​今回はイエメン問題について少しまとめておきたいと思う。そもそも現在のイエメン情勢について、日本でほとんど報じられていないというのが現状であると思う。今回は、現在のイエメン情勢を概観した上で、先日の在サヌア・イラン大使館への「空爆」について整理してみたい。

1.イエメン情勢の概観

(1)イエメンの基礎情報

イエメン情勢を語る上ではイエメンの基礎的な地理が重要となるため、まずは地図を参照しながら簡単に説明しよう。イエメンはアラビア半島南部に位置し、北はサウジアラビア、東はオマーンと国境を接している。西は紅海に面しており、アフリカ大陸の小国ジブチとバブ・エル・マンデブ海峡をは隔てて対峙している。南はアデン湾に面している。地中海からスエズ運河、紅海、バブ・エル・マンデブ海峡、アデン湾を経てインド洋にアクセスするうえでの海上交通の要衝に位置する。

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首都は内陸部のサヌア(Sanaa)であるが、現在は反体制派のフーシ派とサーレハ元大統領派に占拠されているため、国際的に承認されているハディ暫定政権は南部の港湾都市アデンを拠点としている。1990年の南北イエメン統一までサヌアが北イエメン(イエメン・アラブ共和国)の首都、アデンが南イエメン(イエメン人民民主共和国)の首都であった。この他に主要都市としてはイエメン王国(1918~1962)の首都であった南西部のタイズ、南東部の港湾都市ムカッラーが挙げられる。

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人口は2,618万人(2014年、世界銀行)、民族は主にアラブ人、言語はアラビア語、宗教はイスラム教スンニ派が55%、同シーア派(主にザイド派)が42%、その他3%である。ザイド派は主に北部のサウジ国境付近に集中するとされる。

GDPは360億ドル、一人あたりGDPは1,408ドル(いずれも2013年、世界銀行)であり、隣国のサウジアラビア(GDP7,443億ドル、一人あたりGDP24,646ドル)、オマーン(GDP782億ドル、一人あたりGDP20,011ドル)と比較すると極めて低い水準にある。主要産業は石油・天然ガス、農業(特にコーヒー豆が著名)、漁業である。石油産出量は日量14.5万バレルであり、サウジアラビアの日量1,150.5万バレル、オマーンの日量94.3万バレルと比較して非常に少ない。(統計はいずれも2014年、BP)

(2)主要アクター

イエメン情勢を考える上で重要なアクターは以下の通りである。

①ハディ暫定大統領派
南部のアデンを拠点とし、スンニ派とされ、サウジをはじめとするアラブ・スンニ派諸国が支援している。2011年の「アラブの春」でサーレハ大統領が退陣した後、「GCCイニシアチブ」によって成立したアブドゥル・マンスール・ハディ暫定大統領が率いる。

②サーレハ元大統領派
北部で首都のサヌアを拠点とし、シーア派の一派とされるザイド派である。フーシ派と事実上連携している。2011年の「アラブの春」で失脚したサーレハ元大統領が率いる。

③フーシ派
サウジ国境付近のサアダ県、首都サヌアを拠点とするシーア派の一派とされるザイド派。イランの支援を受けているとされる。2014年9月に首都サヌアを制圧し、ハディ暫定大統領を辞任に追い込む。ムハンマド・アリ・アル・フーシ革命員会主席が率いる。

④アルカイダ系組織
東部のムカッラーを拠点とするとされる。スンニ派系で、フーシ派を対象にテロを展開する。

⑤「イスラム国」系組織
スンニ派系。主にサウジ国境付近やサヌアでフーシ派を対象としたテロを展開していたが、スンニ派のハディ暫定大統領派も攻撃対象にしている。

(3)近年の状況

近年のイエメンの混乱状況の端緒は2011年の「アラブの春」にある。より正確を期すのであれば、2010年にサーレハ大統領の後継問題が発生し、「アラブの春」という触媒によってイエメン騒乱へと発展した。2011年11月に湾岸協力会議(GCC)の調停案(GCCイニシアティブ)を受け入れ、同年12月にサーレハ大統領は退任し、ハディ副大統領への権限以上が図られた。ただし、サーレハはGCCイニシアティブ受け入れと引き換えに自らの刑事訴追免除と与党・国民会議(GPC)議長への留任という二つの勝ち取った。結局、この二つの条件が現在のイエメン内戦において重要な意味を持つこととなる。

