宗像大社と出雲大社の関係 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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宗像大社は出雲の須佐之男命の子の宗像三女神を海人族宗像氏が祀り、出雲大社は国を譲ってくれた須佐之男命の子の大国主命を天照大神の子の天穂日命が祀っている。なんとも複雑な関係であるが、両大社とも天孫降臨の基地を守る神社であった。


参考


出雲大社  → 国つ神を祀る天孫系神社


宗像大社 → 国つ神(天つ神でもある)を祀る地祇系神社


天照大神は須佐之男命の十握剣より三柱の女神(宗像三女神)を、須佐之男命は勾玉より五柱の男神を、高天原で、それぞれ産んだ。ここで言う高天原とは宮地嶽神社であろうか?それとも宗像大社の沖ノ島が天照大神のお住まいの高天原か?


三柱の女神は宗像三神と呼ばれ、古事記では多紀理毘売命(タキリビメノミコト)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)、多岐都比売命(タキツヒメノミコト)とする。この三柱は須佐之男命の子とした。

五柱の男神は、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)、天之菩卑能命(アメノホヒノミコト; 日本書紀では天穂日命)、天津日子根命(アマツヒコネノミコト; 日本書紀では天津彦根命)、活津日子根命(イクツヒコネノミコト; 日本書紀では活津彦根命)、熊野久須毘命(クマノクスビミコト; 日本書紀では熊野忍踏命と熊野忍隅命)である。この五柱は天照大神の子とした。


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天忍穂耳命の子孫のニニギノミコトが天下って天皇の系譜となり、天穂日命が出雲大社で大国主命をお祭りして出雲族の祖となった。ちなみに土師氏の祖でもある。他の男神も天孫族の祖先となった。三柱の女神は海人族宗像氏の神となった(wikiによる)。


この神話は何を意味しているのか?高天原は少なくとも出雲、宮地嶽神社、八幡西区、下関梅ケ峠の4箇所と朝鮮半島の任那日本府があるが、天孫の朝鮮半島から海北道中経由での各地への渡海の助けを、宗像三女神を宗像大社でお祀りする宗像氏が一切の責任を担っているのを明示している。秦氏の渡来ルートはみな宗像氏の航海路であった。


天照大神と須佐之男命は兄弟で、イザナギノミコトが黄泉の国から戻って、筑紫の日向の橘の小戸のアワギハラで禊ぎを行った時に、綿津見三神、住吉三神達と同時に生まれた(参考)。


筑紫の日向の橘の小戸


海人族宗像氏は吾田隼人氏の系譜である(参考)。


『古事記』には、奥津宮に坐す多紀理比売命は大国主命と結婚して、 阿遅鋤高日子根神と妹神高比売命の二神を生んだと書かれている。 この神婚御子を生む話は、海路を通じて、宗像三女神を奉ずる海人族宗像氏の氏族と出雲系の氏族との通婚、融和が盛んだった証であろう(参考)。


宗像三女神は天照大神と同一であった。