第16回 新たな住まい (まさかの?‥近江国) | お試しブログ

第16回 新たな住まい (まさかの?‥近江国)

1867 (慶応3) 年10月、
15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、260年余り続いた江戸 (徳川) 幕府は崩壊した。同年12月、明治政府は王政復古の大号令を発し、1869 (明治2) 年6月に版籍奉還、続いて71年7月、廃藩置県を断行、中央集権的な国家体制を形成した。

1871年7月、
明治政府は廃藩置県に伴い琉球王国の領土を鹿児島県の管轄とした。翌年の1872年には琉球藩を設置し、琉球の最後の国王・尚泰 を華族とし、東京府の飯田橋に藩邸を賜った。また、摂政・三司官の任命権も明治政府が掌握した。

廃藩置県で薩摩藩は鹿児島県となったが、琉球は引き続き同県が支配し、日清両属 (日中両属) 状態が続いていた。 1871年11月、台湾に漂着した琉球の宮古島民が、現地民 (首狩族) に殺害された台湾事件を契機に、明治政府部内で琉球の「日中両属」の状態を解消し日本に帰属させることが議論されるようになった。

その後、明治政府は琉球に清国との冊封関係・通交を絶ち、明治の年号使用、藩王自ら上京することなどを再三迫った。ところが、琉球側はそれに従わなかった。

1879 (明治12) 年、
明治政府は、処分官・松田道之と熊本鎮台沖縄分遣隊300余人・警官160余人を従えて来琉、武力的威圧のもと、3月27日に首里城で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、琉球藩の廃止および沖縄県の設置を申し渡した。


こうして、450年余続いた琉球王国は崩壊した。そして琉球の王族は、日本の華族とされた。しかし琉球士族の一部はこれに抗して清国に救援を求め、清国も日本政府の一方的な処分に抗議するなど問題は尾を引いた。

*当時の琉球士族には、開化党 (知日派) ⇔頑固党 (知清派) と呼ばれる2つ派閥がありました。2つ派閥のどちらが正しいという事はなく、ともに利権、思惑が絡んでいました。大国依存の問題もありましたが、その出来事は開放でもなく、本当の開放は、その後の「公の動き」ではなく⇔『民の動き』に展開して行きました。

その時代と今の時代とでは、人々の考え方、周波数など‥まったく違っていました。

今でも形を変えて、 当時の知日派 (親日派)⇔知清派 (親中派) など‥見えない戦争が続いています。本当の開放は、「公の動き」ではなく⇔『民の動き』である事を忘れず、気をつけて行こうと思います。


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明治の琉球処分の際、
処分官・松田道之と熊本鎮台が来沖した事について、とても気になる事がありました。

このお話は‥一歩間違えると‥非常に危険かも知れませんが、とても偶然とは思えない繋がりが隠れているように思いました。

あの時→http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11939189508.html

突然、「謎」の白髪老臣が登場し、琉球国の第一尚氏王統第二尚氏王統「王統」が交替しました。あれから明治12年の琉球処分まで、第二尚氏王統が続きました。


そこで?‥処分されたのは、第二尚氏王統 ⇔ 処分したのは、第一尚氏王統血筋い人々であったのではないか?‥と、感じる事がありました。

折口信夫 (しのぶ) 氏による琉球国の第一尚氏 (尚巴志) 王統は、名和氏の残党という説があります。http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%B0%9A%E6%B0%8F#.E7.AC.AC.E4.B8.80.E5.B0.9A.E6.B0.8F.E3.80.81.E5.90.8D.E5.92.8C.E6.B0.8F.E8.AA.AC

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前回のブログで、南朝 (吉野朝) の後醍醐天皇のお話をしてみました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11943338280.html

鎌倉幕府を亡ぼそうとしていた後醍醐天皇を、鎌倉幕府の北条氏が隠岐島に「島流し」していました。 その時、 「島流し」されていた後醍醐天皇を隠岐島から脱出手伝いをし、奈良の吉野に隠凄させたのが、名和氏でした。


一部の名和氏は、その時の恩賞として伯耆国八代郷 (鳥取県の一部) ~ 新たな拠点・肥後国八代郷 (九州島の熊本) を与えられました。その地で名和氏は菊池氏と衝突する。*当時、名和氏も菊池氏も同じ「南朝」の派閥で内紛でした。

その後さらに、一部の名和氏は、九州島の宇土→九州島の佐敷→沖縄島の佐敷へと拠点を遷します。その説が、折口説 (第一尚氏=名和氏 説) になります。


一部の名和氏 (第一尚氏) は、伯耆国→肥後国→琉球国に住まいを遷しています。隠岐の名和氏は、沖縄に?‥お話です。

そんなダジャレは、どうでもいいのだが、
明治の琉球処分の際、処分官・松田道之と熊本鎮台が来沖した事について、とても気になる事がありました。


http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E9%81%93%E4%B9%8B  処分官・松田道之について、調べてみた。

