神功皇后の三韓征伐の武器か! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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長径3cm程度の素焼きの卵形の土器を発見!土弾か?下関市考古博物館に同じような物が無いか見に行くと土弾と言う武器が展示してあった。投擲具を使って投げつけるものらしい。

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こんな感じで、石垣の上に転がっていた。

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バックして見ると道路の右手の石垣の上は竹やぶで、右手奥が、下関市大字吉母小字「妙見」の孟宗竹の藪の土地である。


参考



下関市大字吉母字妙見は神功皇后が三韓征伐の出撃、帰還、応神天皇のご出産にゆかりのある土地と云われる大将軍森の一部で、応神天皇の守護神として妙見社を建てた場所であり、その妙見の入り口近くの道路際で発見した。大将軍とは竹内宿禰ではないかと考えられている。

吉母の街の地下は吉母浜遺跡と呼ばれ、縄文時代から中世までの遺物、人骨などが見つかっている。しかし今回の大将軍森と呼ばれる神功皇后伝説に関係する地域は若干北西にずれた山の麓で、考古学的には注目されていない場所である。ただ、幸運にも開発がされておらず、今後が楽しみな場所ではある。

応神天皇、神功皇后関連でもっとも重要と注目している梅ケ峠の砦(推定)周辺も考古学的には注目されておらず、残念ながら破壊が進んでおり遺物発見は無理であろう。

室津の甲山古墳群に関係者の遺品があるかも知れない。