2011年のイエメン騒乱に乗じて、ザイド派の武装組織であるフーシ派が北部のサアダ県を占領した。フーシ派はここを拠点としてハディ暫定政権に対する攻勢を強め、2014年9月に首都サヌアに侵攻した。サヌア侵攻後はハディ暫定大統領に多くの大統領令を出させることで政治の実権を握ったものの、2015年1月にハディ大統領を辞任させ、事実上のクーデターを成功させた。翌2月には議会を強制的に解散させ、権力を完全に掌握した。フーシ派の一連の権力掌握過程においては、GCCイニシアティブによって大統領退任を余儀なくされたサーレハ元大統領派との連携があったとされる。

フーシ派が2015年3月2日に南部のタイズを占領すると、サウジアラビアをはじめとするGCC諸国はフーシ派によるイエメン統一に危機感を強め始める。とりわけ南部の主要都市であり、国際海上交通の要衝であるアデンへのフーシ派の侵攻は避けなければならなかった。親イランのフーシ派がアデンを実効支配することは紅海からインド洋の出入口を封鎖されるに等しく、紅海側にジェッダとヤンブーという重要な港湾都市を持つサウジアラビアにとって深刻な脅威と認識された。結局3月25日にサウジが主導するアラブ連合軍がイエメンへの空爆を始めるに至った。

イエメン空爆は現在も続いており、国連の統計によればイエメン国内の民間人の死者は5,800名を超えたとされる。イエメン和平についてはこれまでに数回ジュネーブで開催されているものの、具体的な成果を得るには至っていない。サウジはイエメン空爆によって毎月1億7,500万ドル(210億円)を費やしているとの報道もある。原油価格の下落により歳入が大幅に減少していることを考えると、イエメン空爆の戦費は財政逼迫に拍車をかける結果をもたらしている。

2.在サヌア・イラン大使館への「空爆」

前回の記事を書いている途中で、イランが国営メディアを通じてサウジアラビアが在サヌアのイラン大使館を空爆したことに対して非難を行ったというニュースが入ってきた。事実関係が確認できなかったことから、前回の記事ではこの件について私はあえてふれなかった。今回の件について事実関係を整理すると以下のようになる。

①イランの主張
1月6日、サウジアラビアの空爆によって在サヌアのイラン大使館が損傷、負傷者が出た。

②サウジアラビアの主張
サウジが主導するアラブ連合軍は1月6日にサヌアへの空爆を実施したものの、イラン大使館周辺の空爆は行っていない。

③欧米メディアの報道
在サヌア・イラン大使館周辺住民への取材で「イラン大使館に損傷はない」との証言を得ている。

イラン、サウジの主張は真っ向から対立している。当事者双方の主張が真っ向から対立している場合、どちらかが嘘をついているということになる。イラン、サウジ両国の政治体制を考慮した場合、それぞれの発表に少なからずプロパガンダ的要素が含まれるという点に注意する必要がある。今回、欧米メディアがイラン大使館周辺に住む住民から「イラン大使館に損傷はない」という証言を得たことで、たとえサウジがイラン大使館周辺の空爆を行っていたとしても、イラン大使館に損傷を与えたわけではないという結論を導くことが可能である。

なお、万が一サウジがイラン大使館を攻撃したとしても、イエメンのハディ暫定政権は2015年10月にイランと国交を断絶しているため、外交関係に関するウィーン条約には抵触しないという立場を取ったであろう。サウジにとっては、イエメンにおいて正統性を有する政府はアデンにあるハディ暫定大統領を擁する政府である。そのハディ暫定政権がイランと国交断絶をしている以上、在サヌアのイラン大使館は非合法的な存在であり、外交関係に関するウィーン条約の適用を受けないものと認識しているはずである。(ウィーン条約上、外交使節団を置くためには接受国の承認(アグレマン)が必要である)。

一方でイランは、イエメンにおいて正統性を有する政府はサヌアにあるフーシ派とサーレハ元大統領派による政府であるとしていることから、サヌア政府の承認を受けている在サヌア・イラン大使館は合法的な存在であり、外交関係に関するウィーン条約の適用を受けるものと認識しているはずである。

