山口県人は弥生人でも縄文人でも無い! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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山口県人の典型を見てください(参考)。

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木戸孝允

細面で目は落ち窪んでいます。耳は福耳のようです。著者の周りも同じ様な顔が多いですね!

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山口県人ははたしてどちらでしょう?今の山口県人はどちらでも無いのです。

縄文人の男性遺伝子Y-DNA遺伝子はD2でした(参考)。渡来系弥生人は呉系・燕系O2b、越系O2a、漢民族O3、海人族C1、斉系はD2、最後に渡来した秦氏がD2でした。その最後の斉系弥生人と秦氏は響灘から山陰海岸沿岸に渡来したと考えられ、山口県あたりにも定住しました。毛利家のルーツは大江氏、さらに土師氏すなわち出雲系の秦氏であることは分かっています。

秦氏はD2であり、最後に渡来しながら縄文人のD2と同じ男性遺伝子Y-DNAを持っていました。つまり、縄文人と中国大陸では同じルーツを持っていました。これが、弥生人でも縄文人でも無い顔となった理由であろうと考えています(参考)。


参考

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西郷隆盛は縄文系であることは一目みて理解出来るが、高杉晋作が弥生系とは信じられないくらい、弥生人と説明された絵とかけ離れています。強いて言えば縄文系と言った方が、まだ納得できます。