やめられまへん 投げ釣りはっ! -2ページ目

昭和の匂い(臭い)が…

毎度ですほっこり

 

 

近頃、なんや夜に””をよく見るようになりましたガーンあせる

 

 

それも、小さい子供だった昭和30年後半から40年前半にかけてのおぼろげな記憶の映像がベースで、あの世の中がホンワカとした温かい雰囲気に包まれ、さらにご丁寧にも当時に嗅いだ(感じたはてなマーク)と思われる「匂い」までもが一緒になって夢に出てきよりまっせえー?

 

 

 

 

 

 

 

 

その夢の多くはたいした内容ではなく、恐らくは老いたオッサンの心が深層にて求めているのであろうあの遠い時代の母親や祖母、叔母といった親族女性の温もりを甘え求めるような薄い内容の話が大半なんですが、乳房に顔をうずめて嗅いだ若かった母親の甘い匂いや祖母の着物から漂うお年寄りの甘い匂い、叔母がギューっと僕をハグしてくれたときの化粧品の匂いなどが夢から眼が覚めても妙にリアルに鼻腔に残ってまんねんなアセアセあせる

 

 

それと、その背景となる「昭和の風景」の匂いも生々しく感じられますおーっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば家と家の間に通る細い路地に漂う苔が発酵したようなカビ臭さ、道端にある木製のゴミ箱から漏れ出る生ゴミの臭い、実家の前にある国鉄:片町線住道駅へ入ってくる貨物線の蒸気機関車から吐き出されて立ち昇る黒煙と石炭が燃える臭い、住道駅の改札口から近い汲み取りトイレからの強烈なアンモニア臭など、主に「クサイ臭い、嫌な臭い」の記憶が鮮明に甦ってきよりまっせ叫び叫び叫び

 

 

 

そんな夢を見ているときはチョットでも幸せで心が温まる気分になるのですが、逆に目が覚めると現実では絶対に会えない人たちの肌の温もりとふれあい、嗅ぐことができない甘い匂いに思いっきりのノスタルジーを感じて自然と目頭が熱くなってしまうヘタレ丸出しのオッサンでおますゲラゲラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなときは昭和の昔を描いた本を読み、再び昭和の思い出を「反復 ➡ 咀嚼」することで心身ともにクールダウンさせ、酷く感傷的になった我が心情を慰めるようにしてまんねんで キラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その本はといえば、最近は前にもブログで紹介した「熱血の投げ釣りライター」こと 阿部正人 氏がしたためる『里山太平記』 (小学館刊) で、これは氏が多感な少年時代を過ごした金沢での生活や遊びを小粋にまとめた自伝的エッセイで、その自然の中で浮世の理を学んで成長していく氏の姿が己自身の記憶と重なり、なかなか楽しめる内容に仕上がってまっせベルベルベル

 

 

 

漫画本では昭和ノスタルジーの定番である西岸良平が描く「三丁目の夕日」もヨロシおますが、どちらかといえば「池田邦彦」が描く国鉄の長距離列車に乗務する客扱専務車掌を主役に人情話が展開される「カレチ」の方が大阪を舞台にしている分だけ親近感がおますわクラッカークラッカークラッカー

 

 

 

 

 

 

 

それにしても「池田邦彦」が描く漫画は絵も内容も「昭和30年~40年代の温かさと匂い」に満ちた作品が数多く、この「カレチ」や「電車通り1丁目」、「おもいで停留所」といった昭和の鉄道や乗り合いバスを題材に人情噺が展開していく漫画は鉄道マニアでなくても充分に楽しめる内容で、オッサン世代から歳上の読者が読めば懐かしい光景を描いた絵を見て思わず頬が緩むと思いまっせ音譜星音譜

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・ってことで冒頭の話に戻りますが、やっぱり昔の良き時代、自分が無垢だった子供時代の夢を頻繁に見て今はもういない母親や女系親族の温みを求めるというのは、やっぱり避けられぬ「老いの証拠」なんでっしゃろかなぁ~…ショックあせるぐすん

『韓国TV珍釣行』のメモリー(その6)

毎度ですニコ

 

 

さて、慣れない右側通行の道を走り続けて到着Ⅾしたのは韓国南東部にある海水浴場で(地名や釣り場名は失念してしまいました、なにせ歳でっからネ…)、まずはオッサンが不得意中の不得意とする「サーフからの引き釣り」で”シロギス”を狙うプランで撮影が始まりますおーっ!おーっ!おーっ!