松田道之は、 鳥取藩・鵜殿氏の家臣 久保居明の次子として生まれる。 日本の内務官僚・政治家で、初代・大津県令、初代・滋賀県令、七代・東京府知事などを務めた。琉球処分において中心的な役割を果たしたことで知られる‥と、あった。

どことなく?‥名和氏の足跡、似ている?‥気がしました。さらに、松田道之氏が初代・大津県令、初代・滋賀県令を務めた事についても、あれ?‥と、思う事がありました。その大津県令と滋賀県令は昔の『近江国』でありました。

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谷川健一氏 本の中、
米原長者の「鉄の民」に関する内容が記され、谷川氏の生まれ島・熊本県にも米原 (よなばる) という地があり、与那と米 (よな) は米 (こめ) ではなく、砂 (よな) を意味する。載っていました。

砂浜、砂鉄、製塩、製鉄など‥後ほど、焼き物 (やちむん) に通じます。

近江国に米原 (まいばら) 、鳥取県に米原 (よなはら) 、熊本県に米原 (よなばる) 、沖縄県に与那原 (よなばる) という地名があります。その地名もまた?‥ 松田道之と熊本鎮台、名和氏の足跡とも?‥気がしました。信楽焼き、陶磁器、製塩、製鉄、砂浜、砂鉄など‥焼き物 (やちむん) の歴史があります。

谷川氏のどの本であったか?‥行方不明になってしまいましたが、ここ最近、http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11941611225.html 林屋辰三郎氏の「近江王朝」を読み直していたら、何か?‥関係しているのでは?‥思う事がありました。


第一尚氏 (名和氏?) の初期のころ拠点が今の南城市の「佐敷」で ⇔ 第二尚氏 (内間金丸) の住まいは西原町の「嘉手苅」でありました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11934754336.html その「南城市の佐敷」「嘉手苅の西原町」の間に『与那原 (よなばる) 町』があります。

現在、沖縄県で生産される屋根瓦の7~8割ほど、与那原町で焼かれています。その歴史は新しいのですが、その下地はとても古いです。また、屋根瓦の焼き物 (やちむん) の前身は、陶磁器の焼き物 (やちむん) でありました。その、陶磁器の焼き物 (やちむん) の里は那覇の「壺屋」という地に集中されていた。


http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11603240303.html?frm=theme

戦後、那覇の「壺屋」は住宅密集地となり、読谷山 (ゆんたんざ) という地に「登り窯」が引越します。その後、 読谷山 (ゆんたんざ) も 陶磁器の焼き物 (やちむん) の里になりました。その歴史も新しいのですが、その下地もまた、とても古いです。


第一尚氏~第二尚氏に「王統」が交替した時、http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11939189508.html  沖縄島の東海岸~西海岸に、第一尚氏 (尚巴志 王) の遺骨、隠れお墓が 読谷山 (ゆんたんざ) の佐敷森という森 (杜 / むい) に隠されていました。


読谷山 (ゆんたんざ) の焼き物 (やちむん) の里、近くには、「長浜の港」という非常に重要な拠点がありました。*近江国にも「長浜」という地名があります。

読谷山 (ゆんたんざ) と隣の北谷村 は、1609年の島津家進入、1945年の米軍上陸地でもあります。


読谷山 (ゆんたんざ) と隣の北谷村は、1609年 その以前から「鉄の民」と陶磁器 (喜納焼) など‥焼き物 (やちむん) の里でありました。

「北谷」という名前もまた、名和氏の足跡と似ています。熊本県山鹿市にも、鳥取県にも 「北谷」という地名がありました。


沖縄県の北谷村は、後ほど嘉手納町と北谷町に分別しました。嘉手納町の『嘉手』と、 第二尚氏 (内間金丸) の住まい→西原町の嘉手苅の『嘉手』もまた、鍛冶 (勝手) →火の台所 水の台所は志茂 (下 / しむ)を意味します。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11881176438.html 『嘉手』のつく地名は、古くから「鉄の民」の地が多いです。

日本列島にある米軍基地、原子力発電所、ダムの底に沈む村など‥偶然とは思えないほど、古くからエネルギーの源 (みなもと) であった村が多いです。そして、本来ある エネルギーの源 (みなもと) は封印され ⇔ 新たなエネルギーに依存しなければならない仕組みが隠れているようにも思います。


