蒼い1976の流行歌ですわ❤(その2)
毎度です
オッサンが”花のセブンティーン”だった1976年(昭和51年)に同学年だった彼女とのデートといえば喫茶店でのおしゃべりが中心で、彼女の可愛い顔を見ながら交わす学校での出来事やTVドラマといった他愛のない話題の会話がメッチャ楽しくて仕方おまへんでした
その1976年に生きる高校男子の間で流行っていたファッションといえば、薄いニットのトックリセーターの上に何故だか”adidas”のウインドブレイカーを羽織り、下はニットのゴルフウエアーみたいなフレアーズボン、靴はバックスキンのインディアン・モカシンが定番で、大阪市内に出ていくときにはピンストライプ柄で上下お揃いのジャンバースーツにシルクの靴下+白いエナメル靴という、ドコから見ても”街のチンピラ”にしか映らないエライ格好を好んでチョイスしていましたな
いま考えればなんと趣味の悪いセンスなんですけども、当時のそんなチンピラファッションに身を包んだ若者が市内のディスコにはわんさと居てましてんわ
女性のファッションはといえば、グッチなどのハイブランドのバックとシャツやプリーツスカートで清楚感を出し、チェーン系の小物やスカーフでアクセント入れるチョット大人っぽい”ニュートラ”が女子大生を中心に女子高生に大流行していましたで
そんなファッションが流行っていた1976年の秋、彼女とデートで入った喫茶店のBGMとして頭上のスピーカーボックスから頻繁に流れていた有線放送の曲といえばイルカの「なごり雪」、伊勢正三が歌う”風”の「22才の別れ」、甲斐バンドの「裏切りの街角」で、その3曲を聴くたびにいまでも商業高校の制服を着た彼女の姿を思い出してしまいまんねんわ
その他にもオリビア・ニュートン・ジョンの「カントリーロード」 や 荒井由実の「あの日に帰りたい」、ボニーM の「Sunny」 なんぞのメロディーを聴けばあの当時の蒼い空気や雰囲気、ときには70年代半ばの淡い匂いまでも鮮明に思い出させてくれるほどノスタルジーな感覚を呼び覚ましてくれまっせ
・・・それと、その彼女と最後のデートにとなった大阪・梅田で買った発売間もない岩崎宏美の「未来」 も忘れられない1曲でっかな
でもまっ、いつも思うんですが”流行歌”って偉大なもんでんなぁ
だって、それらの曲を聴けば一瞬で時間を超えて「過ぎ去ったあのシーン」へと連れ戻してくれるチカラを持ってまんねんもん
磯モン狙いのエサのお話(その2)
毎度です
さて、磯モン狙いに使用する「エサ講釈」の続きでっせ
まずは前回でオッサンが使える生エサ(冷凍エサ)として推した「エビ系」でっけども、オッサン個人的に磯モン釣果の実績が高くてイチ推しなのがスーパーの魚売り場で常に並べられている解凍処理をされた『無頭エビ』でんな
そう、あのエビフライにしたり茶碗蒸しや煮炊き物で調理する一般的なエビですが、その実力は良~大型のコロタマをはじめオジサン系や根魚系、マダイ系など実績が数多く残ってまっせ
無頭エビはミソなどの内臓系が詰まった頭部が切り取られていることで臭いが薄く、集魚や摂食効果が落ちるようにも思えますが、ところがドッコイ、さすがにベスト餌のマムシには敵わないモノのツボにはまれば「無頭エビにアタリが集中する」というケースもめずらしくおまへんねんで
これはホンマに「個人的な実績+オッサンの我がエエの思い込み」やと考えますが、そんな無頭エビの中でも群を抜いてアタリが出るのは「バナメイエビ」で、次点が「ブラックタイガー」でっかな
これらバナメイとブラックは意外なほど身が締まっていることから強いスイングによる身切れを起こしづらく、ちょっと遠いポイントを釣るケースでも比較的使いやすいエビ餌やといえます
それ以外にも少し値の安い「ホワイトエビ」や「赤足エビ」、「メキシコエビ」といった無頭エビも売り場に並んでいますが、個人的には臭いが薄いからなのかバナメイやブラックと比べるとアタリが少なく、身質もちょっと柔らかくてエサ持ちも悪いようで一段落ちの印象がおますな
