魏志倭人伝における倭人の風俗 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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魏志倭人伝は、倭国の生活環境について、大体、稲作弥生人と海人について記述しているが、渡来人の存在もうかがえる。

具体的には響灘、玄界灘あたりの農漁村を描いている。注目点は、①宗像系海人の風俗、②稲作、養蚕などの農業、③牛馬などは無い、④武器に鉄鏃(鉄のヤジリ)がある、⑤気候は温暖、夏冬、野菜を食べる、⑥葬式の後に、身を清める、⑦女王国の以北(西方向)に一大率を置き、諸國を検察せしむ。諸國これを畏憚す。常に伊都國に治す、、とある。

すなわち、宗像の女王国を視点に風俗を記述している。例えば、温暖な気候、鐘崎あたりの海人の生活、正しい方位で西方に伊都国、奴国などの諸国が存在する。時代区分では弥生時代終末期(古墳時代開始期とのオーバーラップ)で、崇神天皇系の渡来人の存在、例えば、195に百済から蚕種が渡来人と一緒に来日(wikiより、参考)、神道の禊ぎ的な儀式などが読み取れる。

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鐘崎の海女(昭和30年代)








宗像系海は,もっぱら手づかみ漁,弓射漁,刺突漁など潜水漁を得意とした。本拠を筑前宗像郡鐘ヶ崎に置き,筑後,肥前,壱岐,対馬,豊後の沿岸に進出,さらに日本海側では向津具半島の大浦,出雲半島と東進,但馬,丹波,丹後から若狭湾に入り,なお能登半島,越中,越後,佐渡に渡り,羽後の男鹿半島に及んだ。両系統とも,なかには河川を統上し内陸部へ進み陸化したものもあった(参考)。


魏志倭人伝で末蘆国での見聞に「四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈没取之」「4000余りの家があり、山が海に迫る裾の浜に住んでいる。草木が盛んに生い茂り前を行く人の姿も見えない。ここの人達は皆、深い浅いにかかわらず海に潜って魚や鮑を上手に捕る。」(参考)と宗像系海人の生活を描写している。

魏志倭人伝に当時の倭人の風俗も記述されている(参考)。
男子は大小と無く、皆黥面文身す。古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。 今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。文身は亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。

その風俗は淫らならず。男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。 禾稲・紵麻を種え、蚕桑緝績し、細紵・ケンメンを出だす。 その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。 兵には矛・盾・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。有無する所、タン耳・朱崖と同じ。

倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。皆徒跣なり。 屋室有り。父母兄弟の臥息処を異にす。朱丹を以てその身体に塗る、中國の粉を用うるごとし。食飲にはヘン豆を用い、手もて食う。 その死するや棺有れども槨無く、土を封じてツカを作る。始めて死するや、停喪すること十余日なり。時に当たりて肉を食わず。喪主コツ泣し、他人就いて歌舞し飲酒す。已に葬るや、家をあげて水中にいたりてソウ浴し、以て練沐の如くす。

その行来して海を渡り、中國にいたるには、恒に一人をして頭をくしけらせず、キシツを去らせず、衣服コ汚し、肉を食わせず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名づけて持衰と為す。もし行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、若し疾病有り、暴害に遭わば便ち之を殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。 真珠・青玉を出す。その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。ジ猿・黒雉あり。

その俗挙事行来に、云為する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く、火タクを観て兆を占う。 その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む。大人の敬する所を見れば、ただ手を摶ち以て跪拝に当つ。その人寿考、あるいは百年、あるいは八、九十年。その俗、国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。婦人淫せず、妬忌せず、盗窃せず、諍訟少なし。その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸および宗族を没す。尊卑各々差序あり、相臣服するに足る。租賦を収む、邸閣あり、國國市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。

女王國より以北には、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。諸國これを畏憚す。常に伊都國に治す。國中において刺史の 如きあり。王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓國に詣り、おろび郡の倭國に使するや、皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。 下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、あるいは蹲りあるいは跪き、両手は地に拠り、これが恭敬を為す。対応の声を噫という、比するに然諾の如し。