 

 

 

 

 

 

 

釣り場の選択はコーディネーターであるミンさんによるもので、事前に韓国ダイワの日本人スタッフと打ち合わせしてシロギス狙いの投げ釣りに適しているであろうと思われるこの海水浴場(サーフ)に白羽の矢を立てたとのことでっせえー?

 

 

 

ところで、以前にも綴ったように当時の韓国では「投げ釣り」というジャンルの釣りは確立されておらず、おそらくは磯竿やショートロッド等で行う”ブッ込み釣り”は実践されているでしょうが、専用タックルで100m以上もの沖に広がる海底を探り釣るような釣りは一般のアングラー間では行われていなかったみたいでんなにやり

 

 

 

 

 

 

 

 

…となると、シロギスは「どんなジャンルの釣りで釣られていたのかはてなマーク」 となりますが、コレが噓のような話でっけども「韓国ではシロギスは雑魚だから誰も狙って釣らないヨ」 とミンさんから聞き、まるで側頭部を中華鍋の鉄製オタマで力一杯に殴られたように「ガァーン!!」となるオッサンですガーン汗

 

 

そうでんねん、当時の韓国ではキスの扱いは日本で言えばガッチョやハゼ類、ベラ類と同じような低価値しかない”雑魚扱い”で、人気の高いターゲットといえばチヌやグレ、マダイに青物類、イシダイやハタといった底物といった引きの強い華のある大型魚種とのことでっせベルベルベル

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに余談になりまっけども、日本の釣りビジョンのように韓国内で放映されている釣り専門チャンネルの番組を観ると、海から遠い内陸部においては川や湖沼にて釣る 『鮒釣り』 に圧倒的な人気があるようで、その証拠に釣りチャンネルでは鮒釣りの実釣番組が数多く放送されてましたもんネアセアセあせる

 

 

…でっ、ビックリしたのがその番組内における鮒釣りのスタイルで、概ねが岸に据えた小屋付きの台座や足場からの「夜釣り」で、短い延べ竿に電気ウキを装着し、ミミズを餌にズラリと 7~10本程度の竿数を並べてアタリを待つという、いわゆる「数撃ちゃ当たる!?」がレギュラーな鮒釣りスタイルの一つみたいなんですわショック

(この辺は投げの置き竿釣法に相通ずるところがチョットだけあるような…ニヤ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかもでんな、韓国のTVスタッフに訊くと「釣った鮒はリリースしないでチゲ鍋にして美味しく食べる人もいるヨ音譜」とのことで、またもや「お国が違えば・・・」のカルチャーショックを軽く受けるオッサンなのでありましたえーん

 

 

…てなことで、次回はいよいよ「シロギス実釣編」へと(つづく)でっせ

『投げ釣り偉人伝』(part2)

毎度ですニコ

 

 

 

さてさて、春休みに泉南エリアの「みさき公園裏の遊歩道」へと出向いた中学2年生のオッサン達ですが、少年だった当時の体力・能力&使用タックルの性能【旧O社 ホノルル11 + スパーク180:道糸5号 + ジェット天秤20号】 では手前に広がる岩場・ゴロ石のエリアにしか仕掛けが入らず、従って朝からズウ~ッと根掛かりの連続でおましたわ笑い泣き

 

 

 

 

      

           ※ネットから写真をお借りしましでお願い

 

 

 

 

そんな悲しい状況で釣果といえば小さなガシラ、クジメギンポ、アナハゼといった根魚の雑魚がハリに掛かってくれますが、あこがれのカレイの顔を見るなんぞは夢のまた夢で・・・叫び叫び叫び

 

 

 

 

 

 

         ※ネットから写真をお借りしましたでお願い

 

 

 

…でっ、半日の大半を根掛かりとの戦いに費やして疲れ果てたオッサン達が帰ろうかという午後3時ごろになって入れ替わる様に釣り場へ30代後半 ~ 40代前半と思われる1人のキャスターが登場しますガーン

 

 

 