今回の件は、イラン大使館に損傷が見られないことから、実際にウィーン条約上の問題になることはないだろうが、イエメン問題を考える際には、当事国がアデン政府、サヌア政府のいずれを承認しているのかという点を考慮する必要がある。アデンのハディ暫定政権はサウジをはじめとするアラブ連合国のみならず、多くの国家に承認された政府である。(在イエメンの大使館は閉鎖中であるが、日本もハディ暫定政権をイエメンの正統政府であるとしている)。現代の外交関係が相互承認によって成り立つことを考えると、サヌアのフーシ派・サーレハ元大統領派のを正統政府であるとみなすイランはやや分が悪いというのが事実である。
前々からNews Picksのコメント欄やTwitterの方でも主張してきたのだけど、改めてブログ記事の方に書いてNPにアップしておこうと思う。News Picks iPad版アプリのユーザー・インターフェースにつき、次の二点の改善を行ってほしいと思う。

1.横画面対応

現在のiPadアプリ版は縦画面のみに対応しており、横画面に対応していない。iPadの傾斜板付きカバーは通常、横画面に対応していて縦画面対応のものは実は見たことがない。(気になって調べてみたら全く無いわけではないらしい)。傾斜板付きカバーのデフォルトが横画面対応であることを考えると、横画面対応についても対応してもらいたい。実際に横画面対応を希望しているユーザーがどれだけいるかはわからないのだが、縦横双方に対応している方がよりユーザー・フレンドリーなのではないかと思う。

2.検索機能追加

現在のiPadアプリ版ではウェブ版、スマートフォン版で標準仕様となっている検索機能が存在しない。検索機能の利用をひとつの売りにしながら、iPadアプリ版ではこの機能が実装されていないというのは正直いって理解に苦しむ。ウェブ版、スマートフォン版のユーザー・インターフェースで格差があるのは望ましくないので、こちらも早急に実現してほしい。

なお、iPadの横画面対応と検索機能追加の要望の声はこれまでも他のユーザーから出ていたと思う。その度に、iPadユーザーから「iPadで使う時はウェブ版を利用する方が良い」という意見が出ていたのも事実である。たしかにiPadでNPを使う時にはウェブ版の方が便利であり、私もウェブ版を使うことの方が多い。ただ、iPadの画面の大きさを考えると、ウェブ版だと不便に感じることが多い。私が現在使っているiPadのモデルはiPad Air、以前使っていたのはiPad 2であったが、もしiPad miniを利用している人であれば、さらに不便と感じるのではないかと思う。

先日、以上2点に関するツイートを行ったところ、あるPro Pickerからも賛同の声をいただいた。もし同じような考えを持っているPickerがいるのであれば、ぜひ賛同いただいて、運営側に実現していただきたいと思う。
​新年早々サウジアラビアをめぐる情勢が緊迫している。サウジとイランの国交断絶以降、日本国内でもこのニュースに注目が集まっており、様々なメディアで両国の情報が報じられている。今回は先日のイランとの国交断絶について主に事実関係の整理を行ってみたいと思う。今回の記事執筆にあたってはNews Picksの関連記事へのコメントもベースとしているので、そちらも参照されたい。

1.ニムル師の処刑

サウジアラビアとイランの国交断絶の直接的な発端は1月2日にサウジのシーア派指導者であるニムル師が処刑されたことにある。ニムル師はサウジでも比較的シーア派系住民が多いとされる東部州アワミーヤの出身で、イランで宗教教育を受けたとされ、1990年代にサウジに戻りシーア派指導者としてサウジ政府に批判的な活動を行った。2011年の「アラブの春」においてもサウジ政府に批判的な活動を行い、サウジ国内のシーア派を扇動したとして2012年7月にサウジ当局によって逮捕され、2014年10月反逆罪、宗教扇動罪などで死刑判決が下っていた。(ニムル師の人物像については米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の「サウジで処刑されたニムル師はどんな人物か」に詳しい)。

死刑判決以降、イランと国際人権団体はサウジ政府に対してニムル師の処刑を行わないよう要請していたものの、サウジ内務省は2016年1月2日にニムル師の死刑を執行したと発表した。ニムル師と同じタイミングで2003年~2006年に拘束したアルカイダ系のテロリスト46名の死刑も執行された。なお、今回の処刑においてシーア派が大量に処刑されたとの誤った認識が一部にあるようであるが、アルカイダ系テロリストはスンニ派の系譜に属するため、「シーア派の大量処刑」という認識は完全に誤りである。

