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Bokensdorfのブログ

国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます

昔、12年くらい前に、世界中の「外国人と結婚している日本人」のメーリングリストに参加していた事があるんだけど(国際結婚ポータルメーリングリストという名前だった)、
「パートナーと何語で喋るか」という話題があって

ま、当然、いろいろな言語があるわけですが趣旨はそういう事ではなくて
こういうやりとりがあった。


(ちなみに夫の日本語は「いただきます」「ただいま」
 「ありがとう」のレベルです。)


> 大事な言葉ばかりです。それ以上覚えない方が家庭の平和にはよろしい。
> 【家内はもっと知ってます(涙)】


そうですか~。私としてはもっと覚えて欲しいのですが。

>どうしてですか? いや、ただの興味ですが。やっぱり心にダイレクトに響く言葉で
>話して欲しい? 「ゴメンネ」を教えたという奥さまがいましたなー(^^;私がインタ
>ビューしました。あれは良いと思った。




本当に心に響く言葉というのは自分自身がその理由を持っている。
(相手の本心がこもっているからではなく)ということを思い出しました。


ごめんなさいを言えない大人(日本人)がいる事を残念に思います。
私は「その時喋っている言語によって人格(character)が変わる」説を
唱えています

そうではないという言語学者が大勢いますが、
分かってないだけです、自分がバイリンガルじゃないから。

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私にはトリリンガルの娘がいますが(両親とも日本人)
先日、私の誕生日にカードをくれました。

英語でメッセージが書いてありました。
これです。

Happy Birthday Dad!
Being able to talk about various things that most people don't understand is a great stress reliever. I'm glad you understand me and I love you how you support us with gentle kindness. I wish you could be more gentle with my cat though. Have a great year, glad I have you as my Father! (サイン)


どうです? 日本語ではこんな事、表現できないでしょう。
(これは日本語で考えた事を英訳したのではなく、最初から英語で考えているのです)
だから英語で書いたんだと私には(私たちには)分かるのです。

どんな言語も、伝達するのに得意な事と不得意な事がある。
できることが違えば、使い方も変わる。
使い方によって、人間は人格が変わるのです。

当たり前の事です。



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(宣伝です(笑))


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20代のとき、仲間に米国留学してきた友達(男性)がいて、
あるとき、飲み物を注いでくれるとき、
こう言いました。

「ちょうど良いと思ったときそう言って、というのを
 英語では"Say When."と言うんだ」

私は質問しました。

「ちょうど良いときに英語では何て言うんだい?」

彼は言いました。

「"When" て言うんだ」




英語的になんか変だな~と思いつつも
私は外国に行った事が無いし
アメリカで学生生活してきた親友がそう言うんなら
学校で教わらない良い事を聞いた
ぐらいに思って
そのように覚えました。




後に、英語を話す人に飲み物を注いでもらう機会が何度もあり、
そのたびに私が「WHEN」と言うと、
なんだか和やかな雰囲気になることに
気がつきました。


・・・・・


あれは、ジョークだったんですね。
私の親友は真面目な男だったから(私の周りには真面目な人しか残りません)
アメリカでジョークを言われたのをそのまま信じて
日本に帰って来たんだ
と気がついた。



後に、英語を話す外国の人たちに、君はその時なんと言うのか?と聞いてみました。

そうしたら、みんなバラバラ。

OKと言う、とか
NOW、とか
Thanksとか
手をかざす とか

何も言わない

とか...


あれから35年。

WHENと言うのが一番良いように
今では思います。



米田君、有り難う。(笑)





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これは1998年の今頃の話です。
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東京は昨日の午後から降雪。いやな予感。

今日、会社の外国人の同僚(以下Sとします)と都内の日本企業へ打ち合わせに行きました。
相手方は全員揃わず、どうしたのかと思ったら
雪で会社に来れず、休んだんだとのこと。

S「おい、どうしたんだ、ダイヤは狂ってるとはいえ電車は走ってるじゃないか」
私「(小声で)家から駅までたどりつけないんだってよ」
S「駅まで出られないって!? 家に閉じこめられているのか?ヨーロッパでは小さな町だって役場が雪かきして道路は必ず確保されるんだぞ。役場は雪かきの道具持ってないのか?」
私「関東地方は雪が多くないから、費用対効果を考えると除雪車なんか持てないんだよ」
S「やれやれ、すると東京は五日も雪が続くと餓死者が出るな」
私「五日も雪が降ることは統計的に無いんだよ」
S「メキシコに雪が降る時勢に今までの統計が未来を保証すると思っているのかね」
(注:この年の冬、メキシコで降雪があった)【更に注:ことし(2014年)はエジプトに雪が降りました】
私「・・・」
S「タイフーンカルチャーは死なずって訳か」
私「なんだい、それ」
S「ライシャワーが言ったんだよ。日本人は来ると分かっているのに備えをしない。ただ過ぎ去るのを待ち、過ぎてから、やっと始める。従って被害ははなはだ甚大になり、それでもまた次に同じ行動をとる。
 確か二年前も東京は大雪で大混乱したよな」

