この宇原神社には、近くの九州最大・最古の前方後円墳と言われる石塚山古墳から出土した舶載鏡の三角縁神獣鏡、すなわち卑弥呼ゆかりの鏡が7面、納められている。
福岡県京都郡あたりの古の豊国は海人族安曇氏の国であり、彼らの神々である豊玉姫や玉依姫命は天照大神や宗像三女神と同一神であり、魏志倭人伝にある卑弥呼のモデルと考えられる。7面の舶載の三角縁神獣鏡の出土が福岡県京都郡苅田町あたりの地域の重要性を補強する。
参考
① 宇原神社、京都郡苅田町馬場
当社に三つの古松あり、一は東方石の神に在り、其二は本社境内に在り、俚言に龍燈の松と唱ふ。石の神に在りし松は後風の為に倒る。他の二松は本宮境内の南北に分生せり、南松は目通一丈三尺余にして北松は目通一丈一尺余あり、高さ各十数丈あり。古より龍火海上より飛ひ来りて此三松に縣る、是れ海神の宮より奉れる霊火なりと云ひ伝へたり。
祭神: 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊、彦火々出見尊、豊玉姫尊
由緒: 古老口碑に、抑当神社は神代の鎮座にして初め彦火々出見尊及豊玉姫尊海神の宮より還らせ給ふ時、日向の神田に御船を繋ぎて(又は鰐とも云ふ)陸に上らせ給ふ、船化して島となる神島之なり、碇化して厳石となる哮石之なり、二柱神上陸の路あり、豊玉姫尊石に腰を掛けさせ給ひし地を石の神と號す。(今布留御魂の神を祭る)其石今に至るまで土中に埋まることなし。夫れより清地を選びて産屋を造らせ給ふ地を鵜原崎といひ、鵜羽を以って産屋を葺き終らざりし内に御降誕あり、其子神を彦波瀲武鵜茅草葺不合尊と申す。それより浮殿に移り後今の宮所に移らせ給ふ、之れ当社の草創にして、その先駆の神を左右御前の神と號し、当社辰巳の方に斎き奉ると伝ふ。
当社に三つの古松あり、一は東方石の神に在り、其二は本社境内に在り、俚言に龍燈の松と唱ふ。石の神に在りし松は後風の為に倒る。他の二松は本宮境内の南北に分生せり、南松は目通一丈三尺余にして北松は目通一丈一尺余あり、高さ各十数丈あり。古より龍火海上より飛ひ来りて此三松に縣る、是れ海神の宮より奉れる霊火なりと云ひ伝へたり。
境内には、九州最大・最古の典型的な前方後円墳、石塚山古墳から出土した「三角縁神獣鏡」が納められています。これは、「魏志倭人伝」に記された女王卑弥呼が魏からもらった宝器の一部と言われ、舶載鏡と考えられています。国の重要文化財にも指定されており、大変貴重なものです。さらに参道の南方約50mには、平清経塚もあります
② 福岡県京都郡