2.在イラン・サウジアラビア公館の襲撃と国交断絶

ニムル師処刑の翌日の1月3日、テヘランのサウジアラビア大使館、マシャドの同総領事館前で抗議デモが行われ、暴徒化したイラン人が大使館・総領事館を破壊、放火するに至った。大使館・総領事館襲撃という事態を受けて、サウジのジュベイル外相は同日中にイランとの国交断絶を通告した。

今回の大使館・総領事館の襲撃がイラン政府によって行われたものではなく、市民の抗議活動が暴徒化したものであることを考えると、私はサウジ大使館・総領事館が襲撃された段階で少なくとも在テヘランのサウジ大使の召喚と、在リヤドのイラン外交使節団に対するペルソナ・ノン・グラータの発動の可能性が高いと考えていた。しかしながら、サウジ政府は大使召喚というプロセスを経ず、一気に国交断絶という手段を取ることとなった。イラン政府が1月5日の段階で、潘基文国連事務総長宛の書簡において「遺憾の意」(Regret)を表明しており、ニムル師の処刑とは別に「外交関係に関するウィーン条約」に(第22条2項に定める接受国の公館保護義務を怠ったこと)に違反したことを認め、今後同様の事態が発生させないことを約束している。

サウジアラビアとしては大使館・総領事館の襲撃はあくまで国交断絶のきっかけにすぎなかったというのが私の見立てである。大使館・総領事館が襲撃された際には館内に館員がいなかったと報道されている。襲撃のあった1月3日が日曜日であり、イスラム圏において平日であること(例外もあるがイスラム圏では金曜日と土曜日が休日である)を考えると、大使館・総領事館は通常業務を行っているはずである。通常業務を行うはずの平日に大使館・総領事館に人がいなかったとすれば、襲撃と国交断絶を予見し、館員が事前に引き上げていたと考えるのが自然だろう。サウジ大使館・総領事館は2日のニムル師の処刑前後に襲撃と国交断絶を察知して館員の引き上げを行っていた可能性が極めて高いと考える。

なお、サウジ政府は国交断絶と同時にイランとの民間航空機直行便の廃止、貿易関係の断絶も表明している。ただし、現段階ではイラン向けのウムラー・ビザ(小巡礼ビザ)とハッジ・ビザ(大巡礼ビザ)については発給を続けるとしており、サウジ政府側がイラン国内のシーア派に対して一定の宗教的配慮を行っていることがうかがえる。('Iranian pilgrims will not be barred from Saudi Arabia
'


日本国内の中東専門家の意見の多くは、国交断絶がただちにサウジとイランの戦争に発展することはないというものである。しかしながら、イエメンにおいてイランが支援するフーシ派と対峙していること、シリアにおいてスンニ派系反政府組織を通じてイランが支援するアサド政権と対峙していること、ペルシャ湾を隔てて国境を接しているという事実を考えると偶発的軍事衝突がエスカレートする可能性は否定できない。

偶発的軍事衝突が起きた時、外交関係があるとないとでは大きく異る。外交関係がある状態であれば、コミュニケーション・チャネルが確保されていることによって事態のエスカレートを防ぐことができる。これに対して外交関係がない状態であれば、コミュニケーション・チャネルが確保されていないことによって事態のエスカレートのみならず、新たな相互不信が醸成されてしまう。今回サウジが一方的に国交を断絶したことは、コミュニケーション・チャネルを閉ざしたという点で、非常に重要な外交資源を失ったと言える。(この記事を書いている途中で、イランが国営メディアを通じて在サヌアのイラン大使館がサウジの攻撃を受けたとの報道がなされた。現段階では事実確認が取れていないため、ここではコメントしないこととする)。

3.近隣諸国の反応

サウジが国交断絶を発表した翌日の1月4日には隣国のバーレーンがイランとの国交を断絶した。バーレーンは国民の70%がシーア派であるものの、ハリファ王家がスンニ派であることから「スンニ派国家」と位置付けられる。元々はペルシャ湾に浮かぶ島国であるが、サウジアラビアとは「キング・ファハド・コーズウェイ」という橋で地続きとなっており、サウジとの関係は非常に強い。

私はダンマンからコーズウェイ経由でバーレーンに入国し、滞在したことがある。バーレーン国内ではサウジアラビア・レアルがバーレーン・ディナールの10倍で通用し、バーレーン・ディナールでお釣りがくるという不思議な経験をした。通貨というものが国家主権の一部であると考えていた私は、この経験を通じてバーレーンという国がサウジアラビアの属国であるという事実を痛感した。