 更に続けて・・・

S「統計を持ち出すなら、東京に地震が来るほうがよっぽどありそうじゃないか。何で東京から脱出しないんだね?」

帰りの電車の中。夕刊を読んでいる人がいる。

S「おい、あの新聞の見出し、何て書いて有るんだ、読んでくれないか」
私「雪で都心の交通網大混乱」
S「その次は?」
私「東京積雪15センチ、けが人続出」
S「その下は?」
私「雪の中を数十人が線路を歩いて帰宅...」
S「G7にもいろんな国があるもんだな」
私「・・・チクショー(涙)」

1998年の今頃の話でした。
******************************



あれから16年経ちました。

誰が都知事になっても、同じです。
地震は必ずやって来るのである。
そして原発は必ず、破壊する。分かってるじゃないか。

原発再稼働に反対します。






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明けましておめでとうございます!

まずはお知らせ。

このブログの前半がキンドルで出版されました

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SONIA Publishing Inc,は私の会社です。
キンドル出版を手がけています。
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今年の前半で澤村翔子の告訴裁判を終了してブログ更新も再開したいです。

どうぞよろしくお願いします。



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「大岡裁き」という話しが日本にはあります。

遊女が自分の生んだ子供を育てられず他人に預けたが、その後子供を忘れられず引き取りに行くが返してくれないため大岡越前守に訴えたら「子供の腕を両方から引っ張って勝った方が引き取る」としてその通りさせたら子供が痛がって泣くので片方の女が手を離した。大岡越前守は「手を離した方が本当の母親だ」と言って子供は遊女のもとに戻された。

子供の時に聞いたことがあります。
「最初に言ったことをあとで翻すなんてずるい」
と思いました。

この話しは世界中に似たようなものがあるそうで、友達は「中国のおとぎ話」でまったく同じ話しを読んだと言います。
ブレヒトの戯曲「コーカサスのチョークの輪」もまったく同じ話しだそうです。
旧約聖書の列王記第1の3章ソロモン王のエピソードにも似たような話しがあり、こちらは「自分の子供だと主張する二人の女に対しソロモン王は子供を半分に切って両方に分け与えろと言ったところ一人は切り裂かれるなら相手に渡してくれと言いもう一人は半分でも良いと言ったためどちらが本当の母親かを認定した」というもの。ちょっと意味が違う。(ソロモンは前に言ったことを翻していないので)
このソロモン王と同じ「子供を二つに切る」という話しはインドにもあるそうです。(伝聞)


要するに、大岡裁きは日本独特の価値観を表現した物語ではなく世界のあちこちにある、という事です。


ここで私が子供の時に思ったことが甦ります。

「最初に言ったことと違う物差しを後から出してくるのはずるい」


ドイツは法治国家です。
法治国家とは「法律に書いてある事は絶対に守られる」という国です。
日本は違います)(←リンク)

「法律に書いてある事」とは、つまり「規則」「ルール」です。
試合が終わってから、ルールが変更されるスポーツなどありません。
最初に示された「規則」は、必ず守られるのです。
後だしジャンケンは「卑怯者のすること」です。


この話しの女が二人ともドイツ人の女だったらどうするか?


絶対に「子供の腕がちぎれるまで引っ張る」に違いありません。


世界中に同じルールを当てはめる事はできない。
グローバルに通用させられる規則など有り得ない。


ドイツに「大岡越前守」はいないのです。


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「アメリカ人は安保条約があるからと言って日本人の為に命を懸けてくれるのだろうか?」

幹部候補生学校の学生だったとき、ある航空自衛隊の高官が講演に来校して、在日米軍の高官とその話しをしたことを紹介しました。

「A大佐に米軍は日本の為に血を流すだろうかと聞いてみた」
「A大佐は『軍人として何をしなければならないかを私は母国の人たちに身をもって示すつもりだ』と言った」
「彼は立派な軍人だ」
「彼のような司令官がいる限り、日米同盟は安泰だ」


私はこの話しを鵜呑みにすることができませんでした。
何故かというとそこには「積極的な動機」が語られていないからです。
軍人だから命令は実行する、それは当たり前の事だけれど、
それじゃ「なぜ命令を実行するのか?」という説明がない。


それから数年後、私は幹部になって沖縄で米軍と協同訓練をする事になった訳です。
同年代の若い米軍人にかねてからの疑問をぶつけてみた。
「アメリカ人は安保条約があるからと言って日本人の為に命を懸けてくれるのだろうか?」