なんや背面に「〇〇サーフ」というクラブ名が入ったベストを着用し、帽子は幅広なツバから側面にかけて 「これでもかぁ~!!」 というほど大会や表彰の各種バッジが大量に取り付けられている容姿は、いかにもTVの時代劇番組に出てくる素浪人、イヤさ荒々しい野武士というか「お主、なかなかヤルな…ニヤ」 という宮本武蔵のような風貌がその”釣力の強さ”を物語っていましたでクラッカークラッカークラッカー

 

 

 

 

 

 

 

 

その説得力のある姿に暫し見惚れていると、おもむろに貝印のズック生地製の竿袋から取り出したのは当時の投げ竿で最高峰であったサクラ釣具🌸の水色に輝く 「日本号 C」 が2本と深紅の 「日本号 D2本計4本やおまへんかベルベルベル

 

 

 

 

 

 

 

 

そのすべてに旧O社の名機 「スーパー93」 をセットし終えると、いま思えば”V字投法”で豪快かつスピード感に溢れるフルスイングでキャストされまっせグッド!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・すると、僕らが釣っていたエリアを楽々と越えて遥か彼方の沖へとラインを引き連れたオモリがブッ飛んでいき、シュッポと海面を割って着水船したのには、まさに衝撃的な驚きを憶えたオッサン達でありますキラキラ

 

 

さらに、その10分後には絵に描いたように保崎を抑え込む魚信をキャッチすると、まるで起重機のような高速の巻き上げで急なカケ上がり&シモリ群をかわして足元に抜き上げたのは、中坊釣り師が憧れてやまない 35㎝ほどのブ厚いマコガレイ」やおまへんかおーっ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

そのカレイの口から吞み込んだハリをハズしながら強者キャスターは「カレイは潮と時合、さらにポイントをきっちりと読んで釣らなアカンねんで音譜」 と白い歯を見せて笑いながら事細かにカレイ釣りのコツを語ってくれたのが印象的で、半世紀ほどの時が経った現在も鮮烈な記憶として頭の中に焼き付いてまんねんわほっこり

 

 

そして、その名も知らない親切でイカした強者キャスターが着用するベストの胸元には釣り雑誌で何回か見かけた『全日本サーフ』 と書かれた赤い刺繍ワッペンがカッコ良く、燦然と光り輝いていたのをハッキリと憶えてまっせ星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、それから2度と出会うことも無かったこの強者キャスターが取った武士の如き立ち振る舞いがオッサンに「投げ釣りのカッコ良さ」を示し、さりげなく「カレイ釣りの基本メソッド」までも教えてくれた親切心との合わせ技で、独断と偏見による見解ではおますが 『投げ釣りの偉人』 の二人目として認定させてもらいまっせラブラブラブラブ

 

そして、そんな独断と偏見で三人目として挙げるキャスターは・・・

 

(つづく)

 

 

 

 

『韓国TV珍釣行』のメモリー(その5)

毎度ですニコ

 

 

 

さてさて、韓国といえば諸外国に多い「車は右側通行」でおますから自動車は概ね「左ハンドル」になり、このときもミンさんが運転してくれるSVR車の助手席に座らせてもらいましたが、外国を訪れたことのないオッサンにとっては右折するときに小回り、左折するときには大回りで右車線へ進入するという「自分の常識とは逆」という交通ルールには著しく翻弄され続けたのでありましたあせるアセアセあせる

 

 

 

 

 

 

 

また、当時の韓国では意外なほどに「車が優先」という感覚で、日本における「歩行者が優先」という不変の絶対ルールがケッコウないがしろなっているように思えて仕方おまへんでしたわえー?

 

 

でもまっ、結局は実際に右側通行の道で自動車を運転することもなく、移動時は只々助手席に乗っているだけでよかったのでホンマに助かりましたが…ニヤ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それと韓国は車社会らしく車の数は日本と何ら変わらない台数が走り回っていて、車のデザインも古臭いものは少なくカッコイイ車も多く見受けられましたでガーン

 

 

 

 

 

 

 

 

でっ、車窓の外で走っている車を見ていると、アレレッ、やたらとベンツCシリーズやBMWの3シリーズといった小型外車が数多く走っている様な…クラッカークラッカークラッカー

 

 

でもネ、よくよく見ればそれらは 「ヒュンダイ」 や 「大宇」 といった韓国メーカーの車で、一見すればベンツやBMWと見間違える似せたコピーシルエットは昭和のトヨタや日産といった日本メーカーもやっていたことでっから、やはり自動車のユーザーは両国ともに似通った嗜好・要望がおまんねんやろな音譜音譜音譜

 

 

 

 

 

 

 

それと、韓国内における高速道路網はオッサンの思いよりも遥かに整備・発達しており4,郊外への異動も高速道路を使用してスムーズに可能なんでっせウシシ

 

 

車移動の最中に目に飛び込んでくる景色といえば所々に固まってそびえ立つ広大で現在的デザインの高層マンション群で、そこからも韓国が韓流ドラマで見るような純都会的な暮らしができるアジアの先進国であることが伺い知ることができましたでグッド!グッド!グッド!

