7世紀まで倭国政権は九州にあったと主張する九州王朝説は正確な歴史の検証をした上で主張されておらず、完璧に捏造である。その一端を彼らの主張から示す。
彼らの根拠に、九州の筑後国は塩を納めなかった!代わりに鷹狩りのための養鷹人、猟犬を納めた! この文章から、①筑後には塩田がなかった、②獣肉食の習慣があった、ことが分かる。すなわち、有明海なり、博多湾などの海人族のお魚に100%依存することがなく、海人族の作る塩の供給を止めれば餓死する経済構造があった。実際、弥生時代末期、吉野ヶ里の環壕集落は滅び、民は筑後平野の中に分散して生活するようになる。
それに対し、ヤマト政権上層部は塩の製造力を持つ海人族に100%依存して海幸と山幸を交換する相互依存体制を作っていた(参考)!
以上からも、九州王朝、少なくとも筑後王朝は存在出来ないことがわかる。倭国大乱までは九州の奴国が漢に朝貢して倭国王を認められていたが!ちなみに、当時、邪馬臺国の前身は、漢から東鯷国(トウテイコク、ひがしのカタクチイワシのくに)と呼ばれていた(参考)!
参考
① 以下のwikiからの抜粋