新緑の美しいこの季節にピッタリだと感じる一遍の詩をご紹介します。

『 竹

縦一列の高層ビル「竹」

光も入らない円筒形の部屋ばかり

かぐや姫のほかは

誰も住まわせたことがないのが誇です』

(文字配列は本にならいました)

「吉野 弘詩集」 ハルキ文庫 P22より

 

竹は、独特な構造をしていて、ある意味“普通ではない”ところがありますが、

この詩を読むと、自分が竹になったように感じます。

竹が自分自身の独特さを受け入れたうえに、

その独特さに“誇り”を感じているかのようで、

不思議と勇気づけられました。

自分自身に仕合わせるコツを教わったような気持ちです。

 

かねてより、竹の形の不思議さには惹かれています。

中が空洞である(中空)ことにより、

軽いため、自重で折れることがない。

さらには風に吹かれて横から力が加わってもしなり上手なので折れない。

節ごとに成長点があるため、一気に早く大きくなる。

竹って不思議で面白い!

そして世界は不思議に満ちていてwonderful

 

何に対しても、そのwonderを見つけて仕合わせたいものですね。

 

GWも後半はお天気に恵まれるようです。

どうぞステキな5月初旬をお過ごしください。

5月中旬の「仕合わせる読書会」もどうぞよろしくお願いします。

 

〈ライター:斉藤知江子


 

 

今日から風薫る5月ですね。休日に普段と違うアウトドア・ライフを愉しまれている方もいらっしゃることと思います。

 

さて鎌倉案内人のはしくれの筆者は先日、埼玉県からいらっしゃった(仮称)太田道灌研究会御一行様を道案内しました。

 

太田道灌は戦国時代前期に関東地方で大活躍した文武両道の名将で、関東各地に伝説の史跡があります。江戸城を最初に築いた武将としても知られています。旧武蔵國の埼玉県・東京都では郷土の英雄の一人です。

 

鎌倉では英勝寺が屋敷跡として有名ですが、円覚寺、建長寺にもご縁があったとは存じ上げず、勉強になりました。

 

爽やかな気候の中、北鎌倉から鎌倉へと結構長い距離を歩きました。今回のように歴史上の人物に仕合わせた散策も楽しいですね。

写真は英勝寺裏山にひっそりとある(伝)太田道灌の墓にご挨拶する皆さんです。

 

今日も仕合わせる一言をお読みいただき、ありがとうございます。
<ライター:沢☆一休>(鎌倉愛好家)

春の陽気が続いて 遊んでばかりいます。仕事を卒業した爺の特権でしょうか。

●近所の友人に「春風亭一之輔のチケットが取れたから」と誘われて久しぶりにホール落語を楽しみました。一之輔は『笑点』のメンバーになってますます人気が上がり、チケットが入手しにくくなっているそうです。

私には、初めての一之輔でしたが 演題『愛宕山』で、その 大きなしぐさと大らかな語り口は大物を感じさせ大いに笑いました。友人も「楽しかった次は喬太郎が7月にあるのでご一緒しましょう」と次の予約が入りました。

●「桜も良いけど藤も・・・・」との妻の希望で 亀戸天神の藤棚を見に行きました。見事な藤棚の下は 見物客でいっぱいで、天神さんにお参りするのに長蛇の列に並びました。『すみだ北斎美術館』に寄り道して北斎にも会いました。

 

●昨年秋から 地元で音楽を楽しむ体験を続けています。きらら鎌倉のホールで20日昼間ピアノトリオ「ミリュー」の演奏会がありました。私の鑑賞力が足りないのか、ちょっと楽しめませんでした。同じ日18時からの鎌倉ジュニアストリングス定期演奏会はバイオリン教室の演奏会で、小学生から大学生までの発表は私には興味深く聴けました。

 

