梅ケ峠、砦(推定)の地形、地質について | 日本の歴史と日本人のルーツ

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現地を改めて観察して来た。以下に手書きでスケッチしたが、梅ケ峠のJR駅と国道191号線を中心に北を上とする。右手の元大学のキャンパスと南のミカン畑を南北に見た高低レベルを右下に描いた。左下には峠を中心に東西方向の高低レベルを描いた。結論を先に言えば、キャンパスによる土地の変化は少なく昔のままであった。古代の砦跡そのままと言って良かろう!

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南北についてキャンパスの地盤と中央の土手(山と言った方が適当かもしれない)の境目を見たが、造成で土手を崩した跡はあったが限定的でキャンパス地盤から直ぐ自然のままの古樹の茂る土手になっていた。

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キャンパス地盤から直接に土手の岩石を写した。

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左手が土手、キャンパス地盤と自然に接し、削り取った跡は無い。

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土手の上を見上げる。壁と言って良いほどの急斜面が、自然のままで手付かずである。岩石に表土が覆い、暖地性の樹木が茂る。

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一部、キャンパスの造成で土手を削った跡があり、擁壁とコンクリートを吹き付けた跡があった。

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キャンパスの遠景、中央の校舎は図書館、一階フロアは床面積は小さく、上の階程、広くなる。

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中央の校舎の側面を見下ろす。土手に埋め込まれているが、土手の形状を変えるには至っていない。

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右手がキャンパスの北端、土地の造成前からの古樹が茂る。キャンパスは従来からの土地、砦を活用したものか!

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地質は赤土であった。表面は真砂土やバラス、アスファルトなど外から建設資材を持ち込んで整地した模様、元の土を心配した程は撹乱していなかったようだ。

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土手の頂上より南側、左手が頂上で手付かずの暖地性の古樹が茂る。正面は農作業用の道。

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東方向を見ると鬼ケ城山が直接見える。地面は赤土で、ミカン畑であった。地主と会話し、地名は若王子(にゃっこうじ)と呼ぶことを確認した。

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南側から北方向を見た、土手の頂上に生えた古樹。地質は岩石的な赤土であった。土砂崩れなどの土地の変化は無さそうであった。

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南方向、ミカン畑と農家が見える。

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ミカン畑のさらに南に古樹と若王子溜池がある。

東西方について観察のため、JR、国道を越えて西側の台地に移動する。

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JR梅ケ峠駅を越えて新興住宅地に登る道の地質を見ると、東側と同じ赤土であった。

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東方向を見ると、キャンパスが同じ高さに見える。中間の南北(左右)にJRと国道が走る。

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西を見上げると草場山のアンテナが直ぐ見えた。

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キャンパスの東側の王地中溜池

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溜池の記念碑


参考


スケッチは下手だが正しくは土手の稜線は蛇行しキャンパス、遡って砦(推定)が巴地形になっている。
梅光学院大学によると昭和41年5月、運動用地として梅ケ峠キャンパスを購入したが、文部省の指示で9月に校舎建設を急遽着工し、翌年4月に開校したという。現地は昔から原っぱであったため、地盤の造成工事等は簡単に済ませることが出来たようだ。また、昭和50年代の開学10年程度の時期の航空写真で、最大の中央校舎のまだ無い状態でも現在の状況と大きく変化していなかった。