実際、バーレーンは2011年の「アラブの春」の際に起こったシーア派住民によるデモを鎮圧する際にサウジアラビア軍を主力とする湾岸協力会議(GCC)加盟国の軍事介入を求めており、サウジの属国としての色彩が極めて強いという点を指摘することができる。また、昨年12月にサウジ主導で発足したイスラム軍事連合にも参加している。今回他国に先駆けていち早くイランと国交を断絶した背景には、サウジへの政治的、軍事的、経済的依存が極めて強いことと無関係ではないだろう。

バーレーンと同じタイミングでサウジと紅海を隔てた隣国であるスーダンもイランとの国交を断絶した。スーダンは人口の70%がイスラム教徒であり、スンニ派が多数を占める。近年はバーレーン同様、サウジと政治的、経済的、軍事的な結びつきが強く、昨年12月にサウジ主導で発足したしたイスラム軍事連合にも参加している。

1月6日にはスーダン同様、サウジと紅海を隔てた隣国であるジブチもイランとの国交を断絶した。比較的知名度が低い国であるが、イスラム軍事連合参加国であり、アデン湾の海賊対策を行う上での戦略的要衝に位置する。日本ではあまり知られていないが、現在のところ日本の自衛隊が唯一有する海外拠点である。サウジがイエメン問題でもイランと対立していることを考えると、イエメンのアデン湾やバブ・エル・マンデブ海峡へアクセスする上でジブチを自陣営に迎え入れた戦略的重要性は極めて大きいと言える。

イランとの外交関係を残したものの、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、カタールがそれぞれ在テヘランの大使を召喚した。このうちUAEは外交関係の格下げを表明した。UAEとカタールが外交関係を維持した理由としては、近い将来経済制裁を解除されたイランが国際原油市場に復帰する可能性が高いことがあげられる。両国とも国際金融市場におけるハブ機能の強化を行っており、イランが国際原油市場に復帰する際には重要な取引相手となる可能性が否定できないため、外交関係を断絶するまでには至らなかった。一方で、クウェートが外交関係を断絶するに至らなかったのは、国内にシーア派系住民を30%程度抱えることに起因するのではないかと考える。(なお、UAEは22%、カタールは15%のシーア派系住民を抱えている)。

以上のように、GCC加盟国、スンニ派アラブ諸国であってもそれぞれの国情に応じてサウジへの同調について微妙な温度差が生じているというのが現実である。一方、GCC加盟国でありながら現時点で今回の事件に全く反応していない国としてオマーンがあげられる。オマーンはそもそもスンニ派でもシーア派でもないイバード派が多く、近年サウジ、イラン両国と良好な関係を維持していることから今後の対応に注目しておいた方が良いだろう。私はオマーンがどこかのタイミングでサウジとイランの仲介役として非常に重要な役割を担うのではないかと考えている。

また、湾岸諸国以外で特に注目すべき国としてトルコとパキスタンをあげておきたい。トルコはスンニ派国であるものの、サウジのみならず近年はイランとも比較的良好な関係にある。既にダウトオール首相がサウジ、イラン両国の仲介を行う容易があることを表明している。トルコによる仲介の打診は中東地域での影響力拡大を狙ったものであると考えられるが、シリア問題においてはアサド政権を認めないという姿勢をとっており、イランとは必ずしも利害が一致しているわけではないという点に注意する必要があるだろう。

パキスタンに注目する理由はパキスタンがイランと国境を接し、核保有国であるがゆえである。パキスタンの核兵器保有は一般的にはインドに対抗するものと理解されているが、パキスタンの核兵器開発にあたってはサウジが資金面で協力しており、これをもってサウジがパキスタンの核兵器のオーナーシップを持っているとも解することも可能である。今後パキスタンがイランに対してどのような姿勢を取るかという点に十分注意する必要があると考える。

4.原油価格への影響

当初私は今回のサウジの過剰とも言える強硬姿勢は、いわゆる「地政学リスク」を演出することによって原油価格の釣り上げを意図したものであると考えていた。原油価格下落が続く中、昨年12月18日にアメリカで40年ぶりに原油輸出を解禁する措置が講じられ、12月31日に米国産原油を積載したタンカーがテキサス州の港から出港したとの報道があった。昨年12月のOPEC総会において減産見送りを決めたものの、原油価格下落によってサウジの歳入が大きく落ち込んでいたことから、減産をせずに原油価格の釣り上げを図るためにサウジ自らが「地政学リスク」を演出するインセンティブは十分に存在した。