28日鎌倉芸術館で セレスチャル交響楽団の公演があり クラシック鑑賞が続きました。70名ほどのオーケストラ演奏でしたが私は堪能しました。哀愁を帯びたブラームスの4番が私のお気に入りになりました。なぜかフルートとティンパニが耳に残りました。プログラムを見て知りましたが、プロオーケストラの第一線で活躍している方々がエキストラ参加していたそうで、全体が引き締まって聞こえたのはこのおかげかもしれません。ティンパニ奏者の久保さんはNHK交響楽団の首席ティンパニ奏者だそうで、素人の私にも何か感じさせるものがあるのが驚きでした。私にはプロのオーケストラを聴いたような満足感があったので、無料の演奏会ではありがたすぎるように感じて 終了後 支援金寄付をしました。

 

【おまけ】

●地元の話。鎌倉にも2018年に創設されたサッカークラブ鎌倉インテル『鎌倉インターナショナルFC』があり、神奈川県社会人リーグに所属しています。我が家の最寄り駅 湘南モノレール西鎌倉駅から、ひとつ大船寄りの深沢駅前にある『鳩スタジアム』で28日午前に試合がありました。観客は多くありませんでしたがサッカーチームの少年たちが見に来ていて5-1の勝利に大喜びでした。

こんな環境の中からU-23日本のメンバーになれるような少年が出てくれると地元としては嬉しいですね。イラクとの試合を観ながらそんなことを考えました。

 

自分を、落語に合わせるか、花に合わせるか、絵画に合わせるか、音楽に合わせるか、サッカーに合わせるか。

振り返ってみると この2週間でこんなにも遊んでいました。

だけれど 全部 私は見聞きするだけ! 自分では何もやっていない!! 

不甲斐ない!!!

(ライター:山口一郎)

「ピュアハート」


純度。
自分らしさ100%
本音・本心。

最近ちょっと気になっているテーマです。

たとえどんなときでも、これに触れる、感じることができれば、あとが違ってくるように想っています。

今回は最近おきた体験も含めて共有させていただきますね。

仕事に追われて中々そうもいっていられないような余裕のない毎日ですが、在宅勤務時のお昼や休日のジョギングはたとえ短時間であっても大切にしています。

けんすいする目的もあって近くの公園に走っていくのですが、少し回り道して途中で複数の公園をはしごして行きます。
アスファルトの上だけでなく少しでも土の上を走れるのが気持ちよいことと草花や鳥など自然に触れられることが有難いですね。

毎回ではないのですが公園では小さなお子さんが親御さんや友達たちと楽しく遊んでいたり、そんな場面に出逢えるのも、有難いことです。


先日は走ってすれちがうほんの刹那の間でしたが、ご両親と楽しそうに遊んでいた小さな男の子と目が合いました。

きらきら興味津々純粋無垢な目。
おもわず「こんにちは~」と声をかけ、振り返ってジェスチャーしつつ「楽しいね」とか話しかけ、最後は大きく手を広げて「バイバ~イ」と。

偶然にもピュアハートに触れ合え、ほんとに勝手に心と身体が開いて動いた、本当に有難い・奇跡の瞬間でした。

ほんと軽いジョギングですので、リラックスしていて、心も身体も開きやすい動きやすい状態だったからかもしれません。

そういえば、元の氣に戻る、本当に自分に戻ることを元気というそうですね。

今回はピュアハートで、一瞬で本当の自分に戻れた、還れた感じがしました。

本当に有難いことです。


さあ、週末ですね。

ちまたはGW前半もスタート、せっかくなのでピュアハートのおもむくままに。

なんて、そうは問屋が卸さないかもしれませんが、少しでも意識したり、素の自分に還れるような時間を授かれたらいいですね。

仕合わせ愉しんで顔晴ります。


ありがとうございます。

〈ライター:やすもん〉

木と人の仕合わせがすごいな!と感じた出来事があります。

わが家のお向かいさんのお宅には、大きな木が何本もあるのですが、

そのうちの1本が、植木屋さんによって葉っぱが1枚もない状態にまで

ばっさりと刈り込まれていました。

太い幹と太い枝があるだけです。

 

春になったらまた芽吹くことができるのか?

心配しつつ見守ること数か月。

4月になって、新緑が目にまぶしい時期になっても、

くだんの木は幹と枝だけ…。

と、思いきや!