非常に重要な長浜の港があった所に「長浜ダム」、回りには、「倉敷ダム」、「山城ダム (旧・天願ダム) 」、米軍基地、弾薬庫地域など‥エネルギーの源 (みなもと) が封印されているようにも思います。そしてそのダムの名前もまた、http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11865471435.html?frm=theme 『お茶』とも深く関係しているように思います。


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突然、登場した「謎」の白髪老臣 (安里清信) の正体は、年をとった芥隠承琥 (かいいんしょうこ) た‥と、いう風な1文が載っていました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11940434682.html

芥隠承琥 (かいいんしょうこ) は、あの時→1456年に大量の梵鐘が造られた時→ http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11928221207.html ←琉球国 (沖縄島) に来沖した 京都南禅寺・臨済宗(禅宗)の五山派の僧侶の名前です。臨済宗(禅宗)『お茶』に関する仏教です。

その時、 大量の梵鐘 (鉄製品) が造られた場所は、沖縄島の東海岸ではないか?‥思えてきました。その説明は、また今度する事にして、 芥隠承琥 (かいいんしょうこ) が来沖したのは室町時代のお話ですが、それより昔、鎌倉時代に吉備国の栄西 (ようさい) という 臨済宗(禅宗)僧侶が、山城国の宇治に『お茶』を普及させていました。

栄西 (ようさい) の生まれた吉備国の『三原 (後ほど備後国) 』では、日本最古の製鉄所跡地が発掘されています。


http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11806961059.html 関係しているかは?‥那覇の焼き物 (やちむん) の里「壺屋」となりにも?‥『三原』という部落があります。

実は、 鎌倉時代の栄西 (ようさい) は、日本島の「宇治」に『お茶』を普及させる前に、九州島の「八女」にも『お茶』を普及させていました。

さらに、鎌倉時代よりもっと昔→あの時→http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11935743066.html 第12代・景行天皇、その皇子・日本健 (ヤマトタケル) が征伐した九州島の熊襲健 (クマソタケル) 一族の拠点は、熊県 (くまのあがた) 、八代県 (やつしろのあがた) 、八女県 (やめのあがた) と記されていました。その、熊県、八代県、八女県は近いようで、その範囲内に「北谷」と「米原」という鉄の地があったと思われます。

林屋辰三郎氏によると、 第12代・景行天皇、その皇子・日本健 (ヤマトタケル) の拠点は近江王朝だといいます。

まだまだ、とても偶然とは思えない謎 (なぞ) がたくさんあります。

焼く対象は違うのですが、製塩、製鉄、陶磁器、屋根瓦など‥ 焼き物 (やちむん) の里が引越しています。ついでに云うと、江戸時代の南部鉄器、南部鉄瓶の源 (みなもと) にも歩く近江の鋳物師が付随します。南部鉄器の南部氏と言えば、安倍氏と大浦氏、千葉氏など‥付随します。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11806961059.html


http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11897525172.html?frm=theme

これから封印が始まる地域に、大浦、安部 (あぶ) 、三原、嘉陽など‥勢揃いしています。 三原と嘉陽は吉備国の栄西が生まれた賀陽にも似ています。そして、賀陽は茅 (かや) とも関係しています。

読み方は違いますが、その 茅 (かや) と大浦を合わせたような地名に、鹿児島県鹿屋市大浦町があります。似た地名に、

熊本県山鹿市鹿央町大浦

熊本県山鹿市鹿央町北谷

熊本県山鹿市菊鹿町米原

何か?‥共通点が見えてきました。

鎌倉時代の栄西の拠点、もっと昔の 第12代・景行天皇、その皇子・日本健 (ヤマトタケル) が征伐した九州島の熊襲健 (クマソタケル) 一族の拠点に重なります。


その範囲内に「チブサン古墳」があります。

「チブサン古墳」は、乳房を意味していると云われています。

沖縄語で月 (つき) の事を月 (ちち) と言い、幼児言葉で「お月さま」の事を『トートーメー』と言います。

旧暦の7月十五夜では、満月のもと「お月さま」=『トートーメー』に向かって「うーとーとー」と手を合わせます。

オカルト説によると夜の街『トートー』とは流れ星オリエンタルの月神 (ちち神) =トト神を意味すると云われています。満月の夜に、乳の出、子だくさん、五穀豊穣祭に通じるといいます。


夜の街なぜか?‥沖縄県旗は流れ星「月星紋」に似ている。


夜の街「月星紋」を使用するのは流れ星多くは「北と南」に引越しています。


夜の街農協も意識している?‥流れ星


いつの間にか?‥『お茶』から「月星」に交替している。まだまだたくさんあります。

夜の街その謎 (なぞ) も見てみます流れ星