長門一宮、住吉神社、下関市は本殿が左右に並び、第三殿の武内宿禰がまるで主祭神かのように中央に置かれ、参拝者の正面に鎮座している。
響灘沿岸は海人族安曇氏の開拓地であり、氏族の頭領である武内宿禰(安曇磯良)は地主大神として、住吉大神が鎮座する前からの祭神であったと理解すると腑に落ちる(参考)。
本来、住吉大神は穴門の山田邑に祀れと神功皇后に託宣していたのに約束と異なる現在の境内地に祀られている(参考)。理由は武内宿禰と合祀する為かも知れない。しかし、社伝によると応神天皇、武内宿禰、神功皇后は住吉大神より後に宇美八幡宮から勧進したと奇妙なことになっている(参考)。
参考
① 住吉大社、大阪市では、表筒男命が先頭にある:
② 住吉神社、福岡市
本殿を左手背後から見る
③ 忌宮神社、長門二宮、下関市
摂社:
左、若宮社(仁徳天皇)
右、高良社(地主大神・武内宿禰)
注: 神功皇后、応神天皇は香椎宮から勧進
④ 和布刈神社、北九州市門司区