古代の渡来人と伝染病 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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弥生時代、人口が大幅に増えたが、渡来系弥生人が大挙して入って来たのか、少数の渡来系弥生人が稲作を縄文人に教えて、縄文人が弥生人になって人口が増えたのか議論が別れている。人類学関係者は前者、考古学関係者は後者が主流である。

伝染病の免疫力を持った弥生系渡来人に対し、免疫力の無い縄文人が死んだ為、弥生時代の人口増加は渡来系弥生人によると考えることも出来る。

結核は弥生時代初期に渡来し、また古墳時代初期に大流行したらしい。

古墳時代からの秦氏の渡来にも、受け入れ基地が限定されるのも、検疫の意味があるらしい。一定期間ここに留まり、発病しなかったら、新天地に足を踏み込めた。牛馬の輸入も同じで、近くに牧を設け、成長させてから出荷した。例えば朝鮮半島から瀬戸内海を経由して直接、河内まで馬を運ぶことはありえない!

渡来の受け入れ基地、すなわち高天原(ここでは上陸地)までの途中にそれぞれ藍島、相島(近世以前は無人島)、見島がある。ここは古墳群となっているが、伝染病が発病した人々を葬ったのであろう。


参考

① このような伝染病(これが社会的問題になる疫病と呼ばれます)実は縄文にもあったと言われています。しかも、後期・晩期の人口激減は、寒冷化と共に
病説も唱えられています(参考)。


② 日本列島における結核はアジア大陸から渡来した人びとによってもたらされたものと考えられる(wikiより)。


③ 渡来人は麻疹(はしか)や結核などの感染症を日本列島に持ちこんだのだと。感染症に対する抵抗力が全くなかった縄文人は、それで次々と死んでいった。それで縄文人は渡来人を恐れるようになったという説もあります(参考)。


③ 遺跡から出土した古代人の人骨に、病気や怪我についての情報が含まれることがあります。調べてみると、栄養失調、感染症、貧血や骨の炎症、そして骨折。崖から落ちたみたいに全身骨折の人がいたり、骨折後副え木かなにかで治癒させている例もあり、骨からその人の人生が伝わってくるようです。また、稀な例としてガンや骨肉腫。ガンが稀なのは、発病するまでに死んでしまうことが多いだけのことらしい。結核は、弥生時代になってから出現し、古墳時代初頭に大流行したようです。もちろんこの他にも、寄生虫疾患や伝染病など、骨に痕跡を残さないような病気がいろいろあったことでしょう。さて、北海道南西部の虻田町にある入江貝塚で出土した縄文後期の9号人骨は、性別不明の思春期後半(20歳未満)なのですが、四肢の骨は異常に細く、幼児程度にしか発達していません。この人は、急性灰白髄炎の後遺症(小児麻痺)で、幼少時から寝たきり状態だったとみられます(参考)。


④ 古来、もっとも恐れられてきた伝染病は、ペストと天然痘であった。とくにペストは、その別名が「疫病」であることに示されるように、人々を恐怖のどん底に陥れてきた。歴史的に見ると、聖書にペストと考えられる病気は紀元前十一世紀頃に起きていた記載があるが、もっとも大きなペストの大流行は十四世紀にヨーロッパ全体を巻き込んだものであった(参考)。

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欧州のペストの流行(wikiより)


民族移動と伝染病、脊椎カリエス(参考)。

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