サウジが実際に原油価格釣り上げを図ったかどうかについては当事者にしかわからないことである。しかしながら、サウジ大使館・総領事館襲撃事件以降WTI価格は一時的に上昇に転じたものの、1月7日のWTI時間外取引では2008年のリーマン・ショック時につけた32.4USD/Bを下回り、2003年12月以来およそ12年ぶりの安値を記録している。現在の原油価格は「地政学リスク」よりも、供給過剰や中国経済の減速に起因する実需低迷を反映した形となっていると言えよう。

5.ホルムズ海峡封鎖はありえるのか?

仮にサウジとイランがペルシャ湾において直接衝突をした場合、安保法制の審議の過程で話題となったホルムズ海峡は封鎖されるのだろうか?私はその可能性は低いと思っている。

1枚目はアラビア半島とペルシャ湾の地図である。ホルムズ海峡はドバイの北東に位置するムサンダム半島とイランの間の海峡である。日本では意外と知られていないが、ムサンダム半島はオマーンの飛び地であり、ホルムズ海峡の国際航路はオマーン領海に位置する。ホルムズ海峡にイランが機雷を敷設するという場合、オマーン領海に機雷を敷設するということになるため、これはイランによるオマーンに対する戦争行為と見なすことができる。

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万が一イランがオマーン領海に機雷を敷設するということになった場合、どのような影響が出るのだろうか?2枚目の地図はペルシャ湾北西部の地図である。

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左側がサウジアラビアの東部州沿岸となる。カフジ、ジュバイル(ジュベイル)、ダンマーム(ダンマン)といった産油地、製油所、石油積出港が集中している。縮尺の関係で地名表示が出ていないが、ジュバイルとダンマームの間にはラス・タヌラがあり、世界最大級の製油所が置かれている。サウジで生産される原油のほとんどがペルシャ湾側に集中していることから、輸出に際してはホルムズ海峡を通ることとなる。

では、イランが原油輸出を行う上での拠点はどこであろうか?2枚目の地図の真ん中上部に"Khark"という小さな島がある。ハールク島と呼ばれるこの島はホルムズ海峡から北西に450kmほど離れた、ペルシャ湾最深部にある。このハールク島こそはイラン産原油積出の約9割が集中する島なのである。したがって、イラン産原油もまたホルムズ海峡を通らなければ輸出することが不可能なのである。つまり、万が一ホルムズ海峡が封鎖されることがあれば、サウジアラビアのみならずイランもまた原油輸出を行うことができなくなり、大きな経済的損失を被るということである。

安保法案審議の際にこの点を指摘した政治家は与野党の別なくおそらくいなかったはずである。私の付き合いのある石油業界関係者の間ではハールク島の存在はほぼ周知の事実であったが、国会の審議においてはこの点は完全に見落とされ、ホルムズ海峡封鎖の可能性がまことしやかに語られていたのである。
年末に書こうと思っていたのだが、どうにもやる気が起きず年を越してしまった。年が明けてからのサウジアラビアの情勢は周知の通りであるが、今般の情勢を正確に把握する意味でも2015年のサウジの情勢、特に権力移行、安全保障政策、財政について大雑把に振り返っておくことには価値があると思う。

2015年のサウジアラビアはアブドゥラ前国王の入院で幕を明けた。私の2015年最初のNews Picksへのコメントは次のようなものであった。

「新年早々不安なニュースが入ってきた。アブドゥラ国王の健康不安は以前からわかっていたことだが(チューブをつけながら公務をする姿が見られた)、検査入院となるとXデーが近いことを感じさせる。サウジ王室の王位継承は長子相続ではなく、兄弟間相続であり、未だに初代国王の息子たちで王位継承を行っている。高齢の王族間での相続のため、他の君主国と比べると短期間で国王や皇太子が交代する」。

結局この3週間後の1月23日にアブドゥラ前国王が崩御し、サルマン国王が即位した。アブドゥラ国王の崩御については、「国王の逝く国で」「二人のムハンマド」でも詳しく触れているので一読されたい。サルマン国王即位後、明確な変化が訪れたのは3月25日に始まったイエメン空爆である。イエメン空爆開始以降、サルマン国王は強硬路線を強めてゆくこととなった。