彼らの回答はこうでした。

「現在の情勢から言ってロシアと日本が単独で直接武力衝突するシナリオは考えられない」
(当時の日本の脅威はロシアでした=領空侵犯してくるのはロシア空軍)

「それよりも中東やどこか他の地域で紛争が起こって極東における日本の存在がロシアにとって戦略上の問題となった局面でロシアと日本の軍事衝突が始まる、というほうが有り得るシナリオではないか。それが中東であれば石油の確保は日本の生命線であるし日本の防衛は米国にとっても自国の利益と安全保障に多いに関係するものだから米国がロシアの日本に対する攻撃を無視する理由は考えられないだろう。君の意見はどうなんだ?」

私は自分の質問の意味をこのとき初めて理解して冷や汗をかいた。

幹部候補生学校で聞いた話しは「学生向け」の広報でしか無かったのです。
(本物の自衛隊高官があんなに甘い話しを信じているとは思えない)


事情を今の時代に移してみると、どうですか。
既にロシアは消滅。
昔は中国などまったく話しにも昇らない国だったが
現在では日本の周辺国最大の軍事力を持つ国です。

しかし中国が直接日本に戦争をしかけてきて、中国に利益がある状況ではありません。
日中が単独で直接対決するシナリオはとても考えにくい。

日本が戦争をしかけられるときはどんなシナリオか、あなたのシナリオはなんですか。
そのとき、米国は日本とともに戦わない積極的な理由が考えられますか。

米軍は日本を防衛する為に日本に駐留しているのではない。それは子どもでも分かります。
日本にいるのは、米国の同胞や家族の安全の為に役に立つから、です。



戦争は決して起こしてはならない。それは軍人がもっとも切実に感じている事です。戦争をする為に軍隊が存在するのではない。伝家の宝刀は「所持している事」を相手に知らせるだけで十分なのです。決して抜いて使う為ではない。ただし、抜いたら切れる、という鍛錬は命懸けでしておかなければならない。

そういう仕事を、私たちは額に汗して一生懸命しました。
沖縄のヘリコプター事故で鬼の首を取ったような報道をする日本のメディアたち、君たちは自分の同胞や家族を守る為に命懸けで働いた事がありますか?

「アメリカ人は安保条約があるからと言って日本人の為に命を懸けてくれるのだろうか?」

そんな幼稚な質問を、まだしますか?





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続きです

私たちは国家予算を使って冗談を言って暇つぶしをしていたのではありません。
私たちは協同訓練の担当者だったわけで、
そんな仕事をするには互いの事を信じきれる下地というものが必要なのです。

別ブログにも書きましたが、北米人はパーソナル・タッチを作るのが上手です
パーソナル・タッチとは(←リンク)
「奥さんがどんな人か」だけでも、その人がどんな人か、つまり
「どんな人を伴侶にしたか」でその人の事が随分親しくて近しいものに感じられる。
【欧米のパーティーが同伴基本なのは「その人をより知ってもらう」為だと思う】

この人はスタイルの良いパイロットの女性を選ばずに、、、などと考える。
(もちろんナースとの違いの件はジョークです)

しかし同業者と夫婦というのはどんなものだろう。
共通の話題はあるだろうけれど、自分の家内がパイロットだったら緊張が解ける時間が無いように思う。夫婦で音楽家というのはどんなものか、とマリア・ラドエヴァさんが来日したとき聴き損ねたのを思い出した。


アメリカ人というのは「金儲け」が絡むと付き合うのに辟易するが
(資本主義の本家だから「儲けるのが最高善」だと考えているのである)
軍人のように私利私欲の無い滅私奉公型の職業の場合はアメリカ人のオープンなキャラクタがとてもうまく働いて、好感する。「自分の事を隠さず見せる」それが無いと一緒に命がけの仕事ができる筈が無い。本来はどんな仕事でも一緒に仕事するのに「隠し事」をするような人間とは上手く行かないものです。


米軍との協同訓練の現場で働いて、日本人が誰しもが思う疑問について彼らと話す機会があった。

その疑問とは
「アメリカ人は安保条約があるからと言って日本人の為に命を懸けてくれるのだろうか?」


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嘉手納飛行場



続く




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患者空輸機から、制服姿の若くてキレイな女性がゾロゾロ降りてくるのを見ながら
ケスラー少佐は私にこう言いました。

「キャビンクルーとパイロット(どちらも女性)は見てすぐ分かる」

私は言いました。
「どう違うの?」

ケスラー少佐は言った。
「ナースはパイロットよりお尻が大きい」

わたし「・・・(絶句)」


私は聞きました。
「どうしてそんな事が言えるんですか?」


彼は言いました。
「My wife is a nurse.(私のワイフはあの飛行機のナースなので)」


わたし「・・・(絶句)」



続く


ナイチンゲールの雄姿
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これはDC-9でしょう



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