 

週末留守にしていて、月曜日に見てみたら、

小さい芽が一気にそこここから萌え出ているではありませんか!

それから3日程たったのが写真の様子です。

太い枝からいきなり新芽が出ている様子、ご覧いただけるでしょうか。

 

すっごいなぁと思いまして。

何がすごいって、木の生命力もすごいけれど、

この木の力を信じて、ここまでばっさり!と刈り込んだ植木屋さんもすごい。

 

もちろん、植木屋さんには十分な知識と経験があったればこその、

この刈り込みだったでしょう。

木の方には、刈り込まれたことへの恨みとか、芽吹きへの不安とか

多分そんなものはなく、ただただ命の循環に身を委ねていただけでしょう。

(想像ですが)

 

でも、仕合わせって目には見えなくてもこうしてお互いの力を活かしあうところから

発揮されるものだなぁと、なんだか勇気づけられる気がしました。

 

さて、今日も新しい1日が始まりますね。

東京は真夏日予想の暑さです。

どうぞ今、今日、に仕合わせて、お健やかにお過ごしください。

 

〈ライター:斉藤知江子


 

 

 

考えてみると、「頃合いをみる」って、なかなか難しい感じもするのですが、

なんとなくできていたりしますね。

 

周囲を観察し、タイミングを見計らっているからこそできること。

 

仕合わせることと、遠からぬ気もいたします。

 

(第2・第4水曜日担当 宮坂雪里)

 

ヨシタケシンスケさんの絵本『メメンとモリ

 

「メメントモリ」は、ラテン語で「人に訪れる死を忘れることなかれ」と言う警句だそうです。

この絵本では、メメンちゃんとモリちゃんの対話でお話が進みます。

 

自分を大切にする、人を大切にする、そして仕合わせる私たち。

それらが私には心にストーンと響きました。

 

人間の死亡率は100%。

誰でも、いつか必ずエンディングを迎えます。

それを知っていることは、今生きていることの意味を際立たせてくれると感じています。

そして、自分にとっての仕合わせの意味も、自ずと感じられるのではないでしょうか。

 

今日という日も、すでに始まっていて、そして20時間ほどたつと翌日へと移っていきますね。

今日がステキな一日でありますように。

どうぞお健やかにお過ごしください。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

〈ライター:斉藤知江子


 

義母の庭に久しぶりに植木職人さんが入りました。
庭はぼさぼさの髪が切られてさっぱりした頭のようになりました!



私は以前から植木職人さんにあこがれていました。
日本語研修所勤めのころ通っていた道の両側のお宅に

たくさんのカタチのよい木々があり、

時々植木職人さんが入っているのを見ながらいいなぁ~と思ったものです。


それぞれの木を頭の中でこういうカタチになっていってもらいたい

という考えであちこちの枝や葉を落としていきます。

どうやって切る枝や葉を見定めるのかなぁ~と興味津々でした。


その様子は一本一本の木々との対話とでもいうものでした。
楽しいだろうなぁ~と(*^^*)
そんなことを考えていた折購入した本が積読の中から出てきました~

名人庭師のかっこよさ!
自然を相手にする仕事にあこがれます。
職業としては中々大変かもしれませんが、

自然と最も近いところで、言葉の異なる相手との対話をする。

私たちは自然から急速に離れていってしまっているように感じます。

都会では道もきれいになり、土の上を歩くことも少なくなりました。

木々も歩道のアスファルトの片隅に植えられてちょっと窮屈そうです。

本によると植木職人さんは圧倒的に経験からの知恵がモノを言うと。
木々との対話の経験を積むのは今からは私には少し難しいですが、

この本から職人さんの知恵を楽しみたいと思います。

今日も日が変わりそうです。

木々の緑が美しい季節です。
明日もどうぞお健やかにお過ごしください。

<ライター:伊藤惠子>

1月に篠田桃紅のご本について一言通信に書かせてもらいましたが、

今回は着るものについて新しい視点をもらったように感じています。

『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』篠田桃紅 から一部を抜粋します。
*******************
きものは謙虚、洋服は尊大 
今どき、私のようにきもので暮らしている人はめったにいないでしょう。