4月29日には皇太子の地位にあったムクリン王子を皇太子から更迭し、自らと同じスデイリ家の系譜に属するムハンマド・ビン・ナーイフ副皇太子を皇太子に昇格させ、息子であるムハンマド・ビン・サルマン王子を副皇太子に据えた。(詳細は「剣と椰子の木~サウジ皇太子交代と内閣改造~」を一読されたい)。ムクリン前皇太子は2014年3月に当時のアブドゥラ国王によって副皇太子に任命され、アブドゥラ国王をして「この人事を覆してはならない」と厳命していた。サルマン国王によるムクリン王子の皇太子解任はアブドゥラ前国王の命令を反故にするものであった。ムクリン皇太子の解任理由としては、母親がイエメン系であり、ムクリン王子自身がイエメン空爆に反対していたとされることとされる。ムクリン王子の皇太子解任、ムハンマド・ビン・ナーイフ王子の皇太子就任(内務大臣を兼務)、ムハンマド・ビン・サルマン王子の副皇太子就任(国防大臣を兼務)により、サルマン国王は権力基盤を強固なものとした。

ムクリン皇太子解任に際して、権力以降を印象付ける写真を撮ることができたので紹介しておきたい。1枚目はムクリン皇太子が解任されてすぐの2015年5月3日の写真である。

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2枚目はその1ヶ月後の2015年6月4日に同じ場所で撮影した写真である。左側に注目するとムクリン前皇太子からムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子に肖像画が差し替えられていることがわかる。

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3枚目の写真は別の場所で2015年6月3日に撮影したものであるが、ムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子の肖像画が追いつかなかったためか、左側には肖像画が掲げられていない。(現在はムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子の肖像画が掲げられている)。

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サルマン国王、ムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子兼第一副首相兼内相、ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子兼第二副首相兼国防相の下でイエメン空爆は継続され、主だった成果を挙げぬまま軍事費は拡大の一途を辿った。2015年は当初想定よりも原油価格が下落したことから歳入が減少したが、当初予算において想定していなかったイエメン空爆による戦費がかさんだことで財政赤字が拡大した。

イエメン空爆を遂行する一方で、サウジは5月以降「イスラム国」系組織によるテロ攻撃を数度にわたって受けている。主だったテロは以下の通りである。

①5月22日 東部州カティーフのシーア派モスクでの自爆テロ
②5月29日 東部州ダンマンのシーア派モスクでの自爆テロ
③7月16日 首都リヤド近郊の検問所での自爆テロ
④8月7日 アシール州アブハーの治安部隊基地内モスクでの自爆テロ
⑤10月16日 東部州カティーフのシーア派モスク襲撃

いずれも「イスラム国」系の組織が犯行声明を出しており、①②⑤の事件についてはシーア派を狙ったもの、③④の事件については政府機関を狙ったものである。なお、6月27日には隣国クウェートのシーア派モスクを狙った自爆テロも発生している。「イスラム国」系組織は主に彼ら自身が「異端」と位置づけているシーア派を攻撃の対象としており、この傾向は今後も続くことが予想される。サウジ国内にはシーア派系住民が15%程度存在するとされ、ペルシャ湾岸の東部州やイエメン国境付近に比較的集中しているとされることから、今後もシーア派系住民の多い地域ではテロが頻発する可能性が否定できない。相次ぐテロにより、テロ対策費用もかさんでいるという点にも留意する必要があるだろう。

最後に原油価格の下落と財政赤字についてふれておきたい。2015年1月月間平均価格は47USD/Bであり、6月には59USD/Bまで上昇したものの、年末には37USD/Bまで下落した。いわゆる「地政学リスク」を抱えてはいるものの、現在の需給バランスを考えると近い将来30USD/Bを割り込む可能性は否定できない。

原油価格下落局面にあることから、2015年度の実歳入は6,080億SAR(19兆4,560億円)であり、当初予算の7,150億SAR(22兆8,800億円)から1,070億SAR(3兆4,240億円)、約15%の減少となった。2015年度の歳出見通しは9,750億SAR(31兆2,000億円)であり、当初予算の8,600億SAR(27兆5,200億円)から1,150億SAR(3兆6,800億円)、13%の増加となった。上述の歳入から歳出を差し引くと、3,670億SAR(11兆7,440億円)の財政赤字となっている。当初予算上の赤字額は1,450億SAR(4兆6,400億円)であったので、赤字額が当初予算の2.5倍に膨らんでいる。

