陸上がりした海人族安曇氏の地 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

① 山形県温海町(参考)

名の由来は 角川地名大辞典に「川の中に湧き出る温泉で海が熱くなったことに由来」とあるが 吉田東伍は大日本地名辞典に「菅薦抄云 あつみ山は、袖の浦より十里ばかり南、温海と書く、温泉流れて海水おのずから温気ある故の名という 俗談信ずべからず」と温泉由来説を否定している。

{B6E22A99-4C8C-4CA4-819A-1DA96A532B0D:01}


② 伊良湖岬あたり

海人族安曇氏の入植先と云われている渥美半島の先端の伊良湖岬あたりの農地が矢張り美しい。

{22B18D23-DACC-43E9-88CC-CCB6CD1A41AF:01}
伊良湖岬あたり

{7E9E510E-D5C4-4890-9CCB-BA74DAD4D46A:01}
渥美半島


③ 滋賀県高島郡安曇川町(参考)

貝原益軒の「諸州めぐり」に「・・・あど川あり、名所なり、高島のあど川とよめり、今はあず川というあどの湊も名所なり、あず川船にてわたる・・・」(角川地名大辞典)

安曇郷(あずみごう)「倭名抄」は諸本とも訓を欠くが 信濃国安曇郡の例からしてアツミであろう  安曇川又は舟木川  朽木川という(日本歴史地名大系)

「倭名類聚抄(倭名抄)」には 安曇は信濃の例をみても阿都美(アツミ)と読む 伯耆(鳥取県)にも安曇郷 筑前(福岡県)にも阿曇郷があり  これらは皆  安曇氏の居所である。高島郡の安曇川も同じではないだろうか  といったことが書いてある。

万葉集古義云「阿戸は高島郡の遠江(トホエアツミ)という里にある地なり  今はあず河と曰ふ」とぞ(日本歴史地名大系)ということで  安曇川の地名由来は  安曇族に結びついたものと理解してよいだろう。

では 安曇族が水田稲作耕民に入植適地として斡旋したのであれば  湧き水が豊かで棚田(沢田)か  その痕跡があっていいはずだが  現地を短時間訪ねただけでは  確認はできなかった。

だ が  右の安曇川周辺の航空地図を見ると  山麓地帯の集落  そのまわりの水田は  その昔  棚田として開墾するのに適した地理的条件を有していることがわかる。

{C8A9F753-100A-40E6-986E-115FEBBEA6DB:01}

注: 棚田である必要は無い!川などの水利があれば、平地を条里制地割の水田として開発している。山口県の向津具半島のように、場所によれば棚田、溜池そして条里制地割の水田を組み合わせて開発している。


④ 鳥取県米子市上・下安曇(参考)

この上下安曇地区を流れる法勝寺川と小松谷川は  合流して日野川に注ぎ  日本海へ流れ込んでいる。

{B497D060-5A7E-42A9-B8AD-6FF511D65ECC:01}


⑤ 安心院(参考)


⑥ 安曇野市(参考)


⑦ 安曇氏が介在した縄文人の水田(参考)


⑧ 鹿島地名(参考)

茨城県の鹿島を代表として、全国各地の地名の鹿島は現在、カシマと読むが本来はシカノシマ、すなわち志賀島であった!全国に鹿島の地名と鹿島神社が一緒になって点在するが、志賀島を本拠地にした海人族安曇氏が移住したのであろう!これと同時に、那珂と言う地名が奴国や志賀島のあった福岡市あたりと茨城県に集中する。

近くの香取は舵取り、すなわち海人族の地名であった。

{7C5826E3-11B6-4B9B-9554-184A9EDFA9C5:01}
鹿島あたり

{23F70231-C92D-4A8E-91D3-70B688B85224:01}
香取あたり


⑨ その他、安曇、志賀地名(参考)

{5742BFA6-1CE6-41BC-AC78-137893319B7B:01}


10 武内宿禰の祖先の海人族安曇氏が日本列島を開拓した(参考)


11 津軽の十三湊(参考)