性に寄ってこられて嫌な気はしない。だんだんとバーに出入りするようになり、その写真がネットに上がって、スキャンダル男になってしまう。

李珥は、偶然にも、黎吧啦の裏で糸を引いているのは张漾だと知り、黎吧啦にそんなことは止めるようにと言うが、学もなくて自由奔放に生きてきた黎吧啦は、そんな意見を聞く耳持たない。
そうこうしているうちに、不思議と李珥と黎吧啦は、親友になっていく。


そして、中国の高校生活のハイライト、高考(中国の大学統一試験)が終わった。张漾は北京の大学に、李珥は上海の大学に合格。しかし、许弋はスキャンダルのせいなのか、志望校に不合格となってしまう。
その頃には、黎吧啦は张漾と恋人同士の関係になっていた。が、結局は、张漾は今までの恋人とも付き合っているので、二股をかけている状態であった。

黎吧啦は张漾と一緒に、北京に行くつもりだった。张漾も、それでいいと思っていた。しかし、恋人の蒋雅希に黎吧啦との関係を問い詰められ、とっさに「あの女は、婊子だ」と言ってしまう。婊子というのは、女性に対する侮辱の言葉で、あばずれ、娼婦、という意味である。

それを知った黎吧啦は、ショックで街に飛び出し、交通事故で死んでしまう。偶然にも、この日は台風が来ていて、すごい嵐なのだ。
この黎吧啦の死はみんなの心に深い傷を残した。親友の李珥は张漾を憎み、张漾も心に傷を負ったまま、それからの大学生活や就職に影響を与えることとなる。


そして数年後の春節、中国の正月に、李珥と张漾は故郷で再会する。
その頃には、李珥の张漾に対する憎みも薄れており、普通に話をすることができた。そこで、张漾は李珥に尋ねる。黎吧啦が死ぬ間際に何を言い残したのか?と。

死ぬ間際に、黎吧啦は李珥に言葉を残したのだが、左耳に言われたので、実は聞こえてなかったのだ。だが、李珥は考える。そして、言う。

「私は张漾を信じている。愛している。」と、 黎吧啦は言い残したよ。

それを聞いて张漾は号泣・・・。


さらに数年後、みんな就職してそれぞれの道を歩き始めていた。
李珥は出版社に就職。张漾は恋人と別れた後、ネットショッピングサイトで成功した実業家に。张漾と別れた恋人は父親のコネで歌手になり、李珥のいとこ尤他は海外留学。许弋は賭け事にはまりすっかり道を踏み外したまま。

李珥のところには、张漾から日々プレゼントが届くようになっていた。ネットで人気の商品が出ると、送ってくるのだ。そして里帰りをした日、李珥は张漾と再会する。
2人はしみじみと高校時代を振り返って昔語り。そして、张漾は李珥に言う・・・。

何を言ったのか?

うーん、また左耳に言うもんだから、聞こえないんですけど・・・。


小説では、このセリフがしっかり書いてあるので、読者は分かるようになってるらしい。
でも、映画では、分からないまま終わる。
それが余韻でもあり、⁇でもある。


なぜいつも左耳?
これは、この映画の疑問部分だ。

子供の時から左耳が聞こえないんだから、 黎吧啦の最後の一言も右耳で聞くべきだろう!
张漾とのラストのセリフも、ここでまた左耳って、都合がよすぎる~。


評価点は、6点台と低いが、私は7.5点くらいじゃないかとおもう。
さいきん、中国人の評価とわたしの評価が違っていることが多い。なんでだろう?