筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原について検討する。
橘は「立ち離る」であり、隔たると言う意味であろう。
小戸の意味であるが、隠戸(おど、隠れ家)、すなわち天の岩戸と同義か!
参考
天照皇大神と弟、素戔嗚尊の誓約で宗像三女神が生まれたが、素戔嗚尊の子が武内宿禰(海人族安曇氏の祖・安曇磯良=事代主命=五十猛命)であり、海人族住吉氏は海人族安曇氏の支族であったこと。武内宿禰と神功皇后は同族で秦氏であることから、記紀の天照皇大神の神話は西は北九州から東は出雲付近の初期秦王国(4ヶ所の高天原を含む)が舞台と考えて差し支え無い。
イザナギノミコトが黄泉の国から戻って、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に行きました。そこで、身に付けていた服や杖などを脱ぎ捨てると、そのたびに、神々が生まれ出て、十二神になりました。それから、イザナギの大神は初めて瀬の中に入って行きました。そして、中の瀬に潜ってすすいだ時に、十四柱の神々が次々に生まれました。初めて中の瀬に潜って、すすいだ時に生まれた神の名は八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に大禍津日の神。神直毘の神。大直毘の神。次にイヅノメの神。次に水の底にすすぐ時に生まれた神の名は、底津綿津見の神。次に底筒の男の命。中にすすぐ時に生まれた神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。次に水の上にすすぐ時に生まれた神の名は、上津綿津見の神。次に上筒の男の命。(略)左の目を洗う時に生まれた神の名は、天照大御神。次に右の目を洗う時に生まれた神の名は、月読の命。次に鼻を洗う時に生まれた神の名は、建速須佐の男の命(参考)。
すなわち、天照大神、須佐之男命、綿津見三神、住吉三神の天津神達がここで誕生している。