万葉集を読むと、奈良時代前の古代の倭語が現代日本語で理解出来ることにビックリする。現在、韓国・朝鮮語は全く聞き取れ無いと言うことは、すなわち古代朝鮮語は古代の倭語と異なることを示唆する。
これに対し、百済人は通訳なしで倭人と会話出来たとか!語族としては倭語、百済語、高句麗語、扶余語がまとまるとのことであるが、現代となっては滅びた国と言語を追跡出来ないことがもどかしい。
すでに百済人は日本列島に渡った山東半島出身の斉系弥生人や秦氏と同族(D2)であろうことは指摘している(参考)。すなわち秦が滅亡したあと遼西郡(百済郡)あたり経由で扶余、高句麗、百済に倭語を話す同族が分散したことを示唆している。
高句麗の滅亡後、建国された渤海国は高句麗の復興であり、やはり日本と同族のようで、滅亡まで遣使が続いた(参考)。
参考
① 隋書によると古代、倭人は百済人と日本語で会話できた
② 倭国語(日本語)、百済語、高句麗語は扶余語族
(wikiより)
⑤ 通典百済伝における百済国の名称の由来(同上参考)
(扶余から出て、遼西郡経由で渡海した)
(コトバンクより)
⑦ 百済国建国の地、朝陽市(参考)
⑧ 旧遼西郡にある秦皇島市(秦の始皇帝ゆかりの都市)、美しい碁盤の目の都市(参考)
⑨ 渡来系弥生人は秦の始皇帝が漢字を統一する前に日本にやって来た(参考)
10 韓国が主張する大百済帝国をヤフー知恵袋から引用するが、当時、百済、倭国、中国大陸東シナ海沿岸は倭人の領域と考えると腑に落ちる。
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大百済帝国のことですね。下の地図のように、西日本一帯や中国の東の方も百済領だったみたいです。ネタで作った地図なのか、マジなのかは不明でが・・・。ともかく、百済が日本に文化的影響を与えていたこと、多くの百済人が日本に移住したことなどから、事実上日本は百済人が支配していたという考えが、日本は百済の植民地だったに違いないという結論に結びついたようです。
実際は、広開土王碑の碑文を見ても分かる通り、日本が新羅や百済を臣従させていたというのが、日本と中国の学者の意見です。韓国はそれを認めたがらず、最近まで碑文は日本の陸軍が改竄したと主張していましたが、調査の結果碑文の改竄はなかったと発表され、その後はダンマリを決め込んでいるようです。
続日本紀に、桓武天皇の生母の先祖が百済王家の出身と書かれており、天皇陛下は何年か前にそれを会見で引用されたことがありました。単に、続日本紀にそう書かれているという事実を述べただけなのに、韓国では「天皇が朝鮮との血縁を認めた!」と大騒ぎになりました。実際、その記載が真実か否かは陛下もご存知ありません。記紀の記載内容は未だ完全に検証されたわけではないので。
百済人がどういう民族だったのかは諸説ありますが、現在の韓国人との関係は薄いだろうというのが有力です。現在の韓国人は新羅人の直系で、途中モンゴル人などとの混血によって出来上がった民族で、百済は満州からやって来た征服王朝だろうというのです。実際、百済の特権階級は一般庶民と異なる言語・文化だったと中国の文献にもあります。
あと、桓武天皇の生母ですが、10数代前の先祖が百済の王族だったというだけで、とっくに先祖は日本に帰化しており、その後も日本人と婚姻を繰り返してきたので、百済の血はかなり薄くなっています。それをもって百済人そのものとは言えないでしょう。今の日本人の10数代前の先祖というと、江戸時代半ば頃の人ですが、その頃に外国人の血が一度入ったからといって、外国系とは言えないのと同じです。
補足
他の回答で、藤原鎌足が百済の王子であるとのことですが、はっきり資料にあるわけではなく、一般には下級官吏出身となっています。いくつかの資料から、そうではないかという説がありますが、あくまで説の一つとお考えください。
奈良の語源については、土地を「均して」造ったことからそう呼ばれるようになったという説もあり、韓国のナラが語源であるというのも説の一つです。念のため。
宮中言葉で母親は「おたあさん」、父親が「おもうさん」なので、韓国語のオモニとは全く関係ないです。