倭国大乱などは呉系や越系の弥生人と斉系弥生人の間の闘い崇神天皇(D2)が四道将軍を派遣したところは、山陽道、北陸道、東海道、丹波道であった。九州はすでに制圧が完了していた!元々、山陽道、東海道は呉系弥生人(O2b)であり、北陸道と崇神天皇の本拠地大和は越系弥生人(O2a)が占めていた。もちろん大和は真っ先に制圧して(唐子鍵遺跡の末路を参照)、天皇の住まわれる首都の纏向となったが、周辺の四道は中々制圧出来なかったようだ!参考倭国大乱渡来系稲作弥生人の渡海ルート渡来系稲作弥生人の国内ルート