無頭エビのサイズは尾羽を切ってからささめ針『磯投バトルKT』(XL) や 『コロタマ専用』(22号)のフォルムに沿わせるようにエビの中心部へハリを刺し込んでいって無頭部分にハリ先が抜け出る(小)サイズ《全長 5~7㎝ほど》がベストで、(小)は同じグラム数でも匹数が多くてリーズナブルに使えるメリットがありまっせ
なお、(小)サイズはあまり店頭に出回らないので見つけたらまとめ買いして冷凍ストックが正解やと思いますわ
ひと回り大きな(中)サイズ《全長7~9㎝ほど》でも充分にOKですが、その場合は必ずハリ先が無頭部分からシッカリと抜き出るように尾羽部分を大きくカットするなどの工夫が必要となりまっせ
その理由としては、エサを咥えると反転して走り泳ぐパターンが多い磯モンの口元にハリ掛かりさせるにはハリ先が立ちやすい装餌法が有効に働きまっから、必ず実践して欲しいポイントでんな
また、無頭エビの他にもスーパーの鮮魚コーナーにで販売されている近海(大阪湾)で漁獲された体長5~8㎝ほどの『雑魚エビ』も磯モンには有効なエサで、頭部が付いていることで臭いによるアピール性もあり、さらに1パックに入っている匹数も多いことからこれまたリーズナブルに使えるのがありがたおます
雑魚エビは尾羽を切ったところから長軸の ささめ針『サーフ真鯛』(L)を刺し入れるとちょうど頭部付近の硬い場所にハリ先が抜けるで、アクセスしてきた磯モンの口元を捉えるには良いポジションにハリ先をもっていけまっせ
ちなみに、雑魚エビの欠点は鮮魚であることから「傷み(劣化)が早い」ことで、常温放置しておくと身がダレ始めて頭部から黒い汁が漏れ出てエサ持ちが悪くなるので、小出し使用の徹底とクーラー内での保管管理には気を付けたおまんな
…てなことで、次回は最終回である「イカ系」へと(つづく)でっせ
蒼い1976の流行歌ですわ❤(その1)
毎度です
オッサンが最も敏感なお年頃を過ごした1976年(昭和51年)といえば、実家のある大東市から大阪市内の深江橋にある学校への毎日の通学がイヤで、イヤで仕方なかった”花のセブンティーン”の高校2年生でおました
そんな苦痛に満ちた時期の楽しかった思い出といえば、ギャンブルの面白さを知って毎日の様に通ったパチンコホールの店内風景と、セブンスター(当時は1箱¥100やったんでっせ…)の紫煙を揺らしながら付き合っていた可愛い彼女とおしゃべりする喫茶店の懐かしい風景ですわ
この時代のパチンコ台といえば連発型ながらも手動式ハンドル器で、盤面のアチコチにあるチューリップに玉が入ると15球が出てくる入賞を重ねて球を溜め、約1~2時間程度を掛けて予定終了へもっていったとしても¥4.000~¥5.000ぐらいが獲得金額の標準やったと思いまっせ
でもまっ、当時はパチンコ玉の1回の購入金額も¥200ずつという少額の出費でしたから、いま考えればホンマに時間つぶしできる”大人のお遊び”という感じで、1日で¥10.000(まだ聖徳太子が絵柄の時代でっせ…)ほども負けるようなことがあれば顔面蒼白になって寝込み兼ねないほどのショックでしたもんネ
よく通ったパチンコ店といえば学校の行き帰りによく寄った 国鉄・片町線の鴻池新田駅前にあった「グランデ鴻池」、「百万弗」、「大池会館」 や実家から近いことでホームグランドとしていた住道ダイエー横の「ニコニコ会館」といったホールでっしゃろかな
・・・でっ、その当時にパチンコ玉をハジキ打ちながら耳へ入ってきた有線放送の流行歌といえば、1976年の大ヒット曲である子門真人の「およげ!たいやきくん」にダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」などが数多く流れていましたが、オッサン的にはレコード大賞を獲った都はるみの「北の宿から」 や 二葉百合子の「岸壁の母」、因幡 晃の「わかって下さい」、内藤やす子の「弟よ」といった演歌系のマイナーなメロディーのBGMが当時のパチンコ台の盤面とモロに被ってきよりますわぁ~
