住吉神社の陰謀 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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住吉神社の主祭神は住吉三神であるが、さらに応神天皇、武内宿禰、神功皇后を筑紫の宇美八幡宮から勧進したとある。

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宇美八幡宮は、平安時代頃、宇佐神宮から勧進して創建された石清水八幡宮の末社になっています。豊前国の宇佐神宮、長門国の忌宮神社などを飛ばして、格下の筑紫の宇美八幡宮から勧進したのは何故でしょう?下関市大字吉母で応神天皇がご誕生し、この天皇を祀る若宮神社は住吉神社の元宮であるのに、これを隠して、わざわざ宇美八幡宮から勧進した理由は何だったのでしょう?例え記紀の記述に従ったにしても不思議です。

わざわざ記紀の記述に従い応神天皇のご誕生地とされた宇美八幡宮から勧進したとするのは、意図的に元宮の吉母の若宮神社の云われを隠したと疑うのが自然です。記紀を公式に発行したヤマト政権に従い、九州全土がヤマト政権に従い、平定され平和であることをアピールする意図が明らかですね!また、下関の吉母地域が軍事的にも秘密としたかったのであろう。

ちなみに、武内宿禰は宇美八幡宮の末社に祀られており、後付けの感が否めない。もう少し上手な歴史の作り方がありそうである。


参考









「長門国誌」では、応神天皇・神功皇后は、聖武天皇の神亀年中、筑前より勧請、武内宿祢・建御名方命は勧請年不詳とある。 


あるHPでは、
住吉神社  旧:官幣中社・式内社・長門国一宮・別表神社
祭神:
住吉三神     第一段
応神天皇     第二段  筑紫の「宇美神社」から勧請
武内宿禰     第三段            ”
神功皇后     第四段             
建御名方命 第五段
鎮座地:下関市一の宮住吉1-11-1


明治時代の廃仏毀釈で由緒を改変された可能性がある(参考)