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、余談ですが東南部の海岸線に到着すると約4キロごとに鉄条網で頑丈に仕切られた「韓国軍の防衛監視施設」が点々と存在してまっせおーっ!

 

 

これらは海から侵入してくる”敵”を防ぐ目的に設置されており、各所では空港と同じく武器を構えた屈強そうな兵士が鋭い目つきで巡回していて、間違いなくこの国が厳しい戦争下にあることを嫌でも再認識させられたオッサンなのでありました叫び叫び叫び

 

 

てなことで、やっと釣り場に到着する次回に(つづく)でっせラブラブラブラブラブラブ

投げ釣り偉人伝(part1)

毎度ですニコ

 

 

半世紀以上もダラダラと投げ釣りで遊んできたオッサンでっけども、その長いだけで中身の薄い釣歴の中で出会ったキャスター、知り合ったキャスターといえばそれこそ星の数ほども大勢いてはりますが、その中でも 「この人はスゴイで!!とか 「この人は素敵や恋の矢」、「この人は尊敬できるわベル」 と心から思った まさに ”偉人” と呼んで差支えのない素晴らしい人物がおられましたほっこり

 

 

 

 

そこで、今回はオッサンが独断と偏見で選んだ有名無名の 『投げ釣り偉人伝』 を綴ってみようかなと思いまんねんわクラッカークラッカークラッカー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず最初の偉人といえば、中学生1年生のオッサンが投げ釣りを始めた昭和46~47年ごろに月刊『関西のつり』の誌面で連載を持ち、その卓越した実釣経験に基づく断言的な文面の記事で当時の投げ釣り界をグイグイと牽引されていた 『小西和人』 さんは絶対にハズすことができない偉大な存在でんな音譜音譜音譜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小西さんといえば日本全国で最も大きな投げ釣り団体で歴史ある『全日本サーフキャスティング連盟』 の三代目連盟長を務められ、昭和51年には毎日新聞社を退職されて日本で唯一の週刊釣り雑誌『釣りサンデー』を立ち上げて「釣りと社会」までテーマにしたマスコミ活動を繰り広げた誰もが知る”釣界の偉人”でっせラブ

 

 

また、サンTVの釣り番組 『ビッグフィッシング』 で白いヒゲを蓄えて優しい笑顔で解説される姿を憶えておられる方も多おまっしゃろ星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その小西さんのしたためる記事で何千人ものキャスターが所属する凄く大きな投げ釣り団体が世の中にあることは何となく知っていた少年時代のオッサンですが、その団体の存在を衝撃的に体験したのが中学2年生の春に釣行した泉南エリアの「みさき公園裏の遊歩道」での出来事でありましたキラキラ

 

 

 

当時の「みさき公園裏」といえば泉南エリア屈指の大物ポイントで、足元から80m以上沖までゴロ石と岩場が続いた先にある砂地のカケ上がりを投点110 ~ 130mという遠投キャストで攻めるメソッドで40㎝オーバーのカレイやアイナメ、チヌなどの大物釣果が毎シーズンの様に記録されていましてんでビックリマーク

 

 

 

 

 

            ※ネットから写真をお借りしましたでお願い

 

 

 

まっ、いわゆる完全な「ベテラン向きの釣り場」で中坊キャスターの実力では到底歯が立たないのは明白でしたが、そこはイチビリのオッサンのことですニヤ

 

 

春休みに入って仲の良い釣友三人と「みさき公園裏」で竿を出す計画を立て、早朝の国鉄・片町線の電車に揺られて泉南の海へと向かったのでありましたが、その釣行で二人目の”偉人”に出会うことになりまんねんな ラブラブラブラブラブラブ

 

(つづく)