アップテンポな曲では太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、山口百恵の「横須賀ストーリー」、あおい輝彦の「あなただけを」が流れ聴こえ、異色なところではミス花子の「河内のオッサンの唄」や 斉藤こずえの「山口さんちのツトムくん」なんかがおましたで
それらの懐かしい流行歌と共に、勢いのある「軍艦マーチ」の旋律に載せてベテラン店員が発する「イィ~らっしゃいませ、イィ~らっしゃいませ」というマイクパフォーマンスのガナリ声が、還暦を超えた白髪爺が半世紀近く昔へ戻れるノスタルジーに満ちた心地よい調べになってくれまんねんなぁ~
喫茶店編へとつづく・・・
磯モン狙いのエサのお話(その1)
毎度です
今回は「磯モン狙いで使用する”エサ”について」の一考察でっせ
まずハナから結論を言うと、磯モンを狙う投げ釣りのメインターゲットである 「コロダイ&タマミ(ハマフエフキ)」に使用するエサで最も釣果が期待できるであろう”特効エサ”といえば間違いなく『マムシ』でっしゃろな
これはコロダイ系のイサキ科の魚(コロダイ属・コショウダイ属・ヒゲダイ属 etc)や
タマミ系のフエフキダイ科の魚(フエフキダイ属・メイチダイ属 etc)はもちろん、ゲスト魚となるヒメジ科の魚(ウミヒゴイ属)、ハタ科の魚(アカハタ属・スジアラ属)などの根魚系、タイ科の魚(マダイ属・クロダイ属・ヘダイ属)、イシダイ科やブダイ科などの底物系、さらに本イサキやグレといった上物系、果てはお邪魔なウツボやアナゴ系、エイやサメといった外道系、ネンブツダイやゴンズイ・フグといったエサ取り系に至るまで、どの魚も必ず他のエサよりも先に「マムシ」に反応し、食い気を促すように思いまっせ
もっともコレはオッサンの個人的見解に基づく意見でっから「そんなことはない」と異論を唱えるエキスパートなキャスターも多数おられると思いますが、そこはオッサンの呆けた白髪頭から出てくるボケ話としてご容赦の程を…
さてさてそんなことで、もしも一種類のエサしか使えないという条件下での釣行なれば僕は迷わずその個人的にも実績が高いマムシ、それも魚の嗅覚へアピールする濃ォ~い体液が詰まった小指ほどもある極太のマムシを選びまっせ
しかし、憎っきエサ取りどもが雲霞の如く湧き泳ぐ真夏の海でロッド3~4本を使用して「極太マムシ」だけで通しの夜釣り敢行するとなると、コロナ禍以降に価格が高騰した現在ならば愛おしい諭吉君が1 ~ 1.5枚前後ほどは飛んでいく悲しい事態も覚悟せなばなりまへん
そこで薄い財布しか持たない悲しきオッサンにとって強い味方となるのが、冷凍をかませば長期保存が効くエビやイカ、貝、小魚といった「生エサ」の存在です
この生エサ類を閉店間際にスーパーの店員さんが貼り回る”半額シール”を上手く利用して購入すればめっちゃリーズナブルな価格で購入できますし、冷凍庫にストックできればシーズン中は安定して供給することも可能でっせ
…ただし、ウチの場合は冷凍庫を占領するエサに嫁ハンからの苦情で夫婦喧嘩へ発展することが毎年の通常儀礼になっていますが、理解のある心優しい奥さんがおられるキャスターならばまったくのノープロブレムですわ
これらの安価な冷凍エサと高価なマムシを併用することでエサ代の節約術を実践するオッサンでっけども、それではどんな冷凍エサが使い良いのかといえば「イカ系」と「エビ系」が無難なところやといえまっかな
このとき「イワシ」や「サンマの切り身」、「サバの切り身」といった”身エサ”という選択もありまっけども、ウツボやエイ・サメからのアクセスが増える傾向が高くなるような気がしてオッサン的にはパスすることが多おますわ
しかし、身エサや小魚系の生エサ類は集魚効果も含めて根魚系に対して摂食効果が期待できるので、ハタ系や根魚系が望める釣り場・ポイントでは積極的に使用するのも有効やとは思いまっせ
…てなことで、(つづく) です
惜別:歌って笑ってドンドコドン‼
毎度です