私も、洋服が私の気に入れば着ますが、洋服のつくりがあまり好きではないので、

ずっときものです。

どうしてあんな融通のきかない、洋服というものを生み出したのでしょう、と思っているくらいです。
きものも洋服も、身につける、という事においては同じです。
でもまったく違うのは、きものは人の体を包むもの、まとうものです。

洋服は包むものではなくて、人を入れるものです。

形の決まったもののなかに、生身の人が入ります。
そこには基本的な精神、ものと人の間柄の違いがあると思います。
つまり着物は人に対して非常に謙虚です。

一方の洋服は人を規制しています。私のなかに入りなさい。

私はこれ以上大きくも小さくもなりません、と言っているのが洋服です。

着物は、人を主人として扱い、太ろうが痩せようが包みます。
私は人を主人とする着物を好みます。(中略) 

風呂敷と紙袋の違いも同じことが言えます。(中略)

これを日本と西欧の文化の違いと言えばそれまでですが、私にとっては精神的に大きな違いがあります。
*******************************


風呂敷の変幻自在なところについてはよく耳にしていますが、

きものについてはそんな風に考えたことがありませんでした~
でも洋服について「私のなかに入りなさい。私はこれ以上大きくも小さくもなりません、

と言っているのが洋服です。」と言われれば、

現にすこし太れば服に合わせて何とか痩せなきゃと頑張るのが今の私たち。

まさに服に支配されている、と言っても過言ではありません(失笑)
洋服に慣らされてしまっている(?)現代の私たちにとっては

きものは手間がかかるもの、着ていて疲れるものというような感覚もあるかもしれません。

桃紅のきもの姿の写真を見ると

本当に楽そうにきものをまとっている、という言葉がぴったりします。
そういえば祖母の着物姿なども日常着として来ていた人たちは
きもの本来の良さを知っていたのだろうと思います。

きものは謙虚、洋服は尊大
と言われて自分がいつの間にか洋服に洗脳されていて窮屈さに気づかず

反対に窮屈さを楽しんでいる風にも感じてしまいました。
「きものは人の体を包むもの、まとうもの」

人の自然な楽な生き方にも通じる素敵なことばと仕合わせることができました。


今日はもうすぐ20日(土)になろうとしている時間になってしまいました。

過ごしやすい陽気になってきました。
明日もどうぞお健やかにお過ごしください🍀

<ライター:伊藤惠子>

 

「へぇ、そうなんだぁ」

 

今回は問いではない言葉です。

 

ある人が発してくれたこの言葉の強さの

知恵を拝借したいと思います。

 

自分の発言に自信が無かったり、

何かを隠したい、

例えば”弱さ”を隠したいときに、

飾り付けた言葉が出る時があります。

 

そんな時に

「へぇ、そうなんだぁ」

と、キラキラした眼差しで聴かれると、

ドキッとします。

 

 「見透かされている気がする」

 とか

 「偽っていた自分に気がつき恥ずかしい」

 とか。

 

この言葉の力を最大限に発揮するには、

相手に対して純粋な関心を持つこと。

 

質問者を問う側、答える側を回答者とします。

 

質問者が回答者のことを信じておらず、

疑いの目でこの言葉を送ると、

回答者は心を閉ざすでしょう。

 

逆に質問者のことを

回答者が信頼していないと

この言葉の効き目が半減するか、

全くなくなります。

 

 

相手の話に最大の関心を持って

聴いてみると実感できると思います。

 

きっと、何らよどみのない

素晴らしく“仕合わせな”

対話の時間になるでしょう。

 

==========

問いにより人の脳(心)は動きます。

~心が変われば行動が変わる。

 行動が変われば習慣が変わる。

 習慣が変われば人格が変わる。

 人格が変われば運命が変わる。~

 by ウィリアム・ジェームズ

 

人の道は選択の連続。

 

<第3木曜日担当ライター:寅さん>