2016年度の歳入予想は5,138億SAR(16兆4,416億円)の見通しであり、2015年度の実歳入から942億SAR(3兆144億円)と約15%の歳入減となる。一方で、2016年度の歳出は8,400億SAR(26兆8,800億円)であり、2015年度の歳出見通しよりも200億SAR(6,400億円)の歳出削減が見込まれている。財政赤字は3,262億SAR(10兆4,384億円)となっており、2015年度の実財政赤字からは縮小する形となる。とはいえ、2015年度当初予算からは財政赤字が2.2倍まで膨らむ形となる。(財政状況に関しては「2016年度サウジアラビア予算」を一読されたい)。
12月28日に2016年度のサウジアラビアの予算が発表されたので概要を見ておくこととしたい。なお、邦貨換算にあたっては直近レートに基づき1SAR=32JPYで換算することとする。(2015年度予算策定時のレートも1SAR=32JPYであったため、同じレートを使うこととする)。

1-1 2015年度実予算(歳入)

2015年度の実歳入は6,080億SAR(19兆4,560億円)であり、当初予算の7,150億SAR(22兆8,800億円)から1,070億SAR(3兆4,240億円)、約15%の減少となった。なお、実歳入全体に占める原油収入は444.5SAR(14兆2,240億円)であり、73%の依存率となっている。当初予算と比較して歳入が15%の減少となったのは原油価格下落を受けたものと考えるのが自然であろう。

1-2 2015年度実予算(歳出見通し)

2015年度の歳出見通しは9,750億SAR(31兆2,000億円)であり、当初予算の8,600億SAR(27兆5,200億円)から1,150億SAR(3兆6,800億円)、13%の増加となった。上述の歳入から歳出を差し引くと、3,670億SAR(11兆7,440億円)の財政赤字となっている。当初予算上の赤字額は1,450億SAR(4兆6,400億円)であったので、赤字額が当初予算の2.5倍に膨らんでいる。

当初予算と比較して歳出が増加した背景には、当初予算では想定していなかった公務員や軍人に対する給与引き上げ(この政策はサルマン国王即位にともなって実施された)、対「イスラム国」およびイエメン空爆の戦費の増加が主要因と言えるだろう。また、近年開発が進められているメッカとメディナという二大聖地の整備費用が増加したことも歳出増加の要因である。

2-1 2016年度予算(歳入)

2016年度の歳入予想は5,138億SAR(16兆4,416億円)の見通しであり、2015年度の実歳入から942億SAR(3兆144億円)の歳入減となる。2015年度実歳入よりもさらに歳入が減少する見込みとなるのは、言うまでもなく原油価格に歯止めがかからないことに起因していると考えるのが自然であろう。

2-2 2016年度予算(歳出)

2016年度の歳出は8,400億SAR(26兆8,800億円)であり、2015年度の歳出見通しよりも200億SAR(6,400億円)の歳出削減が見込まれている。財政赤字は3,262億SAR(10兆4,384億円)となっており、2015年度の実財政赤字からは縮小する形となる。とはいえ、2015年度当初予算からは財政赤字が2.2倍まで膨らむ形となる。

予算内訳としては、第一に、教育関連予算として1,917億SAR(6兆1,344億円)が計上されており、予算全体の23%を占めている。2015年度当初予算においては2,170億SAR(6兆9,440億円)が計上されており、予算全体の4分の1を占めていたが、今回1割強を削減された形となっている。

第二に、厚生・社会開発予算として1,049億SAR(3兆3,568億円)が計上されており、予算全体の12.5%を占めている。2015年度当初予算においては1,600億SAR(5兆1,200億円)が計上されており、今回は3割以上も削減された形となっている。

第三に、軍事予算として2,134億SAR(6兆8,288億円)が計上されており、予算全体の25%を占めている。2015年度当初予算においては軍事予算について明記はされていないものの、明記されている予算から差し引くと最大で2,460億SAR(7兆8,720億円)が計上されていると推定され、予算全体の3割近くを占めていた可能性がある。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計によると2014年度のサウジアラビアの軍事費は808億ドル(9兆7,177億円)とされるから、軍事予算は表向きは大幅に削減されている形になる。もっとも、今後のイスラム軍事連合による対「イスラム国」作戦とイエメン戦争のの戦況によっては、戦費が拡大すると考えた方がよいだろう。