朝鮮半島の百済国最後の都の扶余をグーグルで見てみました!都の中心部の都市計画道路、周りの条里制地割の水田がウットリするほど美しいです。
ところが、拡大して住宅街を見てください!住宅各戸の配置、向き、道路、近隣の水田の全てが乱雑の極みです!此れ程の落差をどの様に解釈しますか!
答えは簡単です!美しい条里制の水田と都市計画は滅びた百済人のものでした。もちろん、汚い住宅群は現在の朝鮮民族のものです。
これで理解できますね!白村江の戦いに敗れて日本列島に亡命して来た百済人とは山東半島の斉国(春秋戦国時代)出身の斉系弥生人(D2)や秦氏(D2)と同族だった。もちろん、現在の住民は朝鮮民族(漢民族とエベンキ族が混合、O3、O2b、C3)であろう。
しかも、倭語(日本語)を喋った(参考)。
参考
① 扶余郡
② 中国における都市計画と水田の地割(参考)
③ 日本における条里制地割のルーツは山東半島の斉国(春秋戦国時代)あたり(参考)
④ 日本で水田も住宅街も共に綺麗な条里制地割は島根県出雲市から鳥取県米子市あたりにあった(参考)
⑤ 藤原京、平城京、平安京は今でも美しい条里制地割(参考)
⑥ 日本の城下町は乱雑の方が目立つ、すなわち物部氏(呉系弥生人、O2b)と朝鮮民族(O2bか?)とは大まかには同族であろう(参考)
注: 何故、乱雑な街並みや非条里制地割の水田の開発主を物部氏(O2b、参考)と断定するかと言うと、多くの実例があるだけでは無い。主張を刀で解決する自己主張的、非協調的気質を武士道(もののふのみち)に見るからである(参考)。
⑦ wikiによると