② 長門なる沖つ借島(かりしま)奥まへて吾(あ)が思(も)ふ君は千年にもがも 万葉集巻6-1024番 長門守巨曽倍對馬(こそべのつしま)朝臣の歌
天平10年(738)巨曽倍対馬(こそべのつしま)が都で催された橘家の宴席で、右大臣橘諸兄(たちばなもろえ)に詠んだ詩。長寿を願った歌でもある。
この’かりしま’は後の<五代集歌枕>や<奥義抄>にも名があげられている。これとは別に細川幽斎(細川玄旨法印)の<九州道の記>に海路を石見から長門に入った直後に〔借島〕を詠んでいる歌がある。この(かり島)はそのあと見えてくる小畑浦(萩)や瀬戸崎浦(長門市)が記される前であり、石見につづく海である事から江崎沖と考えられる(参考)。細川幽斎が阿武の奈古に立ち寄った際、鹿島の景観を「皆人のいのち長門とたのめども世はかりしまの波のうたかた」と詠んだとの阿武町の説もある。
③ 昨日こそ 船出はせしか 鯨魚(いさな)取り 比治奇(ひぢき)の灘を 今日見つるかも 万葉集巻17-3893番 読人知らず (参考)
響灘、白島(左)、吉見の加茂島(右)
④ 鯨魚取り、浜辺を清み、うち靡き、生ふる玉藻に、朝なぎに、千重波寄(よ)せ、夕なぎに、五百重波寄す、辺つ波の、いやしくしくに、月に異に、日に日に見とも、今のみに、飽き足らめやも、白波の、い咲き廻れる、住吉の浜 万葉集巻6-0931 車持千年 (参考)
住吉の浜(住吉神社につながる響灘の海岸、対岸は北九州)
⑤ 額田王と大海人皇子の歌、3首
万葉集巻1-20番、巻1-21番、巻10-1825
⑥ 青海島と大津郡にゆかりの万葉歌、2首
万葉集巻2-153番、巻3-266番
⑥-2 北長門海岸の歌
万葉集巻7-1390、巻3-2435番
⑥-3 角島近くの特牛港にまつわる歌
万葉集巻16-3838番、巻9-1780番
⑥-4 近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌
万葉集巻1-29番
⑥-5 近江の海と夏みかん
万葉集巻13-3239番
⑥-6 山部赤人の歌、3首(1首は重複)
万葉集巻3-357、358、359
(重複する3-357は⑧でも検討)
⑥-7 淡海の海がある歌の一覧
⑦ 菅原道真公の歌、古今和歌集に1首
古今和歌集1697番
⑧ 万葉集の3-354と3-357、3-355も候補地として、旧大津郡(長門市油谷町から日置町、青海島)にあるようだ!
10 長門国大津郡、沖ノ島と近江国、沖島の両方を連想させる歌、万葉集巻3-2439番
11 万葉集13-3243、3244も長門国の阿川または奈古での歌か可能性が高い(参考)。
参考
国防上、響灘から日本海側は重要であった。