先週、2000年に引退されたとはいえ上方演芸界の至宝である 『上岡 龍太郎』 氏の逝去が発表されました
氏の秀でた知能がもたらす類稀なる博識及び言語力は上方演芸界や芸能界だけではなく、一般社会の理や大学の授業においても最上位で通用するほどの才能の持ち主であった、いや、ヒョットしたらその片鱗だけをチラッとだけ見せて奥深いところでは「凡人には想像もできない無尽の優れた才能を秘めているのでは」と思わせる魅力ある人なりでありました
そう、オッサンの頭の中では昔も現在でも変わらず「上岡龍太郎=賢い」が同意語としてシッカリと記憶されてまっからネ
でっ、氏といえば「鶴瓶 上岡 パペポTV」 や 「上岡龍太郎にはダマされないぞ」、「探偵ナイトスクープ」 といった後年の全国区的 毒舌パーソナリティの番組 を代表作に挙げられる人が多いと思いまっけども、僕としては「ノックは無用」 や 「ラブアタック」といった盟友 『横山 ノック』 とのコンビ司会、また幼少のみぎりに昔のTV画面で慣れ親しんだ「漫画トリオ」の 『上岡 龍太郎(横山パンチ)』 こそが氏を語る上でハズせない代表作や思てまんねんわ
…がしかし、このオッサンにとって 『上岡 龍太郎』 氏といえば何と言っても毎週土曜日の 13:00から1314Hz・ラジオ大阪(OBC)で放送されていた 『ドンドンサタデー・歌って笑ってドンドコドン』 におけるパーソナリティに尽きますな
ちょうど高校卒業から家業である米穀店を手伝うようなった18才の蒼い春真っ只中にいた1978年、世間の多くでは未だに「週休1.5日制度」、つまり土曜日は半ドンが普通だった時代に春の温かい陽射しに眠気を憶えながら、夏の猛暑には滝のような汗をかきながら、秋の長雨に濡れながら、冬は寒さに耐えて売り物である灯油の臭いを体に染みつかせながらの配達・販売作業の途中、配達車の中で大笑いしながら聴いていたのが「ドンドコドン」でおました
最初のパーソナリティは「上岡龍太郎、キャッシ―、中西ふみ子アナウンサー」というドンドコトリオでおましたが、キャッシ―騒動があった後の1980年ごろからは「桂 雀々」が代わりに入り、おかげで氏と雀々のやり取りから師匠の「桂 枝雀」 ➡ 「桂 米朝」 と上方落語に興味を抱くキッカケになりましてんで
それに放送作家の「吉田 清」先生 が作ってレギュラーメンバーに出来の良し悪でボロクソに言われる「ドンドコクイズ」もオモロおましたなぁ~
そんな「ドンドコドン」、いまでも目をつぶれば氏が番組のオープニングにまるで「立て板に水」のごとくスラスラと述べる口上は 『北は国後・択捉から南は沖縄・石垣島、日本列島全国津々浦々いかなる山間・へき地・文化果つる所、寒村離島までも電波を送り届けるという、今や社会的国民行事的番組となったこの「歌って笑ってドンドコドン」、お相手を務めるドンドコトリオの面々は、芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才・上岡龍太郎と・・・・・』 で決まり、決まり、もォ~う決まりで、今もこの流れるような口上を綴っていると、あの若い頃の自分の思い出&蒼臭い熱い想いが甦って来て、いまにもボロボロと目から涙が溢れてきそうになりよりまっせぇ~ ・・・・・
クレーバーな言語力と洒落が効いたオチのある会話、パーソナリティとしてのズバ抜けた進行力、そして照れ隠しの冷たい言葉と表情の裏にある”厚い情”を感じさせる会話、一転して自分の意に沿わない敵と判断した輩にはナイフのような切れ味鋭いワードをマシンガンの様に浴びせ続ける冷酷的なハートの強靭さと、どれもこれも僕の60年余りの人生で氏より右に出る芸人・芸能人、いやさ、世間の知識人・一般人も含めて誰もいなかったように思いまっせ
そんな腹を抱える笑い&少し捻ったニヒルな笑い、ときには豊富な知識から繰り出される数々のウンチクと、いつも配達車のカーラジオの向こう側から僕を楽しませてくれた『上岡 龍太郎』 氏のご冥福を、ホンマに心よりお祈り申し上げます
合掌